2002/08/10 - 2002/08/16
29位(同エリア94件中)
鼻毛マンさん
この旅行は、あまり楽しい思い出のない不思議な旅行でした。
北朝鮮に行くと、旅行者にガイドが必ず二人付き、ガイド兼監視役をしているようです。
どこに行こうとしてもガイドが横にぴったりと貼り付かれてしまいます。
簡単に表現すると「息苦しい」といったところでしょうか。
しかし、同時に北朝鮮が直面する問題と、日本が北朝鮮や韓国に与えた影響がどのようなものだったのか知ることができました。
日本人の一人として朝鮮には南北統一して元の姿に戻って欲しいと願います。
- 旅行の満足度
- 2.0
- 観光
- 2.5
- ホテル
- 3.0
- グルメ
- 2.5
- ショッピング
- 1.0
- 交通
- 2.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 15万円 - 20万円
- 交通手段
- タクシー
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
PR
-
8月10日(土) 羽田→関空→大連→藩陽→平壌→開城(泊)
この旅程では、関空で日本を出国し、大連で中国に入国。
そして、藩陽で中国出国し、平壌で北朝鮮に入国する。
機内で隣に座った日本人記者から北朝鮮には根本的な問題があることを教えてくれた。
昔は南で農業、北で工業という役割分担があった。
第二次世界大戦終結と同時に朝鮮半島が北と南に分離されてしまった今、土地が痩せている北では農作物が実らず昨今の食糧難を引き起しているらしい。
それでもソ連が崩壊するまでは、ソ連から安くエネルギーを供給してもらっていたため暮らせてゆけたが、ソ連が崩壊した今、北朝鮮はその根本的な問題が表面化しているのだそうだ。
飛行機の窓から見えるのは、蛇行して泥色の川、山の中腹まで無理やり耕した畑等が点在していた。
川に堤防らしきものはない。道も舗装されていない。
そんなことを考えていると旅客機は平壌に着陸。
地方空港の様をした平壌国際空港に降り立ち、北朝鮮への入国審査。
パスポートにスタンプを押してもらうことはできなかったが、あっけないほど簡単に入国成功。 -
北朝鮮のガイドはガラの悪そうな男とうら若き女性とのペアで一路開城へ。
開城と書いて「ケソン」と読むこの都市は、平城から160Km離れた韓国との国境の町。
平城から開城まではハイウェイが弾かれている。
開壌への移動中、ガイドが北朝鮮について説明してくれた。
日本人は皆この国のことを北朝鮮呼ぶがそれは間違いで、正しくはDPR Korerである。(Democratic People's Republic of Korea)
そしてここでは北朝鮮のことを「北」、韓国のことを「南」と略して呼ぶことが多いとのこと。
車中、さまざまな質問でして判明した事を以下に記す。
1.インターネットは一般庶民では使えないこと
2.北朝鮮の人々は日本人をとても恨んでいること
3.日本人拉致のことは北朝鮮国内でのニュースになっていないこと
4.飲み屋はあるが、風俗店は皆無であること
5.基本的に結婚するまで童貞&処女であること(最近はそうでもないらしい)
6.北朝鮮では力仕事をする人の方が賃金が高いらしいこと
7.一般庶民は車を持つ人は少ないらしいこと
8.アリラン祭はまだやっており、明日晴れれば観れること
9.38度線はルートに入っていないが、明日の朝なんとか連れて行ってくれるとのこと -
国道1号線を飛ばし開城に着く。
ここでは古い民族旅館に泊まるようだ。 -
日本でいう京都のイメージのこの旅館の一室に踏み入れると、そこには古い日本旅館のような佇まいをした母屋、畳み部屋と布団が出迎えてくれた。
部屋で一服すると次なるイベントが夕食。
北朝鮮での初めての食事を体験することになる。
ガイドとレストランに移動すると、夕食は王宮料理だと言う。
なんでも昔宮殿で出されていた食事が出てくるみたいだ。
カップルと共にワクワクしながら待っていると、金の8つの小皿とスープにご飯が程なく出てきた。
箸も金色の鉄の箸、なのだが肉が少ない。
とびきり美味い訳でもなく、かと言ってまずい訳でもない。
共通して言えるのは「辛い」ということだろうか。 -
8月11日(日) 開城→38度線→板門店→平壌(泊)
翌朝、やってきたのが38度線。
