2012/10/08 - 2012/10/08
478位(同エリア661件中)
滝山氏照さん
稲城市の常楽寺(じょうらくじ、東京都稲城市長沼)は京王電鉄相模原線の稲城駅のすぐ北側にある天台宗のお寺で樹光山浄土院(じゅこうざん・じょうどいん)と号します。
永禄元年(1558)に僧良順が再興したといわれ、本堂には寄木造の阿弥陀如来と両脇侍像があります。
また境内で見られる地蔵菩薩像は寛文4年(1664)に長沼村下新田の住民により建てられたもので市に存在する中で最古のものです。
尚明治22年(1889)に稲城村ができた当時、村議会の選挙が行われた中心的な場所でもありました。
2022年8月6日追記
天台宗東京教区のホームページでは当該寺院について下記の如く紹介されています。
『 府中市、安養寺末であった常楽寺は、天平年間(757~765)行基菩薩に依る開基と伝えられています。
「新編武蔵風土記稿」の多摩郡長沼村、常楽寺の条には、「開山、慈覚大師なり、或はいふそれよりさき行基菩薩己に草創せんとされ、慈覚大師は宗祖伝教大師の後継にして行基もまた高名の僧なれば伝へを失い氏をかく妄説をなせしにあらすや・・・」と記されています。
その本尊阿弥陀如来、観音、勢至の二菩薩に加えて、多聞、持国の二天像を草堂中に安置したのが、常楽寺の創始であります。前出の風土記稿に「茶臼山阿弥陀堂の右なり昔行基この所にて弥陀を作りしと言い伝ふ」とあり、行基伝説の根強さを裏付ける記述が見られます。
その本尊阿弥陀如来は、坐像で檜造りです。作製年代は、平安時代後半とされ、漆箔が施されています。像高80・6cmと記録され、両脇侍の観音菩薩は94cm、勢至菩薩は92cm立像寄木造りで、別々に金箔をとどめています。二体共に平安時代末期の作とされるが、作者に関する寺伝はなく不詳です。
この三体と同時に閻魔王像一体も、都重宝に指定されています。像内に元禄12年(1699)、常楽寺住持、権大僧都生山運海自作との墨書があります。この運の字に仏師としての、仏像を刻する道に学んだ僧であることが偲ばれます。(以上四体は都重宝指定です。)
閻魔王の右には、三途のババがひかえています。作者は不明ですが、このババの姿形の方がこわいともいわれています。
本堂外陣の鏡天井に描かれた、極彩色の飛天図と墨絵の龍が八頭、各々異なる八態を見せて、天井を飾っているのは、相澤五流の筆になるものです。五流は、多摩の絵師です。蜀山人と号した太田南畝も「調布日記」の中で「その絵たくみなるは、さらにもいはし」と賞賛しています。
なお、徳川代々より「七石五斗を賜う」御朱印寺でありました。』
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
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