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大阪の街は明治中期以降、綿紡績や鉄道などを中心に、それを支える商社や銀行などの活動が一体となって「東洋のマンチェスター」と呼ばれ、日本の経済や産業の中心地として活況を呈し、東京を凌ぐ時期がありました。<br /> その勢いは、第一次世界大戦後ますます増し、繊維産業だけではなく重化学工業や雑貨産業も発展し、大正末・昭和初期には全国一の工業都市として「大大阪」を自負するに至りました。<br />そんな華やかな時期に船場や北浜を中心に、ヨーロッパの建築様式の影響を強く受けた近代建築が数多く建てられました。最近はさすがに老朽化して建替えられてしまう建物も多くなっていますが、中之島界隈には私の大好きな近代建築が今も尚オフィスビルとして頑張っています。<br />大阪2日目は、釜山への船が出るまでの間、これらの近代建築を眺めながら散歩しました。

大阪 近代建築散歩

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2012/08/12 - 2012/08/13

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旅行記グループ 近代建築散歩(関西エリア)

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ぬいぬい

ぬいぬいさん

大阪の街は明治中期以降、綿紡績や鉄道などを中心に、それを支える商社や銀行などの活動が一体となって「東洋のマンチェスター」と呼ばれ、日本の経済や産業の中心地として活況を呈し、東京を凌ぐ時期がありました。
 その勢いは、第一次世界大戦後ますます増し、繊維産業だけではなく重化学工業や雑貨産業も発展し、大正末・昭和初期には全国一の工業都市として「大大阪」を自負するに至りました。
そんな華やかな時期に船場や北浜を中心に、ヨーロッパの建築様式の影響を強く受けた近代建築が数多く建てられました。最近はさすがに老朽化して建替えられてしまう建物も多くなっていますが、中之島界隈には私の大好きな近代建築が今も尚オフィスビルとして頑張っています。
大阪2日目は、釜山への船が出るまでの間、これらの近代建築を眺めながら散歩しました。

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  • 梅田駅から歩くこと10数分 中之島の日本銀行大阪支店に到着

    梅田駅から歩くこと10数分 中之島の日本銀行大阪支店に到着

  • 中之島周辺には明治時代の建物が数多く残っています。

    中之島周辺には明治時代の建物が数多く残っています。

  • この、日銀大阪支店もそのうちのひとつ<br />1903年の竣工で設計は辰野葛西建築事務所。<br />最近建築当初の姿に蘇って話題の、東京駅の設計者辰野金吾によるものです。<br /><br />

    この、日銀大阪支店もそのうちのひとつ
    1903年の竣工で設計は辰野葛西建築事務所。
    最近建築当初の姿に蘇って話題の、東京駅の設計者辰野金吾によるものです。

