野田・関宿旅行記(ブログ) 一覧に戻る
日光東照宮と言えば、家康公 ご生母(お大の方)の菩提所「光岳寺」が、<br />関宿にあることを知り、リハビリかたがた訪ねて着ました。<br /><br />春日部で、東武本線から支線の野田線に乗り換え、川間駅からバスで関宿へ、<br /><br />・関宿城博物館周辺を散歩し、博物館で歴史のお勉強<br />・関宿周辺の歴史散策<br /><br />帰りは、バスで、東武動物公園に戻り、東武で帰宅。<br /><br />腰痛(俗に言う軽度のぎっくり腰)になり、温泉旅行がキャンセル<br /><br />医者からは、無理はせず、筋肉は、動かしてリハビリをするようにとの指示、<br /><br />やっと回復してきて、気を取り戻し、<br />本来「冬の栃木と温泉旅の予定」だった3連休に、<br />投稿しない予定だったリハリビのプチ旅を投稿することに、<br /><br />写真がチョット貧弱、枚数ではやはりカバーできませんね。<br /><br />

リハビリのプチ旅

21いいね!

2012/12/09 - 2012/12/09

52位(同エリア202件中)

0

44

アライグマの湯

アライグマの湯さん

日光東照宮と言えば、家康公 ご生母(お大の方)の菩提所「光岳寺」が、
関宿にあることを知り、リハビリかたがた訪ねて着ました。

春日部で、東武本線から支線の野田線に乗り換え、川間駅からバスで関宿へ、

・関宿城博物館周辺を散歩し、博物館で歴史のお勉強
・関宿周辺の歴史散策

帰りは、バスで、東武動物公園に戻り、東武で帰宅。

腰痛(俗に言う軽度のぎっくり腰)になり、温泉旅行がキャンセル

医者からは、無理はせず、筋肉は、動かしてリハビリをするようにとの指示、

やっと回復してきて、気を取り戻し、
本来「冬の栃木と温泉旅の予定」だった3連休に、
投稿しない予定だったリハリビのプチ旅を投稿することに、

写真がチョット貧弱、枚数ではやはりカバーできませんね。

同行者
一人旅
交通手段
高速・路線バス 私鉄 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

PR

  • 家康公御生母「お大の方」菩提所<br />光岳寺の三ツ葉葵のご紋

    家康公御生母「お大の方」菩提所
    光岳寺の三ツ葉葵のご紋

  • 関宿は、日光東往還の要所です。

    関宿は、日光東往還の要所です。

  • リハビリプチ旅の始点<br /><br />バスで、関宿城博物館に着きました。

    リハビリプチ旅の始点

    バスで、関宿城博物館に着きました。

  • 今日、戦国時代関宿を居城にしていた梁田氏の<br /><br />「梁田家文書の世界?−戦国大名の印判状」<br /><br />の講演会{資料代200円}が、ある事を知り、<br /><br />早速申し込み−戦国時代のお勉強です−<br /><br />それまでの間、中ノ島公園をお散歩。

    今日、戦国時代関宿を居城にしていた梁田氏の

    「梁田家文書の世界?−戦国大名の印判状」

    の講演会{資料代200円}が、ある事を知り、

    早速申し込み−戦国時代のお勉強です−

    それまでの間、中ノ島公園をお散歩。

  • 中ノ島公園は、<br /><br />埼玉県かと思いましたが、茨城県猿島郡五霧町でした。<br /><br />県が入り組んでいて、地元の人は大変ですね。<br />特に茨城県の人が、公共交通機関で県庁に行くには、<br />何県またぐのでしょうか?

    中ノ島公園は、

    埼玉県かと思いましたが、茨城県猿島郡五霧町でした。

    県が入り組んでいて、地元の人は大変ですね。
    特に茨城県の人が、公共交通機関で県庁に行くには、
    何県またぐのでしょうか?

