2012/04/30 - 2012/04/30
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しんちゃんさん
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連休前半に福島県南会津郡南会津町~昭和村~金山町へドライブしました。桜は満開、渋滞も無く温泉につかり“まったり”しました。写真は「松下の桜並木」で花見準備中の方々。全員が集合するまで待機していました。この場所で唯一このグループしか花見の宴会はありませんでした。写真撮らせて下さい。「インターネットに載せても良いですか?」OKでしたので堂々と載せちゃいます。美人に囲まれて男性陣が羨ましい!
- 同行者
- 友人
- 交通手段
- 自家用車
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福島県南会津郡南会津町田島「松下の桜並木」下記のURLより
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花見宴会はこのグループだけでした。皆さん忙しいのかな?
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一人ぽっちのゴリラさん。すねているようでした。
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ツクシも一杯
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桜並木の東側“紅色”の桜が一本のみ咲いていました。
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“荒海川”西側の「福島県立南会津病院」荒海川は大川(阿賀川)とも言うそうです。新潟県に入ると阿賀野川と名前が変わるそうです。
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「旧南会津郡役所」説明版からです。【○福島県指定重要文化財(建造物)旧南会津郡役所 一棟 ○昭和四十六年四月十三日指定 ○所在地 南会津郡田島町根小屋甲四二七七の一 ○所有者 田 島 町 ○木造二階建、亜鉛引鉄板葺(元木羽葺) ○ベランダ・ポーチ付、中庭式・・・・
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・・・・この旧南会津郡役所は、郡内町村民の協力を得て明治十八年(一八八五)八月に落成した。 明治十八年前夜は、県内においては初期の外観だけの擬洋風建築から前進して、地方棟梁による本格的な洋風木造が活発になった時期で、この建物はこのころあいついで新改築された県内十余か所の同種の庁舎のうちでは、北会津郡役所に次いで規模が大きく、かつ保存もよい。なお、郡役所行政資料の中に、建築関係一冊が保存され、その経過を証明する資料が整っている点では数少ない例である。以下略】
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結構広いです。詳しくはHP「http://www.gunyakusho.ecnet.jp/index2.html」をご覧下さい。
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「旧南会津郡役所」の西側に記念碑がたくさんあります。
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説明版からです。【「南山義民之碑」享保五年(1720)南山御蔵入領で起きた大百姓一揆で、指導者六名が死罪獄門となったが、この義挙を後世に伝えよつと、田島の有志が昭和三年に建立した。碑文は漢学者杉原夷山の撰文。】
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説明版からです。 【「道祖神」明治十七年、会津三方道路開削のため、鎌倉崎の路傍にあったものを西宮神社隣に移した。道祖神は、村への疫神悪霊の侵入を塞ぎ、旅人の交通の安全を守る神で、自然石に文字を刻んだもの、像を彫ったものがある。木道祖神は、子宝・安産・家内安全を祈ると願いが叶えられるとされ、多くの人々に信仰された。】
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「木道祖神」りっぱですね。
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「木道祖神」
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「木道祖神」
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「木道祖神」
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説明版からです。【土井挽翠先生「義民の詩」 昭和十六年、知人の招聘で田島を訪れた挽翠先生は、図らずも、「南山義民」の話しを聞いて大変感動され、「目にみえぬ、神秘の力我を引き、義人の墓に、今日詣でしむ」と、その感慨を詠まれました。
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「目にみえぬ、神秘の力我を引き、義人の墓に、今日詣でしむ」
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おじさん方が宴会中「一杯飲んではどうかね?」誘われてしまいましたが、運転手のため「ありがとうございます。飲みたいのですが、気持ちだけ受け取ります。」優しい方々でした。
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【「傾城供養塔」 会津西街道の中心的宿場町であった田島町の西町には、花町(芸者置屋・料理屋)があり、当時四〇人ほどの芸者がいたという。亡くなった芸者を供養するため建立されたもので、碑面には「南無阿弥陀佛」の六文字が幽かに見える。】
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【「湯田玉水君碑」田島町西町出身。少年時代より、その画才は町の人々を驚かしたと伝えられる。後、東京に出て川端玉章の門に入って絵を学び、文展・帝展に連年入選し、日本南画界を代表するまでに大成したが、惜しいことに昭和四年、五十一才の若さで世を去った。】
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【「結び地蔵」 丸山公園が造成されるとき、現在地に移された供養地蔵。 その下には、整備拡張の時掘り起こし集められた遺骨が埋納されている。後、縁結びの地蔵として崇敬された。】
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【「小栗山喜四郎墓」 享保五年(1720)南山御蔵入騒動で斬首獄門となった六人の犠牲者中、唯一人田島で逮捕、処刑されたため、ひときわ地元民に印象が深く、義民と讃えられる。事件後、逮捕の場となった旅龍小川屋の主人が供養のため建立したと伝える。】南山御蔵入騒動とは一揆の事です。詳しくは「http://gunyakusho.ecnet.jp/687.html」をご覧下さい。
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国道400号にて田島から昭和村へ向かう途中、高野地区にひときわピンク色に咲いた大きな桜が見えました。見るしかない寄り道しました。
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桜の木への道は民家の庭先からしかありませんでした。声を掛けましたが不在のため、無断で立ち入りました。その節は申し訳ありませんでした。撮ったのは写真だけです。
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小高い丘に“里の桜”不在の家のとなりに人が居ましたので「なんとか桜とか・・・なんて言う桜の名前ですか?」と伺いましたら「高野の種蒔(たねまき)桜です」との答えでした。
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帰宅後ネットで調べましたら「エドヒガンザクラ」でした。
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桜の下の水仙
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昭和村「からむし織りの里」内の「織姫交流館」見学です。
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「織姫交流館」にて研修生に“からむし”説明を聞きました。
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からむし織りの原料“からむし”の繊維から糸を撚(よ)る様子。
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説明する研修生の指。出身は横浜と聞きました。
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からむし(苧麻)です。
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研修生は2人居ました。「先生は?」と尋ねましたら。30歳前後の女性の方を指しました。2005年に訪問したときに研修生だった方のようです。結婚して住み着いたのかな?現代はセクハラになるのでこんなことも聞けなくなりました。昔はズケズケ聞けたのに・・・
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からむし織のワイシャツ5万円から7万円
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ネクタイ1本、1万数千円!!
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「からむし工芸博物館」も見学しました。大人300円
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蚊帳(かや)「懐かしい」を連発して中に入る、昔のお嬢様!
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映像にてからむしの歴史をお勉強します。
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からむしの雪さらし
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館内は撮影禁止。入口から内部です。
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館内は撮影禁止。入口から内部です。
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相撲の“化粧まわし” “からむし”のまわしは「隆の里俊英」だけです。普通は麻だそうです。20Kgあります。
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昭和村から金山町へ向かいました。
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昭和村の桜。
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金山町国民保養センター「せせらぎ荘」入用料金、大人250円 大沼郡金山町玉梨字新板2049-1
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せせらぎ荘対岸の桜。まだ開花したばかりの桜もありました。
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男風呂、内風呂だけです。
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昭和44年の台風の写真
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七福神が設置され賽銭箱もちゃっかりありました。
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「せせらぎ荘」前を流れる野尻川
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残雪の中に咲き始めた桜
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温泉からは田島(南会津町田島)に戻り「永田の堰堤桜」「会津山村道場駅」「七ヶ岳登山口駅」等日光街道沿いの桜を堪能しながらゆっくりドライブして帰りました。連休中はまだまだ桜が楽しむ事ができます。プチドライブ終了。連休後半、さて何処へ行きましょうか。
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