1995/08/04 - 1995/08/24
14580位(同エリア44018件中)
がおちんさん
1995年8月~1997年2月まで、妻と念願の長期旅行へ。
目指すは世界一周!(でしたが、色々あってアジア旅行となりました)
必要な物は現地調達と決め、荷物は最小限。私は6㎏、妻は3㎏のリュックを背負って、さあ出発。
まずは青春18きっぷで下関、そこから韓国に渡りました。
急がずのんびり、見て食べて、思いっきり楽しむぞ!
移動ルート:沼津→広島→下関→プサン→キョンジュ→ソウル→インチョン→天津→北京→昆明
※写真は韓国・水原の民俗村にて。(ドンドン酒がおいしかった~)
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 船 タクシー 徒歩 飛行機
-
旅の前半は、1995年8月の出発から1996年3月のデリーまでです。
下関から船で韓国に渡り、ソウルで知人を訪ね、そのあと船で中国へ。
中国雲南からヒッチハイクでラサに入り、カイラスやチョモランマを経由してネパールへ。ポカラでトレッキングを楽しみ、インドに下りてバラナシに滞在しました。 -
1995年8月4日
妻の実家である沼津を夜中に出発。
青春18きっぷを利用するため、1時47分発の大垣夜行(375M)に乗り込んだ。車内はひどく混雑しており、仕方なくデッキに荷物を置いて床に座る。
大垣(735M)、野州(3611M)、姫路(1415M)、三原(1357M)と4回乗り換えて、15時17分に広島に到着。13時間半の移動はハードだった。
一番安かった素泊まり宿に荷を置き、平和記念公園を見学。広島は暑い。夜はお好み村で「ちいちゃん焼きスペシャル」を食べ、宿に戻ってすぐ寝る。
※後日、韓国でフィルムを紛失し、出発から慶州までの写真がありません。以下の3枚は別の時期に撮ったものです。 -
1995年8月5日
朝、宮島に行く。潮が引いていたので鳥居まで歩いて行けた。
各駅停車(535M)で瀬戸内海を眺めながら下関へ4時間弱の旅。
関釜フェリーはかつぎ屋のアジュマでいっぱい。自由席(雑魚寝)なのに、「そこは私達の場所!」と移動させられた。タッパを空けるとプーンとキムチの臭いが充満し、すでにアジア感が漂う。最初は日本語を話していた乗客も、釜山に近づくにつれて韓国語オンリーになる。
翌朝、下船するときにアジュマが、「荷物を持つの手伝ってよ」と2000円出してきた。怪しいものでなく電子ジャーなどの家電だったので、金は取らずに持ってあげた。 -
1995年8月6日
釜山に到着後、さっそく韓定食を食べに行く。ものすごい量の多さに驚いた。写真に残せなかったのが残念だ。
チャガルチを歩き、龍頭山のタワーからは夜景を楽しんだ。
釜山の街中でよく見かけたのがイカ売りのおばさん。夜はうどんの屋台も多く出ていた。
(写真は下関から望む対馬海峡) -
1995年8月7日
釜山から慶州に移動し、仏国寺を見学する。
慶州はとにかく暑く、喫茶店に入ってもクーラーが効かないほどだった。
夜、参鶏湯を食べに行き、西川旅人宿という安宿に泊まる。
しかし、なんで韓国のコピ(珈琲)は番茶みたいに薄いのだろう?謎だ。 -
1995年8月8日
コッソクボス(高速バス)でソウルへ。
今回ソウルに来た目的は、以前、日本に出稼ぎに来て、一緒に働いたことがあるキムさんの家を訪ねることだ。
ところが、アドレス帳に電話番号を書き忘れていたので大騒ぎ。住所を頼りに探さなくてはならなくなった。
地下鉄ソウル駅のベンチで地図を広げていると、一人のおばさんが片言の日本語で話しかけてきた。
「麻浦区の○○まで行きたいんです」と言うと、おばさんは「行き方を教えるから、まずはウチに来なさい」という。
言われるままに、一緒に地下鉄に乗る。 -
家はすぐ近くかと思っていたけど、地下鉄はどんどん郊外へ向かうので不安になる。
ようやく、高層マンションが林立するヤタプという駅で降り、おばさんの家へ。
おばさんは一言、「麻浦は明日にしなさい」。
えっ?と戸惑ったが、「今日はウチに泊まって、明朝、その人を訪ねなさい」というのだ。
なんて親切な人なんだろう!
