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貫前神社(ぬきさき じんじゃ)は、群馬県富岡市に所在する上野國一之宮神社である。<br /><br /><br />該社は、日向國鵜戸神宮、及び、肥後國草部吉見神社と共に、参拝の為に石段を昇らず降る事で稀有の存在とされ、日本3大降り神社として著名である。<br /><br /><br />創建期に関し社伝に拠れば、該社は、毛野國碓氷郡鷺宮に於いて物部姓磯部氏が奉斎し、更に、安閑帝(あんかん てんのう)安閑元年(531年)3月15日に、現在地たる逢ケ丘綾女谷に祭祀奉斎創建とされ、兜、角等々を用い神事執行の神聖な場たる事が、発掘調査の際に該谷尻出土の斎龜胴片辺類に拠り実証されている、<br />更に、天武帝(てんむ てんのう)白鳳元年(661年)3月15日に該地遷座との記録を有し、社名 ヌキサキ とは和名類聚抄に ヌキノサ なる箇所に抜鉾貫前の地名が存在した史実が起源とされる。<br /><br /><br />該社、御祭神は、<br /><br />経津主神(ふつぬしのかみ)<br />比売大神(ひめおおかみ)<br /><br />の御2柱である。<br /><br /><br />創建初頭、勅使参向に依り祭事が施行され、更に國司赴任時に奉幣参拝一之宮として崇敬された記述が存在する。<br /><br /><br />第51代 平城帝(へいぜい てんのう)(宝亀5年(774年)9月25日〜弘仁15年(824年)8月5日)在任中たる大同元年(806年)に毛野國2戸の神封を下賜されたのが嚆矢として朝廷との関係が成立する。<br />更に、第54代 仁明帝(にんみょう てんのう)(弘仁元年(810)〜嘉祥3年(850年)5月4日)在位中に、該社に対し御神位を賜与され尊崇を示された。<br /><br />従五位下<br />承和6年(839年)6月<br />正五位下 勲八等<br />年代不詳(839年〜859年)<br />従四位下<br />貞観元年(859年)1月27日<br />従四位上<br />貞観9年(868年)6月<br />正四位下<br />貞観18年(876年)4月10日<br />正四位上<br />元慶2年(878年)10月4日<br />従三位 勲七等<br />元慶4年(880年)5月25日<br />正三位<br />寛平3年(891年)8月28日<br />従二位 名神大社<br />延喜16年(916年)1月28日<br />正一位 勲五等<br />永仁元年(1293年)以前<br /><br />因みに、神位昇進に就いて、従二位より、いきなり正一位に進位したとは考えにくい事であり、然して、此の間に於ける記録が滅失している為に現代に於いて該確認は困難だが、延喜16年から永仁元年に至る377年間中途に於いて、正二位、次いで、従一位と昇順位が在ったと観るのが順当であると推定される。<br /><br /><br />該社は古来より式年遷宮の存在で伊勢神宮と共に知られた存在だが、式年遷宮に関する最古の存在は萬寿2年(1025年)に、<br />前例ヲ以テ三拾年ヲ限ト為シ造替ス<br />なる記述資料が現存するが、然し、30年毎執行制では、造営建築物の朽廃が甚だしい為に、後に、7年毎執行制に改められたが、7年毎では改遷の都度、遷宮資金調達の点で困難が伴ふ事から、安土桃山時代たる天正年間(1573年〜1592年)に現行12年毎造替執行制が定着確立した。<br /><br /><br />平安時代晩期に朝廷勢力が衰退し、代りに鎌倉期となり、時代背景として、武家、及び、地方豪族が台頭した時代に於いて、此れらの勢力から格別の崇敬を受ける。