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家康の生まれた岡崎城。東京からだと新幹線の豊橋駅で降りて、名鉄東岡崎駅まで。この経路を考えても、関東ではアクセスがきちんとイメージできない人は多いのではないでしょうか。<br />明治以降は、アンチ徳川でしたでしょうし、いろんな意味で表舞台には出ていきにくかった背景もあるでしょう。しかし、その分、かつての面影が色濃く残ってもいるようにも感じました。<br />ちなみに、岡崎は西三河。豊橋は東三河の中心で、西三河の統一の後、徐々に徳川の勢力下に置かれた地方になります。<br />

家康のルーツを訪ねて ~前半の二日は岡崎から豊川・豊橋へ

43いいね!

2012/01/07 - 2012/01/08

79位(同エリア752件中)

2

66

たびたび

たびたびさん

家康の生まれた岡崎城。東京からだと新幹線の豊橋駅で降りて、名鉄東岡崎駅まで。この経路を考えても、関東ではアクセスがきちんとイメージできない人は多いのではないでしょうか。
明治以降は、アンチ徳川でしたでしょうし、いろんな意味で表舞台には出ていきにくかった背景もあるでしょう。しかし、その分、かつての面影が色濃く残ってもいるようにも感じました。
ちなみに、岡崎は西三河。豊橋は東三河の中心で、西三河の統一の後、徐々に徳川の勢力下に置かれた地方になります。

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  • 豊橋は、愛知県東部、東三河地区の中心都市。新幹線の駅なので名前は知られていますが、観光地といったイメージはあまりないかもしれません。しかし、江戸時代は東海道の宿場町である吉田宿。吉田藩の城下町でもあり、豊川の湊町としても栄えた地域です。で、ここから、西三河の岡崎に向かいました。けっこうわかりにくい経路です。 <br />なお、少し驚いたのは、この駅はJRと名鉄の共通駅。自動改札機では、どちらのチケットでも通れます。利用者の利便性への配慮がすごいと思いました。<br /><br /><br />

    豊橋は、愛知県東部、東三河地区の中心都市。新幹線の駅なので名前は知られていますが、観光地といったイメージはあまりないかもしれません。しかし、江戸時代は東海道の宿場町である吉田宿。吉田藩の城下町でもあり、豊川の湊町としても栄えた地域です。で、ここから、西三河の岡崎に向かいました。けっこうわかりにくい経路です。
    なお、少し驚いたのは、この駅はJRと名鉄の共通駅。自動改札機では、どちらのチケットでも通れます。利用者の利便性への配慮がすごいと思いました。


    吉田宿 名所・史跡

  • 岡崎の観光は、この東岡崎駅から。ここには、観光案内所があって、情報を仕入れます。繁華街もこの駅から乙川を越えた辺り。旧東海道を中心に、和菓子の老舗が点在する雰囲気のある町並みが続きます。その他、町歩きは岡崎城から味噌蔵あたりまで。そして、もう一つの観光である、大樹寺など、徳川ゆかりの寺社めぐりは、駅前のバスセンターからバスの利用。なお、岡崎公園駅というのがあって、岡崎城にはこの駅のほうが近いのですが、周囲には何もないので、是非こちらの駅経由をお勧めします。<br />

    岡崎の観光は、この東岡崎駅から。ここには、観光案内所があって、情報を仕入れます。繁華街もこの駅から乙川を越えた辺り。旧東海道を中心に、和菓子の老舗が点在する雰囲気のある町並みが続きます。その他、町歩きは岡崎城から味噌蔵あたりまで。そして、もう一つの観光である、大樹寺など、徳川ゆかりの寺社めぐりは、駅前のバスセンターからバスの利用。なお、岡崎公園駅というのがあって、岡崎城にはこの駅のほうが近いのですが、周囲には何もないので、是非こちらの駅経由をお勧めします。

  • 岡崎には、徳川ゆかりの寺社がいくつもあって、この伊賀八幡宮もそのひとつ。<br /><br />

    岡崎には、徳川ゆかりの寺社がいくつもあって、この伊賀八幡宮もそのひとつ。

    伊賀八幡宮 寺・神社・教会

    神社の構えにしては、意匠を凝らしたたたずまい by たびたびさん
  • 松平4代親忠が、徳川家の祖である松平家の子孫繁栄の守護神として創建された神社です。

    イチオシ

    松平4代親忠が、徳川家の祖である松平家の子孫繁栄の守護神として創建された神社です。

  • その後、江戸期に入ると、三代将軍の家光が、祖父である東照大権現をあわせて祀ることとし、以降、家康の命日である4月17日には岡崎藩主が将軍の名代として代参することが慣習となりました。<br />

    その後、江戸期に入ると、三代将軍の家光が、祖父である東照大権現をあわせて祀ることとし、以降、家康の命日である4月17日には岡崎藩主が将軍の名代として代参することが慣習となりました。

  • 見上げるような朱塗りの山門の手前には、はすの大池とそれにかかる石作りの太鼓橋。神社の構えにしては、意匠を凝らしたたたずまい。美しい神社だと思いました。

    見上げるような朱塗りの山門の手前には、はすの大池とそれにかかる石作りの太鼓橋。神社の構えにしては、意匠を凝らしたたたずまい。美しい神社だと思いました。

  • 大樹寺は、家康ゆかりの寺。桶狭間の戦いで今川軍が敗走、家康はここに逃げ帰り、先祖の墓前で自害しようとしたのですが、住職に諭されて思い留まったという逸話もあります。 <br />

    イチオシ

    大樹寺は、家康ゆかりの寺。桶狭間の戦いで今川軍が敗走、家康はここに逃げ帰り、先祖の墓前で自害しようとしたのですが、住職に諭されて思い留まったという逸話もあります。

    大樹寺 名所・史跡

    家康以下、等身大に作られた位牌 by たびたびさん
  • いずれにしても、徳川氏(松平氏)の菩提寺。

    いずれにしても、徳川氏(松平氏)の菩提寺。

  • 大樹寺の本堂からは、一直線に遮るものなくなく岡崎城が眺望できるビスタラインも有名。今でもそのライン上にはマンション等の高層建築物を建てることができないことになっているとのことでした。

