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長いバックパッカーの旅から帰国した二年後の事だった。仕事を遣り繰りしながら、<br />私は九日間の夏休暇を捻出し<ミュンヘン・キャッチバー籠絡事件>http://4travel.jp/traveler/kio/album/10019555 /の主人公だった友人Kと、二年ぶりのフィリピンに出掛けた。二年前、長い旅から最後の寄港地であるマニラで帰国のために空港に向かうタクシーの中にパスポート置き忘れるという旅の最後でドジを踏んだ思いでの地http://4travel.jp/traveler/kio/album/10023258/ http://4travel.jp/traveler/kio/album/10023256/ だった<br /><br />友人Kは公務員という仕事に巧く潜り込んだ所為で周囲に全く気兼ねなく、お気楽に長い休暇が取れるような非常にナイスな身分でもあった。<br /><br />最終的にタクシーに置き忘れたパスポートをタクシー会社で受け取った事がきっかけで、女性オーナーの姪にあたるエリザベスという名前の娘と、帰国後に手紙の遣り取りをするようになっていた。文通というやつである。<br />今では電子メールで瞬時のうちにメールの遣り取りが出来る時代だが、1970年代は、コツコツと辞書を引きながらも手書きで送る手紙には、受け取るときも、差し出す時も、数日間を費やしながらも、とても味わい深いものがあったな~と今になって思う。瞬時に送れる電子メールと比較すれば人の想いというか、温もりの様なものを感じることが出来る、或いは伝わるものが有るという感じだ。<br /><br />私が帰国した一年後には、私の妹が友人を伴って三人でマニラに出掛け、私が世話になったタクシー会社のファミリーにも随分と過ぎる程に、歓待をして頂いたようだった。一般のフィリピンの人から見ればとてつもなく高価な日本レストランや、現地の人々しか知らないような観光地にも連れて行ってもらったようで、妹達からマニラの旅話を色々と聞かされた時は、随分と散財させてしまったようで申し訳ないという気持ちにすらなった。<br /><br />手紙の遣り取りの中で、タクシー会社オーナーの女性社長とその兄弟、更にその子供達、と三家族が同じ敷地に暮らしていることを知った。敷地には立派なツリーハウスも有った事を覚えている。木の太い幹を利用して巧みに組み上げたツリーハウスは子供の頃にとても憧れたもので冒険心を満たしてくれるものがある。<br /><br />マニラに到着した我々は、YMCAに宿をとった。二年前にパスポートが戻ってきた翌朝、奇妙な幽体離脱に遭遇した宿である。ラッキーにも予約なしで、二人部屋が取れた。<br />友人Kに二年前にここで私が遭遇した奇妙で摩訶不思議な出来事http://4travel.jp/traveler/kio/album/10023003/ の顛末を話すと、「kioさんは何でも有りだからなあ」と笑った。<br /><br />YMCAで旅装を解いた私は早速、mailで貰っていた電話番号に連絡を入れると、運よくエリザベスが電話に出てくれた。YMCAに投宿した旨を伝えると、兄弟を伴って車で迎えに来てくれるという。やがて サント・トーマス大学に通っているという弟と小学生の可愛い妹を伴って二年ぶりに再会した。ケソンシティの彼女の家に向かう車中、去年は、妹たちが大変世話になったと感謝の気持ちを伝えると、私達もとっても楽しかったわとエリザベスは思いだすように微笑んだ。<br /><br />二年ぶりにタクシー会社の屋敷に入ると、女社長のマダムが懐かしい笑顔で我々を招き入れてくれた。「貴方が、私の会社のタクシーにパスポートを置き忘れたお蔭で、あなたや、あなたの妹や友達が我が家に来てくれて、まるで日本に親戚が出来たようで嬉しいわ」<br />「本当にその節はお世話になりました。有難うございます」と私は深々と頭を下げた。<br /><br />ふと気が付けば、敷地にあったはずの立派なツリーハウスが無くなっていた。太い木もなく更地になっていた。何でもタクシーの所有台数を増やしたために更地にしたという事だった。<br /><br />私は日本から家族の人数分、お土産を用意してきていた。当時マニラで人気があった日本のアニメ・マジンガーZの玩具、オセロゲーム、資生堂の化粧品、タミヤ製の精巧なプラモデル、etc  手紙の遣り取りの中で家族の好きなものをあらかじめ聞いていた。家族の人たちはとても喜んでくれた。フィリピン人は、国民性なのか、とても喜び上手というか、何だか、私まで嬉しくなるような喜びようだった。<br /><br /> 夕食の用意もしているから、ゆっくりしていってくれと云われ、すっかり恐縮した。<br />遠慮の気持ちは勿論あったが、長居をしてしまった。我々は今まで、見たことも、食べたこともないような色々なフィリピン料理を次から次へとテーブル一杯に振る舞われ、出された料理はきれいに頂くという我々の流儀で、もう身体が動けなくなるほど、ひとつ残さず食し、腹一杯に堪能し、美味しく頂いた。ベースはココナツオイルのようだった。このフィリピン旅行の半年前に行った沖縄で食べた郷土料理と共通点があるような、何となく似ているようなテイストを感じた。デザートにはアメリカの影響なのか、とてつもなく甘いアイスクリームを頂いた。沖縄で食べたブルーシールのアイスクリームより更に甘いほどだった。<br /><br />マニラには何時までいる予定?と問われ、数日過ごしたら二年前に出掛けたサンフェルナンドのラ・ウニオンのビーチのコッテージで過ごす予定ですと答えると。ラ・ウニオンからマニラに戻ったら、また連絡をして欲しいと云われ、サント・トーマス大学に通っている弟の運転で送って貰い、ケソンシティから、夜遅くマニラのYMCAに戻った。<br />     慌ただしいマニラ到着の初日だった