  • 筑波山(拡大すると右端に)を背景に河川敷<br /><br />やはり利根川は、広いですね

    筑波山(拡大すると右端に)を背景に河川敷

    やはり利根川は、広いですね

  • 江戸川の水量調節用の水門

    江戸川の水量調節用の水門

  • 江戸川に、鴨?が、沢山いました。

    江戸川に、鴨?が、沢山いました。

  • 関宿城博物館に戻ります。<br /><br />事前に、歴史のお勉強<br /><br />戦国時代:梁田氏の居城 :当時は平城<br />徳川家が関東に移付:松平康元候(家康公の弟)初代城主<br />江戸時代:譜代大名が、城主<br />寛文11年(1671年)から:久世氏居城

    関宿城博物館に戻ります。

    事前に、歴史のお勉強

    戦国時代:梁田氏の居城 :当時は平城
    徳川家が関東に移付:松平康元候(家康公の弟)初代城主
    江戸時代:譜代大名が、城主
    寛文11年(1671年)から:久世氏居城

  • 天守閣から、筑波山を<br /><br />その後しばし講演会でお勉強:<br />戦国時代に多数の文書を発行する為、印が発達・・・<br />また、戦国時代のこの地方のお話も<br />

    天守閣から、筑波山を

    その後しばし講演会でお勉強:
    戦国時代に多数の文書を発行する為、印が発達・・・
    また、戦国時代のこの地方のお話も

  • 光岳寺以外にも、沢山の見どころがあります。<br /><br />紹介パンフ

    光岳寺以外にも、沢山の見どころがあります。

    紹介パンフ

  • 紹介パンフ

    紹介パンフ

  • 周辺の観光ポイント<br /><br />これから、幾つかのポイントを訪ねて回ります。

    周辺の観光ポイント

    これから、幾つかのポイントを訪ねて回ります。

  • 関宿城から、<br /><br />降りてきました。

    関宿城から、

    降りてきました。

  • まずは、博物館直ぐ下の<br /><br />「鬼門除け稲荷」<br /><br />本来の関宿城の北東に位置します。<br /><br />

    まずは、博物館直ぐ下の

    「鬼門除け稲荷」

    本来の関宿城の北東に位置します。

  • やはり、関宿城跡は、訪ねないと<br /><br />田んぼの中をテクテク歩き着きました。<br /><br />石垣でも残っていればよいのですが、・・・<br /><br />

    やはり、関宿城跡は、訪ねないと

    田んぼの中をテクテク歩き着きました。

    石垣でも残っていればよいのですが、・・・

  • 茨城県 五百選 の碑<br /><br />あまり訪れる人がいないのですね。<br /><br />枯れ草に埋もれていました。

    茨城県 五百選 の碑

    あまり訪れる人がいないのですね。

    枯れ草に埋もれていました。

  • 関宿城の歴史説明ー1<br /><br />歴史あるお城です。

    関宿城の歴史説明ー1

    歴史あるお城です。

  • 関宿城の歴史説明ー2

    関宿城の歴史説明ー2

  • 土手沿いを歩き、次のポイントへ:棒出し<br /><br />江戸時代には、江戸川の水量を調節する為<br /><br />関(水量調節)ががありました。<br /><br />今は、看板だけでした。

    土手沿いを歩き、次のポイントへ:棒出し

    江戸時代には、江戸川の水量を調節する為

    関(水量調節)ががありました。

    今は、看板だけでした。

  • 民家の間の細い道をチョット歩き<br /><br />関所跡へ<br /><br />残念ながら、記念碑だけでした。

    民家の間の細い道をチョット歩き

    関所跡へ

    残念ながら、記念碑だけでした。

  • バス通りを歩き5つ目のポイント<br /><br />終戦総理大臣 鈴木貫太郎翁 記念館<br /><br />にも立ち寄りました。<br /><br />途中に、「江戸町」のバス停