<br /><br />藤原秀郷(ふじわらの ひでさと)(生没不詳・平安初期)<br />源 頼義(みなもとの よりよし)(永延2年(988年)〜承保2年(1075年)8月27日)<br />源 義家(みなもとの よしいえ)(長暦3年(1039年)〜嘉承元年1106年)8月4日)<br />新田義貞(にった よしさだ)(正安3年(1301年)?〜建武5年(1338年)8月17日)<br />足利尊氏(あしかが たかうじ)(嘉元3年(1305年)8月18日〜延文3年(1358年)6月7日)<br /><br /><br />文永の役(ぶんえいのえき)(文永11年(1274年)11月4日〜19日)で元高麗連合軍が我が国領土たる北九州一部地域侵攻に驚愕させられた鎌倉幕府、及び、朝廷は、元に対する戦勝祈願、及び、敵國降伏の為に、該社と共に、武蔵國氷川神社、伊豆國三島大社、駿河國富士浅間神社、若狭國若狭彦神社、美作國中山神社、及び、肥後國阿蘇神社に対し、該祈願一之宮として選定された。<br /><br /><br />徳川宗家は、崇敬と武威を天下に示す一環として全国の有力社寺修復に貢献したが、該社は朱印状に依り176石8斗が保障されたが、第3代将軍 徳川家光(とくがわ いえみつ)(慶長9年(1604年)8月12日〜慶安4年(1651年)6月8日)が、寛永12年(1635年)に大規模な造改築を実施し、更に、第5代将軍 徳川綱吉(とくがわ つなよし)(正保3年(1646年)2月23日〜宝永6年(1706年)2月19日)が腐朽修理を目的に元禄11年(1698年)に大修理を実施した。<br /><br />即ち、該神社は、江戸初期に於ける総漆塗精巧華麗な建造物群であり、江戸期初期に於ける駿河國駿府浅間神社→久能山東照宮→日光東照宮へと発展過程の建築美術であり、貫前造(ぬきさし つくり)と称する特異たる存在である。<br /><br /><br />第15代将軍 徳川慶喜(とくがわ よしのぶ)公(天保8年(1837年)10月28日〜大正2年(1913年)11月22日)が朝廷に対し版籍奉還され京都朝廷が新政府を樹立したのは慶應4年(1868年)6月16日であり、元号も明治と代わり王政復古の大号令が発せられた。<br /><br />明治新政府は該政治理念とされた平安期延喜式の原点に立ち戻るべく、 抜鉾 の神号を現在の 貫前 に変更を求められたのを嚆矢に、それ迄は神仏習合体で現在の東門が神宮寺正門だった事は該神社に対する鎮護たる存在だった事を証明するものであり、該神社は新政府に存在した一部狂信的一派に依る廃仏毀釈に拠り混迷させられる。<br /><br />該神社内の神宮寺は不要施設として看做され解体され、該寺所蔵仏像群は薪の代用品として大部分は焼毀され、残りは外国人商人にタダ同然で処分された。<br />経蔵保管の鎌倉期以降奉納の経巻群は、同年9月に、前触れも無く岩鼻縣在住の港屋弥六なる人物が突然来訪し、全経巻を搬出し高田川河畔に於いて焼却するの暴挙に出たが、此の港屋弥六、名前から判断して士族などでは無く、たかだか一介の町人、乃至はソレ以下の身分階層ふぜいであり、ナラズ者だった公算が高いが、単なる無学軽薄なお騒がせ屋な与太者が、新政府の仏教否定を歪曲解釈をカサに暴挙に出た混迷を極めた当時の時代世相が垣間見られる。<br />該経巻一式が現存しておれば国宝、若しくは、国指定重要文化財指定を受けたものと推定される。<br /><br />明治4年(1871年)7月1日 國幣中社指定<br /><br /><br />現在、平成25年(2013年)完成を目途に平成の大修理を実施。<br /><br /><br /><br />上野國一之宮 貫前神社(ぬきさき じんじゃ)<br />富岡市一ノ宮1535<br />?: 0274−62−2009<br />上信電鉄上州一ノ宮駅 徒歩12分<br />http://nukisaki.kazelog.jp/blog/<br />http://www.nukisaki.or.jp/keidai.htm

