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JR南武線谷保駅下車徒歩約5分、東日本最古の天満宮である谷保(やほ)天満宮(やほてんまんぐう、東京都国立市谷保)を訪問しました。<br /><br />谷保天満宮は学問の神様として有名な菅原道真公並びに第3子道武公が祀られています。 <br />                     <br />由来としては901年(延喜元年)右大臣菅原道真が九州太宰府に左遷され同時に4人の子供達も左遷もしくは流罪となり、道武公は武蔵国多摩郡分倍荘栗原郷(現国立市谷保)に配流となります。<br /><br />903年(延期3年)道真公の死の報に道武公は思慕の情から父君の尊容を刻み鎮座したのが始まりとされます。<br /><br />947年(天暦元年)道真公を祀るべく京都北野天満宮造営の折、当社の慰霊を奏上、村上天皇の勅により神殿造営、官社に列せられます。<br /><br />道武の子孫はその後「三戸」の姓を名乗りますが、鎌倉時代になりますと道武公の裔孫で源頼朝の御家人で数々の武功をたてた津戸三郎為守(津戸三郎為守)が霊夢をみて1181年(養和元年)旧地(現国立府中インター付近)から現在地に遷したと伝えられています。<br /><br />明治18年には府社に昇格して東日本における天満宮としては最も古く湯島天神、亀戸天神と並び関東三天神と称されています。<br /><br />天満宮として多摩地区では著名な神社である事は周知の認識をしていましたが、自分が今回改めて訪問しますと1000年以上の歴史を有する古式豊かな天満宮である事、菅原道真公左遷に連動して子息が当地に配流され、亡き父への想いから天満宮創設に至ったという事などを知りまして当時の覇権争いの凄まじさと共に道武公が亡き父の御霊の安寧を祀る心構えに思わず合掌してしまいます。<br /><br /><br /><br />2023年11月5日追記<br /><br />現地に建てられた案内板には下記のごとく紹介されています。<br /><br />『  神 社 名  谷保天満宮<br />   主祭 神名  菅原道眞公・菅原道武公<br /><br />        由 緒<br /><br />昌泰四年管公太宰府に遷られ給う所、第三子道武朝臣この地に配流され給う。父君蔓去の報に朝臣思慕の情に耐え給はず父君の尊容をを刻み、天神島(現府中本宿)に鎮座す。<br /><br />養和元年11月3日裔孫津戸三郎為守霊夢を蒙り現在の地に遷座す。天暦元年京都天満宮造形の折、勅使の下向ありて官社に列せられ、関左第一の天満宮と称せられ、18年府社に列せられる。<br /><br />主たる社宝<br />     御宇多天皇勅額<br />      「天満宮」一面 (国指定重要文化財)<br />     村上天皇寄進<br />      狛犬 一対  (国指定重要文化財)<br />     源義経・弁慶・亀井六郎・伊勢三郎書写<br />      「大般若経」四巻<br /><br />例大祭    九月二十三日~二十五日<br /><br />            北 多 摩 新 道 青 年 会 』

武蔵谷保 連座して当地に流刑の三男菅原道武が亡父偲慕の情抑え難く京都北野天幡宮より勧請創建し後裔の津戸三郎為守が遷座した『谷保天満宮』散策

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2011/11/03 - 2011/11/03

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滝山氏照

滝山氏照さん

JR南武線谷保駅下車徒歩約5分、東日本最古の天満宮である谷保(やほ)天満宮(やほてんまんぐう、東京都国立市谷保)を訪問しました。

谷保天満宮は学問の神様として有名な菅原道真公並びに第3子道武公が祀られています。 
                     
由来としては901年(延喜元年)右大臣菅原道真が九州太宰府に左遷され同時に4人の子供達も左遷もしくは流罪となり、道武公は武蔵国多摩郡分倍荘栗原郷(現国立市谷保)に配流となります。

903年(延期3年)道真公の死の報に道武公は思慕の情から父君の尊容を刻み鎮座したのが始まりとされます。

947年(天暦元年)道真公を祀るべく京都北野天満宮造営の折、当社の慰霊を奏上、村上天皇の勅により神殿造営、官社に列せられます。

道武の子孫はその後「三戸」の姓を名乗りますが、鎌倉時代になりますと道武公の裔孫で源頼朝の御家人で数々の武功をたてた津戸三郎為守(津戸三郎為守)が霊夢をみて1181年(養和元年)旧地(現国立府中インター付近)から現在地に遷したと伝えられています。

明治18年には府社に昇格して東日本における天満宮としては最も古く湯島天神、亀戸天神と並び関東三天神と称されています。

天満宮として多摩地区では著名な神社である事は周知の認識をしていましたが、自分が今回改めて訪問しますと1000年以上の歴史を有する古式豊かな天満宮である事、菅原道真公左遷に連動して子息が当地に配流され、亡き父への想いから天満宮創設に至ったという事などを知りまして当時の覇権争いの凄まじさと共に道武公が亡き父の御霊の安寧を祀る心構えに思わず合掌してしまいます。



