2012/09/24 - 2012/09/24
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ドクターキムルさん
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鎌倉西御門の法華堂跡(源頼朝墓)に隣接する山の麓に、三公(大江広元、毛利季光、島津忠久)の墓が並んでいる。国指定史跡「法華堂跡(源頼朝墓・北条義時墓)」にはこれら三公墓も含まれている。北条義時は2代執権で、北条政子の弟である。
明治になって、法華堂周辺一帯は島津・毛利家によって買収された。これらの土地およそ9,900m^2が平成14年(2002年)に島津家当主修久氏と毛利家当主元敬氏から鎌倉市に寄付され、鎌倉市の管理となった。しかし、それ以来、島津忠久墓参道は草も刈られることもなく、石段にも草が生え、草ぼうぼうで通ることも叶わなかった。
ではどうしてこの10年来一度も刈ったことがない島津忠久墓参道の草が刈られるようになったのか?世界文化遺産の審査が近づいているからと思うだろうが、実は、今年になって、島津家分家のご当主がご先祖の墓に参拝に訪れたのだが、この参道を通るのには難儀し、温厚なご当主が鎌倉市に文句を言ってさすがの鎌倉市も参道の草を刈ったというのが真相のようだ。おそらくは、お役所仕事とは良く言ったもので、下草刈りの最初の発注伝票に島津忠久墓参道を書き忘れたための失態であろう。毎回、先回の発注伝票をコピーしていたのであろう。
こんな事ぐらいで驚いてはいけない。鎌倉市の文化財の担当部門(文化財課と世界遺産登録推進担当)の仕事振りはいつもこんなものだ。
(表紙写真は島津忠久墓参道入口)
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島津忠久墓。
天井がアーチ状に丸くなっており、古墳時代に造られた横穴古墳(横穴墓(おうけつぼ))を江戸時代になって再利用したものであることが伺える。そのために、臣下の墓が頼朝墓よりも高い場所にあるのであろう。 -
島津忠久墓参道。何度も訪れたがこの参道石段を通ったのは初めてだ。
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島津忠久墓参道。石段には石を敷き、角に板石を差し込んでいるのだが、多くの板石は傾いたり、下の石段側に倒れている。
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島津忠久墓参道入口。右に長州藩家老・村田清風の句碑(明治23年(1890年)建立)と島津家の顕彰碑(明治10年(1877年)銘)が建っている。
いつもの年なら右側には赤い彼岸花が咲いているのだが‥‥。 -
大江広元墓参道脇にある三浦泰村ら三浦一族の墓がある。
天井が丸いようにも見え、やぐらなのか横穴古墳(横穴墓)なのかが微妙な感じだ。 -
「国指定史跡 法華堂跡(源頼朝墓・北条義時墓)」看板。
記載内容は源頼朝墓前の看板とは源頼朝墓と北条義時墓を入れ替えてある。 -
義時法華堂跡(北条義時墓)。
年明けの世界遺産推薦書提出の頃には、これほど綺麗には刈られてはいなかった。島津忠久墓参道の草刈時にこのあたりの草も刈ったのであろう。
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