車窓からの眺めは、映画で観たかのような戦前の日本の生活観が目に跳び込んでくる。
皆着ているものが軍服に似ている。
ガイドに何故皆軍服のような服を着ているのかと尋ねると、どうやら作業着のようだ。
この国では普段着でも軍服のような服が好まれ、明るい色の服を着ている人はいない。
車が丘に登って建物の前で停車すると、なにやらガイドが中の人と交渉しはじめた。
しばらくするとドアが明いたので、中に入ってみる。
通路を通ってテラスに出ると草原が見えた。
ここが38度線だったのかと今さらながら驚き、そばに用意してある双眼鏡を覗く。
写真では見ずらいが韓国側に白い壁が見える。どうやらあれがコンクリート障壁のようだ。
コンクリート障壁とは、わかりやすく言うとアメリカが韓国側に設置したベルリンの壁のことである。
北から南へ攻めて来られないように、国境全体に設置した高さ10mの壁。
有事の際は南から北へは壁に備え付けた通路を開けて応戦すると言う。
南から見るとこの壁はなだらかな斜面であるため、南の人はこの壁があること自体を知らないと言う。
北の言い分だけで正当な判断は危険だが、結果的にこのような壁がこの現在において存在していることは事実である。 -
かの有名な高麗人参畑
貴重な輸出源なのだろう。 -
板門店
板門店とは、韓国との軍事境界線に位置する施設であり、この場で南北間での様々な調停等が行われる。 -
会議が行われる施設を上から見下ろすと、韓国と北朝鮮の軍人がものものしく警護している姿が見える。
「あの建物の真ん中を通る印が軍事境界線です。」
ガイドが説明してくれる。
下に降りてその施設に入ってみた。
中には大きなテーブルと椅子、そしてマイクがあるだけの殺風景な作り。
「この机のマイクのケーブルが境界線ですよ」
なるほど、窓の外を見るとあの軍事境界線と平行している。 -
平壌市街
平壌では最も高級な羊角島国際ホテルに泊まる。
48階建てのこの平壌一のホテルは大同江の中洲に位置する。
基本的に外国人はここに押し込められるようだ。
周りを見まわすとなんとなくそれが理解できる。
何か起きたら橋を封鎖するんだろう。
橋がなくなれば、孤島に様変わりする。
さて、平壌は北朝鮮の首都で人口約200万人。
北緯は東北あたりに位置し、冬はかなり冷えるが夏は涼しく快適である。
日本との時差は無いが、国交もない。 -
午後6時、アリラン祭への集合時間になったためロビーへ。
会場であるメーデースタジアムへ移動する。
馬鹿でかいスタジアムにチケットを持って乗り込むと、一種独特の雰囲気に包み込まれる。
バックスタンドでは、たくさんの子供達が人文字のための練習をしている。
「バックスタンドは平壌市内から集めた2万人の中学生です。」
ガイドの説明を聞きながら、人文字の練習風景を見ていると、本当に0.1秒で見事に切り替わる。
さすがに感心していると、午後7時、ショーが始まった。
TVニュースで見るかのような一律的な動き。
北朝鮮の童話的なストーリー。 -
そして、クライマックスは世界平和。
総勢10万人参加による一大マスゲーム。
これだけのショーを作りあげるのに、いったいどれほどの経費がかかるのだろうか。
チケットは特, A, B, C, Dの5種類。
特は3万円、Aは2万円、Bは15000円、Cが10000円、Dが8000円。
ガイド曰く、Bが最もお薦めとのことだったのでBにしたが、これは外国人料金で観客の大多数である自国民にはタダ同然の価格で見せているらしい。 -
8月12日(月) 平壌→妙香山(泊)
午前中は平壌市内観光、昼食の後、妙香山に移動というスケジュールだ。
人民の為に尽力を尽くしたという説明を嫌ほど受けた金日成の生家。
派手な装飾を凝らしながらも、電力不足で照明が暗い地下鉄。
自動改札機があったが、昨今のウォン切り上げにより今は使えないようだ。 -
なぜか献花しなければならかった、あまりにも有名な金日成大記念碑。
-
僕が写っているのが確認できるだろうか。
これが金日成大記念碑からみると小さく見えるのだから確かにバカデカイ。 -
平壌を代表するはずだった高麗ホテルを直視可能に配置された党創建記念碑。
-
そして、市民が実際に買い物をしている市内のデパート。
-
食料品売り場では、肉・野菜が冷凍され、スナック菓子売り場では日本のポテチが売られているのが興味深い。
-
北京の天安門広場を彷彿とさせる金日成広場。