シャワーを浴びて、妻は夕食作りの手伝いをすることになった。
予想もしなかった展開となる。 -
夜、おばさん(朴さん)の夫が帰宅し、食事をすることになった。
韓国の作法を知らないので緊張する。
おじさんは「シクサ!」(食事)と言うと、箸とスッカラを器用に使い、茶碗を持たずに食べる。私たちも夫妻の食べ方を真似しつつ、食べた。
もし、東京駅や新宿駅で困っている外国人がいたら、私たちは家まで招いて世話をするだろうか? 実はソウル滞在中にスリに遭って嫌な思いもしたのだが、朴さん夫妻から受けた親切のお陰で、韓国の旅はいい思い出となった。朴さんにはお礼に、当時流行っていた「真珠膏」を北京で買って送った。 -
1995年8月8日
キムさんの家を探す。
世話になった朴さん夫妻から教えられたとおり、アヒョン駅に向かい、麻浦区の役所を訪ねた。
窓口で、「ヨギカゴシプンデヨ、ヨギソオトケカミョンデヨ?」(ここに行きたいのですが、どのように行けばいいですか?)と言って住所を記したメモを出すと、奥から出てきた初老の男性が、「うーん、これは分からんなあ」と完璧な日本語で答えた。
そして、「途中で郵便配達の人に聞きなさい、彼なら分かる」と教えてくれた。日本語で話してもらえたけど笑顔は全く無かったので、やはり日本のことが嫌いなのかなと少々複雑な気持ちになる。
そして言われたとおり郵便配達の人を見つけて尋ねると、キムさんの家の場所を教えてもらえた。 -
キムさんと会うのは7年ぶりだ。
玄関で、「キムシ、イッスムニカ?」と何度か声をかけたら返事があった。
思わず日本語で「金○さーん、オレだよ」と呼んだら、「アイゴ!」と言いながらキムさんが出てきた。
来る事を知らせていなかったので、本当に驚いたようだ。土産に渡したウイスキーをその場で開けると、グイッと飲みだす。
半年ほど一緒の部屋で生活したことがあるので、キムさんの変わらない飲みっぷりが嬉しかった。 -
あまりにも飲むペースが早いので注意すると、「今日は嬉しいから大丈夫」と笑い、飲み続ける。
「日本語、ほとんど忘れてしまったヨ」と言いつつも、懐かしい話題に花を咲かす。
「千駄ヶ谷のラーメン(ホープ軒)は、美味しいヨ!」には笑った。キムさん、豆板醤とニンニクをたっぷり入れて食べるのが好きだったっけ。
夕方、キムさんに南山へ連れて行ってもらった。 -
8月9日〜17日
キムさんの家は間貸しをしており、「ちょうど空いている部屋があるので使っていい」と言われたので甘えることにする。
真夏のソウルで冷房無しはキツイけど、アヒョンは交通のアクセスもいいし、街の雰囲気が下町っぽくて気に入った。 -
中国大使館でビザの申請をしている間に、ソウル市内を見て歩く。
有名な崇礼門(南大門)に行くも、車がビュンビュン走っているので近寄ることができない。
また、老人がいばっている。地下鉄でも老人が乗ってくると(空いていても)若者は我先に席を立つし、バス停の音声説明で遊んでいた子供を大声で叱って立ち去っていく老人を見た。カッコイイ。
私も地下鉄で座っていると、爺さんに「どけっ」と手振りをされたので立ちました。 -
景福宮へ行く。
数日後に壊されることになった「総督府」が見えた。中央ドームの部分に網がかけられている。
8月15日(光復節)、ドームの部分が切り離されるのをテレビで見た。 -
総督府の建物は大理石を用いて重厚に造られており、美しい。
でも、韓国の人にとっては、植民地支配の屈辱の象徴なのだろう。 -
西大門刑務所歴史館へ。
-
写真から手が飛び出している。
表現の仕方も我々とは違う。 -
独立門。
日本ではなく、清からのだけど、ごっちゃにされているようだ。 -
ソウル動物園へ行く。
とにかく広いので歩き疲れる。
途中で雨になったが、韓国の子供たちは平気で濡れながら見学していた。
ガッツがあるな。 -
動物が飼われている敷地も広いので、近くで見られない。
象さんもこんな感じで遠めから見物。
