2013/01/01 - 2013/01/01
390位(同エリア767件中)
merisiさん
- merisiさんTOP
- 旅行記62冊
- クチコミ32件
- Q&A回答0件
- 101,149アクセス
- フォロワー1人
ロンドン1泊、マルタ5泊の6泊8日の旅、マルタ編。
半分以上街歩きに費やした旅でしたが、とても楽しかったです。テンションを反映して無駄に長い旅行記になってしまいました。
2日目は元日。この日の旅行記は本当にただただ街を歩いているだけです。前半は、コスピークワとヴィットリオーザ。
コットネラ・ラインという要塞線に沿って散策しました。
情報元
http://romeartlover.tripod.com/Malta.html
Discover Cottoneraのサイト。スリーシティーズの地図や、城塞の説明などが入手できます。
全体の旅程
12/29
11:55 成田発
15:30 ヒースロー着
12/30
ロンドン観光
20:50 ヒースロー発
24:30 マルタ着
12/31
午前 ハーバークルーズ
午後 聖ヨハネ大聖堂、ヴァレッタ散策
1/1
昼 コットネラ・ライン散策
午後~夜 ヴィットリオーザ、セングレア、ヴァレッタ散策
1/2
午前 ヴァレッタ教会巡り、騎士団長の宮殿、考古学博物館
午後 マルサシュロク、ハジャールイム神殿
1/3
午前 ヴァレッタ教会巡り、Casa Rocca Piccola
午後 イムディーナ、ラバト
1/4
8:30 マルタ発
- 同行者
- カップル・夫婦
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
今日は元日、街もお休みモードですので、私たちもゆるゆる起床。
-
10時半ころようやく始動。今日はスリーシティ方面を散策予定なので、まずはバスで移動。
元日は12時〜15時の間、バスとフェリーがストップすると各催行会社が告知していましたので、それまでには目的地に着かないとまずいです。
ゲート前のターミナルはバス降車場で、乗り場は市内からゲートを出て左手にあります。 -
あれ、お札が使えない…と思って売店でお札を崩してきたのに、チケットを取ろうと蓋をあけたら、そこにお札を入れる口がありました。
この後30分バスを待つことになりますが、たぶんこのゴタゴタの間に一本行っちゃったんだろうなあ。 -
お札を崩すために買ったキニー。
私たちは好きな味でした。生ジンジャーエールとか好きな人はハマるかも。 -
スリーシティ方面は14番乗り場。が、電光掲示板によると11時45分までバスがない…しまったね。
第一候補の2番ルートが先発なのが救いだね…ということで、仕方がないのでのんびり待つことにしましたが、なぜか先に3番が到着、11時半前に出発できました。
バス停前から離れなくてよかった。そして、あいかわらず皆並びません。
そもそも、時刻表も掲示板も、乗降口前に並んでいたら見えないようになっています。文化が違うんでしょうね。 -
11:55、バス降車。
初めてのバスで、降りる場所も大体の当りをつけただけなのでちょっと緊張しつつ。
マルタのバス停は「○○地区の××停留所」という形で整理されていて、しかも車内アナウンスでは「××、○○」とお知らせします。
RabatとかPaolaが○○に入るので耳に残り、一瞬「あれ、もう着いた!」と焦ってしまいます。
今回降りたのは「Ibliet」。奥のトンネルを潜って着いたバスは、このバス停直前で、直進するLine 1、3と坂を上がるLine 2に分かれます。
私たちは坂を上がってコットネララインの内側を歩く予定。 -
マルタの砦といえば海際からそびえるヴァレッタの城塞、セングレアの見張り塔。
しかしこれ背後の陸側から攻められたりしないの?と思っていた私。ある日Googleマップの衛星写真を見ていたら、あるじゃないですか、内陸部にきれいに残る城塞の跡が!
