2012/04/15 - 2012/04/16
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pedaruさん
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堀辰雄といえば、高校の国語の教科書で読んだ「浄瑠璃寺の春」が印象深い。馬酔木と突然目にした三重塔の記述が忘れられない。
この春、僕はまえから一種の憧れをもっていた馬酔木(あしび)の花を大和路のいたるところで見ることができた。そのなかでも一番印象深かったのは、奈良に着いたすぐそのあくる朝、途中の山道にに咲いていた蒲公英(たんぽぽ)や薺(なずな)のやうな花にもひとりでに目がとまった。なんとなく懐かしいような旅びとらしい気分で、二時間あまりも歩きつづけたのち、漸っとたどりついた浄瑠璃寺の小さな門のかたわらに、丁度いまをさかりとさいていた一本の馬酔木をふと見いだしたときだった。・・・・・
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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追分宿まで来ると、工事中で先へは行けませんという表示があったが、工事の人に聞くと、堀辰雄記念館までは行けます、ということで、前の駐車場に車を駐めて門をくぐる。
この門はどこかの武家門で、移築したものだという。 -
建物までの長いアプローチが期待を膨らませる。
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何がしかの入館料を払って中に入ると、木造の落ち着いた雰囲気の展示場があった。
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「婦人公論」に掲載の初出の小品 昭和十八年。
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展示の大部分は、堀辰雄から夫人に宛てた手紙類。
これは「大和の村々は全然見てないので、四、五日はとまろうかと思ふ、どうだ一つ、お前も五十円くらいもってやってこないか・・・」というはがきだ。 -
滞在先の奈良ホテルから夫人にに宛てたもの。
「いま手紙二通、お菓子、及ジイドの本受け取った、有難う、おまえのわびしそうな手紙をみたら急に東京へ帰りたくなった、でも僕は仕事をして行かなくては。・・・・」 -
昭和十六年 10月二十四日金曜夕
「きのふあれから法隆寺へいって一時間ばかり壁画を見て過ごした、これまでにも何度もも見たがいつも暗くてはっきり見えなかったが、こんどは模写をしている絵描きさんと・・・・」 -
「郵便屋さんへ
受け箱に入らない小包がありましたら油屋旅館
お預け下さい
堀 多恵 」 -
堀辰雄遺愛品
名刺入れ、名刺、インク壷、住所録 -
パスチル ベルダ(のどの薬)、ゲルベゾルテ(ドイツのたばこ)双眼鏡、財布
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十六日朝、けふは雨ちょっと部屋から小さい中庭を寫生してみたが、・・・
東京市杉並区成宗一の六十七
堀 多恵子様 -
おまへの手紙読んだ、鎌倉へは往ったか、僕は土曜日あたりこちらを立ってどこか途中で一泊でもしながら歸らうかと思ふ、ゆうべはまた中市君につれられて鹿ヶ谷の料理屋にいき、鯛づくめのご馳走をたべ、それから祇園ににいって舞妓はんをちょっと見た・・・・
などと奥さんを放って、勝手なことをしている。 -
ここで晴耕雨読の日々を過ごした。
床の間の掛け軸は、川端康成から新築祝いに贈られた自筆の書である。
「雨過山如洗」とある。 -
女優 高峰三枝子さんから贈られた籐椅子。
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書庫を作ることを希望していたが、完成を見ることなく亡くたった。
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別棟に別の展示室がある。
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シーズンオフのためか訪れる人は、他にいない。
関連のパネルや書籍が展示してある。 -
高台に位置し環境はすこぶる良い。
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室生犀星や芥川龍之介と知遇を得、大正14年東京帝国大学に入学する。
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学生時代の写真など
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僕、結婚してもう一年半になりますが、始終旅先きでばかり暮らしているせいか、なんだかまだ結婚したばかりのやうな氣もちで、なかなか落ちつけませんでした。これかれは・・・・
