2012/05/14 - 2012/05/14
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Weiwojingさん
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長いこと訪れてみてみたいと思っていた修学院離宮を今回見学する機会を得ることが出来ました。事前にハガキなりインターネットなりで申し込みをしなければなりません。申し込みをしたところ、希望していた日の見学は申し込みが多くて不可との連絡がありました。せっかく見学したと思っていたのに残念でしたが、他の日ならば可能かもしれないと教えていただき、直接京都御所内にある宮内庁の事務所に行ってみました。別な希望日を伝えたところ、その日は大丈夫とのことで、早速申し込み手続きをしました。
以前桂離宮を見学したことがありますが、桂離宮は自然に人の手が加わって造営されたという感をしましたが、修学院離宮は自然に手を加えず、自然をそのまま取り入れたという印象を受けました。
修学院離宮は10世紀後半ここに修学院という寺が建立されたのが始まりで、南北朝時代以後この寺は廃絶したが、地名はそのまま残りました。
離宮は明暦元年から2年(1655~1656年)にかけて後水尾上皇によって造営工事が行われ、万治2年(1659年)に完成しました。離宮の造営より早く上皇の第一皇女梅宮ガ得度して、現在の中離宮付近の円照寺に草庵を結んでいましたが、早くから別荘としての適地を探していた上皇は円照寺を大和の八嶋に移し、上と下の二つから成る離宮を建設しました。中の離宮は創建当時の山荘にはなかったものですが、上皇の第八皇女光子内親王のために建てられた朱宮御所に東福門院(後水尾上皇の皇后、将軍徳川秀忠の娘和子)亡き後の女院御所の建物を一部移築拡張しました。
上皇崩御の後、光子内親王は落飾得度して、これを林丘寺とし、明治18年(1885年)林丘寺門跡から楽只軒と客殿がとともに宮内庁に返還され、離宮に編入されました。昭和39年(1964年)3つの離宮の間に広がる8万㎡の水田畑地を景観保護の目的で買い上げ、附属農地としました。
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「京都を訪ねて」の他の旅行記もご覧ください。見ていただけると、幸甚に存じます。
■ 「春の京都を訪ねて ① ー 京都大学と京都同志社女子大学で武田五一による歴史的建造物を見る」
http://www.4travel.jp/traveler/srilanka/album/10670962/
■ 「春の京都を訪ねて ② ー 明治の洋館「長楽館」で優雅なランチを」
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■ 「春の京都を訪ねて ③ ー 古き、良き時代のカフェめぐり」
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http://www.4travel.jp/traveler/srilanka/album/10676109/
■ 「春の京都を訪ねて ⑥ ー 古都の街歩きを楽しむ」
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修宅院離宮は広大な敷地に点在するかのように3つの離宮(下離宮、中離宮、上離宮)から成り立っています。見学するには2時間ほどかけて、宮内庁の職員の案内で見て回ります。見学は先ず御幸門から下離宮に入ります。
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中離宮は表門を持っています。ここを入って、幅広な石段を左に右に折れながら上がると、中門があります。
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この門が中門で、明治18年(1885年)に林丘寺門跡から境内の半分と客殿、楽只軒が宮内庁に返還されたのを機に、修学院離宮の中離宮として整備された折に作られました。
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木立の中に「楽只軒」の建物が見えてきました。瓦葺きの裾にこけら葺きを足した屋根が見え、南側は庭に面して縁があります。
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楽只軒は六室から成り、修学院離宮の建物としては古い方に属します。林丘寺二代普光院宮が25歳の時に疱瘡にかかり、治癒祈願の護摩を何日も焚き続けたためと伝えられている煤で室内は黒ずんでいましたが、近年の修理でかなりきれになりました。
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中離宮から上離宮へ移動するのに、このような松並木(御馬車道)のある道を通って行きます。
もともとは畦道程度の道幅でしたが、明治天皇の行幸に際して三つの離宮は松並木の道で結ばれ、馬車が通えるほどの苑路に拡げられました。そのため松並木の苑路は御馬車道とも言われる所以です。 -
松並木の左右には長閑な田畑が広がり、ここが修学院離宮の中だとは到底思えません。
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各離宮の間には広大な水田や畑が8万?に及ぶほどに展開していますが、これらの土地は景観保護のために1964年(昭和39)国が買い上げて、付属農地としたものです。
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ここが離宮だとは思えないような長閑な農村風景が広がっています。
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「上離宮御幸門」です。ここから上離宮に入ります。
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「浴龍池」
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「隣雲亭」から見た「浴龍池」です。
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「隣雲亭」から遠くに見えるのは京都の市街地です。
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「千歳橋」
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この時期、新緑が大変鮮やかで、美しいです。
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「窮邃亭」の内部です。
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赤く紅葉した木が見えますね。この時期、新緑に映えた光景に赤い色のアクセントを添えて、不思議な世界を作りだしています。
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遠くに「楓橋」が見えます。
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上離宮から下離宮に戻る際、田植えが行われているところがあります。このようなところは元々民間地だったところで、開発を防ぎ、景観保護のために国が買い取った土地です。近隣の農家の方々に委託しているそうです。
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こちらでは野菜の栽培が行われています。
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