検索してみるとSt Margerita LineとCottonera Lineというようです。大包囲戦の後、スリーシティズでの籠城戦を想定して建設を始めた城塞線。
大包囲戦の時、やはりトルコ軍は主に地上から攻撃を仕掛けていたようです。上陸を許してなお持ちこたえたのはすごいですね。今度はトルコの攻め方が下手すぎるんじゃないかという疑惑が…w
ともあれ、城好きの連れを喜ばせるためにも、コットネラウォーキングツアーを敢行することにしました。
○聖マルゲリータ城塞線とコットネラ城塞線について
1638 年、騎士団長Lascaris により、セングレアとボームラを守る城壁の建設が始まった。トルコ軍が砲撃の拠点とした丘に立つ稜堡の名を冠し、これを聖マルゲリータラインと呼ぶ。
1669 年、ヴェネチア共和国のクレタ島植民地カンディアが陥落したのを受け、騎士団長Cotoner は聖マルゲリータライン未完のまま、新たな要塞の建設を決めた。しかし、騎士団の資金もCotoner の私的資産も底をつき、要塞は堀や外装で防護されず未完のまま工事はいったん中止された。
18 世紀の騎士団長たちは、事業を引き継ぎ要塞を完成させようと努力はしたものの、実用的な部分よりも華麗なゲートの建設に力を注いだ。
19 世紀、英国軍が調査の結果、稜堡は巨大で門は優美ながら欠陥がいくつかあるとして、セングレアのドックヤードを防御する要塞を新たに建設している。 -
坂を上るとすぐ、最初の稜堡。この下を道路が通っています。
-
眼下のフレンチ・クリークに向いた銃眼。
クリークは現在はドライドックになっていて、この日も船が入っていました。 -
降りたバス停の方を眺める。
奥の方にセングレアの時計塔と教区教会が見えます。 -
際に立っているように見えますが、城壁はとても厚くこの先に1、2メートルあります。
-
武器庫や兵舎が再利用されているようです。
ガレージや、アートスタジオなんかにもなっていました。 -
マルタ十字を掲げる教会。
-
-
聖マルゲリータラインが見えます。思ったよりも城塞線同士の距離がありません。
-
丘に沿って続く聖マルゲリータライン
-
稜堡間の直線部分には全てゲートが設けられていました。(英国軍に塞がれたものも多い)
階段と通路が見えるので上ってみましょう。 -
ゲートの上は民家。城壁そのものに近づける場所は多くなさそうです。
-
表札の間にキリスト像
-
通路を抜けた先の稜堡もアパートになっていて、家族が廊下でおしゃべりしたりしていたので、退散。場違いな東洋人を皆さん不審げに見やります。
一度城壁外に出てみることにします。
ヴァレッタよりは緩やかですが、今日も上ったり下りたり。 -
あれ、車道しかない…中央分離帯の上を歩いて無理やり通過。
-
内側から見るより高く感じます。
-
外側を周ってみようか迷いましたが、城壁沿いの道がなさそうだったので、また中へ。
-
12:45、先ほど道の向こうにあった公園でお昼にします。
-
ロンドンから買いためた諸々。チューブのディル入りチーズがとても美味しかったです。
-
この子は公園に捨てられていたピザを食べていました。
-
13:15、再出発。
-
何かいると思ったら馬でした。あきらかに人が住んでいるので、ここも遠巻きに眺めて進みます。
-
聖マルゲリータラインの一角に着きました。
コットネラ・ラインの高さと比べるとちょっと心もとない。 -
ほどなくゲートが見えてきました。
-
このゲートを素通りして道路を進めば、コットネラ・ラインのメインゲートに着きます。が、日和って中へ。
結局コットネラ・ラインは半分ほど残してしまいました。
思ったより城壁沿いに歩くことができなかったのが残念。 -
門をくぐるとすぐ目の前に建物が左右に伸びています。
元は英国海軍の兵舎だったもの。現在は普通の住宅のようでした。 -
宿舎自体が第二の砦の役目を担っていたのか、街の中心部に抜ける道がありません。
建物沿いに歩いて、切れ目があったと思ったら聖マルゲリータラインの外に出されてしまいました。 -
少し城壁沿いを歩いて、再度街の中へ。
-
13:35、トルコ軍がビルグ砲撃の拠点とした丘、聖マルゲリータ稜堡に着きました。
煙突みたいなのはウィンドミル跡らしいです。 -
ヴィットリオーザを望む。現在は稜堡の半分が木立で視界を遮られていますが、確かに砲撃しやすそう。
-
近隣住民の駐車場になっていました。
-
スリーシティの中でもコスピークワは普通の住宅地として観光どころとしては注目されていないようですが、いい感じの街並みです。
ただ、このあたりでは飲食店は全く見かけませんでした。 -
