2012/03/10 - 2012/03/10
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tijanさん
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北九州市、全く縁がなくこれといったイメージももてないでいたのですが、今回の旅で知れば知るほど興味わく大変気になる所となりました!
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 船 JRローカル
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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門司港駅から乗って来た電車を戸畑駅で降りました。
戸畑駅前の風景です。
奥が駅でさらにずっと後ろに大きな橋が架かっております!若戸大橋です。
(最初の3枚は後日再訪して撮りました。この時は写真撮る余裕なかったもので…) -
駅前の様子です。バスとタクシー乗り場になっていてそばに大きなショッピングセンターが建ってます。
戸畑という名前のイメージからのどかな駅を想像していたら、ずっと大きな街の駅だった。
後で調べると戸畑とは万葉集に記されている「飛幡(とばた)」からきているらしいです。(そもそも飛幡とは??)
戸畑区地名の由来〈北九州市HP〉
http://www.city.kitakyushu.lg.jp/tobata/file_0005.html
地図で見ると飛幡(とびはた)町というのは今でもあって、そこには新日鉄八幡製鉄所があります。
ちなみに鳥旗(とりはた)町もありました。
歌にも詠まれる歴史ある所なんですね。 -
ここ戸畑と洞海湾をはさんで対岸の若松との間には渡船があるそうなのです。
渡船があって、渡った先にはレトロな街並が残ってるとなると行ってみないわけにはいきません(^^)
が!、駅を出るとしばし迷う(><)港はいずこ〜?
歩いてる人に尋ねると駅を出てすぐ右手に港への連絡通路があると教えてもらう。そんなのがあったのか!気づかなかった。
この写真が連絡通路です。
門司港を見た後だけに連絡船のイメージが頭に浮かぶ(渡船だけど。。)
「連絡」ってなんか旅情を誘う言葉だ。 -
連絡通路を出るとあら素敵〜♪
通りの向こうに巨大な橋が!
街並に赤い色が映えていいじゃないですか!
素敵な景色ですね〜 -
若戸大橋を眺めながら通りをまっすぐ歩いて行きます。
大きな橋がだんだん近づいてくる感じにワクワクします!
奥の方に渡船場らしき建物が見えます。
ちなみにこの通り沿いの町が鳥旗町です。 -
橋の下に渡船場が見えて来ました!こじんまりしてます。
中に入ると数人の人が船をまってました。
券売機で切符を買います。うそっ、100円!? 良心的! -
北九州市営若戸渡船。市営だから安いのかな〜。
船も小ぶりで親近感わきます。
若戸大橋開通で渡船の廃止が考えられたそうですけど残って良かったですね。
若戸渡船の沿革〈北九州市HP〉
http://www.city.kitakyushu.lg.jp/san-kei/file_0048.html -
戸畑側から眺める洞海湾にかかる若戸大橋。
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頭上に橋を見上げながら出港します。
洞海湾の両側には工場が立ち並んでます。 -
空と海の青に橋の赤が冴えますね〜。
橋の向こうに見えるのはニッスイと、さらに奥は八幡製鐵所ですかね? -
洞海湾(どうかいわん)って今回初めて知りました。
もともとは幅も長さも今よりあったそうです。しかし水深は浅く干潮時には船の航行が困難な湾だったそうです。筑豊の石炭積み出しの拠点として、そして工業地帯の港湾として掘削・埋立で開発が進み大きな船の航行も可能になったそうです。
石炭→鉱物→「銅」海湾って連想ちゃうけど「洞」ですね!