フィリピン再訪記 ①マニラの友人 編

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1981/08/10 - 1981/09/20

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kio

kioさん

長いバックパッカーの旅から帰国した二年後の事だった。仕事を遣り繰りしながら、
私は九日間の夏休暇を捻出し<ミュンヘン・キャッチバー籠絡事件>http://4travel.jp/traveler/kio/album/10019555 /の主人公だった友人Kと、二年ぶりのフィリピンに出掛けた。二年前、長い旅から最後の寄港地であるマニラで帰国のために空港に向かうタクシーの中にパスポート置き忘れるという旅の最後でドジを踏んだ思いでの地http://4travel.jp/traveler/kio/album/10023258/ http://4travel.jp/traveler/kio/album/10023256/ だった

友人Kは公務員という仕事に巧く潜り込んだ所為で周囲に全く気兼ねなく、お気楽に長い休暇が取れるような非常にナイスな身分でもあった。

最終的にタクシーに置き忘れたパスポートをタクシー会社で受け取った事がきっかけで、女性オーナーの姪にあたるエリザベスという名前の娘と、帰国後に手紙の遣り取りをするようになっていた。文通というやつである。
今では電子メールで瞬時のうちにメールの遣り取りが出来る時代だが、1970年代は、コツコツと辞書を引きながらも手書きで送る手紙には、受け取るときも、差し出す時も、数日間を費やしながらも、とても味わい深いものがあったな~と今になって思う。瞬時に送れる電子メールと比較すれば人の想いというか、温もりの様なものを感じることが出来る、或いは伝わるものが有るという感じだ。

私が帰国した一年後には、私の妹が友人を伴って三人でマニラに出掛け、私が世話になったタクシー会社のファミリーにも随分と過ぎる程に、歓待をして頂いたようだった。一般のフィリピンの人から見ればとてつもなく高価な日本レストランや、現地の人々しか知らないような観光地にも連れて行ってもらったようで、妹達からマニラの旅話を色々と聞かされた時は、随分と散財させてしまったようで申し訳ないという気持ちにすらなった。

手紙の遣り取りの中で、タクシー会社オーナーの女性社長とその兄弟、更にその子供達、と三家族が同じ敷地に暮らしていることを知った。敷地には立派なツリーハウスも有った事を覚えている。木の太い幹を利用して巧みに組み上げたツリーハウスは子供の頃にとても憧れたもので冒険心を満たしてくれるものがある。