    大樹寺の本堂からは、一直線に遮るものなくなく岡崎城が眺望できるビスタラインも有名。今でもそのライン上にはマンション等の高層建築物を建てることができないことになっているとのことでした。

  • これは本堂の彫刻です。<br />奥には、歴代当主の位牌が安置されていまして、徳川将軍は、家康以下、それぞれ等身大に作られた位牌が並んでいたり、秀忠より大きなお江の方の位牌もあって、面白いです。

    これは本堂の彫刻です。
    奥には、歴代当主の位牌が安置されていまして、徳川将軍は、家康以下、それぞれ等身大に作られた位牌が並んでいたり、秀忠より大きなお江の方の位牌もあって、面白いです。

  • 備前屋は、岡崎市内にある天明二年(1782)創業の和菓子の老舗。現在は八代目。代表銘菓は「あわ雪」。<br /><br />

    備前屋は、岡崎市内にある天明二年(1782)創業の和菓子の老舗。現在は八代目。代表銘菓は「あわ雪」。

    備前屋 本店 グルメ・レストラン

  • これは、江戸時代に岡崎宿の茶店「あわ雪茶屋」で供された「あわ雪豆腐」をお菓子の形に復活させたもの。卵白を主原料に砂糖を加えて泡立て、寒天で固めたお菓子で、口の中で淡雪のように溶ける味わいが三河地方を代表する銘菓となりました。種類も豊富ですが、300円の小さなタイプは、コーヒー味とブランデー味の二種類。入れ物の箱には小さな包丁が付いていて、これで少しずつ切りながらいただきます。 <br />ただ、正直言って、寒天のお菓子は、今ではちょっと古臭い感じも否めません。今では豆乳プリンのような新製品のほうがうまいので、人気だと思います。<br />

    これは、江戸時代に岡崎宿の茶店「あわ雪茶屋」で供された「あわ雪豆腐」をお菓子の形に復活させたもの。卵白を主原料に砂糖を加えて泡立て、寒天で固めたお菓子で、口の中で淡雪のように溶ける味わいが三河地方を代表する銘菓となりました。種類も豊富ですが、300円の小さなタイプは、コーヒー味とブランデー味の二種類。入れ物の箱には小さな包丁が付いていて、これで少しずつ切りながらいただきます。
    ただ、正直言って、寒天のお菓子は、今ではちょっと古臭い感じも否めません。今では豆乳プリンのような新製品のほうがうまいので、人気だと思います。

    岡崎宿 名所・史跡

  • 六所神社は、東岡崎駅から、岡崎城と反対方向。歩いて数分の場所です。松平氏発祥の地である松平郷(現豊田市)の六所神社から勧請し創建したもの。徳川家康の生まれた土地を守護する神様、産土神(うぶすながみ)として、江戸幕府の厚い保護を受けたそうです。写真は、楼門。鳥居をくぐって、本殿に登る石段の上にあって、いきなり、覆いかぶさるような大きな門が出現します。権現造の絢爛豪華な門で、国の重要文化財。石段がかなり急なこともあって、ハッとさせられる趣向です。なお、本殿・幣殿・拝殿も重要文化財。徳川家光の命を受けて改築されたものです。<br />

    六所神社は、東岡崎駅から、岡崎城と反対方向。歩いて数分の場所です。松平氏発祥の地である松平郷(現豊田市)の六所神社から勧請し創建したもの。徳川家康の生まれた土地を守護する神様、産土神(うぶすながみ)として、江戸幕府の厚い保護を受けたそうです。写真は、楼門。鳥居をくぐって、本殿に登る石段の上にあって、いきなり、覆いかぶさるような大きな門が出現します。権現造の絢爛豪華な門で、国の重要文化財。石段がかなり急なこともあって、ハッとさせられる趣向です。なお、本殿・幣殿・拝殿も重要文化財。徳川家光の命を受けて改築されたものです。

  • 岡崎東駅から岡崎城に向かう途中にある石橋。殿橋です。<br />岡崎市内をゆったりと流れる乙川に掛かっています。川の堤防は桜並木。距離を置いて、岡崎城の天守閣もよく見えます。この道はバス路線でもあり、大きな通りなのですが、橋げたも石で規則正しくデザインされて、この橋の美しさは町の景観にかなりかっていると思いました。聞くと、季節によって、夜のライトアップや川の噴水の趣向もあるらしく、なるほど納得です。ただし、岡崎城までは、この橋を渡らずそのまま川原を伝って歩いてみるのがお勧め。岡崎城の正面辺りに歩行者専用の橋があるので、無駄がありません。<br />

    岡崎東駅から岡崎城に向かう途中にある石橋。殿橋です。
    岡崎市内をゆったりと流れる乙川に掛かっています。川の堤防は桜並木。距離を置いて、岡崎城の天守閣もよく見えます。この道はバス路線でもあり、大きな通りなのですが、橋げたも石で規則正しくデザインされて、この橋の美しさは町の景観にかなりかっていると思いました。聞くと、季節によって、夜のライトアップや川の噴水の趣向もあるらしく、なるほど納得です。ただし、岡崎城までは、この橋を渡らずそのまま川原を伝って歩いてみるのがお勧め。岡崎城の正面辺りに歩行者専用の橋があるので、無駄がありません。

    岡崎城 名所・史跡

    徳川家康が生まれたお城 by たびたびさん
  • 岡崎城へ。<br />東岡崎駅から歩いて約15分。乙川堤防辺りから天守閣が見えるのですが、周囲の松林が高くて、先端の方しか見えないのがやや残念。近くでも、こんな感じです。ここは、徳川家康が生まれたお城としてあまりにも有名。松平氏が岡崎城を本拠としたのは、家康の祖父・清康の時代。しかし、清康は、家来に暗殺され、守山崩れという大混乱に。家康の父広忠も若くして非業の死を遂げたため、岡崎城と三河は駿河の今川氏のものとなり、家康の人質生活が始まります。家康が岡崎城に帰るのは、桶狭間で義元が討ち死にした後のこと。さらに、この10年後、家康が浜松に移ると、家康の嫡男・信康が城主となっています。<br /><br /><br />