しかし「がんとくせん」にしろ「どうかいわん」にしろ濁点がつくからか名前の響きに力強さが加わってパワーを感じますね。土地のイメージに合ってるなと思いました。
洞海湾の歴史〈北九州市HP〉
http://www.city.kitakyushu.lg.jp/san-kei/file_0047.html -
若松側に見える歴史を感じさせる建物。
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あっというまに若松渡場が近づいてきました。
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若松側に到着です。
自転車でも乗れるようです。渡船で通学って素敵ですね。 -
若松渡場です。
こちらでも船が来るのを待ってる人が数名いました。
橋と渡船はライバル関係にあるわけだけど渡船も日常的に使われてるようですね。 -
若戸側から見る戸畑。
日本水産の看板がかかる歴史を感じさせる建物が見えます。
海岸通り沿いはの〜んびり歩いたりベンチに腰掛けたりできるきれいな遊歩道になってます。
道路をはさんで歴史ある建物が並ぶこのあたりを若松バンドと呼ぶそうです。あんまり人はいないけど気ままに歩ける自由な雰囲気があります。 -
船上から見た若松バンド。
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上野ビルは港を降りてすぐの所にあります。
若松が石炭積出港として賑わっていた1913年(大正2年)、三菱合資会社若松支店として建設された建物です。
看板の力強い文字や重量感ある外観に貫禄を感じます。
ガイドブックによると「玄関部の増築と最上階部の改造が行われ、左右同じ形をしていますが、当時は兜型の庇のついた玄関で、正面右側の塔屋がアクセントをつけて」いたそうです。
若松ガイドブック〈北九州市HP〉
http://www.city.kitakyushu.lg.jp/wakamatsu/file_0013.html -
アップで!
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そばのレンガの倉庫に三菱のマークがありますね!
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反対側から。
ちょっとはがれてるけどこちら側にも三菱のマークが。 -
そしてこの建物! 若松バンドのシンボル、旧古河鉱業若松ビルです。
1919年(大正8年)建設されたレンガ造2階建、ルネサンス様式の建物です。現在は多目的ホールとして利用され、見学、休憩は無料となっています。
明治維新後、三井、三菱、住友、古河などの巨大財閥が鉱山開発に進出。石炭の集積地となった洞海湾内に石炭関連会社が次々設立された訳ですね。
公式HP
http://www.k4.dion.ne.jp/~fkw/index.htm -
道路の角っこに正面玄関っておもしろいですよね。
でも道路に面した側にもそれぞれ入口がありますしどっから入ろうか一瞬迷いますね。(今回中には入りませんでした。) -
すごい絵になる風景です!
私のカメラじゃうまく収まんないけど洞海湾とその歴史を見て来た建築物、小さな渡場、背景に若戸大橋、さらに奥には煙を吐く工場群。
素敵だー♪ \(^▽^)/ -
こちらの建物はその名も「石炭会館」。
若松石炭商同業組合が事務所として1905年(明治38年)建築。
若松バンドに現存する唯一の明治建築だそうです。
木造2階建。石造りに見えるのは外壁をモルタルで塗る時、目地をたくさん作ってるからだそうです。
石炭商の組合が出来る程当時は多くの石炭関連会社があったってことですね。 -
すぐそばに海上保安庁の巡視艇が係留されてました。
別に誰かがいるわけでもなく簡単に乗り移れちゃいそうなくらい普通の船みたいに停まってます。 -
通りの向こうにも大きな年季のある建物が見えました。
周りの景色に目移りしてる間に通り過ぎてしまったけどよく確かめればよかった。 -
さらに進むと「ごんぞう小屋」があります。
当時「ごんぞう」と呼ばれた石炭荷役労働者の詰所を復元したものです。現在は休憩所となっています。
左右に部屋があって「ごんぞう」や石炭輸送、若松出身の作家火野葦平の説明パネルが展示してあります。
高校生のカップルが中でおしゃべりしてました。ごめんなさいよ、おじゃまして。 -
展示パネルから。
洞海湾の沖で大型船に石炭を運び上げる沖仲仕(おきなかし)、貯炭場から船へ石炭を運ぶ陸仲仕(おかなかし)のことを“ごんぞう”と呼んだそうです。