まあ、動物にとってはストレスがかからなくていいかも。 -
アヒョンの駅そばには屋台小屋(朝まで営業)や、昔ながらの市場がある。
ここで一杯やるのが楽しかった。
キムさんは朝の散歩の際、ここでソジュをクッとあおって行くそうだ。
いいな、そういうのって。 -
せっかく韓国に来たので、本場の韓国料理を食べたいのだが、ハングル表記のみの店が多いので苦労する。
韓国では朝から午前中にかけては、たいていの食堂が閉まっている。ボゴキン(バーガーキング)でも10時半開店だった。
でも、さすが本場焼肉の国だけあって、韓国のワッパーは日本よりもレベルが高い。昔、来日したジョンライドンが「日本のビックマックは美味い」って言ってたけど、ソウルに来たらもっと驚いただろう。 -
ここは地元民で混んでたプルコギ屋。
韓国ではカルビとプルコギを一緒に食べる事は出来ない。
また、注文は2人前からという店がほとんどで、一人旅の人には不便なシステムだ。
ジンロは甘いタイプの瓶が人気のようだった。 -
新村の兄弟カルビにて。
ビールを飲みつつ、骨付きカルビにかぶりつく。
美味しかったのなんのって。 -
左上:カルグクスとキムパ。
右上:カルビクッパ。
右下:テジ(ゆで豚定食)
左下:ビビンパブ。
どれもキムチがついてくる。
初めは地下鉄のニンニク臭が気になったけど、1週間も経つとわからなくなってしまった。 -
シチョンの高麗参鶏湯で昼食。
サラリーマン達で混んでいたので入ったら、美味しかった。
人参酒がついていて、これがカーッときつい。
こっちの人達は昼から酒もオッケーなんだな。
参鶏湯を食べた日は、体が熱くなって夜が寝づらかった。韓国では明らかにパワー補給過剰状態。 -
水原の民俗村にて。
ここはテーマパークというよりも、村そのままといった雰囲気が◎。 -
見事に私のツボにはまり、楽しい。
湧き出ているヤクス(薬水)も冷たくておいしかった。 -
軒下の犬もキャストの一員。
ところが、ある旅行客に突然吠えかかったのでビックリ。
補身湯のニオイがしたのかも。 -
本場のネンミョン(冷麺)。
牛肉のダシが効いてて、妻は、美味しい!美味しい!と喜んで食べていた。 -
私は熱い麺が好きなので、うどんを注文。
ここのドンドン酒は絶品だった。 -
民俗村には、なぜかお化け屋敷もあった。
韓国のお化けはどんなものかと思い、入ってみる。
「キョーン!」という声とともに狐のお化けが現れた。
なんだ、可愛いじゃないか。
でも、韓国人はキャーキャー怖がっていた。
ひょっとして、九州の野狐憑きは朝鮮半島から来たのかな? -
こちらは射的屋。
的は懐かしのET。
あれは悪者じゃないだろうに。 -
左上:江華島へ。韓国最古の寺、伝燈寺。
右上:同上。江華島からソウル市内へ帰るバスの運転手がオーバーアクション、乱暴な運転、大声で鼻歌などを披露し、乗客を笑わせてくれた。
右下:人混みでスリに遭う。15万ウォン(18000円位)とフィルム1本を失う。出発からプサンやキョンジュでの写真が幻になって落ち込む私。
左下:気をとりなおして博物館を見学。ケンチャナヨ! -
真夏のソウルは夜も暑く、冷えたマッコリを一気飲み。
ところで、本場のマッコリは栓を開けた途端にブシュー!と吹きこぼれるのである。すごい発酵パワーだ。
パワーといえば釜山。街を歩いていると腕にギプスを巻いている青年をよく見かけた。
あちこちにパンチングマシーンがあり、ダブルデートなどで彼女に男を見せようと全力でパンチ力を競う若者が多かったので、原因はこれかと思った。
韓国は人も食べ物もマッコリもパワー全開だ。 -
1995年8月18日
出発の朝。
中国に行くため、インチョン港へ向かう。
キムさん、お世話になりました。 -
インチョンから天津行きの船に乗る。
乗客はほとんど中国人で、禁煙にも関わらずタバコをスパスパ吸う男や、トイレでクソを流さない者、便器の外にする者がいる。
痰をきる音もあちこちから聞こえてきて、なんとも懐かしい苛立ちを感じた。 -