    イチオシ

    岡崎城へ。
    東岡崎駅から歩いて約15分。乙川堤防辺りから天守閣が見えるのですが、周囲の松林が高くて、先端の方しか見えないのがやや残念。近くでも、こんな感じです。ここは、徳川家康が生まれたお城としてあまりにも有名。松平氏が岡崎城を本拠としたのは、家康の祖父・清康の時代。しかし、清康は、家来に暗殺され、守山崩れという大混乱に。家康の父広忠も若くして非業の死を遂げたため、岡崎城と三河は駿河の今川氏のものとなり、家康の人質生活が始まります。家康が岡崎城に帰るのは、桶狭間で義元が討ち死にした後のこと。さらに、この10年後、家康が浜松に移ると、家康の嫡男・信康が城主となっています。


  • 岡崎城の隣り。三河武士のやかた家康館は、徳川関係の資料がかなり充実していて、天守閣の資料とは段違い。こちらが断然お勧めです。松平氏の歴史。家康の生い立ち。重臣の徳川家との関係。家康が天下を取った関が原の戦いの様子など、すべてが詳しく、ビデオや人形仕掛けなども使って、分かりやすく説明されています。特に、関が原の戦いの時間を追った解説は関が原全体の模型を使って、戦況の推移をうまく表していましたが、石田三成が、戦いの初めに「これは勝った」と確信した陣構えはそのとおり。陣構えは明らかに劣勢な東軍が戦力を集中させて、戦い抜いたことがよく分かりました。 <br />

    岡崎城の隣り。三河武士のやかた家康館は、徳川関係の資料がかなり充実していて、天守閣の資料とは段違い。こちらが断然お勧めです。松平氏の歴史。家康の生い立ち。重臣の徳川家との関係。家康が天下を取った関が原の戦いの様子など、すべてが詳しく、ビデオや人形仕掛けなども使って、分かりやすく説明されています。特に、関が原の戦いの時間を追った解説は関が原全体の模型を使って、戦況の推移をうまく表していましたが、石田三成が、戦いの初めに「これは勝った」と確信した陣構えはそのとおり。陣構えは明らかに劣勢な東軍が戦力を集中させて、戦い抜いたことがよく分かりました。

  • 館の前で行われるパーフォーマンス。『グレート家康公「葵」武将隊』は、「厭離穢土 欣求浄土」が旗印です。

    館の前で行われるパーフォーマンス。『グレート家康公「葵」武将隊』は、「厭離穢土 欣求浄土」が旗印です。

  • 工場見学のできる八丁味噌の蔵元は二軒。カクキュー八丁味噌もその一つ。どちらかというと、こちらは大型観光バスが乗りつける感じで、観光ルートとして、よく整備されています。

    工場見学のできる八丁味噌の蔵元は二軒。カクキュー八丁味噌もその一つ。どちらかというと、こちらは大型観光バスが乗りつける感じで、観光ルートとして、よく整備されています。

  • 製造工程を表す展示も、大掛かりで、下手な博物館より、ずっとよくできています。

    製造工程を表す展示も、大掛かりで、下手な博物館より、ずっとよくできています。

  • 係りの方が案内してくれましたが、八丁味噌は、米も原料としている普通の味噌と違い、大豆だけで作ること。褐色の色は大豆を蒸す製造法だから。白いのは煮てつくる味噌。赤味噌は蒸す大豆を使っているから。桶の話や石積みの話。なかなかにためになる内容で、30分ほどのコースです。<br />

    係りの方が案内してくれましたが、八丁味噌は、米も原料としている普通の味噌と違い、大豆だけで作ること。褐色の色は大豆を蒸す製造法だから。白いのは煮てつくる味噌。赤味噌は蒸す大豆を使っているから。桶の話や石積みの話。なかなかにためになる内容で、30分ほどのコースです。

  • こちらは隣りのまるや八丁味噌。

    こちらは隣りのまるや八丁味噌。

  • 見学時間は決まっているので、時間まで待合室でしばらく待ちましたが、休憩室には味噌作りのビデオがあって、新工場にした際、麹菌に異変があって、苦労の末に元に戻した話とか、伝統を守るための地道な苦労があったことがよくわかりました。案内は、まず「日吉丸石投げの井戸」。日吉丸とは秀吉のこと。この蔵に忍び込んだ秀吉が、番人に見つかり、逃れるために、自分が井戸に飛び込んだように見せかけ、石を投げ、その隙にまんまと逃げおおせたのだとか。その後、天下人になった秀吉がこの地を通った際、かつてのいたずらを思い出し、深く詫びを入れたのだそうです。<br /><br />

    見学時間は決まっているので、時間まで待合室でしばらく待ちましたが、休憩室には味噌作りのビデオがあって、新工場にした際、麹菌に異変があって、苦労の末に元に戻した話とか、伝統を守るための地道な苦労があったことがよくわかりました。案内は、まず「日吉丸石投げの井戸」。日吉丸とは秀吉のこと。この蔵に忍び込んだ秀吉が、番人に見つかり、逃れるために、自分が井戸に飛び込んだように見せかけ、石を投げ、その隙にまんまと逃げおおせたのだとか。その後、天下人になった秀吉がこの地を通った際、かつてのいたずらを思い出し、深く詫びを入れたのだそうです。

  • これは、大樽。内容は6トンの重さ。4人家族が一日三回味噌汁を飲んで、200年以上飲めるだけの量だそうです。<br />

    これは、大樽。内容は6トンの重さ。4人家族が一日三回味噌汁を飲んで、200年以上飲めるだけの量だそうです。

  • 最後のお土産品販売所。看板が古めかしいです。

    最後のお土産品販売所。看板が古めかしいです。

  • 近江屋本舗は、創業明治44年。岡崎城から歩いて15分ほどの旧東海道沿いにある老舗の和菓子屋さんです。ちょっと歩いていくには、不便な場所なのですが、地元の方がぽつんぽつんと車でやってくる感じで、観光客ではなく、地元密着型のお菓子屋さんだと思いました。

