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フィリピン到着から三日目の朝、我々は、ラ・ウニオンに向かう為、早々にマニラを離れた。実はマニラはあまり好きな街ではなかった。今 振り返っても、正直 疲れる街だったという印象が強く残っている。同じ東南アジアの首都でもタイのバンコックは今まで訪れた、どの街よりも愉しくエキサイティングだった記憶がある。<br /><br />ラ・ウニオン州の州都、サンフェルナンドに向かうラビットバスのターミナル・ステーションはマニラのチャイナタウンに程近い場所にあった。 YMCAから数キロかという距離だったが、タクシードライバーはトラフィックを避けるためと云いながら、かなり遠回りしていたような気がする。無事に何事もなく、目的地に連れて行ってくれれば、多少メーターが上がろうと何の文句も無いというスタンスで、すっかり鷹揚な気持ちになっていた。<br />タクシーが信号待ちで停車する都度に、煙草ケースを抱えた年端もいかない少年達が車に近づいて来てはバラ売りの煙草を勧める。渋滞個所では沢山の少年が車の合間を縫う様に様々な物売りに必死だ。アイスキャンディ、ソフトドリンク、煙草、etc.. バンコックでも同じだった。<br />子供達は、暮らしという戦いの中で必死になって今日を生きるために、或いは生活の糧に少しでも繋げる為に、という印象が色濃く感じた。物売りの表情に必死さ、悲壮感すら感じるのだ。    今も事情は変わらないのだろうか。<br /><br />ラビットバスのターミナルにタクシーが到着すると、車から降りるや否やas  soon  as!(^^)! という感じで目ざとい、12、3歳くらいの煙草を咥えた少年のポーターが近づいて来た。バス・ターミナルには、数十台のバスが停車している。何処行きのバスに乗りたいのか?と問われ、サンフェルナンド行きだと答えると、顎をしゃくる様に付いて来いと云う。荷物も持とうとするので断った。彼の後を追いかけて、バスの合間を縫う様に歩きながら、サンフェルナンド行きのバス乗り場に辿り着いた。少年は当然のように「ワンダラー」と云いながら手のひらを差し出してきた。私は値切ることもせず、少年の言い値のチップをタガログ語で礼を云いながら渡した。少年は嬉しそうな表情で歯を見せて笑うと、踵を返すように走り去っていった。フィリピンの子供達はヤワでは無い。逞しく、生活環境がそうさせるのか、力強く生命力に満ち溢れている。<br /><br />海沿いのラ・ウニオン州の州都、サンフェルナンドまではマニラから北へ約250K程の距離だった。バスでおよそ6時間の道程だ。 我々が目指したナリナック・ビーチはサンフェルナンドの手前に有った。バスの運転手にサンフェルナンドの手前のナリナック・ビーチに一番近い所で降ろしてくれと頼みこみ、乗車した。 私は二年前にも同じナリナック・ビーチの一つ手前のレオマール・ビーチに行っていた。自分の性癖なのか、何故か気に入ると、同じ場所に何度も行くという感じがある。二年前にも同じラビットバスでサンフェルナンドに向かったものである。<br /><br />サンフェルナンドにひた走るバスが、幾つもの集落を通過するときの村のたたずまいを眺めるのが好きだった。豪雨がくれば流されてしまうのではないかと思われるような安普請な家屋、掘っ立て小屋のようなフィリピン版コンビニのサリサリストアの店先では、年端も行かぬような小学校低学年位の子供が乳飲み子をオンブ紐で背負ってバスの通過を眺めている。道は舗装されていない。バスにはいつも最後列に乗るのを生業にしている私は通過するバスの所為で土埃が舞い、まるでモノクロ映画のように土色に霞むように煙る村を振り返りながら様々な思いに耽る。<br /><br />・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<br /><br />当時、フィリピンの失業率は実質30%を超えると云われていた。就労人口の三人に一人が仕事が無いという状態、 産業基盤が極めて脆弱なため、フィリピンでは慢性的な高失業率が定着していったかと思われる。国内雇用が無い為、労働力は海外への出稼ぎに向かっていく。そのような出稼ぎ労働者の本国の家族への送金がフィリピンの重要な外貨獲得の一番の柱になっていると1970年代から既に云われていた。私が当時、滞在したロンドンでも香港でもサンフランシスコでも、宿ではフィリピン人のメイドと数多く遭遇した事を覚えている。<br />・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<br /><br />いつの間にか、バスはラ・ウニオン州に入ったようだ。<br />「ナリナックビーチ!!」 叫ぶように運転席から振り返りながら、我々に声を掛けたバスドライバーに礼を云いながらバスを降りた。絡み付くような湿気と暑さの中で6時間もバスに揺られて居た所為か、バスを降り歩き始めると、身体が揺れ足元も覚束ないザマだった。<br />刺すような日差しの強さと、絡み付くような湿気に体力と気力を奪われるような気分になった。<br /> <br />しかしこのビーチでも二年ぶりに再会する人と出遭う事になるのだった。<br />

