2012/06/04 - 2012/06/24
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キリさんですさん
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司馬遼太郎の紀行シリーズ韓の国、台湾に続く第三弾で、今回は「オランダ紀行」編です。 江戸時代鎖国された日本社会を1個の暗箱とすれば、針で突いたような穴が長崎であり、外光がかすかに射し込んでいて、それがオランダでした。
明治維新で重要な役割を果たした勝海舟が操っていた咸臨丸もオランダ製であり、杉田玄白の「解体新書」もオランダ学であり、オランダは日本を近代化に導いてくれた恩義のある国です。(「オランダ紀行」より)
確かにヨーロッパと言えばフランス、イタリア、イギリス等が頭に浮かびオランダはチューリップと風車の国程度の認識だったので、改めてオランダとはどのような国なのかと興味が湧き、ベルギー、ルクセンブルクも含めたベネルクスを三国を急遽訪れてみました。本編はオランダのアムステルダム、ハーグ、ロッテルダムでの街歩きを中心に掲載しており、それなりにオランダの良さを実感した楽しい一人旅でした。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 3.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 鉄道 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
東京駅のモデルと言われているアムステルダム・セントラル駅です。
目の前で見上げて見ると素晴らしいの一言です。
左右に時計があるようですが、右側が時刻で左側は風向きを表しているそうです。
17世紀に世界の海に船で乗り出したオランダにとって日々の風向が重要なのですね。
スタート地点としては最適な場所で天気も良くテンションが上がってきました。 -
まずは落ち着いて駅前のVVV(観光案内所のことでフィフィフィと呼びます)に寄って現地情報と地図をゲットします。 またOV Chipkaart(SUICA同等品)を購入しました。
アムステルダム・パスを購入するか迷ったのですがオランダの他の都市でも共通で使える利便性からOVにしました。 -
運河と縦長の建物を見ているといつもテレビや映画で見ていたオランダに来たことのだなと感激し、しばらく佇んで眺めていました。
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駅を背にして正面に真っ直ぐ伸びる、この道を歩いて行きます。
新しい街のこの歩き始めの第一歩が自分の知らない世界へ飛び込むような高揚感があり私は最も好きな一瞬です。 -
噂で聞いていた自転車専用道です。 かなりのスピードで走ってくるので注意が必要です。
自転車専用の信号機があったり、トラムや列車にも自転車持ち込みが可能でオランダはまさに自転車天国ですね。 -
快晴で涼しく、オランダの街並みを見ながら散歩できる幸せに浸っています。
「オーシャンゼリゼ」のリズムで「オーアムステルダム」と鼻歌でも歌いだしたのですが字余りで歩きずらいので「幸せは歩いてこない、だから歩いていくんだよ」に変えて、気分良く歩いています。 -
機嫌よく歩いていたらアッという間にダム広場に着いてしまいました。
ダム広場に悠然と建っている王宮です。
オランダの黄金時代に市庁舎として建立され、その後ナポレオンの弟のルイ・ポナパルトが王宮として使われていたそうなので、かなり立派な建物で圧倒されます。 この場所はほとんどのトラムが通るので、滞在中街歩きで道に迷うとトラムに乗ってこの場所に戻ってきました。 -
歴史博物館です。 オランダが英仏に先んじて東南アジアとの貿易で最盛期を迎えた17世紀時代の貴重な展示物が多く展示されています。 アムステルダムの歴史を年代順に紹介してあり、どのように発展してきたかが分かり易い博物館です。
裏庭にあるこの文字は直訳すると「私は捨てるダム」(?)で前原大臣を思い出してしまいます。
国立美術館の裏にも同じものがあります。 -
ベヒンホフです。
ベヒンホフとはカトリック女子修道会に属する女性たちが暮らすための施設です。