上野國一之宮 貫前神社参拝記

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2012/08/31 - 2012/08/31

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横浜臨海公園

横浜臨海公園さん

貫前神社(ぬきさき じんじゃ)は、群馬県富岡市に所在する上野國一之宮神社である。


該社は、日向國鵜戸神宮、及び、肥後國草部吉見神社と共に、参拝の為に石段を昇らず降る事で稀有の存在とされ、日本3大降り神社として著名である。


創建期に関し社伝に拠れば、該社は、毛野國碓氷郡鷺宮に於いて物部姓磯部氏が奉斎し、更に、安閑帝(あんかん てんのう)安閑元年(531年)3月15日に、現在地たる逢ケ丘綾女谷に祭祀奉斎創建とされ、兜、角等々を用い神事執行の神聖な場たる事が、発掘調査の際に該谷尻出土の斎龜胴片辺類に拠り実証されている、
更に、天武帝(てんむ てんのう)白鳳元年(661年)3月15日に該地遷座との記録を有し、社名 ヌキサキ とは和名類聚抄に ヌキノサ なる箇所に抜鉾貫前の地名が存在した史実が起源とされる。


該社、御祭神は、

経津主神(ふつぬしのかみ)
比売大神(ひめおおかみ)

の御2柱である。


創建初頭、勅使参向に依り祭事が施行され、更に國司赴任時に奉幣参拝一之宮として崇敬された記述が存在する。


第51代 平城帝(へいぜい てんのう)(宝亀5年(774年)9月25日〜弘仁15年(824年)8月5日)在任中たる大同元年(806年)に毛野國2戸の神封を下賜されたのが嚆矢として朝廷との関係が成立する。
更に、第54代 仁明帝(にんみょう てんのう)(弘仁元年(810)〜嘉祥3年(850年)5月4日)在位中に、該社に対し御神位を賜与され尊崇を示された。

従五位下
承和6年(839年)6月
正五位下 勲八等
年代不詳(839年〜859年)
従四位下
貞観元年(859年)1月27日
従四位上
貞観9年(868年)6月
正四位下
貞観18年(876年)4月10日
正四位上
元慶2年(878年)10月4日
従三位 勲七等
元慶4年(880年)5月25日
正三位
寛平3年(891年)8月28日
従二位 名神大社
延喜16年(916年)1月28日
正一位 勲五等
永仁元年(1293年)以前

因みに、神位昇進に就いて、従二位より、いきなり正一位に進位したとは考えにくい事であり、然して、此の間に於ける記録が滅失している為に現代に於いて該確認は困難だが、延喜16年から永仁元年に至る377年間中途に於いて、正二位、次いで、従一位と昇順位が在ったと観るのが順当であると推定される。


該社は古来より式年遷宮の存在で伊勢神宮と共に知られた存在だが、式年遷宮に関する最古の存在は萬寿2年(1025年)に、
前例ヲ以テ三拾年ヲ限ト為シ造替ス
なる記述資料が現存するが、然し、30年毎執行制では、造営建築物の朽廃が甚だしい為に、後に、7年毎執行制に改められたが、7年毎では改遷の都度、遷宮資金調達の点で困難が伴ふ事から、安土桃山時代たる天正年間(1573年〜1592年)に現行12年毎造替執行制が定着確立した。


平安時代晩期に朝廷勢力が衰退し、代りに鎌倉期となり、時代背景として、武家、及び、地方豪族が台頭した時代に於いて、此れらの勢力から格別の崇敬を受ける。

藤原秀郷(ふじわらの ひでさと)(生没不詳・平安初期)
源 頼義(みなもとの よりよし)(永延2年(988年)〜承保2年(1075年)8月27日)
源 義家(みなもとの よしいえ)(長暦3年(1039年)〜嘉承元年1106年)8月4日)
新田義貞(にった よしさだ)(正安3年(1301年)?〜建武5年(1338年)8月17日)
足利尊氏(あしかが たかうじ)(嘉元3年(1305年)8月18日〜延文3年(1358年)6月7日)


文永の役(ぶんえいのえき)(文永11年(1274年)11月4日〜19日)で元高麗連合軍が我が国領土たる北九州一部地域侵攻に驚愕させられた鎌倉幕府、及び、朝廷は、元に対する戦勝祈願、及び、敵國降伏の為に、該社と共に、武蔵國氷川神社、伊豆國三島大社、駿河國富士浅間神社、若狭國若狭彦神社、美作國中山神社、及び、肥後國阿蘇神社に対し、該祈願一之宮として選定された。


徳川宗家は、崇敬と武威を天下に示す一環として全国の有力社寺修復に貢献したが、該社は朱印状に依り176石8斗が保障されたが、第3代将軍 徳川家光(とくがわ いえみつ)(慶長9年(1604年)8月12日〜慶安4年(1651年)6月8日)が、寛永12年(1635年)に大規模な造改築を実施し、更に、第5代将軍 徳川綱吉(とくがわ つなよし)(正保3年(1646年)2月23日〜宝永6年(1706年)2月19日)が腐朽修理を目的に元禄11年(1698年)に大修理を実施した。

即ち、該神社は、江戸初期に於ける総漆塗精巧華麗な建造物群であり、江戸期初期に於ける駿河國駿府浅間神社→久能山東照宮→日光東照宮へと発展過程の建築美術であり、貫前造(ぬきさし つくり)と称する特異たる存在である。


第15代将軍 徳川慶喜(とくがわ よしのぶ)公(天保8年(1837年)10月28日〜大正2年(1913年)11月22日)が朝廷に対し版籍奉還され京都朝廷が新政府を樹立したのは慶應4年(1868年)6月16日であり、元号も明治と代わり王政復古の大号令が発せられた。

明治新政府は該政治理念とされた平安期延喜式の原点に立ち戻るべく、 抜鉾 の神号を現在の 貫前 に変更を求められたのを嚆矢に、それ迄は神仏習合体で現在の東門が神宮寺正門だった事は該神社に対する鎮護たる存在だった事を証明するものであり、該神社は新政府に存在した一部狂信的一派に依る廃仏毀釈に拠り混迷させられる。