13:55、ヴィットリオーザに到着。
-
グレートシージの際の騎士団の本拠地です。
海事博物館や宗教裁判所跡などちょっと気になる施設もありましたが、今日はお休みなのでおとなしく散策します。 -
最近は木製ではなくサッシ製のバルコニーもあるみたいです。
-
マルタ・ストーンは柔らかく、古い壁はこんな風にぼこぼこ。
連れがちょっと触ったら、ぼろっと剥がれ…おいおい。
ヴァレッタなんかには、ヴィンテージ感を出すためにか、わざと表面をこういう感じに加工した新しい石もありました。 -
家の前に植木鉢を置いている家が多く、他の街と印象がずいぶん違いました。
奥ではサンタクロース集団が家屋侵入を試みています。 -
ヴィットリオーザで一番古い家、ノルマン・ハウス。
二階の窓が目印です。
平日は見学できる曜日もあるみたいですが、今日は当然お休み。 -
-
一般のお家でも生誕祭の飾りをしているところがちらほらありました。
ショーウィンドウのように、カーテンを垂らしてスペースを作っています。 -
各家庭で個性があります。
-
-
オーベルジュ・ド・フランス。ヴィットリオーザの騎士団宿舎で最大のもの。
フランス語族から代々の病院長が選ばれたため、病院長宿舎とつながっているそうです。 -
お向かいに比べてガラが大きいです。
-
こちらのサンタは等身大。一瞬本物の人に見えてドキッとします。
-
マルタ騎士団が最初に建てた施療院は、現在まで女子修道院として使われている。
-
マルタの教会はだいたい十字架とか壁に電球が埋め込まれてます。
私の持論に、現役宗教施設はピカピカ電飾好き、というのがありますが、ここでも強化されました。 -
ヴィクトリア広場。
奥のカフェが開いていて、街中全てシャットダウン、ということはなさそうだと安心する。 -
グレート・シージの戦勝記念碑。
-
記念碑を囲む柵。トルコの月を貫くマルタ十字の槍が意匠に組み込まれている。
-
天国への扉がこんなところに…
-
表に回ると教会でした。
ヴァレッタは意外とマルタ十字満載というわけでもなく、ヴィットリオーザが一番多かったです。 -
グレート・シージ当時のビルグ市長は戦死なさったようです。
マルタ騎士のひとりだったのかな? -
雰囲気よく折り重なる建物たち。
-
ヴィットリオーザの教区教会。この時間は開いておらず、残念。
-
サボテンは島のあちこちに生えていました。
-
14:40、マリーナ沿いに聖アンジェロ砦を目指します。
-
プロムナード。にぎわうレストランが並ぶ一角はひとまず抜けて、聖アンジェロ砦へ。
-
見たうち、砦の堀として海が利用されているのはここだけでした。
-
砦は工事中で立ち入り禁止。
-
脇の道を先端まで歩きます。
-
半島の先に行くと大型の豪華クルーザーが並ぶようになります。
こちらは「Indian Empress」と名を冠された船。
旗もヒンズーっぽいもんね〜、と思っていたのに、帰って調べたらマン島の紋章でした…。 -
端っこまで来ました。ちょうど正面にアッパー・バラッカ・ガーデン。
-
-
見張り塔はかっこいいけれど、「ここを狙ってください」といわんばかりだと思うのですが、どうなんでしょうか。
-
砦の隣には、近代的な建物も。St. Angelo Mansions。
高級アパートメントをマンションと呼ぶのは日本だけじゃなかったんですね。 -
窓からのぞきこんで…では勿論なく、広告のイメージ写真。スタイリッシュです。
-
イギリス海軍が作った聖アンジェロ砦への道路は取り壊されていました。石が白い部分。
砦は今も工事中で立ち入り禁止。おそらくはできるだけかつての形に戻して再公開するのでしょう。 -
クルーズの時にも見えたカルカラの病院。
こうしてみると、あのエレベーターはどこにつながっているんだ? -
ヴァレッタのシージ・ベルが見えます。
-
3時半、休憩です。ここまでで5kmくらいでしょうか。覚悟したほどは歩かなかったですね。
入ったのは1階左端の店。
チップ制はあるのに、ウェイターは担当制ではないのでちょっととまどいます。皆さん感じのよい店員さんだったので、割ってもらうのは構わないのですが。 -
初チスク。ちょうどいい軽さで美味しい。
元英国領ということで、エールぽい感じかと思っていたのですが、やっぱり暑い国はドライなビールだよね。 -
ブルスケッタ8ユーロ。マルタパンが使われていて、フランスパンの断面積の2倍くらいありました。美味しかったです。
これを肴に2杯ずつ飲んで、有名な見張り塔を見にセングレアに出発です。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
79