いまも身寄りのない女性たちが静かに生活しているそうです。
街中にこのような施設があるのが驚きです。 -
ベヒンホフの裏口から出たところにあるスパイ広場(SPUI)です。
(SPUIはオランダの他の街でも中心地にあり覚えておくと便利ですよ)
この辺りでライッツエ広場・ミュージアム広場へ行く道とムント塔・レンブラント広場・ワーテルロー広場に行く道が分かれます。 -
ミュージアム広場近辺は明日行く予定なので、今日はレンブラント広場に来てみました。
この広場にはスタバがあり日中のメールチェック、夜はビールを飲みに良く来た場所です。 一人旅の時は覚えておいた方が良い処です。 -
本日の街歩きの最終地点のマヘレの跳ね橋です。
帰りはワーテルロ広場からトラムでセントラル駅に戻りました。 -
翌日は予約しておいた「アンネの家」に朝9時40分に行きました。
既にかなりの行列でしたが、インターネットで事前予約しておいたので待ち時間なしでスンナリと入れました。 出発前に熟読しておいたのでゆっくりと見学し感動に浸ることが出来ました。 1944年4月5日の項で「私の望みは、死んでからもなお生き続けること」をまさに実現しています。世界各国からの見学者を感動」させているアンネはまさに生きています。 アンネも素晴らしいがこの日記を持ち帰り公表した父のオットー・フランクに感謝。 -
左側の小さな家の上層部に8人が隠れて暮らしていた狭い部屋がありますす。
本で読んだ時のイメージの半分くらいの狭い部屋です。 アンネとアンネが嫌っていたおじさんが二人で寝ていた部屋は子供部屋よりも狭く、かなりストレスが溜まっていたのだなと同情します。 唯一の明るいエピソードのペータとの逢引の場所も見ものです。 -
アンネが好きだった西教会です。
この教会の鐘の音で12歳の少女が悲しみを紛らわせていたのかと思うとジーンと来ます。 -
アンネの家を出てプリンセン運河沿いを歩いていたところ、小腹も空いたのでコーヒとサンドイッチを食べようと入ったカフェです。 地元の馴染みの3人グループと仲良くなり、紀念に一緒に撮った写真です。「俺は日本語が出来るのだ」と仲間に日本語らしき言葉を発し自慢げにガッツポーズをするので「どこの言葉ですか?」とポーズを止めているところです。
店の奥さんや他の観光客も大笑いをしていました。 -
先ほどのおっさんが「良いところを案内してやる」と着いていったら「飾り窓」の入り口でした。
今日はゴッホ美術館を予約済みなので後にしましょうと断り分かれました。地元スポーツクラブの支配人の名刺をもらったが、なんとなく胡散臭いので連絡するのは止めておきました。 -
セントラル駅にベネルクスパスのチケットを買いに行ったが窓口の駅員が「どこの街に行くのかメモに書け」というので3か国8都市の訪問予定先を書いたら、電卓を使い計算をしたあと「エブリデイ バイ チケット」。 理由を聞くとそのほうが値段が安い。 毎回チケットを買うのは面倒なので差が少なければパスが欲しいと言うとと、またしても「エブリデイ バイ チケット」の回答。 これ以上聞くと怒り出しそうなので「OK」と答えて終了。
トラムでミュージアム広場に行きます。 乗り場Bの2番か5番トラムです。 -
ミュージアム広場です。 広々とした気持ちの良い広場です。
今回の旅行で「アンネの家」と同様に最も行きたかった「ゴッホ美術館」に行きます。 -
ここは「アンネの家」以上に長蛇の列で驚きました。 インターネットでチケットを買っておいたので並ばずに入口に行き係員にチケットコピーを見せたところバーコードリーダでチェックの上、即入場できました。 ゴッホの絵の中で私が最も好きなパリのモンマルトル時代の作品とゴーギャンと過ごしたアルル時代の作品を中心に2時間かけて鑑賞しました。 1年前にモンマルトルのカフェで激論したオランダ美人のことを思い出しました。
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ゴッホの絵画を堪能した後、ミュージアム広場を国立美術館の方へ向かいます。
美術館裏の小さな池をバックに写真を撮ってもらいました。
「何故指を2本立てるのですか」と聞かれ答えに詰まりました。
VictoryのVですと答えておきました。
帰国後、海外に詳しい有識者から国によっては「くたばれ!」の意味でつかわれるので止めた方が良いとアドバイスを受けました。 -
