2011/10/01 - 2011/10/09
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バルト三国の真ん中に位置するラトビア・・・、と聞いてもおそらくおおくの日本人にはその地理的場所どころか、その名前すらピンとこない人の方が多いかもしれないが、美しい街並みが残る首都リーガ、バルトのベルサイユと呼ばれるルンダーレ宮殿など見どころは多い。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 乳幼児連れ家族旅行
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 船 徒歩 飛行機
- 航空会社
- フィンランド航空 スカンジナビア航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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ラトビアにはバルト海を挟んだスカンジナビア半島に位置するオスロから空路目指す。その時に利用したのがラトビアのフラッグキャリア、エアバルティック
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オスロを定刻よりやや遅れて出発。眼下にオスロ郊外が見える。
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機内の様子。案外乗客が多かった。
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プリオーダーしていた機内食。これがメチャメチャ美味しかった。シカ肉のステーキがメインで15ユーロ。
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リーガには11年ぶりの来訪。今回の訪問はオスロから空路到着する。 今までラトビアには三度訪れているが、空路入国をするのは今回が初めて。空から見えるのはバルト海。因みに今回の旅行に連れて行った娘の名前はバルト海の至宝琥珀から名付けた。
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今回はリーガでは友人宅に滞在し、初日の夜は豪華な手料理が待っていた。料理はいずれもラトビアの伝統料理。キャベツの酢漬け、ポテトのペースト、チキンハンバーグ、キノコハンバーグ
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二日目、リーガからルンダーレ宮殿にむかう。公共交通機関を利用する場合はリーガのバスターミナルなるからバスでバウスカという町に行き、更に乗り換えてルンダーレ宮殿を目指さなければならず、決して利便性が良いわけではない。今回は友人のインガの父親が車で連れて行ってくれるというので、本当に助かった。リーガからルンダーレ宮殿車で1時間半程度で到着。
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バルトのベルサイユ、と呼ばれるルンダーレ宮殿。宮殿は1736年から1740年にビロン公の夏の離宮として建設され、その建設にはロシア帝国の女帝アンナの後押しもあったと言われている。
現在ルンダーレ宮殿は約50もの部屋が一般に公開されているが、現在まだ修復している場所もあるので、今後一般公開される部屋はさらに増えると思われる。 -
宮殿は2階建てで2階を見学する。冬場は?20度を下回ることもある厳寒のラトビアで、こんな広い宮殿でどうやって冬に生活をしていたのだろうか。?
部屋には暖炉はあるが、通路は暖炉らしきものは全く見当たらない。 -
装飾が美しい大広間。 これだけ立派な宮殿にもかかわらず、見ての通り観光客はとても少ない(時期的なものもあるだろうが)。団体で訪れているのは日本人ツアー客だけしかいなかった
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コペンハーゲンのローゼンボー城にも同じような花瓶のディスプレイがあったが、今一つ日本人にはこういう飾り方が理解できない。地震の多い日本人には絶対考え付かない飾り方だろう。
「家族と11年ぶりのラトビア、そして北欧へ 16 ルンダーレ宮殿」
http://4travel.jp/traveler/worldspan2005/album/10617262/ -
白い大広間。ダンスホール。ダンスホールの天井の四つ角は折々の四季が現され、土の精霊、水の精霊、炎の精霊など、ラトビアにキリスト教が信仰される前の神々がこうして宮殿にあしらわれている。
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宮殿の小部屋は部屋ごとに一つの色を貴重とした部屋が様々にあり、とても目を引く。こちらはエメラルドグリーンが美しい部屋
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娘のお気に入りのピンクの間 。部屋には暖炉があるが、これだけの広さで暖まっていたのだろうか
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藍色の間
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寝室は黄緑であしらわれている。
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赤紫の間
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桃色の間。ハンガリーの民族衣装のよう。
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赤色の間。
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娘、学校の先生のよう。。。
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書斎の間。これだけ広いとどこに書斎があるのかわからなくなりそう
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天井がとても低い書斎のような部屋
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一通り宮殿の中を見た後に今度は外に出て庭園へ。
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宮殿の庭園はとてもよく整備されている。
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庭園もかなり広いのが宮殿もこうしてみるとかなり大きい。
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なんか絵画のように樹木がまっすぐ伸びて気持ち良い。
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リーガに戻る途中、バウスカの町外れに位置するバウスカ城にも訪れた。バウスカ城は 15世紀にリボニア騎士団により建設。
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3日目はリーガの旧市街を散策。リーガ市内を歩くのは11年ぶりのこと。まず訪れたのは中央駅の裏手に位置する中央市場。見て想像つくだろうが、飛行船ツェッペリンの格納庫として造られた。
昔はこの付近にもたくさん露店がでていてネジを一本売っていたり、ぼろぼろの靴を売っていたり、とても「斬新な商売」をしている人も良く見かけたが、今では全く見かけなくなっていた。 -
豚の半身
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今ではラトビアでもショッピングセンターが郊外にもたくさん店舗を構え、安売りをしているので、中央市場よりもむしろスーパーのほうが安い場合のほうが多く、中央市場から消費者が離れていっているのだとか。また治安があまり良くないので地元ラトビア人も注意を払って歩いているそうだ。
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そしていよいよ旧市街へと足を向ける。
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この石畳は雰囲気はあるのだが、ベビーカー泣かせ。でこぼこでなかなか進まない。
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こういう古い町並みには花壇がとてもよく映える
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細い路地から聖ペテロ教会が。。。
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聖ヨハネ教会
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同じハンザ同盟の町、ブレーメンから送られた音楽隊
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聖ペテロ教会。13世紀に建てられたのが最初。ペテロ教会には展望台があるのでぜひ訪れたいところ。