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「風立ちぬ」
それらの夏の日々、一面に薄の生碑茂った草原の中で、お前が立ったまま熱心に繪を描いていると、私はいつもその傍らの一本の白樺の木陰に身を横たへていたものだった。 -
軽井沢で知り合った矢野綾子と婚約するが、翌年富士見高原療養所にて綾子死去する。
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東京市外砧村喜多見成城九七八
矢野 綾子様
きのふこっちへ来ました 君はもう着ているのかと思ったらまだ来ていないんですね 室生さんはもう来ています 霧のやうな雨がふっていて寒いくらいだ 早く来ませんか 僕は二十三日頃までこちらにいます -
愛用した品々、ラジオ、ステッキ、センスのいいセーターやマフラーなど
二階の展示室にて -
芥川龍之介から贈られた自筆の書、
「野茨に からまる はぎの さかり哉
龍之介」 -
堀辰雄の書
「春の大和に往って 馬酔木の花ざかりを見ようとして途中 木曽路をまは
て来たら思いがけず雪がふっていた」
昭和十八年、夫人と奈良を旅する途中、一泊した木曽福島のつたや旅館の主
人に請われて書いたものである。 -
追分宿資料館によってみた。
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道標のレプリカやかごの複製など
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行灯や家具、蝋燭立て
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怖いお顔の雛人形
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当時使われていた刀掛け、矢立、湯のみ、弁当箱、竿秤など
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高枕、手燭台、本陣の看板など
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高札
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追分節発祥の地の石碑
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その近くに松尾芭蕉の句碑もあった。
「吹き飛ばす 石も浅間の 野分哉」
寛政五年、佐久の俳人らによって 建立されたという。 -
群馬三山の一つ 妙義山を見ながら帰途に着く。
今回はたった二日間だったが、いろいろなところを見ることが出来て充実
した旅だった。
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この旅行記へのコメント (13)
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- ねんきん老人さん 2023/05/06 11:19:27
- 堀辰雄・・・無縁の存在です。
- pedaru さん、おはようございます。 2012年のご旅行記、拝読しました。
実はタイトルの「堀辰雄記念館」という字を見ても、それがどこに在るのか見当もつきませんでしたし、さして興味も湧きませんでした。 それなのになぜ拝読したかというと、高校時代の国語の先生が堀辰雄の信奉者で、うんざりするほど堀辰雄の名前を聞いていたのです。 私自身は無理やり読まされて、多分数冊を一応読んだとは思うのですが、内容はまったく覚えていません。 もちろん当時も理解していなかったことは言うまでもありません。
今回 pedaru さんの詳しい見聞から堀辰雄という人の日常を垣間見ることができ、その、よく言えばマイペース、悪く言えば能天気な過ごし方がちょっとだけ見えてきました。 昔の作家というのはどうして皆、家族(妻)をほったらかしにしていられたのかと、変な所に思いがいたりました。 それでいて妻に歯の浮くような手紙を書いているのも同じですね。
「浄瑠璃寺の春」は、高校の先生に再三勧められたことだけは覚えていますが、私自身は一度も読んでいません。 馬酔木のことが出てくるのですか? そして pedaru さんも馬酔木に一種の憧れを抱いていらっしゃったとのこと。 へー、と思って今、庭にある馬酔木を見に行ってきました。 盛りを過ぎてはいましたが、まだ花も残っています。 でも感想はそれだけで、pedaru さんのように深い感慨を覚えるということもなく、いたって散文的な確認だけで終わっています。
つまるところ、文学的な感性もなく、名著に取り組む努力もせず、薄っぺらな人生を歩んできただけの自分にいまさらながらため息をついただけで終わりました。