該神社内の神宮寺は不要施設として看做され解体され、該寺所蔵仏像群は薪の代用品として大部分は焼毀され、残りは外国人商人にタダ同然で処分された。
経蔵保管の鎌倉期以降奉納の経巻群は、同年9月に、前触れも無く岩鼻縣在住の港屋弥六なる人物が突然来訪し、全経巻を搬出し高田川河畔に於いて焼却するの暴挙に出たが、此の港屋弥六、名前から判断して士族などでは無く、たかだか一介の町人、乃至はソレ以下の身分階層ふぜいであり、ナラズ者だった公算が高いが、単なる無学軽薄なお騒がせ屋な与太者が、新政府の仏教否定を歪曲解釈をカサに暴挙に出た混迷を極めた当時の時代世相が垣間見られる。
該経巻一式が現存しておれば国宝、若しくは、国指定重要文化財指定を受けたものと推定される。

明治4年(1871年)7月1日 國幣中社指定


現在、平成25年(2013年)完成を目途に平成の大修理を実施。



上野國一之宮 貫前神社(ぬきさき じんじゃ)
富岡市一ノ宮1535
?: 0274−62−2009
上信電鉄上州一ノ宮駅 徒歩12分
http://nukisaki.kazelog.jp/blog/
http://www.nukisaki.or.jp/keidai.htm

同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円 - 3万円
交通手段
JRローカル 私鉄 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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この旅行記へのコメント (10)

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  • ろこままさん 2014/12/15 02:11:02
    ありがとうございます。
    横浜臨海公園さん、こんばんは。

    いつも旅行記を見ていただきまして、投票までしていただき、ありがとうございます。

    励みとさせていただいてます。

    今日は、貫前神社を拝読させていただきました。

    歴史のある落ち着いた雰囲気が漂います。
    下り参道も珍しく、興味深いです。

    ゆっくりと参拝できそうですね。

    横浜臨海公園さん、今年も残すとこ僅かとなりました。。。
    またまた、寒波到来ですが、ご自愛くださいまして。。。
    年末、新年をお過ごしくださいますように。。。

    ありがとうございました。
    。。ろこまま。。

    横浜臨海公園

    横浜臨海公園さん からの返信 2014/12/29 15:31:43
    拝復
    ろこままさま、こんにちは。


    掲示板にメッセージを賜りながら、年末の多忙にかまけて返事を差し上げる事が遅くなりまして、誠に申し訳ございませんでした。

    貫前神社は近接の富岡製糸工場が世界遺産登録をされた事で、観光客が流れて来るかと地元でも期待をしていた様子でしたが、現実には富岡に団体バスで訪れた観光客は、下仁田や小幡をも含め、訪れる事も無く近隣地には目もくれず、以前と同じ静かな佇まいを維持しおります。

    来年も亦何卒宜敷くお願い申します。




    横浜臨海公園

  • わんぱく大将さん 2012/10/17 05:34:01
    階段が急?
    横浜臨海公園さん

    お久しぶりです。 ご無沙汰してすみません。

    この旅行記の中の階段、えらく急にみえたのですが、撮り方でしょうかね?

     大将

    横浜臨海公園

    横浜臨海公園さん からの返信 2012/10/17 12:07:20
    拝復
    大将さま、こんにちは。


    メッセージを賜りまして誠に有難うございました。

    該ショットは、カメラを路面近くから撮影したものですが、小生の私見では、地方などに存在する鎮守様の階段の方がはるかに急だとお思います。



    横浜臨海公園
  • ムロろ~んさん 2012/10/08 17:17:41
    懐かしいです。
    横浜臨海公園様

    ムロろ〜んです。
    この度は富山旅行記や口コミ情報をご覧下さいましてありがとうございます。
    旅行記もまだ書いておりますので今しばらくお待ち下さい。

    実は私が学生時代に友人と二人でレンタカーを借りて行ったことがあります。秋でしたが、本当に静かで落ち着いた雰囲気の中でお参りさせて頂いたことを思い出しました。

    中が広くて色々と周ったことなど、懐かしさを感じながら拝見しました。


    ムロろ〜ん(-人-)

    横浜臨海公園

    横浜臨海公園さん からの返信 2012/10/09 12:42:44
    拝復
    ムロろ〜んさま、こんにちは。


    メッセージを賜りまして誠に有難うございました。
    既設柄だったのでしょうか、貫前神社境内は蝉時雨の大合唱以外に聞こえるものは無く、本当に閑散とした状態で、落ち着いて観賞する事が出来たのは望外のでした。