フィリピン再訪記-3 ラ・ウニオン行きラビットバス 編

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1981/08/09 - 1981/08/19

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kio

kioさん

フィリピン到着から三日目の朝、我々は、ラ・ウニオンに向かう為、早々にマニラを離れた。実はマニラはあまり好きな街ではなかった。今 振り返っても、正直 疲れる街だったという印象が強く残っている。同じ東南アジアの首都でもタイのバンコックは今まで訪れた、どの街よりも愉しくエキサイティングだった記憶がある。

ラ・ウニオン州の州都、サンフェルナンドに向かうラビットバスのターミナル・ステーションはマニラのチャイナタウンに程近い場所にあった。 YMCAから数キロかという距離だったが、タクシードライバーはトラフィックを避けるためと云いながら、かなり遠回りしていたような気がする。無事に何事もなく、目的地に連れて行ってくれれば、多少メーターが上がろうと何の文句も無いというスタンスで、すっかり鷹揚な気持ちになっていた。
タクシーが信号待ちで停車する都度に、煙草ケースを抱えた年端もいかない少年達が車に近づいて来てはバラ売りの煙草を勧める。渋滞個所では沢山の少年が車の合間を縫う様に様々な物売りに必死だ。アイスキャンディ、ソフトドリンク、煙草、etc.. バンコックでも同じだった。
子供達は、暮らしという戦いの中で必死になって今日を生きるために、或いは生活の糧に少しでも繋げる為に、という印象が色濃く感じた。物売りの表情に必死さ、悲壮感すら感じるのだ。    今も事情は変わらないのだろうか。

ラビットバスのターミナルにタクシーが到着すると、車から降りるや否やas soon as!(^^)! という感じで目ざとい、12、3歳くらいの煙草を咥えた少年のポーターが近づいて来た。バス・ターミナルには、数十台のバスが停車している。何処行きのバスに乗りたいのか?と問われ、サンフェルナンド行きだと答えると、顎をしゃくる様に付いて来いと云う。荷物も持とうとするので断った。彼の後を追いかけて、バスの合間を縫う様に歩きながら、サンフェルナンド行きのバス乗り場に辿り着いた。少年は当然のように「ワンダラー」と云いながら手のひらを差し出してきた。私は値切ることもせず、少年の言い値のチップをタガログ語で礼を云いながら渡した。少年は嬉しそうな表情で歯を見せて笑うと、踵を返すように走り去っていった。フィリピンの子供達はヤワでは無い。逞しく、生活環境がそうさせるのか、力強く生命力に満ち溢れている。

海沿いのラ・ウニオン州の州都、サンフェルナンドまではマニラから北へ約250K程の距離だった。バスでおよそ6時間の道程だ。 我々が目指したナリナック・ビーチはサンフェルナンドの手前に有った。バスの運転手にサンフェルナンドの手前のナリナック・ビーチに一番近い所で降ろしてくれと頼みこみ、乗車した。 私は二年前にも同じナリナック・ビーチの一つ手前のレオマール・ビーチに行っていた。自分の性癖なのか、何故か気に入ると、同じ場所に何度も行くという感じがある。二年前にも同じラビットバスでサンフェルナンドに向かったものである。

サンフェルナンドにひた走るバスが、幾つもの集落を通過するときの村のたたずまいを眺めるのが好きだった。豪雨がくれば流されてしまうのではないかと思われるような安普請な家屋、掘っ立て小屋のようなフィリピン版コンビニのサリサリストアの店先では、年端も行かぬような小学校低学年位の子供が乳飲み子をオンブ紐で背負ってバスの通過を眺めている。道は舗装されていない。バスにはいつも最後列に乗るのを生業にしている私は通過するバスの所為で土埃が舞い、まるでモノクロ映画のように土色に霞むように煙る村を振り返りながら様々な思いに耽る。

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当時、フィリピンの失業率は実質30%を超えると云われていた。就労人口の三人に一人が仕事が無いという状態、 産業基盤が極めて脆弱なため、フィリピンでは慢性的な高失業率が定着していったかと思われる。国内雇用が無い為、労働力は海外への出稼ぎに向かっていく。そのような出稼ぎ労働者の本国の家族への送金がフィリピンの重要な外貨獲得の一番の柱になっていると1970年代から既に云われていた。私が当時、滞在したロンドンでも香港でもサンフランシスコでも、宿ではフィリピン人のメイドと数多く遭遇した事を覚えている。
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いつの間にか、バスはラ・ウニオン州に入ったようだ。
「ナリナックビーチ!!」 叫ぶように運転席から振り返りながら、我々に声を掛けたバスドライバーに礼を云いながらバスを降りた。絡み付くような湿気と暑さの中で6時間もバスに揺られて居た所為か、バスを降り歩き始めると、身体が揺れ足元も覚束ないザマだった。
刺すような日差しの強さと、絡み付くような湿気に体力と気力を奪われるような気分になった。
 
しかしこのビーチでも二年ぶりに再会する人と出遭う事になるのだった。

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