    近江屋本舗は、創業明治44年。岡崎城から歩いて15分ほどの旧東海道沿いにある老舗の和菓子屋さんです。ちょっと歩いていくには、不便な場所なのですが、地元の方がぽつんぽつんと車でやってくる感じで、観光客ではなく、地元密着型のお菓子屋さんだと思いました。

  • 店舗の内部は、見た目より意外に広くて、菓子の種類も豊富。私は、お店で一番人気という薄皮まんじゅうをいただきましたが、こうしたごく普通のお菓子をいただくとお店のレベルが分かります。特徴がないようで、質の高さがはっきり感じられて、うれしくなりました。なお、これは生菓子なので、日持ちしないといけない場合は「おひろい」という、餡子の合わせ菓子がお勧めだそうでした。<br />

    店舗の内部は、見た目より意外に広くて、菓子の種類も豊富。私は、お店で一番人気という薄皮まんじゅうをいただきましたが、こうしたごく普通のお菓子をいただくとお店のレベルが分かります。特徴がないようで、質の高さがはっきり感じられて、うれしくなりました。なお、これは生菓子なので、日持ちしないといけない場合は「おひろい」という、餡子の合わせ菓子がお勧めだそうでした。

  • 大正庵釜春本店は、岡崎公園駅のすぐそば。岡崎公園駅の辺りは、何もなくて殺風景だし、この店の建物は大きいのですぐに分かりました。岡崎で八丁味噌の見学をした後で、やはりこの味噌煮込みうどんは外せません。うどんは柔らかめもあり。名古屋の硬い麺はちょっと興醒めすることもあるので、柔らか目を注文。これで安心して、うどんをいただきました。

    大正庵釜春本店は、岡崎公園駅のすぐそば。岡崎公園駅の辺りは、何もなくて殺風景だし、この店の建物は大きいのですぐに分かりました。岡崎で八丁味噌の見学をした後で、やはりこの味噌煮込みうどんは外せません。うどんは柔らかめもあり。名古屋の硬い麺はちょっと興醒めすることもあるので、柔らか目を注文。これで安心して、うどんをいただきました。

  • 出てきた時は、ぐつぐつと煮えたぎっている状態。ちょっと落ち着いたところで、八丁味噌をベースに出汁の効いたうどんを堪能。おいしいです。 <br />なお、お店は座敷が広いので、ゆったり寛げますし、駅前なので、帰りの時間を確認しておけば、ぎりぎりまでゆっくりできるのもいいでしょう。<br />

    出てきた時は、ぐつぐつと煮えたぎっている状態。ちょっと落ち着いたところで、八丁味噌をベースに出汁の効いたうどんを堪能。おいしいです。
    なお、お店は座敷が広いので、ゆったり寛げますし、駅前なので、帰りの時間を確認しておけば、ぎりぎりまでゆっくりできるのもいいでしょう。

  • 長篠城址は、JR長篠城駅から歩いて10分足らず。<br /><br />

    長篠城址は、JR長篠城駅から歩いて10分足らず。

  • ここは、1575年(天正3年)、武田勝頼と織田信長・徳川家康の連合軍が戦った長篠合戦の際、武田軍の包囲を受けた城。少人数であったにもかかわらず、猛攻を持ちこたえ、3000丁の鉄砲で当時最強と呼ばれた武田の騎馬隊を壊滅させた主戦場である設楽ヶ原の戦いの勝利に貢献します。

    ここは、1575年(天正3年)、武田勝頼と織田信長・徳川家康の連合軍が戦った長篠合戦の際、武田軍の包囲を受けた城。少人数であったにもかかわらず、猛攻を持ちこたえ、3000丁の鉄砲で当時最強と呼ばれた武田の騎馬隊を壊滅させた主戦場である設楽ヶ原の戦いの勝利に貢献します。

  • 城主は、奥平貞昌。徳川を裏切り武田についていたのですが、再度、徳川に寝返った武将であり、もう武田に降る道は残されていなかった立場です。

    城主は、奥平貞昌。徳川を裏切り武田についていたのですが、再度、徳川に寝返った武将であり、もう武田に降る道は残されていなかった立場です。

  • 城址には長篠城址史跡保存館があり、合戦の状況を詳しく解説していますが、この本丸の周囲にも、死をとして城に救援の情報をもたらした鳥居強右衛門の磔の場所など、<br />

    城址には長篠城址史跡保存館があり、合戦の状況を詳しく解説していますが、この本丸の周囲にも、死をとして城に救援の情報をもたらした鳥居強右衛門の磔の場所など、

    長篠城址 名所・史跡

    武田軍の包囲を受けた城 by たびたびさん
  • 各所に説明板があって、臨場感が味わえます。

    各所に説明板があって、臨場感が味わえます。

  • 三明寺は、「さんみょうじ」と読みます。名鉄豊川駅から豊川稲荷と反対側の出口から歩いて数分。通称は豊川弁財。天平安時代の三河国国司が、愛人の死を悼み、その等身大の弁財天を自ら彫って奉納したものと言われています。ただ、駅の情報で、室町時代の末期に建てられた、面白い三重塔があると聞いて立ち寄りました。この三重塔は、高さ14.5m。1・2層が和様、3層が禅宗様としている点が特徴です。国の重要文化財。三層目の屋根の反りが少しきついのですが、それが全体としてうまく調和していると思います。<br /><br /><br />

    三明寺は、「さんみょうじ」と読みます。名鉄豊川駅から豊川稲荷と反対側の出口から歩いて数分。通称は豊川弁財。天平安時代の三河国国司が、愛人の死を悼み、その等身大の弁財天を自ら彫って奉納したものと言われています。ただ、駅の情報で、室町時代の末期に建てられた、面白い三重塔があると聞いて立ち寄りました。この三重塔は、高さ14.5m。1・2層が和様、3層が禅宗様としている点が特徴です。国の重要文化財。三層目の屋根の反りが少しきついのですが、それが全体としてうまく調和していると思います。


  • 門前そば 山彦は、名前のそばより、「いなほ稲荷寿司」で超有名なお店。山門すぐ前にある位置もあるのかもしれませんが、ここの稲荷の行列は、他店と比べると段違い。半端ではありません。「いなほ(お米)がたくさん採れますように」との願いを込めたという稲荷は、ひじき、人参、椎茸、くるみ、竹の子の5つの具が入ったて、ご利益に掛けているのだとか。