マニラに到着した我々は、YMCAに宿をとった。二年前にパスポートが戻ってきた翌朝、奇妙な幽体離脱に遭遇した宿である。ラッキーにも予約なしで、二人部屋が取れた。
友人Kに二年前にここで私が遭遇した奇妙で摩訶不思議な出来事http://4travel.jp/traveler/kio/album/10023003/ の顛末を話すと、「kioさんは何でも有りだからなあ」と笑った。

YMCAで旅装を解いた私は早速、mailで貰っていた電話番号に連絡を入れると、運よくエリザベスが電話に出てくれた。YMCAに投宿した旨を伝えると、兄弟を伴って車で迎えに来てくれるという。やがて サント・トーマス大学に通っているという弟と小学生の可愛い妹を伴って二年ぶりに再会した。ケソンシティの彼女の家に向かう車中、去年は、妹たちが大変世話になったと感謝の気持ちを伝えると、私達もとっても楽しかったわとエリザベスは思いだすように微笑んだ。

二年ぶりにタクシー会社の屋敷に入ると、女社長のマダムが懐かしい笑顔で我々を招き入れてくれた。「貴方が、私の会社のタクシーにパスポートを置き忘れたお蔭で、あなたや、あなたの妹や友達が我が家に来てくれて、まるで日本に親戚が出来たようで嬉しいわ」
「本当にその節はお世話になりました。有難うございます」と私は深々と頭を下げた。

ふと気が付けば、敷地にあったはずの立派なツリーハウスが無くなっていた。太い木もなく更地になっていた。何でもタクシーの所有台数を増やしたために更地にしたという事だった。

私は日本から家族の人数分、お土産を用意してきていた。当時マニラで人気があった日本のアニメ・マジンガーZの玩具、オセロゲーム、資生堂の化粧品、タミヤ製の精巧なプラモデル、etc  手紙の遣り取りの中で家族の好きなものをあらかじめ聞いていた。家族の人たちはとても喜んでくれた。フィリピン人は、国民性なのか、とても喜び上手というか、何だか、私まで嬉しくなるような喜びようだった。

 夕食の用意もしているから、ゆっくりしていってくれと云われ、すっかり恐縮した。
遠慮の気持ちは勿論あったが、長居をしてしまった。我々は今まで、見たことも、食べたこともないような色々なフィリピン料理を次から次へとテーブル一杯に振る舞われ、出された料理はきれいに頂くという我々の流儀で、もう身体が動けなくなるほど、ひとつ残さず食し、腹一杯に堪能し、美味しく頂いた。ベースはココナツオイルのようだった。このフィリピン旅行の半年前に行った沖縄で食べた郷土料理と共通点があるような、何となく似ているようなテイストを感じた。デザートにはアメリカの影響なのか、とてつもなく甘いアイスクリームを頂いた。沖縄で食べたブルーシールのアイスクリームより更に甘いほどだった。

マニラには何時までいる予定?と問われ、数日過ごしたら二年前に出掛けたサンフェルナンドのラ・ウニオンのビーチのコッテージで過ごす予定ですと答えると。ラ・ウニオンからマニラに戻ったら、また連絡をして欲しいと云われ、サント・トーマス大学に通っている弟の運転で送って貰い、ケソンシティから、夜遅くマニラのYMCAに戻った。
     慌ただしいマニラ到着の初日だった

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この旅行記へのコメント (2)

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  • がまだす@熊本さん 2012/05/03 08:42:28
    kioしゃん、どもども♪
    フィリピンか〜いいな〜いきたいな〜
    なんちゃって!

    日本から凄く近いのですがね、
    「いつでも行ける、まぁその内にね」
    な〜んて、毎度足が遠のいております。

    kio

    kioさん からの返信 2012/05/03 21:43:21
    アジアの沈没王、 がましゃんへ
    がましゃん おばんです
    書き込み、投票ありがとうございます〜

    > フィリピンか〜いいな〜いきたいな〜

    バギオあたりで沈没ライフはどうでしょ?
    高原都市だからエアコン要らずで快適な日々を過ごせますよん
    治安もマニラ程には酷くはないと思います。

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