  • 川の向こう岸に見えるのは三井住友銀行大阪本店の住友ビルヂング<br />大正15年に建てられたものです。

    川の向こう岸に見えるのは三井住友銀行大阪本店の住友ビルヂング
    大正15年に建てられたものです。

  • この堂島川の両側が大阪の近代建築が建ち並ぶ一角です

    この堂島川の両側が大阪の近代建築が建ち並ぶ一角です

    堂島川 自然・景勝地

  • こちらは大阪市役所の隣にある中之島図書館。

    こちらは大阪市役所の隣にある中之島図書館。

  • 大阪図書館としてドームの乗ったこの部分は明治37年に建てられたものです。<br /><br />

    大阪図書館としてドームの乗ったこの部分は明治37年に建てられたものです。

  • この建物は、 住友家第15代当主・住友吉左衛門友純の寄付を基に建てられたもの。<br />

    この建物は、 住友家第15代当主・住友吉左衛門友純の寄付を基に建てられたもの。

  • 設計したのは、当時の住友本店臨時建築部の技師長・野口孫市と技師・日高胖

    設計したのは、当時の住友本店臨時建築部の技師長・野口孫市と技師・日高胖

  • 左右に広がる両翼の部分は18年後に、同じく住友家の寄付金をもとに、日高胖の設計により増築されました。

    左右に広がる両翼の部分は18年後に、同じく住友家の寄付金をもとに、日高胖の設計により増築されました。

  • 外観はルネッサンス様式を用い、内部の空間はバロック様式を基本とした重厚感あふれる建物になっています。

    外観はルネッサンス様式を用い、内部の空間はバロック様式を基本とした重厚感あふれる建物になっています。

  • コリント式円柱に支えられる正面はギリシア神殿イメージ

    コリント式円柱に支えられる正面はギリシア神殿イメージ

  • 今回は中に入りませんでしたが、このドームの乗った中央ホールは教会を思わせる造りとなっています。<br />

    今回は中に入りませんでしたが、このドームの乗った中央ホールは教会を思わせる造りとなっています。

  • その隣には、これまた明治の建物 大阪中央公会堂があります。

    その隣には、これまた明治の建物 大阪中央公会堂があります。

  • この建物は、 株式仲買人だった岩本栄之助からの100万円の寄付を基に建てられたもの。

    この建物は、 株式仲買人だった岩本栄之助からの100万円の寄付を基に建てられたもの。

  • 企業のオーナーや当時の成功者からの寄付でこんな立派な建物が作られていルことを考えると、以下に当時の大阪の街が繁栄していたのかを想像することができますね。

    企業のオーナーや当時の成功者からの寄付でこんな立派な建物が作られていルことを考えると、以下に当時の大阪の街が繁栄していたのかを想像することができますね。

  • 設計はコンペにより当時の日本の建築の第一人者である岡田信一郎が、基本設計を行い、実施設計は辰野片岡建築事務所によるもの。

    設計はコンペにより当時の日本の建築の第一人者である岡田信一郎が、基本設計を行い、実施設計は辰野片岡建築事務所によるもの。

  • 以前来たときも中を見ることができなかったので、てっきり見れないものと思い、外回りだけ写真を撮って先に移動しました。

    以前来たときも中を見ることができなかったので、てっきり見れないものと思い、外回りだけ写真を撮って先に移動しました。

  • でも、帰りの地下鉄の構内のポスターを見ると、内部も見ることができたようですね。

    でも、帰りの地下鉄の構内のポスターを見ると、内部も見ることができたようですね。

  • 次回は内部も見てみたい建物です。

    次回は内部も見てみたい建物です。

  • 裏側に回ると建物の壁に、建築当時の外観の写真プレートがありました。

    裏側に回ると建物の壁に、建築当時の外観の写真プレートがありました。

  • その隣には改修前に使われていた柱の一部が展示されていました。

    その隣には改修前に使われていた柱の一部が展示されていました。

  • 堂島川の橋の上から見る中央公会堂の全貌

    堂島川の橋の上から見る中央公会堂の全貌

    堂島川 自然・景勝地

  • 堂島川の橋を渡って北浜の交差点の角にある大阪証券取引所。アールデコ風の正面のファサード部分だけ保存されています。

    堂島川の橋を渡って北浜の交差点の角にある大阪証券取引所。アールデコ風の正面のファサード部分だけ保存されています。

  • 境筋を南に下っていくと旧報徳銀行大阪支店の新井ビルがあります。こちらは大正11年に建築されたもので、現在はレストランが1階に入っています。

    イチオシ

    境筋を南に下っていくと旧報徳銀行大阪支店の新井ビルがあります。こちらは大正11年に建築されたもので、現在はレストランが1階に入っています。

