2012/09/17 - 2012/09/18
127位(同エリア154件中)
JTmさん
日程
1日目 東京(成田)~北京~パキスタン・イスラマバード
2日目 イスラマバード~タキシラ~べシャム
3日目 べシャム~チラス
4日目 チラス~カリマバード
5日目 カリマバード滞在
6日目 同上
7日目 カリマバード~アッタバード湖~ススト
8日目 ススト~クンジュラブ峠~中国新疆ウイグル自治区・タシュクルガン
9日目 タシュクルガン~スバシ峠~カラクリ湖~カシュガル
10日目 カシュガル~ウルムチ~北京
11日目 北京~東京(成田)
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- その他
- 交通手段
- 観光バス
- 航空会社
- パキスタン航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
PR
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パキスタン フンザ地方 カリマバード
フンザ地方の中心都市である。
フンザ・エンパシー ホテル 室内
ここに三泊した。 -
フンザ・エンパシー ホテル 外観
二階のバルコニー・・・というか、中庭かな? -
ホテルからの眺め。この日はあいにくの雨。
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2012.9.18
フンザの朝は、ハセガワ・メモリアル・スクールへの訪問で始まった。
フンザ地方の守護神のようにそびえたつウルタル峰。
ウルタル?に登ろうとして、雪崩に巻き込まれ遭難死した、日本人登山家・長谷川恒男氏の遺志により、1995年に設立された私立学校。 -
こんな雄大な風景の中で、幼稚園から短大まで、850人の生徒が学んでいる。男女共学で、6割が女生徒。
現在の建物は、4年前に日本政府と三菱グループの援助で造られたものだそうだ。 -
これが長谷川恒男氏(1947-1991)。遺影が飾られていた。
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朝礼が始まる。
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この方は、コーランの先生だそうだ。
パキスタンはイスラムの国で、国民のほとんどがイスラム教徒。そのほとんどが、多数派であり戒律の厳しいスンニ派に属しているが、フンザ地方では、イスマイリ派という、全体的に見ると少数派の宗派が、多数を占めている。
この宗派は、シーア派の流れを汲む一派で、比較的ゆるやかな戒律となっている。たとえば、1日5回のはずのお祈りも、3回でよいのだそうだ。 -
大きい子たちから小さい子たちへ・・・の順で、列を作って行く。
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門を閉められて、塀からのぞく遅刻組。
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壇上にあがって、お祈りの先導を務める生徒たち・・・女の子が多いようで。
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先導のお祈りに続いて、全員で唱和。
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これが校長先生。
案外と、ラフな格好。ロンドン留学帰りだとか。 -
ひととおりの「儀式」が済むと、楽隊?が登場する。
バグパイプと太鼓。今度は男の子ばかり。 -
リズムに乗って、小さい子たちは退場する。
白い服は、生活指導主任? なかなかキビシイ。 -
退場する子どもたちのうち、何人かが残る。
この二人、なんと、“ムービースター”
この夏(2012)、日本の映画のロケがフンザで行われ、この子たちはそれに出演したそうな。
その映画は、『草原の椅子』。宮本輝原作の映画化。成島出監督、佐藤浩市、西村雅彦、吉瀬美智子等出演。2013春公開予定。
このフンザロケのための、旅の手配を担当したのが西遊旅行で、われわれのガイド、アリ氏も、通訳として活躍したのだそうで、このあとも、旅のあいだ中、映画の話でもちきり。
この旅行記にも、このあと、たびたび、出て来る予定です・・・。 -
残った子どもたちによるパフォーマンス。
これはたぶん、来賓であるわたしたちへのサービスなのだろう。
ムービースターは、踊りの先頭に立っている・・・さすが。 -
身体の中、血の中に、生まれながらにリズムが組み込まれているようだ。
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踊りのあとは、女の子たちの唄。
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大きな子たちも、行進して退場。
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手を振って、足を上げて・・・軍隊式だなぁ。
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これが校章なのかな?
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授業風景。中学生くらいかな?
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これは、幼稚園。唄と手遊びの時間。
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小学校低学年。踊りを見せてくれた。
フンザ地方は、シルクロードの十字路と言われ、古くから多くの民族が行き交ったところ。だから、いろんな顔立ちの人がいる。目の色も髪の色もさまざまだ。 -
ハセガワ・スクールの校庭からの眺め。この反対側、校舎の背後に、長谷川恒男氏が遭難したウルタル峰がそびえている。
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これがたぶん、ウルタル?峰。
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バルチット城への登り口。
バルチット城は、8世紀、フンザ王国と対岸のナガル王国に紛争があったため、フンザの守りとして建築された砦。
その後、13世紀から、徐々に拡張され、王宮としての役割を果たした。とくに、15世紀、バルチスタンの王女との婚姻に際して、大きく拡張されたそうだ。 -
バルチット城への道から見た、フンザ谷の景観。アンズの花でピンクに染まる春の景色を・・・・やっぱり、見てみたい。
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バルチット城に到着。チベットから来た人たちが建てたそうで、どことなくポタラ宮に似ている。
木組みの上に土壁を塗るという工法。30〜40人が居住していた。 -
バルチット城、屋上からフンザ谷を見る。
1891年にイギリスがこの地に侵入、藩王(ミール)を支配下におく。
その後、パキスタン独立後も、フンザは藩王国として独立を保ったが、1974年に、パキスタンに併合された。
バルチット城は、その際に、ミールからパキスタン政府に寄贈され、イスマイリ派のイマーム(宗教指導者)である、アガ・カーンが出資して修復され、現在は博物館となっている。 -
良いお天気と思ったが、山は見えそうで見えない。
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カリマバードのメインストリート。店が軒を並べる。土産物、飲み物(中国製ビールも売っている)など、観光客相手の店が多い。土地の人は、自給自足なんだろうな、きっと。
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カリマバードの商店街にいた猫。日差しが気持ちいいニャン。
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ホテルのバルコニーで、宣伝用パンフレット?の写真を撮っていた。生のクルミをご馳走になる。クリーミーで、ほのかな甘み。
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午後は、アルチット村へ。
歴史的には、スカルドゥの方から入って来た、チベット系の人々がつくった村だそうだ。
村の入口で、おしゃべりを楽しんでいるおじいちゃんたち。フンザは長寿の里として有名。 -
村に入ると、広場には、女性たちが井戸端?会議。
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観光客が来たことが伝わると、続々、集まってくる・・・。
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アルチット城。
午前中に行ったバルチット城よりも歴史は古いそうだ。
屋根に、アイベックスの飾り。
現在、修復中だそうで、中は見られなかった。 -
アルチット城の裏手・・・・断崖絶壁。
確かに、ここから攻められることはないだろうけれど、逆に、逃げ出すことも出来なさそうな。 -
アルチット村の民家。
一帯で、古い町並みを保存することになったらしく、コンクリの新しい家は、壊されることになっているとか。
古い家は、900年前くらいのもので、それを現在も使っている。
大家族が、一つの部屋に集まって、煮炊きから寝るまで同じ部屋で行うそうだ。冬の寒さが厳しいので、その方が効率的なのだろう。省エネルギーではある・・・・。 -
民家の中庭。小さな畑で、野菜を作っている。
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土間のひと隅に、干しアンズが。
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夜は、フンザ・音楽の祭典。
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スター登場!
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唄も、踊りも・・・・。
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