-
この日のクライマックスが学生少年宮殿での小学生によるショー。
これがもっともこの国らしい場面であった。
子供に楽器の演奏、歌、踊りなどの芸をさせて金を取る。
そして、子供たちの一様な笑い顔。
この子達は本当に心から楽しいと思っているのだろうか。
ショー終了後妙香山に移動してこの日を終えた。 -
8月13日(火) 妙香山観光 → 平壌(泊)
妙香山には金日成・金正日宛てに世界各国からの贈り物が展示された記念館がある。
金日成館と金正日館に分かれており、最初に金日成館に入る。
何故か写真撮影禁止のただっぴろい記念館を、特製スリッパをパタパタと履きながら移動する。
途中、作業服を着た、学生の集団ともすれ違う。
自国民に党首の偉大さを知らしめる目的もあるようだ。
金日成館を経て金正日館に移る。
党首になったばかりなので、こちらは金日成館より品数が少ない。
移動中に必死に説明してくるガイド。
それを、うんうんと形だけ頷きながらゆく自分。
永遠とも思える心身共に疲れ切った2時間半の観覧を終え、やっと一息。
左の写真は記念館とは無関係の寺院です。 -
休憩のためかガイドがキャンプ場に案内してくれた。
きれいな水が流れる川を見て、すこしだけ心を休めつつ昼食。 -
昼食後、小学生らしい集団が引率の先生に連れられて来ているのに遭遇する。
皆、こちらを珍しい目で見ている。
この子らに反日感情はないようだ。
少しほっとして、一緒に写真を撮りたい旨申し出ると、喜んで快諾してくれた。
今思えばこの瞬間が、本当の生の北朝鮮の子供達と触合った唯一の機会だったのではないだろうか。
しかし、その写真に写る僕は、なぜか引率の先生のように写っていた。 -
平壌に戻り車中から街の様子を撮影
右側通行、交通量は少ない。しかし、ベンツやBMが走っている。
平壌に住んでいる事自体が北朝鮮では上層階級に属し、車を持っている人はさらに上の特権階級のようだ
交差点に信号機があるのはあったが、電力不足のためか警察官が手信号していた。 -
平壌郊外にある凱旋門
ところで、金日成が何を行った人なのかを知ってる日本人はどのくらいいるのだろうか。
この旅行で初めて知ったのだが、戦時中の日本軍から北朝鮮を解放した人物が金日成その人なのだ。
残念ながら韓国は日本の占領下のまま終戦を迎え、韓国は日本同様、米国の統治下に置かれた。
北朝鮮はソ連、韓国は米国。
38度線で朝鮮半島を分断した張本人は、何を隠そうこの日本なのである。
こんなことは教科書には載っていない。
一昔前に韓国で問題となっていた教科書問題の一端を垣間見ることができた。 -
一つ利口になったら、次はサーカスだ。
サーカス会場に着くと、大型バスを何台も乗り付けた中国人に囲まれる。
サーカスは中国の方が本場ではないのだろうか?
ガイドに聞くと、北朝鮮のサーカスは中国からわざわざ観に来るほど素晴しいらしい。
人が模型のように数メートル、否、十メートル以上、軽がると弧を描く。
中国雑技団とはまた違ったダイナミックな演技に思わず出る拍手。
留まることなくスムーズに流れる舞台構成と、その演技。
一見の価値があると言っていいだろう。 -
8月14日(水) 平壌 → 国際列車で北京へ(車中泊)
今日は国際列車で北朝鮮を脱出する。
10時10分の列車は、もう入線している。
ガイドに別れを告げて、列車に乗り込み少しして出発。
北京まで24時間超の長旅のスタートだ。
列車は飛行機とは違った感慨感をもたらしてくれる。 -
途中、北朝鮮の人々の暮らしぶりをかいま見つつ、列車はゆっくりと中国に向けて移動する。
速度は30キロだろうか。かなり遅い。 -
車窓の景色を堪能していると、中国との国境付近だろうか、列車が停まった。
出国検査だ。
検査員が乗り込み、出国カードを配る。
苦労してカードに記入し終わる頃、パスポートと出国カードの回収。
待つ事1時間。
検査員が戻り、パスポート無事返却。 -
そして列車は中国へ越境だ。
少し行くと大きな川をゆっくりと渡る。
この川はニュースで見たことがある気がした。 -
中国側の駅に滑り込むと、そこには文明という別世界があった。
立ち並ぶ高層ビルに色とりどりの服を着飾った市民達。
なにより、滑り込んだ駅に目立つシャネルの免税店。
車内を見ると、皆、ガッツポーズで喜びを表現していた。
心なしか僕も気分が湧いてきた。
やっと開放されたのか..