写真はバイスケ(籠)をかつぐ陸仲仕の姿です。 -
貯炭場の石炭をバイスケにスコップで盛る仕事(入鍬 いれぐわ)は主に女仲仕が受け持ったそうです。
-
昭和15年頃の石炭荷役請負の流れ
大手組織の石炭商業組合
↓
請負業組合
↓
小頭組合(約70名)
↓
仲仕(ごんぞう)(約1500名) -
1981年(明治24年)に若松・直方間を鉄道が走るまでは、筑豊でとれた石炭は船頭が「川ひらた船」を漕いで遠賀川を下り、堀川運河・江川を経て若松港(洞海湾)に運んでいたそうです。
港湾の整備・鉄道の開通により若松港は日本一の石炭集積地となり、最盛期の明治20年代前半には7000隻以上の川ひらた船で埋め尽くされたそうです。 -
火野葦平のパネル。
私は小説も読んだことなくてよく知らなかったんですけど、実際父親は沖仲仕を束ね組を興し火野葦平も家業を継いでるんですね。
その両親をモデルに書いた小説が「花と龍」です。
今回は行けませんでしたが火野葦平の旧居「河伯洞」はなかなか見応えある立派な建物で見学も無料なのでぜひ一度行ってみたいです。
火野葦平文学散歩〈北九州市HP〉
http://www.city.kitakyushu.lg.jp/wakamatsu/file_0043.html -
ごんぞう小屋のそばには弁財天上陸場(べざいてんじょうりくば)があります。
説明板から。
「(略)ここは、弁財天上陸場と呼ばれ、ごんぞうをはじめ、当時、洞海湾で活躍した人々の日々の乗降や、荷役作業の場でした。その後、港湾荷役の変化により、昭和の半ば以降はほとんど使用されなくなりましたが、若松発展の原点のひとつともいうべき地です。(略)石段に刻まれた無数の傷、すり減った階段は、日本一の石炭の積出港として栄えた若松の歴史を、雄弁に物語っています。」 -
説明板によると平成8年に一部補修して復元したと書かれてましたけどこの雁木は当時(大正6年頃)のものですよね。
常夜灯は復元されたものかな?
中央のスロープの所に荷を置いて引くんですね。
これはなかなかGOODアイデア! -
常夜灯は変わった形してますが、何をあしらってるのかな〜?いかり?
-
今回若松の事を調べてるうちに知ったんですけど、若松には林芙美子の住居跡があるそうなのです。(幼少の頃の2、3年暮らしてたそうです。)
林芙美子って聞くとなんか気になっちゃうんですよね。
『放浪記』の冒頭に若松時代の描写が出て来ます。
「若松で、呉服物の糶売(せりうり)をして、かなりの財産をつくっていた父は、長崎の沖の天草から逃げて来た浜と云う芸者を家に入れていた。雪の降る旧正月を最後として、私の母は、八つの私を連れて父の家を出てしまったのだ。若松と云うところは、渡し船に乗らなければ行けないところだと覚えている。」
後日手元にある解説本を再読してみたら当時の様子が解説してありました。
(少し長いですけど引用してみます。)
「芙美子が生まれた翌年、下関に移った一家は、「軍人屋」という質流れ品の店を始める。1907(明治40)年、芙美子が4歳の時、軍人屋は石炭景気に沸く港町・若松(現・北九州市若松区本町)に本拠を移す。若松は、鉄道の起点として、また石炭積み出し港として、筑豊炭田と共ににぎわっていた港町。軍人屋にはきらびやかな射的場があり、一画では金びょうぶ、反物、懐中時計などを商って、よく繁盛した。気前のいい父の元、当時の芙美子は「軍人屋のお嬢さん」として裕福な生活を送っていたようだ。生まれてからずっと貧しい行商生活ではなかったのである。しかし、父が堺ハマという芸者を家に入れたため、7歳の時、母と、後に養父となる番頭の沢井喜三郎と共に家を出た。雪の降る寒い日だったという。」
(名作旅訳文庫7 尾道『放浪記』林芙美子)
だいたいの場所を調べて来たので海岸通りから少し中に入って散策してみました。 -
その住居は案外すぐ見つかりました。本町二丁目の交差点を曲がったあたりです。
ここがその「軍人屋」跡地ということになります。
解説文の印象から場所はここでも建物は違うような気もします。特にここがそうだっていう石碑や説明板もないし知らなきゃ通り過ぎちゃいます。
向かいの家の人が外で掃除されていたので思い切って声をかけてみました。
前は石碑みたいなのがあったんだけど今はなくなってるそうです。でもたまに尋ねてくる人がいるそうです。
そして自分よりよく知ってる人がいるからと「ねえさん」と言う人を呼びに家の奥に入って行かれました。
どんな人が出て来るのかと待ってると「ねえさん」は70代くらいの物腰のやわらかい親切そうな人だった。
確かにここが芙美子が住んでた所で、この今建ってる家がそうかどうかたぶんそうだろうということだった。