    次作旅行記を楽しみにしております。



    横浜臨海公園
  • naniwa ladyさん 2012/09/14 08:28:04
    おはようございます。8(*^o^*)8naniwa 
    いつもいつも旅行記をアップしたら、まっ先に駆けつけていただき、ご投票有難うございます。
    横浜臨海公園さんの旅行記はいつも、本当にいつも懇切丁寧な説明文で、頭が下がるというよりもひれ伏したい気持ちです。
    神様って難しい。古事記の解説書をちょっと読んだのですが、とってもわかりやすく書かれているにもかかわらず、あの神様の難しい名前はなかなか頭に入ってくれません。
    でもいつも困ったときは、神様、お願いしますって神頼みのバチあたりです。
    もうじき、60万アクセス、さもありなん、さすがです。

    横浜臨海公園

    横浜臨海公園さん からの返信 2012/09/16 12:00:47
    拝復
    naniwa ladyさま、こんにちは。


    メッセージを賜りながら返事を差し上げるのが遅くなりまして誠に申し訳ございませんでした。

    > 横浜臨海公園さんの旅行記はいつも、本当にいつも懇切丁寧な説明文で、頭が下がるというよりもひれ伏したい気持ちです。
    →過剰に過ぎるお褒めのお言葉、赤面の至りでございます。

    > 神様って難しい。古事記の解説書をちょっと読んだのですが、とってもわかりやすく書かれているにもかかわらず、あの神様の難しい名前はなかなか頭に入ってくれません。
    > でもいつも困ったときは、神様、お願いしますって神頼みのバチあたりです。
    →はい。どんな無神論者であっても福の神だけは別格扱いしている様です。



    横浜臨海公園
  • 近鉄バッファローズさん 2012/09/05 19:29:00
    拝見致しました
    横浜臨海公園さん、こんばんは。
    近鉄バッファローズです。

    貴旅行記「上野國一之宮 貫前神社参拝記 」の方、早速拝見致しました。
    いつもの通り、大変詳細な資料には感服するほかありません。
    また、一般人が立ち入ることが出来ないような所に、
    ここでも入られているのが、やはり私などには真似できません。
    私の旅行記などは、旅行記の「旅」にも値しないです。

    六十六ヶ国全てに一の宮があるのだと思いますが、
    世間で名の通っている神社ではないこともあるのですね。
    上野国の一の宮の名前は存じ上げませんでした。

    しかし、一の宮はやはり由緒ある神社ですね。
    式年遷宮もあるのは、古い証拠ですよね。
    勅額の鳥居があったり、徳川将軍の建てた本殿や門があったりと。

    ただ、ひとつ、最初の紹介文の中で
    御祭神が「御三柱」とありますが、御二柱しか見当たらないので、
    修正されるよう、御願い申し上げます。

    また、旅行記の方、拝見させて頂きます。

    横浜臨海公園

    横浜臨海公園さん からの返信 2012/09/08 07:35:05
    拝復
    近鉄バッファローズさま、おはようございます。


    メッセージを賜りながら返事を差し上げるのが遅くなりまして誠に申し訳ございませんでした。

    > 貴旅行記「上野國一之宮 貫前神社参拝記 」の方、早速拝見致しました。
    > いつもの通り、大変詳細な資料には感服するほかありません。
    →今回の旅行記を作成するにあたり資料収集で約2年かかりました。

    > また、一般人が立ち入ることが出来ないような所に、
    > ここでも入られているのが、やはり私などには真似できません。
    →拙稿、厳島神社や出雲大社の旅行記で、やはり一般人が立入禁止箇所で撮影したショットがございますが、全て神社庁から紹介を頂きまして、現地の神職の方が案内方々境内を廻った際のもので、中には公開を遠慮した写真もございます。

    > 六十六ヶ国全てに一の宮があるのだと思いますが、
    > 世間で名の通っている神社ではないこともあるのですね。
    > 上野国の一の宮の名前は存じ上げませんでした。
    >
    > しかし、一の宮はやはり由緒ある神社ですね。
    > 式年遷宮もあるのは、古い証拠ですよね。
    > 勅額の鳥居があったり、徳川将軍の建てた本殿や門があったりと。
    >
    > ただ、ひとつ、最初の紹介文の中で
    > 御祭神が「御三柱」とありますが、御二柱しか見当たらないので、
    > 修正されるよう、御願い申し上げます。
    →迂闊でございました。
    本文を精査致しまして相違点は修正させて頂きました。
    ご指摘有難うございました。



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