2012/09/03 - 2012/09/07
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enyasuさん
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“間島で活躍した独立運動家達の足跡をたどる旅”
『え〜、なにそれ。有味津津!』
2012年9月3日、延吉では延辺朝鮮族自治州成立60周年の祝賀祭が開催されることもあり、enyasuはこの旅に参加することにしました。
募集案内より
かつて「間島」と呼ばれた場所、そこは今の延辺朝鮮族自治州です。そこは近代以降、朝鮮半島から渡ってきた人々が定着したところ。満洲国の東に位置し、日本とつながっていた場所です。自治州60周年の祝賀ムードにわく延辺を訪ね、すぎた時代に思いを馳せ、未来への交流とつなげてゆく旅になればと思います。『中国朝鮮族を生きる』の著者、戸田郁子がご案内いたします。
1年ぶりの延辺、出発前は60周年を祝賀する気持ちで心うきうき。しかし、歴史の現実と直面するなかでenyasuの心は・・・亡くなられた方のご冥福をお祈り致します。
写真は韓国の民族詩人・尹東柱の母校大成中学校です。
2012年秋 「間島」を訪ねる旅
1 延辺革命烈士陵、尹東柱縁の地、旧間島日本総領事館跡地 ←当旅行記
2 延辺大学での交流会
3 頭道溝日本領事館跡、薬水洞ソヴェート政府、白頭山
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.0
- 同行者
- 社員・団体旅行
- 交通手段
- 観光バス 徒歩 飛行機
- 旅行の手配内容
- 団体旅行
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『延辺朝鮮族自治州60周年おめでとうございます!!』
2012年9月3日、午前中は、延辺国際展覧センター、ジンダルレ広場でマーケット巡り。祝賀の雰囲気、高高興興〜。
しかし、その後に訪れた延辺革命烈士陵(写真)。殺された烈士達の無念さや残された家族、親族、友人、関係者・・・
朝鮮族ネット [社会]紅色教養基地、延辺革命烈士陵園より
50年代の統計によれば、延辺の革命烈士は1万 3千人で、そのうち朝鮮族烈士が吉林省烈士総数の40%を占め、朝鮮族女性烈士は吉林省女性烈士総数の95%を占める。 延辺では、抗日戦争で3125人が犠牲になったが、朝鮮族が 3026人で99%を占め、3年間に及ぶ解放戦争で4313人が犠牲になり、朝鮮族が3713で86%を占め、抗美援朝戦争(朝鮮戦争)で8014人が犠牲になり、朝鮮族が7773人で97%を占め、中国革命と共和国の創建に不滅の功績を打ち立てた。 社会主義革命の時期に烈士として追認された人々まで合わせれば、我が延辺の烈士が1万 5970人と通計される。 現在、我が州には520ヶ所に及ぶ烈士記念碑がある。 陵園はこれらの記念碑の総体として1964年から建設し始めたが、文化大革命の影響で中断され、1992年11月30日に定礎式を挙行して施工され始め、現在の陵園が建設された。
いつものように写真を撮る気持ちにならず、夕食は郊外の山荘で松茸をはじめとした特別料理を食べたのですが、おいしいと感じることもなく、何か満たされない・・・この日以降、弔問という気持ちを抱いての旅になりました。 -
2012年9月4日(火)旧間島の中心地・龍井へ
午前中の最初の訪問地は尹東柱が通った大成中学校。
尹東柱(1917−1945) 日本大百科全書(小学館)より
朝鮮の詩人。旧満州で牧師を祖父として育ち、1935年平壌の中学に移った。のちソウルの延禧専門学校(現延世大学)に学び、41年日本に留学。同志社大学在学中「思想不穏、微弱だが西欧思想に感染」のかどで逮捕され、福岡刑務所で獄死した。遺稿の多くは解放後発刊された『空と風と星と詩』(1948)に収録されている。[ 執筆者:大村益夫 ] -
この場所は韓国人が必ず訪れる観光スポットです。
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館員の歴史説明に戸田郁子さん(右)が通訳、更に解釈。
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りっぱな展示室です。
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歴史の勉強
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韓国からこの記念館に寄付をする人が少なくないようです。
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中国朝鮮族を生きるに登場
左から
龍井革命老区建設促進会
韓楽然研究会
金東洙 主任
前田信良さん
前田さんは龍井生まれ、10年前に生家探しをした時に案内して下さったのが金主任でした。 -
続いて
旧間島日本総領事館へ。 -
領事官邸跡地
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日本家屋
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領事館の地下には
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展示室があり
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拷問室がリアルに再現されていました。
重くるしい雰囲気、この場で少なくとも4000人が・・・ -
歴史建造物を見に市内へ少し移動。
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朝鮮銀行間島出張所跡地
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次に見学したのは
延辺最初の共産党支部となった -
龍井村支部
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1928年2月28日結成
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郊外にある記念碑見学にも出かけました。
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三・一三反日義士陵
一九一九年三月十三日、延辺地区の朝鮮人民が、日本帝国主義の朝鮮、中国への侵略政策に抵抗し反日デモに立ちあがった。民族独立の民衆の最初の革命闘争である。
三・一三運動と、そのことに対する弾圧がきっかけとなり、間島にて武装闘争で日本帝国軍隊を追い出そうという運動が始まりました。 -
バスにてさらに移動
奪取十五萬円事件遺址 -
1920年1月4日に発生した朝鮮銀行券略奪事件。間島国民会の林国楨、尹俊熙らが、朝鮮銀行会寧支店に輸送中の騎馬隊を襲撃し15万円を強奪した事件。
ここから少し歩くいたところに -
五卅暴動指揮部址
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1930年5月30日、当地の反動機関を狙った延辺の朝鮮族人民の反帝反封建的闘争の司令部跡地です。
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もとの場所はこの石碑の道路の向かい側にありました。
次に向かったのは、この日の最後の訪問地 -
三合に向かう幹線道路沿いにある
明東村 -
尹東柱の生家があります。
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2011年秋に来た時より
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敷地がかなり広くなっていました。
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整備進行中。
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復元された明東教会堂
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金躍淵牧師記念碑
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尹東柱に関する石碑の数々
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序詩がとくに有名です。
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死ぬ日まで空を仰ぎ
一点の恥ずかしさ無きことを
葉末におこる風にも
わたしは心傷ついた
あらゆる死にゆくものを愛さねば
そしてわたしに与えられた道を
歩まねば。 -
尹東柱の生い立ち 1
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尹東柱の生い立ち 2
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尹東柱の生い立ち 3
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尹東柱の生い立ち 4
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尹東柱の生い立ち 5
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尹東柱の生い立ち 6
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石畳を歩きます。
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生家
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詩を拝読
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朝鮮族近現代史については下記にて整理されています。
朝鮮族ネットより 2004年2月からの延辺日報連載シリーズ
http://www.searchnavi.com/~hp/chosenzoku/history/index.html
次の旅行記は
2012年秋 「間島」を訪ねる旅
2 延辺大学での交流会です。
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