天津までは丸一日かかる。
船の中では本を読んだり、韓国で買ったポンチャックのテープを聴いたりして過ごす。
また、北京から「どのルートでチベットに行こうか」などと相談する。 -
船で仲良くなった中国人と。
冒険家の植村直己さんにそっくりだった。 -
1995年8月19日
船は遅れて天津に到着。船を下りたら外は真っ暗だ。
狗不理包子を食べに行こうと思ったけど、時間も遅いので北京に向かう。
北京は道路やビルが増え、道路も整備されていたのでビックリ。
泊まろうと思っていた橋園飯店は改修中で営業しておらず、永定門の川沿いの道は高速道路になっていた。
仕方なく、天壇体育賓館に泊まる。 -
1995年8月19日
5年ぶりの北京。まずは近所の天壇公園へ。
といっても、中はすごく広いので歩く歩く。 -
相変わらずの「人民ポーズ」を見て安心した。
中国はまだ魅力を失っていない。 -
ノリのいいオバサンによる「オミトフ体操」。
太極拳とヨーガをミックスさせたような動きで、子供達は大喜びだ。
一般人でも役者のように振舞える。それが中国人。 -
天安門広場へ。
ここも広いのでひたすら歩くが、韓国で精をつけてきたので余裕なのだ。 -
道も広い。
有事の時には滑走路になるらしいけど、これは納得できる。
まだ渋滞も大気汚染も無い時代。 -
広場でウイグル美女軍団に遭遇し、ウッシッシ。
舞踊団の人たちかなあ? -
3年前に開業した、王府井マクドナルド。
人民に大人気で、ドナルドと記念写真を撮るのにも順番待ち。
中国でマックがただのジャンクフードとなるのはいつの日か? -
当然、我々はマックなんかよりも北京烤鴨や夜市で食べるほうを選択する。
-
看板は無いけど、鍋の中を見れば一目瞭然。それが屋台の魅力だ。
5年前の冬に北京に来たときは、野菜は葱とジャガイモしか無くてウンザリしたけど、今回は食材が豊富でびっくりした。
この国はものすごいスピードで変化している。 -
1995年8月21日
チベットへ向かうべく、西寧か蘭州か成都へ行こうと思ったのだが、飛行機はどこも一週間先まで満席だった。かといって、鉄道の切符を買うために駅に並ぶ気にもなれなかった。鉄道だってすぐにチケットが取れるかどうかはわからない。
唯一、昆明へのフライトだけ空席があったので、昆明に行くことにする。
やっぱり、雲南とは縁があるようだ。 -
昆明に着いた。
茶花賓館はドミを改装しており、部屋が狭くなって快適度は低下。
ちなみにトイレも二人用の「連れ糞仕様」になっていて、宿泊する外国人が困っていた。
さすがは中国。ソチオリンピックよりも仕事が20年も早かった。 -
大好きだった昆明の街も、どんどん壊されていた。
大観街ならばと行ってみたけど・・・無残。
落ち込む妻。
こうやって中国はどこも同じような都市ばかりになるのだ。 -
街の片隅に座る易者。
こういう風景も、あっという間に見られなくなってしまうだろう。
今回、昆明の街で撮った写真はこの2枚だけ。 -
1995年8月22日
雲南民族学院で教わった鄭老師を5年ぶりに訪ねる。
突然行ったのに、ワンタンをご馳走してくれた。 -
中国の家庭料理は、店では味わえない旨さがある。
会話を楽しみながら、皆で料理を手伝うのも中国の特徴だ。
餃子に招かれた時などは、人が集まってから粉をこねて麺棒で皮をつくり始めるので、腹をすかせて行くと大変なことになる。
経験済みです。 -
1995年8月24日
昆明から大理へ。
ミニバスで9時間の予定が、渋滞も無いのに11時間もかかった。
これなら大型バスで行ったほうがマシだよとぼやく。
でも、大理は昔とあまり変わらず、のんびりした雰囲気で安心した。
蒼山の眺めが最高だ。
アジア旅行記1995〜1997(その2)へ続く
http://4travel.jp/travelogue/10866391
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