    新井ビル 名所・史跡

  • その先にある高麗橋野村ビルディング

    その先にある高麗橋野村ビルディング

    高麗橋野村ビルディング 名所・史跡

    野村財閥の最初の貸しビルがここ by ぬいぬいさん
  • 昭和2年に安井武雄建築事務所設計により建てられたもの。

    昭和2年に安井武雄建築事務所設計により建てられたもの。

  • 北浜周辺に点在する近代建築の中でも特に目をひくのがこのビル。最上階の7階部分は戦後に増築されたもの。

    北浜周辺に点在する近代建築の中でも特に目をひくのがこのビル。最上階の7階部分は戦後に増築されたもの。

  • 大阪の昭和モダニズム建築の代表格。現在は1階にサンマルクカフェが入っています。

    大阪の昭和モダニズム建築の代表格。現在は1階にサンマルクカフェが入っています。

  • ビルの建ち並ぶ堺筋にこんな建物も。これは近くの道修町にある薬関連の会社の倉庫のようです。

    ビルの建ち並ぶ堺筋にこんな建物も。これは近くの道修町にある薬関連の会社の倉庫のようです。

  • 小ぶりな建物ながらひと際存在感のあるこのビルは、生駒ビルヂング

    小ぶりな建物ながらひと際存在感のあるこのビルは、生駒ビルヂング

    生駒ビルヂング 名所・史跡

  • ビルディングでなくビルヂングと表現しているのが、いかにも戦前のビルって感じですね。

    ビルディングでなくビルヂングと表現しているのが、いかにも戦前のビルって感じですね。

  • 生駒時計店のビルとして1930年に竣工。

    生駒時計店のビルとして1930年に竣工。

  • 設計は大阪の建築界の重鎮・宗兵蔵の事務所による設計。

    設計は大阪の建築界の重鎮・宗兵蔵の事務所による設計。

  • 外観はスクラッチタイルを貼ったアール・デコスタイル。

    外観はスクラッチタイルを貼ったアール・デコスタイル。

  •  東面の時計台の下の出窓と丸窓は時計の振り子を模したもの。

    イチオシ

    東面の時計台の下の出窓と丸窓は時計の振り子を模したもの。

  • 交差点の角に立つこのビル。どこの方角から見てもなかなかの見ごたえ。

    交差点の角に立つこのビル。どこの方角から見てもなかなかの見ごたえ。

  • こちらは綿業会館を探している途中に見つけたビル

    こちらは綿業会館を探している途中に見つけたビル

    綿業会館 名所・史跡

    東洋のマンチェスターと呼ばれた昭和初期の大阪の象徴的建物 by ぬいぬいさん
  • ビル名の確認はしませんでしたが、会社の事務所ビルとして使われているようです。

    ビル名の確認はしませんでしたが、会社の事務所ビルとして使われているようです。

  • エントランスの上部のステンドグラスが見事です。

    エントランスの上部のステンドグラスが見事です。

  • 綿業会館は昭和6年日本綿業倶楽部の建物として竣工しました

    綿業会館は昭和6年日本綿業倶楽部の建物として竣工しました

    綿業会館 名所・史跡

    東洋のマンチェスターと呼ばれた昭和初期の大阪の象徴的建物 by ぬいぬいさん
  • 設計は渡辺節設計事務所で主任設計士は村野藤吾氏が担当したそうです。

    設計は渡辺節設計事務所で主任設計士は村野藤吾氏が担当したそうです。

  • 目の前の歩道にはこんなプレートが埋め込まれていました。

    目の前の歩道にはこんなプレートが埋め込まれていました。

  • このビルが建設された昭和6年の頃の大阪の繊維業界は活況を呈していて、業界の社交場を作るほど景気が良かったんでしょうね。

    このビルが建設された昭和6年の頃の大阪の繊維業界は活況を呈していて、業界の社交場を作るほど景気が良かったんでしょうね。

  • 建設資金に関しては、東洋紡績の当時の専務の遺族から寄贈さられた100万円と関係業界からの寄付50万円、合わせて150万円を調達。<br />当時の150万円は現在の貨幣価値に置き換えると75億円に相当するそうです。

    建設資金に関しては、東洋紡績の当時の専務の遺族から寄贈さられた100万円と関係業界からの寄付50万円、合わせて150万円を調達。
    当時の150万円は現在の貨幣価値に置き換えると75億円に相当するそうです。

  • 帰ってから、後で知ったことですが館内を見学することができるようです。<br /><br />

    イチオシ

    帰ってから、後で知ったことですが館内を見学することができるようです。

  • 但し予約制で、月に一日だけ。<br />毎月第4土曜日に2部制で実施され、各回35名限定で<br />  第1部:(11:00〜)見学・昼食付 2,500円/人 <br />  第2部:(14:30〜)見学のみ 500円/人 <br />どうせ見るなら絶対食事付きでじっくり見てみたいものですね。 <br />