小さい頃からここにいるそうで昔の洞海湾は賑やかだったけど汚れもひどくて真っ黒だったことや、この辺りには広島から来た人が住んでいたこと、この通りも目抜き通りで賑やかだったことなど教えてもらいました。
話し方から若松に愛着をもっておられるのがよくわかった。 -
それにしても石炭景気に沸く若松には中・四国からもたくさん人が集まったのだな〜と思った。
芙美子の実父は愛媛出身だし義父は岡山出身だ。そして火野葦平の父も愛媛出身、母は広島出身だ。人や物がすごい勢いで行き交ったんだろうな〜。
「ねえさん」から色々教えてもらってるうちに「上野ビル」は中に入れる事がわかった!
お二人に丁寧にお礼を言ってさっそく行ってみることにしました。 -
この辺りはどこを歩いても若戸大橋が見えるんですよ〜!
街並は古いのになんか合ってるんですよね。
初めて知る街なのに郷愁を誘うというか。 -
街をまたぐようにかかるほんとに大きな橋だ。
全長2,068m、吊橋部全長627m。
昭和37年に開通した当時は「東洋一の夢の吊橋」といわれたそうです。
日本の巨大吊り橋のはしりですね。
赤い色が目をひいて町のアクセントになってます。 -
井戸もあった。
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古い通りを若戸大橋を前方に見ながら進みます。
所々気になる建物があります。 -
この建物気になりますねぇ。
まだ使われてるようだし何かの会社かな?
二階のたくさんの窓ガラス、一つ一つ開くのかな? -
木造の古い建物。
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マンホール。
このデザインはもしかして川ひらた船が集まってる?って思ったけどどうやらヒマワリらしい。 -
上野ビルに戻ってきました。上野ビルは正面は上野海運の会社となってますが、横の入口から2、3階に上がると古いビルを活用してカフェや雑貨店、事務所等が入っています。
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2、3階に行くビルの入口。
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入口を入ると薄暗い中、いくつかの古めかしい扉がしんと並んでいます。
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階段途中の窓からは橋が見えました。
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そして階段を上がって行くと2階から3階にわたる吹き抜け部分が目の前に現れます!
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吹き抜けをぐるりと囲むようにいくつもの部屋がある造りです。(まさにロの字型)
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香港映画か何かに出て来そうな感じじゃないですか?(どう言っていいかよくわかんないけど)
こんな所に会社があったらおしゃれだな〜、でも残業なんかしてたらちょっとこわいかな〜。
退廃的な雰囲気もどこかあったり。昔の建築だから昼でも全体的に薄暗いです。 -
2階部分。
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3階部分。柵の飾りが乙女チック。
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そして上部は明かり取りのガラス天井。
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ステンドグラスがきれいです。
外観からは想像できない優雅な造りです。 -
雰囲気ある木造の階段と角がとれて丸くなった手すり。
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3階から見下ろします。
確かあの階段の横がトイレだったと思う。 -
柵の飾りのアップ。
流しも整理整頓されててなんでもないものがおしゃれに見える。きれいに使われてるのがわかります。
恐る恐る入ったトイレは小さいけど改修されて明るくとってもきれいだった。足下のタイルもかわいい。
一輪挿しとカレンダー。建物の雰囲気にあった演出がにくい(^^) 日付もちゃんとあってる。ポストは扉に無理矢理取り付けてあります。 -
1階の上野海運事務所の扉。ガラスがレトロです。
いや〜上野ビル、ほんと見応えありました!楽しかった!