    門前そば 山彦は、名前のそばより、「いなほ稲荷寿司」で超有名なお店。山門すぐ前にある位置もあるのかもしれませんが、ここの稲荷の行列は、他店と比べると段違い。半端ではありません。「いなほ(お米)がたくさん採れますように」との願いを込めたという稲荷は、ひじき、人参、椎茸、くるみ、竹の子の5つの具が入ったて、ご利益に掛けているのだとか。

  • 店内で食べることもできるのですが、むしろそちらは利用者は少ないような。私も、折り詰めで購入。

    店内で食べることもできるのですが、むしろそちらは利用者は少ないような。私も、折り詰めで購入。

  • 帰りの列車の中でいただきました。味は薄め。行列のインパクトが強かったのですが、味の方はあっけないほどおとなしい印象を持ちました。評価は難しいかもしれません。<br />

    帰りの列車の中でいただきました。味は薄め。行列のインパクトが強かったのですが、味の方はあっけないほどおとなしい印象を持ちました。評価は難しいかもしれません。

  • 豊川稲荷は、妙厳寺という曹洞宗のお寺。本尊は、千手観音です。豊川稲荷の稲荷は境内の鎮守として祭られた枳尼天(だにきてん)のこと。<br /><br /><br />

    豊川稲荷は、妙厳寺という曹洞宗のお寺。本尊は、千手観音です。豊川稲荷の稲荷は境内の鎮守として祭られた枳尼天(だにきてん)のこと。


  • ちなみに、枳尼天は、インドの古代民間信仰に由来する仏教の女神。日本では稲荷信仰と習合し、稲荷神と同一視されたのだそうです。

    ちなみに、枳尼天は、インドの古代民間信仰に由来する仏教の女神。日本では稲荷信仰と習合し、稲荷神と同一視されたのだそうです。

  • いずれにしても、江戸時代には、大岡越前守や渡辺崋山からの信仰を受け、立身出世や盗難避けの神として江戸の庶民からも信仰されるようになりましたが、この豊川の地では、その当時の熱気がまだ続いているかのよう。境内に所狭しと並んだ屋台やのぼりなど、縁日のようなにぎやかさがありました。

    イチオシ

    いずれにしても、江戸時代には、大岡越前守や渡辺崋山からの信仰を受け、立身出世や盗難避けの神として江戸の庶民からも信仰されるようになりましたが、この豊川の地では、その当時の熱気がまだ続いているかのよう。境内に所狭しと並んだ屋台やのぼりなど、縁日のようなにぎやかさがありました。

  • これが本堂。規模の大きさや妻入りなど。

    これが本堂。規模の大きさや妻入りなど。

  • 善光寺にちょっと似ています。

    善光寺にちょっと似ています。

  • 豊川稲荷の参道には、いなり寿司のお店があちこちにあります。観光案内所で、一個でも食べられる、食べ比べの案内をしていまして、この来恩(らいおん)もその一つ。平成22年いなり寿司フェスタ食べ比べ選手権で、この店の“大葉天ぷらいなり”が見事1位を獲得したのだそうで。さっそく、写真のこれをいただきました。稲荷をてんぷらにしてしまうとはすごい発想です。しかし、結果は、微妙。しっとりと味のしみこんだお揚げに象徴される稲荷のおいしさが逆に出ていないような。なお、ほかにはカラフルな6色いなりも。茶、黄、緑、赤、黒、こげ茶が鮮やかでした。<br /><br /><br />

    豊川稲荷の参道には、いなり寿司のお店があちこちにあります。観光案内所で、一個でも食べられる、食べ比べの案内をしていまして、この来恩(らいおん)もその一つ。平成22年いなり寿司フェスタ食べ比べ選手権で、この店の“大葉天ぷらいなり”が見事1位を獲得したのだそうで。さっそく、写真のこれをいただきました。稲荷をてんぷらにしてしまうとはすごい発想です。しかし、結果は、微妙。しっとりと味のしみこんだお揚げに象徴される稲荷のおいしさが逆に出ていないような。なお、ほかにはカラフルな6色いなりも。茶、黄、緑、赤、黒、こげ茶が鮮やかでした。


  • 豊川から、豊橋へ移動。<br />これは秋葉山常夜灯。豊橋市内にあるかつての吉田宿の名残をとどめる遺構の一つです。市電東八町駅を降りてすぐの旧東海道沿い。秋葉山というのは、静岡県浜松市の北部に位置する秋葉山本宮秋葉神社のこと。日本全国にある約800社の秋葉神社の起源となった神仏混淆の神社で、江戸期、徳川綱吉の治世の頃から、秋葉大権現という名で、火伏せの神として日本全国から爆発的な信仰を集めるようになったのだそうです。東海道沿いには、秋葉詣でのために作られた常夜灯が今でも数多く残っています。<br />

    イチオシ

    豊川から、豊橋へ移動。
    これは秋葉山常夜灯。豊橋市内にあるかつての吉田宿の名残をとどめる遺構の一つです。市電東八町駅を降りてすぐの旧東海道沿い。秋葉山というのは、静岡県浜松市の北部に位置する秋葉山本宮秋葉神社のこと。日本全国にある約800社の秋葉神社の起源となった神仏混淆の神社で、江戸期、徳川綱吉の治世の頃から、秋葉大権現という名で、火伏せの神として日本全国から爆発的な信仰を集めるようになったのだそうです。東海道沿いには、秋葉詣でのために作られた常夜灯が今でも数多く残っています。

  • 安久美神戸神明社は、「あくみかんべしんめいしゃ」と読みます。豊橋市内にある神社で、平将門の乱の鎮圧を喜んだ時の朱雀天皇がこの地を伊勢神宮へ寄進したのが始まり。<br /><br />