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第二次世界大戦でナチス・ドイツの空爆による戦災を受けたので、破壊によりところどころ修復の跡がみえる
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背の高い教会なので、とても開放感がある。
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展望台まではエレベータで上がることができる。
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川の右側に見えるのがリーガ大聖堂
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聖ペテロ教会を出た後、再び旧市街を散策
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煤けたことが絵になる建物
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ブラックヘッドの近くにあるリーガの市庁舎。以外にも新しく、仕事をするには快適そう。
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ブラックヘッドの正面の広場から
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ハンザ同盟の象徴でもあるブラックヘッド。第二次世界大戦でドイツの空爆で戦災を受け、2000年に再建。95年に初めてリーガに訪れた時はまだ再建のための土台を作っていたところだった
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ラトビアの象徴のクリスマスツリーなのだそうだ
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リーガ大聖堂が通りのわきから少し見える。リーガ大聖堂は1211年にアルベルト司教によって建設。18世紀後半に現在のような姿になった。
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旧市街の広場
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旧市街の街並み
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旧市街からユーゲントシュティールの間に位置する国立劇場。1902年に建設。
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ユーゲントシュティール建築群へ。ユーゲントシュティールは19世紀末から20世紀初頭に興ったドイツのアールヌーボー様式。
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リーガがバルトのパリと言わしめる理由がここにある。
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ユーゲントシュティールの街並み
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ルーマニア大使館が入っているのかな?
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ユーゲントシュティール建築群
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ユーゲントシュティール建築群
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ユーゲントシュティール建築群
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旧市街の途中に美しいロシア正教会の教会がある。これは19世紀後半に建設された救世主生誕大聖堂。
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第一次世界大戦と第二次世界大戦の僅か20年の間にラトビアは一時独立をしていたわけだが、その独立を記念して建てらた自由の記念碑
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記念碑を守る兵士
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リーガで有名なペリメニの店
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我々が食べたペリメニ。ペリメニは数種類のペリメニが置いてあるので、自分でお皿をとってどんどん入れていく。そしてレジで重さをはかってお金を支払う仕組みで実にわかりやすい。
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自由の記念碑から再び旧市街を歩く。
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前方に見えるのは火薬塔。1330年頃に建てられ火薬の保管庫として利用。
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猫の家。
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小ギルトホール
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大ギルドコンサートホール
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国立オペラハウス。1863年に建設
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オペラハウスの近くで結婚式を挙げたばかりの若者たちが余韻に浸っている。
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市内中心部の公園。町にこんな静かな公園があるなんてうらやましい
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旧ツム百貨店だった場所はこんなにモダンな百貨店に様変わり。昔は薄暗くてやる気のない店員ばかりだったが、まるで別な場所に来たのではないかと思うほど変わってしまっていた。
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友人宅に帰ったら、翌日にはわれわれは帰国するのでシャシリクパーティーを開いてくれた。家にある焼き場に墨や薪をくべ、火を入れる。
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火力がついたら、肉や野菜のくしざしを入れて焼く。これがまた美味しそうな臭いを出す。
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みんなで最後の夜を楽しむ
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そしてラトビアとのお別れ。空港の免税店にあったライマの時計台!?ライマはラトビアを代表するチョコレートメーカーだが、今ではスウェーデン資本になってしまったらしい。
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フィンコムエアーに搭乗し一路ヘルシンキへ。そして日本へ…
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この旅行記へのコメント (2)
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- ツーリスト今中さん 2012/03/11 13:06:54
- 日本人
- ラトビアダイジェスト!
興味深く拝見しました(*^_^*)
あの辺りは元々詳しくありませんが歴史的にも変遷がいろいろあって難しそうです。。。
数少ない観光客が日本人ツアー客だったとのこと。
どこにでもいる日本人ツアー客っていう感じですね。
壁の花瓶?の飾り付け昔、伊万里焼が欧州に沢山輸出され
伊万里の大皿があんな感じで装飾に使われたと言うのをハウステンボスの展示で見ましたがホント!日本人にはよく理解できない飾り方ですよね。
特に伊万里の大皿だと尚の事。
でも今回の旅行記見せて頂いてそういう発想なんだと分かりました
ご友人がいらしての異国旅行はいいですね。
中世の街並みとそこに暮らす方たちの様子がよく分かりました
- worldspanさん からの返信 2012/03/26 12:36:47
- RE: 日本人
- ツーリスト今中さん
お返事が大変遅れ申し訳ございません。
あの花瓶のディスプレイのやり方は日本人の発想には絶対にないですよね(笑)。やはり地震が頻繁にあるのかないかで、花瓶の展示方法までも変わるんだな、と感心してしまいました。ハウステンボスにも同じような展示があること、しりませんでした。訪れることがあれば注意深く見てみたいと思います。
worldspan
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