    バス通りを歩き5つ目のポイント

    終戦総理大臣 鈴木貫太郎翁 記念館

    にも立ち寄りました。

    途中に、「江戸町」のバス停

  • もう少し、バス通りを歩き<br /><br />いよいよ プチ旅の目的地<br /><br />光岳寺へ

    もう少し、バス通りを歩き

    いよいよ プチ旅の目的地

    光岳寺へ

  • 光岳寺遠景<br /><br />田んぼの中の長い参道を歩きます。

    光岳寺遠景

    田んぼの中の長い参道を歩きます。

  • やっと光岳寺に、近づいてきました。

    やっと光岳寺に、近づいてきました。

  • 表参道の正面に<br /><br />家康公御生母「お大の方」の<br /><br />於大方御守佛地蔵菩薩

    表参道の正面に

    家康公御生母「お大の方」の

    於大方御守佛地蔵菩薩

  • 於大方御守佛地蔵菩薩

    於大方御守佛地蔵菩薩

  • 表参道をさらに進み 光岳寺 へ<br /><br />浄土宗 天機山傳通院光岳寺<br />寺紋は、三ツ葉葵<br /><br />徳川家康の異父弟松平康元が、天正18年(1590年)に<br />初代関宿城主になられた時に開基。<br /><br />建立当初は、弘経寺(ぐきょうじ)、後に、<br />ご生母戒名(傳通院殿蓉誉光岳智香大禅定尼)より、<br />光岳寺に改めて於大の方菩提所と定まった。<br /><br />於大の方のご遺骨は、東京小石川の傳通院に葬られており、<br />家康により菩提寺と定められている。<br /><br />光岳寺には、御守仏地蔵尊と御歯骨、御位牌等が、<br />康元により奉納されている。

    表参道をさらに進み 光岳寺 へ

    浄土宗 天機山傳通院光岳寺
    寺紋は、三ツ葉葵

    徳川家康の異父弟松平康元が、天正18年(1590年)に
    初代関宿城主になられた時に開基。

    建立当初は、弘経寺(ぐきょうじ)、後に、
    ご生母戒名(傳通院殿蓉誉光岳智香大禅定尼)より、
    光岳寺に改めて於大の方菩提所と定まった。

    於大の方のご遺骨は、東京小石川の傳通院に葬られており、
    家康により菩提寺と定められている。

    光岳寺には、御守仏地蔵尊と御歯骨、御位牌等が、
    康元により奉納されている。

  • しばし、光岳寺を散策しました。<br />

    しばし、光岳寺を散策しました。

  • 瓦も三ツ葉葵のご紋

    瓦も三ツ葉葵のご紋

  • ご生母の像でしょうか?

    ご生母の像でしょうか?

  • こちらにも 三ツ葉葵

    こちらにも 三ツ葉葵

  • 洪水対策の船でしょうか?利根川散歩の船でしょうか?<br />

    洪水対策の船でしょうか?利根川散歩の船でしょうか?

  • 光岳寺からの 関宿城博物館<br /><br />のどかな田園風景です。<br /><br />一見小春日和で、暖かそうですが、<br />結構風が強く寒いです。<br /><br />遮るものがありませんから。

    光岳寺からの 関宿城博物館

    のどかな田園風景です。

    一見小春日和で、暖かそうですが、
    結構風が強く寒いです。

    遮るものがありませんから。

  • 表参道を、バス通りに戻りました。<br /><br /><br />香取神社横にて

    表参道を、バス通りに戻りました。


    香取神社横にて

  • 直ぐ近くに、最後のポイント 「香取神社」<br /><br />

    直ぐ近くに、最後のポイント 「香取神社」

  • 説明の碑<br /><br />江戸時代には、天王祭が行われていた。<br />碑文より<br /><br />一応載せましたが、<br />読み難いので、飛ばしてね。

    説明の碑

    江戸時代には、天王祭が行われていた。
    碑文より

    一応載せましたが、
    読み難いので、飛ばしてね。

  • なかなか写真になりません。<br /><br />

    なかなか写真になりません。

  • 納屋のバス停 : 通りの反対側(動物公園行)に渡ります。<br />         (日陰で、写真ポイントでなかったので) <br /><br />ここで、今回のプチ旅は、終わります。<br /><br />一言:のどかな田園の中のお散歩でした。<br /><br />   当然ながら、観光客の方は、みえませんでした。

    納屋のバス停 : 通りの反対側(動物公園行)に渡ります。
             (日陰で、写真ポイントでなかったので) 

    ここで、今回のプチ旅は、終わります。

    一言:のどかな田園の中のお散歩でした。

       当然ながら、観光客の方は、みえませんでした。

この旅行記のタグ

21いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

この旅行で行ったスポット

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

この旅行記の地図

拡大する

PAGE TOP