これがきっと、本当の思いだったのかもしれない。
それほど、あの国はストレスの溜まる国だった。
検査官に笑顔でパスポートと入国カードを手渡し、お腹が空いたので駅の売り子を呼んでパンを買う。
こんな当たり前のことが、とても新鮮で楽しく感じる。
検査官からパスポートを受け取り、入国にも無事成功すると程なく列車が滑らかに動き出した。
列車のスピードが速い。80キロから100キロは出ているだろうか。
日本と変わらないスピードで北京に向かいながら、格段に快適になった車内での夜を迎えた。 -
8月15日(木) 北京(泊)
定刻を1時間ほど過ぎた頃、北京駅に着く。
今夜は北京に泊まり明日帰国だ。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
この旅行記へのコメント (2)
-
- mi-tanさん 2015/01/29 12:22:43
- はじめまして♪
鼻毛マンさん、はじめまして。
南極旅行から鼻毛マンさんにたどり着き、古いものから順に読み始めたら、もう、おもしろくて、おかしくて・・・
北朝鮮まで、一気に読んじゃいました。
いろんなエピソードや、人間観察が、実に面白いですね〜〜
全部読むと、もったいないので、続きはまたじっくり読ませてもらいます。
フォローさせてくださいね〜
どうぞよろしくお願いいたします。
mi-tan
そうそう、私の祖父が平壌の朝鮮総督府で働いていたそうで、総和16年まで、父の一家は、平壌に住んでいたそうです。
死ぬまでに一度は、兄弟で平壌を再訪してみたいと言っていたのが、懐かしい思い出です。(父はすでに他界しました)
朝鮮の方々に、辛い思いをさせながら、日本人は、きっといい暮らしをしていたから、その頃が懐かしいんでしょうね。
父から聞いた子どもの頃の重いでは、とてもたのしそうでしたから・・・
子どもとしては、朝鮮問題は、いつもいつも、なんともいえない複雑な思いがします。
- 鼻毛マンさん からの返信 2015/01/29 23:44:37
- ありがとうございます〜
- こんな鼻毛のようなとこにきてくれるだけでも嬉しいのに、書き込みまでしてもらえてすごく嬉しいです。
古い順に読んでくれたんですね。
大正解です。
僕は初めの頃は写ルンですだったから、写真の枚数が少なくて、コンパクトにまとまっています。
それが今やいっちょまえにミラーレス一眼レフなんて手にしたもんだから、最近の旅行記は長ったらしくなってしまって困っています。
こんな長いの誰も読まないだろうって思ってると、まさにそのようで、僕の最近の旅行記は前半20枚くらいでほとんどの人が脱落するみたいです。
なので、mi-tanさんも僕の最近の旅行記は読まない方が良いです。
こんなの読んでると近所の犬に吠えられたりとにかくロクなことがありません。
あ、だけど、一つだけいいことがあります。
それはmi-tanさんに忍耐力という素晴らしい能力が備わること。
今以上の忍耐力が欲しいと思ったのなら、僕の最近の旅行記を読むのも良いのかもしれません。
読んでくれたのですね。北朝鮮の旅行記。
僕が北朝鮮に行って得たものは物事の多面性です。
38度線を越えた向こうには、多くの日本人が受けて来なかった物の見方がありました。
日本の学校教育では日本に不利なことは教えませんので、本当に目からうろこが落ちる思いをしました。
朝鮮半島を北朝鮮と韓国に分断させた張本人は日本である。
そしてこの考え方がまた正論でもあることにショックを受けたものです。
また、なぜ北朝鮮ではあんなに金日成が神々しく扱われているかも良くわかりました。
人間何事も経験。
ぜひ、息子さんにも北朝鮮旅行を勧めてみてください。
きっと人生観が変わること請け合いです。
それでわ〜
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
2
31