    但し予約制で、月に一日だけ。
    毎月第4土曜日に2部制で実施され、各回35名限定で
     第1部:(11:00〜)見学・昼食付 2,500円/人
      第2部:(14:30〜)見学のみ 500円/人
    どうせ見るなら絶対食事付きでじっくり見てみたいものですね。

  • こちらも偶然見つけた御堂筋から一本入ったところにある清水猛商店

    こちらも偶然見つけた御堂筋から一本入ったところにある清水猛商店

  • 大正12年に建築されたこの建物、正面には「家具室内装飾・清水猛商店」と書いた看板がかかっている。<br />三階の三連アーチ窓の部分が西洋的なのに対し。1階には瓦屋根の庇をつけて、東洋風。そして入口のガラス戸の上には4本の鉄棒で吊っているような屋根がついています。  

    大正12年に建築されたこの建物、正面には「家具室内装飾・清水猛商店」と書いた看板がかかっている。
    三階の三連アーチ窓の部分が西洋的なのに対し。1階には瓦屋根の庇をつけて、東洋風。そして入口のガラス戸の上には4本の鉄棒で吊っているような屋根がついています。  

  • こちらは御堂筋の交差点の角に建つ大阪ガスビルディング。昭和8年に建てられたものです。

    こちらは御堂筋の交差点の角に建つ大阪ガスビルディング。昭和8年に建てられたものです。

  • こちらも偶然見受けた芝川ビル、南米マヤ・インカの装飾を纏い昭和2年に建築された近代建築です

    こちらも偶然見受けた芝川ビル、南米マヤ・インカの装飾を纏い昭和2年に建築された近代建築です

    芝川ビル 名所・史跡

    昭和モダンのアールデコ風の芝川ビルは女子短大のはしりの花嫁学校だった by ぬいぬいさん
  • ビルのオーナーだった芝川家は天保の頃より、今で言う商社の役割の金物商をイt並み、その後はいち早く、土地を取得し不動産賃貸業シフト替えを行なったそうです。<br />

    ビルのオーナーだった芝川家は天保の頃より、今で言う商社の役割の金物商をイt並み、その後はいち早く、土地を取得し不動産賃貸業シフト替えを行なったそうです。

    芝川 グルメ・レストラン

  • 当時は船場地区にはまだ和風の木造家屋が多く、問屋でも、配達用の手車が置け、店員を泊めることもできる和風家屋が重宝されていた時代でした。

    当時は船場地区にはまだ和風の木造家屋が多く、問屋でも、配達用の手車が置け、店員を泊めることもできる和風家屋が重宝されていた時代でした。

  • ビルを建てたの目的は、建物の防火が主たる目的で、部屋を賃貸するというような考えはなく、全てを応接室・娯楽室など自家用として使用するつもりだったそうです。

    ビルを建てたの目的は、建物の防火が主たる目的で、部屋を賃貸するというような考えはなく、全てを応接室・娯楽室など自家用として使用するつもりだったそうです。

  • しかし、自家用の使用だけではまだ余裕があったため、教育に関心を持っていたオーナーの意向により「芝蘭社家政学園」という花嫁学校として使われることになります。

    しかし、自家用の使用だけではまだ余裕があったため、教育に関心を持っていたオーナーの意向により「芝蘭社家政学園」という花嫁学校として使われることになります。

  • エントランス部分に見られるマヤやインカを思わせる装飾

    エントランス部分に見られるマヤやインカを思わせる装飾

  • こちらは武田道修町ビル。<br />武田長兵衞商店の旧本店ビル。<br />現在の業界のトップ企業の武田薬品工業はここでスタートしているんですね。

    こちらは武田道修町ビル。
    武田長兵衞商店の旧本店ビル。
    現在の業界のトップ企業の武田薬品工業はここでスタートしているんですね。

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