2023年11月5日追記

現地に建てられた案内板には下記のごとく紹介されています。

『  神 社 名  谷保天満宮
   主祭 神名  菅原道眞公・菅原道武公

        由 緒

昌泰四年管公太宰府に遷られ給う所、第三子道武朝臣この地に配流され給う。父君蔓去の報に朝臣思慕の情に耐え給はず父君の尊容をを刻み、天神島(現府中本宿)に鎮座す。

養和元年11月3日裔孫津戸三郎為守霊夢を蒙り現在の地に遷座す。天暦元年京都天満宮造形の折、勅使の下向ありて官社に列せられ、関左第一の天満宮と称せられ、18年府社に列せられる。

主たる社宝
     御宇多天皇勅額
      「天満宮」一面 (国指定重要文化財)
     村上天皇寄進
      狛犬 一対  (国指定重要文化財)
     源義経・弁慶・亀井六郎・伊勢三郎書写
      「大般若経」四巻

例大祭    九月二十三日~二十五日

            北 多 摩 新 道 青 年 会 』

交通手段
JRローカル 徒歩

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  • 谷保天満宮前<br /><br />甲州街道(国道20号)に面した交差点を渡ります。学問の神、菅原道真公を祀る神社だけに受験シーズンとなりますと合格祈願のため大勢の受験生やその家族が参拝に訪れ周辺はかなりの混雑ぶりを呈します。<br />

    谷保天満宮前

    甲州街道(国道20号)に面した交差点を渡ります。学問の神、菅原道真公を祀る神社だけに受験シーズンとなりますと合格祈願のため大勢の受験生やその家族が参拝に訪れ周辺はかなりの混雑ぶりを呈します。

  • 谷保天満宮鎮守の森<br /><br />江戸時代中期までの甲州街道は、谷保のあたりでは立川段丘の下(神社の南側)を通ってましたので、天満宮の本殿・拝殿は街道に面し、南向きに建てられていました。ところが多摩川の流路が変わり舟の渡し場の変遷もあって現在とほぼ同じ北側の道路を通るようになりますと、人の流れも変わり、参道は駅や甲州街道からこの鎮守の森を抜け本殿に向けて下りる形となります。

    谷保天満宮鎮守の森

    江戸時代中期までの甲州街道は、谷保のあたりでは立川段丘の下(神社の南側)を通ってましたので、天満宮の本殿・拝殿は街道に面し、南向きに建てられていました。ところが多摩川の流路が変わり舟の渡し場の変遷もあって現在とほぼ同じ北側の道路を通るようになりますと、人の流れも変わり、参道は駅や甲州街道からこの鎮守の森を抜け本殿に向けて下りる形となります。

  • 谷保天満宮由緒説明板

    谷保天満宮由緒説明板

  • 拝殿全景<br /><br />保有の重要文化財(彫刻)として木造獅子狛犬(阿形と吽形の一対)が宝物殿に安置され、また重要文化財(工芸品)として木造扁額 額文「天満宮」(元治元年、藤原経朝の揮毫で願文の清書等で高名な能書家)は後宇多天皇の奉献とされます。

    イチオシ

    拝殿全景

    保有の重要文化財(彫刻)として木造獅子狛犬(阿形と吽形の一対)が宝物殿に安置され、また重要文化財(工芸品)として木造扁額 額文「天満宮」(元治元年、藤原経朝の揮毫で願文の清書等で高名な能書家)は後宇多天皇の奉献とされます。

  • 谷保天満宮拝殿・本殿説明

    谷保天満宮拝殿・本殿説明

  • 大庭燎祭案内<br /><br />自分が訪問した日は偶然にも年間行事である大庭燎祭が18時から開催される日でした。炎の高さを競い御神木の転倒を防ぎ合う関東における奇祭の一つと言われてます。おかがら火にあたると病気にならないと言われています。<br />同時に「うそ替神事」が開催され、各人がうそを持ち寄りうそを互いに交換して帳消しにし吉にとり(鳥)替えるとされます。

    大庭燎祭案内

    自分が訪問した日は偶然にも年間行事である大庭燎祭が18時から開催される日でした。炎の高さを競い御神木の転倒を防ぎ合う関東における奇祭の一つと言われてます。おかがら火にあたると病気にならないと言われています。
    同時に「うそ替神事」が開催され、各人がうそを持ち寄りうそを互いに交換して帳消しにし吉にとり(鳥)替えるとされます。

  • 交通安全祈願発祥の地<br /><br />1908年(明治41年)8月1日有栖川宮威仁親王先導による遠乗会と称する初めてのドライブツアーが谷保天満宮をゴールとして開催され、威仁一行が拝殿に昇殿参拝後帰途に着き、事故等なく無事東京に戻った事が記念碑として境内にありこれが交通安全祈願発祥の所以となります。

    交通安全祈願発祥の地

    1908年(明治41年)8月1日有栖川宮威仁親王先導による遠乗会と称する初めてのドライブツアーが谷保天満宮をゴールとして開催され、威仁一行が拝殿に昇殿参拝後帰途に着き、事故等なく無事東京に戻った事が記念碑として境内にありこれが交通安全祈願発祥の所以となります。

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