国立美術館は大規模な改修工事が行われており別館(フィリップス・ウイングス)のみが見学可能でした。 ここではレンブラントの「夜警」とフェルメールの作品が見れたので、それなりに満足できました。 夜警は高さ3m、横幅4mの巨大な絵画です。 実物を見るとレンブラント特有の光と影が際立って感じられ自警団一人ひとりが実に表現豊かに描かれています。実際には存在していない子供(実は若くして亡くなった奥さんを描いたそうです)にまばゆい程の光が当てられてレンブラントの強い思いを感じます。 必見の1作です。
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翌日はそろそろ歩き疲れたので水上バスで観光しました。
一日乗船券でルートを変えて3回も乗りました。(2回で充分です)
運河側から見るアムステルダムの街の景色も良いものです。
かなり歩き回ったので、西教会やムント塔、ワーテルロー広場近辺は見覚えのある場所が多く「運河から見ると、このように見えるのだ」と楽しめました。 -
アムステル最終日は風車を見にザーンセ・スカンスへ日帰りで行ってきました。
セントラル駅から20分程度でかなり近いです。
平日の朝のせいか観光客が少なく日本人のお母さんと息子さんの二人連れとやはり日本人の若い女性の二人と出会った程度です。
ほとんど一人でこの素晴らし景色を独占状態でした。 -
この風車を見ながら、次の目的地のベルギーのブリュッセルへ移動するかオランダの第二の都市のロッテルダムに行くか迷っています。
昼過ぎにアムステルダムに戻り、散々迷った結果、ハーグ経由でロッテルダムに行くことに決めて列車のチケット購入とホテルの予約をしました。
その後、最後のアムステルダムの街歩きとオランダ海洋博物館へ行ってきました。 -
翌日は8時19分発のロッテルダム行きのIC(インターシティ)の2等車に乗りました。
すると通路を挟んだ反対側の席に若い女性が乗り込んで来ました。
日本人の一人旅が珍しいのか、チラチラと笑顔を向けてきます。
無視しているのも失礼なので、挨拶をしました。
アンネとゴッホについて諸々の話に夢中になりました。 -
ついでに、この列車はデン・ハーグセントラルに止まるのか確認すると、「セントラルには止まりません。 デンハーグHSで乗り換えになりますよ」とのこと。
スマホで調べてくれて「デンハーグHS駅で降りて、10分後くらいでセントラル行のスプリンター号が来るので、それに乗って下さい」とのこと。
親切で可愛らしい女性でした。 幸先の良い日となりました。 -
教えてもらった通りに乗り換えて無事、デンハーグセントラル駅に到着。
ショッピング・センターのVVVに寄って市内見学に出発です。 -
駅を背にして正面を見たところです。
この駅前の道を左方面に歩いていきます。
今日も天気は良く、気分は最高です。 -
ブラブラ歩いて10分程でPleinと呼ばれる広場があります。
ここを右に曲がるとマウリッツハイス]美術館方面です。
先にビネンホフに行くことにしてそのまま真っ直ぐ行くことにします。 -
トラムの走っているSpuiを右に曲がると右側にビネンホフの入り口に到着します。
伝統を感じる赤レンガのアーチ型入り口を通って中に入ります。
ビネンホフとは国会議事堂、総理府、外務省等の中央官庁が集まっている霞が関のような場所一帯の総称だそうです。 -
ビネンホフの中でも中心的な国会議事堂です。
騎士の館ととも呼ばれているそうです。
13世紀にホラント伯フローリス5世によって建てられたゴシック建築の立派な建物です。 -
ビネンホフの周囲を囲っていたお堀端です。 老夫婦、乳母車を引いた若奥さん等地元の方が散歩しています。 片言のオランダ語で挨拶をすると嬉しそうに応えてくれます。
折角日本から来られたのにマウリッツハウス美術館が改修中で残念ですねと慰めてくれました。 -
マウリッツハウス美術館です。
折角、ここまで来たので写真だけでも撮ることにします。
来る前から事前情報で改修中であることは分かってはいたのですが、やはり残念です。
入れ違いで今月末から上野の東京都美術館に展示される予定とのことなので早速インターネットでチケットの予約をしておきました。 -
監獄博物館や平和宮に行こうとしたのですが、共に1時間ごとのガイドツアーのみと聞いたのでパスしました。