    安久美神戸神明社は、「あくみかんべしんめいしゃ」と読みます。豊橋市内にある神社で、平将門の乱の鎮圧を喜んだ時の朱雀天皇がこの地を伊勢神宮へ寄進したのが始まり。

    神明社 寺・神社・教会

  • 天下の奇祭「鬼祭」で有名。写真は祭りのメインの赤鬼。境内に展示されていましたが、赤い地肌に白い紐の取り合わせはとてもユニーク。迫力があるだけでなく、どこかユーモラスで、平安時代から舞われていた田楽の伝統を受け継ぐものです。内容は、武神である「天狗」が荒ぶる神である「赤鬼」を懲らしめるもの。毎年2月10日11日に行われます。<br />

    イチオシ

    天下の奇祭「鬼祭」で有名。写真は祭りのメインの赤鬼。境内に展示されていましたが、赤い地肌に白い紐の取り合わせはとてもユニーク。迫力があるだけでなく、どこかユーモラスで、平安時代から舞われていた田楽の伝統を受け継ぐものです。内容は、武神である「天狗」が荒ぶる神である「赤鬼」を懲らしめるもの。毎年2月10日11日に行われます。

  • 豊橋ハリストス正教会は、ロシア正教会の教会。「ハリストス」とはキリストのロシア語読みです。豊橋への正教会の布教は1875年から。この教会の建設は、1913年。初代管轄司祭の35周年を記念して建てられました。全体として、函館のハリストス正教会にも大変よく似て、整った美しさをもっていますが、規模はかなり小ぶり。正面に駐車場がありまして、車がずらり止まっていると、教会の小ささが余計目立つように感じました。<br />なお、建物は国の重要文化財で、内部は非公開。外部からの見学のみです。<br />

    豊橋ハリストス正教会は、ロシア正教会の教会。「ハリストス」とはキリストのロシア語読みです。豊橋への正教会の布教は1875年から。この教会の建設は、1913年。初代管轄司祭の35周年を記念して建てられました。全体として、函館のハリストス正教会にも大変よく似て、整った美しさをもっていますが、規模はかなり小ぶり。正面に駐車場がありまして、車がずらり止まっていると、教会の小ささが余計目立つように感じました。
    なお、建物は国の重要文化財で、内部は非公開。外部からの見学のみです。

  • 豊橋市公会堂は、豊橋市の電車通り沿い。竣工は1931年と戦前。終戦後は、一時、豊橋市役所の機能が移転していたのですが、いずれにしても今でも現役の公会堂です。鉄筋コンクリート造の建物は、ロマネスク様式を基調とする外観に、スペイン風の円形ドームも備えており、堂々たる風格。正面の緩やかな階段を登った先が入口です。

    豊橋市公会堂は、豊橋市の電車通り沿い。竣工は1931年と戦前。終戦後は、一時、豊橋市役所の機能が移転していたのですが、いずれにしても今でも現役の公会堂です。鉄筋コンクリート造の建物は、ロマネスク様式を基調とする外観に、スペイン風の円形ドームも備えており、堂々たる風格。正面の緩やかな階段を登った先が入口です。

  • 設計は、中村與資平(なかむらよしへい)。明治期から昭和期に活躍し、静岡県では銀行や公共建築の設計を多く手がけた建築家。国の登録有形文化財です。<br />

    設計は、中村與資平(なかむらよしへい)。明治期から昭和期に活躍し、静岡県では銀行や公共建築の設計を多く手がけた建築家。国の登録有形文化財です。

  • 次は吉田城へ。ここは、東三河の拠点として攻防の舞台となった城。今川氏が桶狭間の戦いで弱体化すると徳川家康が攻略。その後の武田氏との戦いでは劣勢を強いられ、武田軍の攻撃も受けていますが、長篠の戦いで逆転、支配力を強めます。ただし、家康が豊臣秀吉により関東に移封されると、池田輝政の時代に。さらに、関ヶ原の戦いの翌年、輝政は姫路に移封されたので、譜代大名が引き継ぎますが、国替えは頻繁で、石高も3万から8万石だったようです。入口に地元のボランティアのような方がいて城の歴史を説明してくれましたが、輝政の時代に基礎が作られ、石垣など、姫路城の特徴に似ていることをしきりに自慢されたのが印象に残りました。なお、天守閣の内部見学は無料です。<br /><br /><br />

    次は吉田城へ。ここは、東三河の拠点として攻防の舞台となった城。今川氏が桶狭間の戦いで弱体化すると徳川家康が攻略。その後の武田氏との戦いでは劣勢を強いられ、武田軍の攻撃も受けていますが、長篠の戦いで逆転、支配力を強めます。ただし、家康が豊臣秀吉により関東に移封されると、池田輝政の時代に。さらに、関ヶ原の戦いの翌年、輝政は姫路に移封されたので、譜代大名が引き継ぎますが、国替えは頻繁で、石高も3万から8万石だったようです。入口に地元のボランティアのような方がいて城の歴史を説明してくれましたが、輝政の時代に基礎が作られ、石垣など、姫路城の特徴に似ていることをしきりに自慢されたのが印象に残りました。なお、天守閣の内部見学は無料です。


  • ここからは東海道のお菓子、グルメを回ります。<br />ここ若松園は、豊橋市内にある老舗和菓子店。旧東海道沿いにあって、創業は明治34年と100年以上の歴史があります。

    ここからは東海道のお菓子、グルメを回ります。
    ここ若松園は、豊橋市内にある老舗和菓子店。旧東海道沿いにあって、創業は明治34年と100年以上の歴史があります。

    御菓子司 若松園 本店 グルメ・レストラン

    名物ゆたかおこし by たびたびさん
  • 創業時からの名物がゆたかおこし。525円也。昭和天皇即位の年に、豊橋市の名物として献上された銘菓だそうです。おこしですが、大阪のお菓子と違って、少し柔らかめ。挟んであるのは、抹茶入りすはまあん。甘さが優しいという表現もありますが、反面、柔らかいおこしとの組合せは、ぼんやりした味わいとも感じました。伝統の味を守るということと時代に合わせることの両立は難しいところがあるかもしれません。<br />

    創業時からの名物がゆたかおこし。525円也。昭和天皇即位の年に、豊橋市の名物として献上された銘菓だそうです。おこしですが、大阪のお菓子と違って、少し柔らかめ。挟んであるのは、抹茶入りすはまあん。甘さが優しいという表現もありますが、反面、柔らかいおこしとの組合せは、ぼんやりした味わいとも感じました。伝統の味を守るということと時代に合わせることの両立は難しいところがあるかもしれません。

