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伊万里では1600年頃から今で言う「古伊万里焼」の陶器が焼かれ、遠くヨーロッパまで輸出されていたそうです。鍋島藩主が、「京や江戸では茶会が人気で、茶器は渡来物がほとんどだから、鍋島藩でも同じようなものを作って幕府に献上してはどうか?」ということで、力を入れはじめ、藩直営の窯を山奥の大川内山に置きました。<br /><br />幕府や藩主への献上物なので、確かな品質、高度な技術をキープするため役所や関所をもうけて陶工達を管理したそうです。 <br /><br />廃藩置県にともない、鍋島藩御用窯は解散となり民窯として生き残った34の窯元が今でもあります。<br />

伊万里市大川内山 鍋島藩窯跡

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2012/03/30 - 2012/03/30

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カピ

カピさん

伊万里では1600年頃から今で言う「古伊万里焼」の陶器が焼かれ、遠くヨーロッパまで輸出されていたそうです。鍋島藩主が、「京や江戸では茶会が人気で、茶器は渡来物がほとんどだから、鍋島藩でも同じようなものを作って幕府に献上してはどうか?」ということで、力を入れはじめ、藩直営の窯を山奥の大川内山に置きました。

幕府や藩主への献上物なので、確かな品質、高度な技術をキープするため役所や関所をもうけて陶工達を管理したそうです。 

廃藩置県にともない、鍋島藩御用窯は解散となり民窯として生き残った34の窯元が今でもあります。

同行者
家族旅行
交通手段
自家用車

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  • 伊万里焼で出来たモザイク橋。歴史としては金に赤が特徴の「古伊万里」、鍋島藩により、幕府や朝廷へ献上の為に作られた「鍋島」、廃藩置県後、鍋島の技法を受け継ぎながら、新しさも取り入れた「現在伊万里」と流れています。

    伊万里焼で出来たモザイク橋。歴史としては金に赤が特徴の「古伊万里」、鍋島藩により、幕府や朝廷へ献上の為に作られた「鍋島」、廃藩置県後、鍋島の技法を受け継ぎながら、新しさも取り入れた「現在伊万里」と流れています。

  • 鍋島焼から流れている現在の伊万里焼きの特徴は、①色鍋島は白磁で焼いた後、赤、緑、黄で色付けして、再度焼く陶磁器の最高峰と言われるもの。②鍋島染付は白磁に藍色。③鍋島青磁は大川内山で産出される青磁原石をつかったもの

    鍋島焼から流れている現在の伊万里焼きの特徴は、①色鍋島は白磁で焼いた後、赤、緑、黄で色付けして、再度焼く陶磁器の最高峰と言われるもの。②鍋島染付は白磁に藍色。③鍋島青磁は大川内山で産出される青磁原石をつかったもの

  • 伊万里焼の地図。

    伊万里焼の地図。

  • 1683年にたてられた、藩窯の管理運営人 副部杢兵衛が先祖の供養のためにたてた、供養塔の杢兵衛目塔(もくべいもくとう)。

    1683年にたてられた、藩窯の管理運営人 副部杢兵衛が先祖の供養のためにたてた、供養塔の杢兵衛目塔(もくべいもくとう)。

  • 清正公堂の横の巨大銀杏の木。樹齢250年を超えるそうで、藩窯を描いた皿には、この銀杏の木も描かれているそうです。

    清正公堂の横の巨大銀杏の木。樹齢250年を超えるそうで、藩窯を描いた皿には、この銀杏の木も描かれているそうです。

  • 清正公堂。18世紀中頃、鍋島藩御用窯の陶工達の中の熱心な日蓮宗の信者が同じく、日蓮宗の信者だった加藤清正公をお祀りしたお寺を建立したそうで、藩窯出入りの際には祈祷所となり、現在は大川内山の日蓮宗信者の聖地となっているそうです。

    清正公堂。18世紀中頃、鍋島藩御用窯の陶工達の中の熱心な日蓮宗の信者が同じく、日蓮宗の信者だった加藤清正公をお祀りしたお寺を建立したそうで、藩窯出入りの際には祈祷所となり、現在は大川内山の日蓮宗信者の聖地となっているそうです。

  • 銀杏の木と清正公堂、その周りの緑のあたりは昔は鍋島藩御用窯の管理・運営する人の家があったそうです。

    銀杏の木と清正公堂、その周りの緑のあたりは昔は鍋島藩御用窯の管理・運営する人の家があったそうです。

  • 旧関所跡の石碑。鍋島焼の独特の色、秘技を守る為に、関所が設けられたそうです。その為、一生を当地ですごす陶工も多く、たくさんの無縁仏を祀る、陶工無縁塔もあります。

    旧関所跡の石碑。鍋島焼の独特の色、秘技を守る為に、関所が設けられたそうです。その為、一生を当地ですごす陶工も多く、たくさんの無縁仏を祀る、陶工無縁塔もあります。

  • 権現岳神社。弓の名手で史上初切腹で自害したので有名な源為朝(義朝の腹違いの弟)が、鎮西の名目で九州にいたときに、佐賀県の黒髪山の大蛇退治の時にイザナギノミコトとイザナミノミコトを祀ったのが始まりだそうです。<br /><br />岩壁の中に御神殿があったり、岩壁に数多くの石殿があります。

    権現岳神社。弓の名手で史上初切腹で自害したので有名な源為朝(義朝の腹違いの弟)が、鎮西の名目で九州にいたときに、佐賀県の黒髪山の大蛇退治の時にイザナギノミコトとイザナミノミコトを祀ったのが始まりだそうです。

    岩壁の中に御神殿があったり、岩壁に数多くの石殿があります。

  • 後ろにうつっているのが、のど地蔵様。

    後ろにうつっているのが、のど地蔵様。

  • 権現岳神社へ向う道。

    権現岳神社へ向う道。

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