残念ですし、悔しいので、あらさがしを一件。 pedaru さんが記念館で見た矢野綾子宛の葉書を紹介してくださっている文の中で、「君はもう着ているのかと思ったら」とあるのは「来ている」の誤変換だと思います。
せっかくのご旅行記に頓珍漢なことしか書けず申し訳ありません。 無学にして死にぞこないの老人ゆえ、なにとぞのご寛恕を・・・。
ねんきん老人
- pedaruさん からの返信 2023/05/08 05:00:53
- RE: 堀辰雄・・・無縁の存在です。
ねんきん老人さん おはようございます。
ねんきんさん あなたは正直な人だと思ってきましたが、はなはだこの考えは間違っているような気がしてきました。
これだけの文才がありながら文学的な感性がないとか、素養がないとか言っているところをみると人を信じられなくなりました。
私は読書など知的な生活とは言えないお金だけを求めてきた人間ですから、文学も芸術も教養といわれるものには縁遠いのです。お金だけを求めてきた、と言えばそれじゃぁ 相当お金を貯めこんだかと誤解されそうですが、生活するだけのお金を求めて来ただけです。
年金だけで生活をできない国民年金では、パンを求めるしかなかったのです。人はパンのみに生きるにあらず、といいますが、私は米や麺類も求めています。こんな人間を文学的な感性があるというのは妄想です。
いつも誤変換のご指摘ありがとうございます。しかし、安易に誤字を訂正すると、旅行記の序列が最初に並べられて、読者を混乱に導きます。今回はこのままにしておこうかな、と思っております。
>「君はもう着ているのかと思ったら」とあるのは「来ている」の誤変換だと思います。
私は卑猥なことを妄想する癖のある人間ですので、この手紙の「君はもう着ているのかと思ったら」という文には「まだ裸でいるんだね」と続くのではないかと、名声を得た文学者にあるまじき、セクハラの一端を垣間見た思い出いでいるのです。
思わず気を許して本心を披露していまいました。こちらこそお許しください。
ああ、これでフォローの女性群の何人かには、見捨てられるのでしょうね。「pedaruさんて、そんな人だったのね」なんてね。
pedaru
-
- しにあの旅人さん 2021/03/25 06:44:40
- おはようございます
- ナントカ宣言も解除されたので、5月にまたしつこく奈良旅を入れました。今度は大人しく寺社まわりもするつもりで、ガイドブックは堀辰雄の「信濃路」 先達のお仕事をあたっていたら、堀辰雄つながりここに辿り着きました。
追分の旧居前までは、私メ19歳のころ行ったことがあります。1965年ということです。旧居はまだ公開されていなくて、多恵子夫人が住んでいたと思います。近くに別荘がある友人がいて、夫人は毎日その辺を散歩していたよ、と言っていました。堀辰雄夫人といいうことで、大変な美人で後光がさしているか、そんなことはなくて普通のおばさんだったそうです。
旧居にベランダはありましたか。ある朝、ベランダに出たら、角川原義(この字かな?)が寝ていたと、どこかに書いてあった。堀辰雄の日記か、多恵子夫人「堀辰雄の思い出」か忘れました。
堀辰雄の本を出していた角川書店の角川原義(願義はこの字かな)です。夜行で信濃追分にきて、起こすのが気の毒でベランダで寝ていたとか。
あの角川兄弟の親父さんですよね、本人も立派な学者だそうですが、謙虚な人だったのですね。角川書店は、元々堀辰雄の本を出すために作った本屋だと聞いたことがある。
入り口の門はあったかな。
近くの旅館、油屋は当時まだ営業していて、1泊してきました。堀辰雄や立原道造によく出てくる旅館です。うーん、普通の旅館でした。
残念ながら写真はなし、あれば、貴重な旅ブログが書けたのに。残念無念、たしかカメラを持っていなかった。
追分の分去れの石碑は、ヤマトタケルの家路の時に行ってきて、強引にブログに載せました。あの時に記念館によればよかったと思います。
- pedaruさん からの返信 2021/03/26 06:42:20
- RE: おはようございます
しにあの旅人さん おはようございます。
お若いころの経験、堀辰雄の住まいをご覧になったとのこと、まだ夫人は住んでおられたのですね。一目見られたら歴史の目撃者になったものを・・・って、堀辰雄自身ではないので、単なる話題ですね。
歴史上の人物といえば、16歳の時東北地方を友と二人で旅行した時、今の野口英世記念館を訪れましたが、このとき英世のお姉さんが存命で、そばで他の旅行者が、お兄さんのことを聞いていました。ただの農家のお婆さんでしたがね。
堀辰雄記念館の展示物の手紙などを見ると、作家はわがままな職業で、自分だけ古都の見物をして、あと四、五日は見物してから帰る、などと言っていますね。
こんなことは妻には言えません、どんな報いを受けるか分かりません。
油屋旅館に泊まられたのですね、貴重な経験です。私は昔、津軽の斜陽館に泊まるつもりで出かけましたが、一足違いで閉館になっておりました。思い立ったら即実行ができないpedaruですからね。
ご訪問ありがとうございました。
pedaru