駅への帰り道に沿いに美味しそうなケーキ屋さんがあったので、コーヒ付のケーキセットを食べながら休憩しました。 -
ハーグセントラル駅で昼食後13時過ぎのホームに止まっていた列車に乗り込み30分程度で到着しました。 以外と近いので驚きです。 ロッテルダムのホテルに到着しました。
このホテルは地下鉄及びトラムのLeuvehavenの駅前で助かりました。
因みにアムステルダムのホテルは中央駅から徒歩も含め1時間近くかかったので、やっぱりホテルは街中の方が良いですね。 -
早速、ロッテルダムの市内見学に出発です。
まずはホテルの近くにある歴史博物館を見学しました。
オランダが最も栄えた17世紀の頃の金銀の工芸品等、裕福な家庭に貯蔵していた品々が展示されており、当時のロッテルダムの人々の生活振りが分かります。 -
キューブハウスです。 現地ではカイククーブスと呼ばれています。
トラムでBlaak駅に着くと目の前にあります。 1956年にピートプロムが設計したマンションだそうですが、50年も前にこのような前衛的な建物を建てたことに、オランダ第二の都市のロッテルダムの方達の戦災で受けた傷跡の深さ(歴史的な建造物は大半が焼失)と他の都市にないものを造ろうとした気概を感じます。 -
ボイマンス・ファン・ベーニンゲン美術館です。
ブリューゲルの「バベルの塔」が展示されています。
他にもファン・アイクの「石棺の傍らの3人のマリア」等が展示されていて見応えはあります。 -
ロッテルダムは街並みは綺麗ですが都内の街を歩いているような味気無さがあり、昔の面影が残っているという噂のデルフスハーフェンへ行ってみました。
運河沿いに古き良き時代を彷彿させる港町でした。オランダはやはりこのような風景が似合いますね。 教会や跳ね橋、風車までもあり、街歩きには最適な処です。 -
気持ちよく歩いていると、「ヘイ ヤパーニェ」との声が聞こえたので近寄ってみました。
えらくご機嫌な観光客がビールを飲んでいました。
ドイツ人の観光客で「団体ツアーからはぐれて道に迷っているのか」とか好き勝手に言いたい放題、一言「ギリシャの問題でメルケルさんが大変な時にこんなところでノンビリとビール飲んでてよいのですか」と言い返したら大笑いとなり一緒に飲むことになりました。 -
楽しいメンバーと別れ、再び運河沿いを歩き始めました。
やはり風車は絵になりますね。 -
年配の女性二人がお孫さんを抱いて楽しんでいたので写真を撮らせてもらいました。
お母さんが居ない間は二人で面倒を見ている様子で可愛いお孫さんを見守る笑顔が素敵ですね。 いろいろと話をしたかったのですが言葉の壁があり残念。 -
ユーロマストまで歩こうとしたのですが先ほどのビールが効いてきたせいか歩くのが億劫になりトラムに乗って行くことにします。
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トラムのユーロマスト駅から公園を抜けて、歩いているところです。
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オランダで強く感じた印象は実にいろいろな国の方が多く、まさに多国籍民族ですね。
黒人の方も堂々として活き活きしています。
言葉もオランダ語にこだわらず英語を使う人も多いです。 移民を受け入れすぎて住宅問題も発生しているようですが、細かいことにこだわらず何でも受け入れる太っ腹な国です。
いままでに訪問した国のなかでは街歩きではベスト3に入る気持ちの良い国でした。
(写真はユーロマスト展望台からロッテルダムの市街を撮ったものです)
明日からはベルギーへ移動します。
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おまけです
フェルメールの絵画「牛乳を注ぐ女」です。 余分なことを考えずにひとつの仕事に没頭している笑顔が好きです。
「まわりの悲惨な状況についてはまったく考えず まだ残っている、美しいもののことばかり考えています」アンネ・フランクのこの言葉も好きです。
日本を取り巻く憂鬱な状況に負けずに生き抜く知恵を得られたような気がします。
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