教えてもらわなかったら外観はバリバリ海運会社だから恐れおおくて中には入れなかったと思う。「ねえさん」に感謝! -
ビルのような巨大な橋の土台です。
もすこし歩いて橋の近くまで行ってみます。 -
こちら側からは橋の長さがよくわかります!きれいなカーブを描いてます。
若築建設という会社に史料館があると教えてもらったんだけどもう閉まってました。
若築建設は1890年(M23年)に洞海湾の築港会社として創業し、洞海湾の開発に携わってきた会社だそうです。 -
工場もよく見えます。
今は穏やかな普通の海だけどかつては石炭で、また重工業地帯に発展すると工場の廃液で激しく汚された時代があったんですね。
産業の隆興と公害の発生〈北九州市HP〉
http://www.city.kitakyushu.lg.jp/kankyou/file_0268.html
(船のスクリューも溶けるってどんだけ酸性!?)
北九州市の公害克服〈北九州市HP〉
http://www.city.kitakyushu.lg.jp/kankyou/file_0264.html
(大腸菌も棲めない死の海って…酸素ゼロ!)
戸畑の婦人会の住民運動をきっかけに自治体・企業・住民が連携し公害問題に取り組んだそうです。
地元企業ですもん、なかなか強く出れない所に子供を持つ母親が団結して社会を動かす原動力となったんですね。
住民運動にまで結実すると主婦の力って生活に根ざしてるだけにすごいパワーとなるんだなとなんか改めて考えさせられた。 -
橋の下にある杤木ビル。
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来るとき船の上から見た杤木ビル。一番に目につきました。
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杤木ビルの重厚な玄関です。
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洞海湾に大型船が入ってきました!
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タグボートに付き添われてます。
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小さな船体に似合わず大型船も顔負けの力持ち。港湾の働き者。
子供の頃本で読んで以来愛着持ってるタグボート。 -
洞海湾の奥へと航行していきました。
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今度は戸畑に向かう渡船がやってきました!
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胸がキュンとなる風景だ。
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ゆるやかにカーブを描いて通り過ぎて行きます。
一日何往復するんだろ?生真面目に戸畑と若松を行き来して海面をかき混ぜ洞海湾に生気をつける。 -
せっかくの18きっぷ、帰りは小倉まで列車で帰ります。
駅まではちょっと歩いた。
若松駅は駅前も駅もこじんまりした普通の駅で、石炭ががんがん運び込まれていたことなんて想像させない。(周りの必要以上に広い道路の方がよっぽどびっくりした) -
駅の片隅に展示されていた石炭車。
これに積まれて石炭ががんがん運び込まれたんですよね。 -
折尾行きの列車がすでにとまってました。
中に入るとがらんがらんだぁ。気がゆるむわぁ〜。
折尾駅に到着。2回目の折尾駅訪問。
折尾で降りたのはおいしかったかしわめしが忘れられなかったから(^^) -
折尾駅そばの堀川。店の看板に明かりが灯っていい感じ。
川ひらた船が石炭を運んだ堀川ってそれなりの大きさがある川かと思ってたけど川というか人工の小さな運河だったんですね。
どうりで地図を見ても遠賀川みたいにはっきりとは確認できなかった訳です。
前にここに来た時、まさかこの狭い所を船が通るとは思えなかったので埋めて狭くなっちゃったんだななんて思ったけどこれが堀川の大きさだったんですね!
想像してみると村の小川(運河だってっ)を舟がゆっくり下っていく光景ってなんてのどかなんだろう! -
小倉について予定時間ぴったりにホテルに到着。
順調すぎる18きっぷの旅一日目無事終了!
部屋で折尾で買ったかしわめしを食べた。今回は大を購入(^^)
初めて食べた時の感動はなかったけどやっぱうまっ!
二日目は日田彦山線で田川に向かいます。
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