  • 大正軒は、明治創業9年。旧東海道を少し入ったところにある老舗の和菓子屋さん。<br />

    大正軒は、明治創業9年。旧東海道を少し入ったところにある老舗の和菓子屋さん。

  • 名物は、このみたらしだんごです。みたらしだんごは京都の下賀茂神社の近くの店なのですが、ここの店の方がはるかにうまいです。まずは、モチっとした食感が抜群。秘伝のタレは少し焦げ目の香りと相まって、コクもあるし、深い味わい。注文すると店の入り口奥にある機械で焼いてくれます。1本95円で、2串から、奥の喫茶コーナーでいただけます。織部焼の皿の緑色との組み合わせも目を楽しませてくれるし、これは脱帽のお店です。<br /><br />

    イチオシ

    名物は、このみたらしだんごです。みたらしだんごは京都の下賀茂神社の近くの店なのですが、ここの店の方がはるかにうまいです。まずは、モチっとした食感が抜群。秘伝のタレは少し焦げ目の香りと相まって、コクもあるし、深い味わい。注文すると店の入り口奥にある機械で焼いてくれます。1本95円で、2串から、奥の喫茶コーナーでいただけます。織部焼の皿の緑色との組み合わせも目を楽しませてくれるし、これは脱帽のお店です。

  • 次は、きく宗。<br />豊橋の超有名な老舗料理屋さんです。旧東海道吉田宿にあって、伝統を受け継ぐ「菜めし」と「田楽」が名物です

    次は、きく宗。
    豊橋の超有名な老舗料理屋さんです。旧東海道吉田宿にあって、伝統を受け継ぐ「菜めし」と「田楽」が名物です

    吉田宿 名所・史跡

  • 。「菜めし」は、大根の葉を混ぜ込んで、薄い塩味。緑の鮮やかさも目を楽しませます。一方の「田楽」。これは八丁味噌を使った味噌だれなのですが、からしが入って鼻につんときます。しかし、その加減が絶妙で、互いのよさをめちゃめちゃ引き出しています。 <br />ところで、味噌にからし。この組合わせは、この店独特なのか疑問に思って尋ねたら、この店が発祥なのだが、今では周囲の店も真似をして、豊橋では珍しくなくなったのだとか。いずれにしても、この組合せを考えた人は天才でしょう。出会ったことのないうまさ、培われた伝統の味わいに感動です。 <br />なお、注文を受けて作り始めるので、座敷に上がってからでも30分は待つことになります。十分、時間に余裕を持って行く方がいいでしょう。<br />

    。「菜めし」は、大根の葉を混ぜ込んで、薄い塩味。緑の鮮やかさも目を楽しませます。一方の「田楽」。これは八丁味噌を使った味噌だれなのですが、からしが入って鼻につんときます。しかし、その加減が絶妙で、互いのよさをめちゃめちゃ引き出しています。
    ところで、味噌にからし。この組合わせは、この店独特なのか疑問に思って尋ねたら、この店が発祥なのだが、今では周囲の店も真似をして、豊橋では珍しくなくなったのだとか。いずれにしても、この組合せを考えた人は天才でしょう。出会ったことのないうまさ、培われた伝統の味わいに感動です。
    なお、注文を受けて作り始めるので、座敷に上がってからでも30分は待つことになります。十分、時間に余裕を持って行く方がいいでしょう。

  • ヤマサちくわは、創業170年超。ちくわの町、豊橋を築いた老舗中の老舗。この店の祖先佐藤善作が、四国の金比羅様に代参した際に、その地で名物として売られていたちくわがあまりにおいしく、海産物に恵まれた豊橋でも作ろうと開発に取り組みました。

    ヤマサちくわは、創業170年超。ちくわの町、豊橋を築いた老舗中の老舗。この店の祖先佐藤善作が、四国の金比羅様に代参した際に、その地で名物として売られていたちくわがあまりにおいしく、海産物に恵まれた豊橋でも作ろうと開発に取り組みました。

    ヤマサちくわ 刈谷オアシス店 グルメ・レストラン

  • ちくわは、切り口が竹の様であるところから、「竹輪」。一方で、かまぼこが、武士の食べる高級品であったことから、これをはばかり、隠語としても使われていたようです。私は、高級ちくわを買いましたが、原料はグチ、エソ、ハモ。これじゃないと本物の味が出ないと店員さんが説明してくれましたが、逆に、主な産地は瀬戸内海だとか。まあ、あまり深くは考えないようにしたいと思います。<br />ここから、浜松に移動。<br />

    ちくわは、切り口が竹の様であるところから、「竹輪」。一方で、かまぼこが、武士の食べる高級品であったことから、これをはばかり、隠語としても使われていたようです。私は、高級ちくわを買いましたが、原料はグチ、エソ、ハモ。これじゃないと本物の味が出ないと店員さんが説明してくれましたが、逆に、主な産地は瀬戸内海だとか。まあ、あまり深くは考えないようにしたいと思います。
    ここから、浜松に移動。

  • 途中、新居で途中下車して、少し散策。<br />新居関所(あらいせきしょ)は、JR新居駅から往来の激しい国道沿いを歩いて15分ほど。主要な街道の関所建物としては、唯一現存する建物で、国の特別史跡に指定されています。小学校の校舎や役場庁舎として使われていたので、取り壊しを逃れたのだそうです。

    途中、新居で途中下車して、少し散策。
    新居関所(あらいせきしょ)は、JR新居駅から往来の激しい国道沿いを歩いて15分ほど。主要な街道の関所建物としては、唯一現存する建物で、国の特別史跡に指定されています。小学校の校舎や役場庁舎として使われていたので、取り壊しを逃れたのだそうです。

  • 内部は「上之間」「中之間」「次之間」に分かれ、取り調べの緊張感が伝わるよう。別に資料館もあって、地形の変化によって海上ルートが加わったり、関所の位置も変更されたことなどを解説しています。また、関所破りといった大きな事件はほとんどなく、だんだんと取り調べが緩くなったことなど。平和な時代の関所の役割の変化なども、よくわかりました。 <br />なお、江戸期の地名は「荒井」、現在の地名「新居」に改められたのは明治期以降です。<br />