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- わんぱく大将さん 2012/07/26 02:16:54
- 手紙の裏版
- pedaruさん
”まだ、ピレネーの山々の散策はしとらんが、猫の耳と称されるぺドラフォルカはもう、目に焼き付いて僕の目から離れない。離れるときは、たぶん僕の目に逆まつ毛が入って、痛いと、涙が出た時だろう。どうだね君も、ぼくのいう 猫の耳を見に、このサルです、いや、サルデスの村にやって来ないか?50円と言わず、100円、いや、日本円を持ってきてもろても困る。
できれば現地の金、送れ、頼む。タツヲ”
と実は裏版の手紙を私は持っています。室生犀星氏の友人の友達の親戚より
大将
- pedaruさん からの返信 2012/07/26 06:41:19
- RE: 手紙の裏版
大将さん お早うございます。
うまいな〜ッ。 今まででこんなコメント初めてですよ。大将さんて、芸人かと思っていましたが、作家もやってたんですね。「タツヲ」とヲを使うところなんか芸が細かい。
タツヲが元カノに書いた手紙の裏版もぜひ見たいものです。
そろそろ大将から、元帥に昇級してもいい頃かな?裏版の功績で・・・・
pedaru
-
- DANAさん 2012/07/14 15:10:19
- 観音様〜
- pedaru様
お久しぶりです。追分辺りに行こうかと4トラ見ていたら、pedaruさんの旅行記が。
堀辰雄、もう数十年読んでおりませんが、懐かしく思い出されました。
いつの間にか、観音に化身されていらしたのですね。
お孫さんも3カ月を過ぎて、ダッコもしやすくなってきましたね。赤ちゃんの匂い、いいですね。ますますお元気で。
DANA
- pedaruさん からの返信 2012/07/15 06:19:53
- RE: 観音様〜
DANAさん お早うございます。
私のモンタージュ写真、あっという間に観音様に変身、これは阿弥陀様に続く二作目でpedaruが彫ったものです。小さな写真では幸いアラが目立ちません。
毎日のように、孫は来ますので、このごろは、じっと私の顔を見ていて、認識のスイッチが入ると、ニコッと笑います。冷静に考えて我が家の猫よりやや可愛いかな?・・・・というと娘に睨まれます。
pedaru
-
- 大目付さん 2012/07/12 10:15:41
- pedaruさん、お早うございます。
- この写真を見て「エッ!」と思った事が一つありました。ステッドラー社の色鉛筆(多分水彩色鉛筆)の鉛筆のデザインが同じデザインを今も続けているんだと、今も変わらない事にビックリしました。
〜大目付〜
- pedaruさん からの返信 2012/07/13 05:50:43
- RE: pedaruさん、お早うございます。
- > この写真を見て「エッ!」と思った事が一つありました。ステッドラー社の色鉛筆(多分水彩色鉛筆)の鉛筆のデザインが同じデザインを今も続けているんだと、今も変わらない事にビックリしました。
>
>
〜大目付〜
大目付さん お早うございます。
ドイツ製と書いてありました。ドイツは文房具でも優秀なものを出しているそうですね。大目付さんの博識さには、こちらもビックリしました。
pedaru
- 大目付さん からの返信 2012/07/13 09:41:37
- RE: RE: pedaruさん、お早うございます。
- > ドイツ製と書いてありました。ドイツは文房具でも優秀なものを出しているそうですね。大目付さんの博識さには、こちらもビックリしました。
★ドイツの「ステッドラー社」の水彩色鉛筆は前から使っていますから。日
本の三菱鉛筆からも出ていますが、こちらの方が値段が手頃で使いやすいで
す。ステッドラー社の筆記用具は使いやすいので、いろいろ使っています
よ。(^^)
〜大目付〜
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- norisaさん 2012/07/12 08:30:24
- 堀辰雄!
- pedaruさん、
堀辰雄、思い出しました。
記憶の片隅に残っていました。
それは唯一読んだ「風立ちぬ」でした。
昔の作家は今の売れっ子作家と違って書きたいものを自然体で書いていたようですね。
それから奥様の内助の功も感じられます。
norisa
- pedaruさん からの返信 2012/07/13 05:46:39
- RE: 堀辰雄!
norisaさん 早速コメントをありがとうございます。
各地で作家の記念館作りが盛んですが、なかには、中央では平凡な作家が、郷里では、驚くほどもてはやされて、立派な建物に収まっている場合もあると思うことがあります。これは絵画など美術の分野でのことを述べました。
逆に、これほどの人がなぜ?と思うほど評価されていないこともありますよね。
自分の審美眼に従って、無名でも支持していく姿勢でいるつもりです。
堀辰雄とは外れた話になってしまいました。
pedaru
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