    内部は「上之間」「中之間」「次之間」に分かれ、取り調べの緊張感が伝わるよう。別に資料館もあって、地形の変化によって海上ルートが加わったり、関所の位置も変更されたことなどを解説しています。また、関所破りといった大きな事件はほとんどなく、だんだんと取り調べが緩くなったことなど。平和な時代の関所の役割の変化なども、よくわかりました。
    なお、江戸期の地名は「荒井」、現在の地名「新居」に改められたのは明治期以降です。

  • 新居宿に残る旅籠紀伊国屋。新居関所を訪ねたら、ここの共通入館券400円があると見学を勧められました。また、閉館時間がこちらの方が早いので、先に回ったのですが、入口を入ると、さっそくに写真の風景。中庭に向けて、部屋が続いています。二階への階段を上がると、ぐるりが部屋。相部屋とかもけっこうあったのでしょう。展示資料には、その際の心構えに触れたものがあったり、旅の情景が浮かぶようでした。 <br /><br />

    新居宿に残る旅籠紀伊国屋。新居関所を訪ねたら、ここの共通入館券400円があると見学を勧められました。また、閉館時間がこちらの方が早いので、先に回ったのですが、入口を入ると、さっそくに写真の風景。中庭に向けて、部屋が続いています。二階への階段を上がると、ぐるりが部屋。相部屋とかもけっこうあったのでしょう。展示資料には、その際の心構えに触れたものがあったり、旅の情景が浮かぶようでした。

  • 名前の通り、紀州藩の御用宿だったようですが、当然、殿様は本陣ですから、ここは身分の低い家来集とか。うなぎの名物もあったようです。なお、昭和30年代半ばまで営業していたようですが、今でも、たまあに学校の生徒が体験で泊まることがあるとのことでした。

    名前の通り、紀州藩の御用宿だったようですが、当然、殿様は本陣ですから、ここは身分の低い家来集とか。うなぎの名物もあったようです。なお、昭和30年代半ばまで営業していたようですが、今でも、たまあに学校の生徒が体験で泊まることがあるとのことでした。

  • あと引き製菓は、新居関所の並びにある地元の名物「あとひき煎餅」のお店。あとをひくような旨さがあるので、そのままそれが名前になったというのです。<br /><br />

    あと引き製菓は、新居関所の並びにある地元の名物「あとひき煎餅」のお店。あとをひくような旨さがあるので、そのままそれが名前になったというのです。

  • しょうがにごま、ノリ。煎餅というとしょうゆ味で焼きの残ったパリパリを想像しますが、これは甘くて固い小麦のお菓子。350円の小袋も大きいような気がして、もっと小さいのありますかと尋ねたら、すぐ食べてしまいますよの答え。で、試食したら、これがびっくり。しょうがやごまノリの風味がそのままリアルにありました。確かに、食べ始めると止まらないおいしさがあります。<br />

    しょうがにごま、ノリ。煎餅というとしょうゆ味で焼きの残ったパリパリを想像しますが、これは甘くて固い小麦のお菓子。350円の小袋も大きいような気がして、もっと小さいのありますかと尋ねたら、すぐ食べてしまいますよの答え。で、試食したら、これがびっくり。しょうがやごまノリの風味がそのままリアルにありました。確かに、食べ始めると止まらないおいしさがあります。

  • 卯月園も旧東海道新居宿の和菓子屋さん。新居関所跡から歩いて数分。道路の同じ北側にあるので、この辺だろうとウロウロしましたが、見つからない。<br />申し訳ないのですが、小さな店舗で、前を通り過ぎても気がつきませんでした。

    卯月園も旧東海道新居宿の和菓子屋さん。新居関所跡から歩いて数分。道路の同じ北側にあるので、この辺だろうとウロウロしましたが、見つからない。
    申し訳ないのですが、小さな店舗で、前を通り過ぎても気がつきませんでした。

  • 名物は「うず巻」。小麦粉と黒砂糖、ふくらし粉を混ぜた生地を何層にも巻いたもの。なので、多分、切り口が渦巻き模様になっているので、この名前なのでしょう。ただ、食べた感じは、コンビニで売っている蒸しパンみたい。もっちりした味わいです。お菓子としては、珍しいかもしれませんが、食感としては馴染みがあります。 <br />なお、夕方近くにたずねたら、売り切れ。お店の方に、近くのスーパーに置いてあるので、そちらでどうぞ。と紹介されました。写真は、スーパーで撮ったものです。<br /><br />

    名物は「うず巻」。小麦粉と黒砂糖、ふくらし粉を混ぜた生地を何層にも巻いたもの。なので、多分、切り口が渦巻き模様になっているので、この名前なのでしょう。ただ、食べた感じは、コンビニで売っている蒸しパンみたい。もっちりした味わいです。お菓子としては、珍しいかもしれませんが、食感としては馴染みがあります。
    なお、夕方近くにたずねたら、売り切れ。お店の方に、近くのスーパーに置いてあるので、そちらでどうぞ。と紹介されました。写真は、スーパーで撮ったものです。

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この旅行記へのコメント (2)

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  • 鴨川の夕立!さん 2012/06/18 21:45:46
    投票御礼!
    たびたび様

    この度は、投票頂きありがとうございます。
    京都は、これから蒸し暑い夏を迎えます。
    貴殿の写真は、写す目的がしっかりして良いですね!
    最後に出てきた「うす巻」は
    友達のおみやげに頂いて食べたことがありますよ!
    今後ともよろしくお願いします。

             鴨川の夕立!

    たびたび

    たびたびさん からの返信 2012/06/28 15:12:59
    RE: 投票御礼!
    コンビニで売っている蒸しパンみたいな味でした。やっぱり、昔は銘菓であっても、今はおいしいものがたくさんあって、よほど進化をしないと生き残れません。
    最近、和菓子にはまっているのですが、昔のままといいつつも、やっぱり工夫が積み重ねられているんでしょう。後引き煎餅の方はそんな感じがしましたが、どうでしょうか。

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