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国土は打ち続く疫病と飢饉に見舞われ、政治は権力闘争に明け暮れた時代背景の中、聖武天皇が鎮護国家の思想から天平13年(741)全国に「国分寺・国分尼寺の詔」を発布、これに伴い建立された武蔵国分寺(むさしこくぶんじ、東京都国分寺市西元町)を訪問しました。<br />  <br />JR武蔵野線西国分寺南口から東側の府中街道に沿って徒歩約15分、歴史公園として開放されている国分寺跡の広々とした敷地が眼に入ります。<br /><br />大正11年(1922)「史跡名勝天然記念物法」により中心地域が国史跡に指定され、昭和31年(1956)以降発掘調査をした結果、国分寺(僧寺)には金堂・講堂・七重塔・鐘楼・東僧坊・中門・塀・北方建物が確認されました。<br /><br />辺り一帯は建物は全くありません。所々に石碑が佇んでいるだけですが周囲の慌しい騒音から遮断され、遥か昔の時代にタイムスリップしたかのような錯覚を覚えます。<br /><br />自分が訪問した日は発掘調査中のためか所々にブルーシートが掛けられたりしていましたが、往時の資料等が少ない時代の唯一無二の歴史資産ですから時間を充分使って慎重に発掘調査して頂きたいと思わずにはおれません。<br /><br />尚この国分寺(僧寺)は西側の尼寺と共に都と国府(府中)を結ぶ東山道武蔵路(=現「府中街道」にほぼ沿う)に面しており計画的に建立された事を物語っています。<br /><br /><br />2023年11月14日追記<br /><br />ホームページに掲載の当該国分寺の歴史について詳細に渡り紹介されています。<br /><br />『 武蔵国分寺の歴史<br /><br />武蔵国分寺は、天平13年(741)に聖武天皇により発布された国分寺建立の詔で、鎮護国家を祈念して全国に60余設置された国分寺の一つです。当時の文献資料からは、承和2年(835)に伽藍を構成していた堂宇の一つである七重塔が雷火によって焼け、その10年後の承和12年(845)に男衾郡の前大領壬生吉志福正が再建を願い出て許可されてことが「続日本後紀」に記されています。それ以外には、国分寺の造営をめぐる具体的な過程は明らかではありませんが、発掘成果では出土瓦の様相などから武蔵国分寺は天平宝字年間(757~765)頃の創建と考えられています。<br /><br />古代寺院としての武蔵国分寺の終焉については、発掘調査では10世紀前半頃に寺域区画溝の埋没後、区画の内側に竪穴住居が出現することから、徐々に衰退に向かっていた様子が窺えますが、「子右記」には治安3年(1023)に国分寺修造の宣旨が下されたことが記されています。また、宗教法人国分寺所蔵の「医王山縁起」は元弘3年(1333)、新田義貞と鎌倉幕府との間で行われた分倍河原の合戦において国分寺が焼失し、建武2年(1335)に義貞の寄進で再興されたことを伝えています。』

武蔵国分寺 鎮護国家を祈念すべく聖武天皇発布の全国60余設置したと伝えられる大事業の一つ『武蔵国分寺』散歩

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2011/10/09 - 2011/10/09

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滝山氏照

滝山氏照さん

国土は打ち続く疫病と飢饉に見舞われ、政治は権力闘争に明け暮れた時代背景の中、聖武天皇が鎮護国家の思想から天平13年(741)全国に「国分寺・国分尼寺の詔」を発布、これに伴い建立された武蔵国分寺(むさしこくぶんじ、東京都国分寺市西元町)を訪問しました。
  
JR武蔵野線西国分寺南口から東側の府中街道に沿って徒歩約15分、歴史公園として開放されている国分寺跡の広々とした敷地が眼に入ります。

大正11年(1922)「史跡名勝天然記念物法」により中心地域が国史跡に指定され、昭和31年(1956)以降発掘調査をした結果、国分寺(僧寺)には金堂・講堂・七重塔・鐘楼・東僧坊・中門・塀・北方建物が確認されました。

辺り一帯は建物は全くありません。所々に石碑が佇んでいるだけですが周囲の慌しい騒音から遮断され、遥か昔の時代にタイムスリップしたかのような錯覚を覚えます。

自分が訪問した日は発掘調査中のためか所々にブルーシートが掛けられたりしていましたが、往時の資料等が少ない時代の唯一無二の歴史資産ですから時間を充分使って慎重に発掘調査して頂きたいと思わずにはおれません。

尚この国分寺(僧寺)は西側の尼寺と共に都と国府(府中)を結ぶ東山道武蔵路(=現「府中街道」にほぼ沿う)に面しており計画的に建立された事を物語っています。


2023年11月14日追記

ホームページに掲載の当該国分寺の歴史について詳細に渡り紹介されています。

『 武蔵国分寺の歴史

武蔵国分寺は、天平13年(741)に聖武天皇により発布された国分寺建立の詔で、鎮護国家を祈念して全国に60余設置された国分寺の一つです。当時の文献資料からは、承和2年(835)に伽藍を構成していた堂宇の一つである七重塔が雷火によって焼け、その10年後の承和12年(845)に男衾郡の前大領壬生吉志福正が再建を願い出て許可されてことが「続日本後紀」に記されています。それ以外には、国分寺の造営をめぐる具体的な過程は明らかではありませんが、発掘成果では出土瓦の様相などから武蔵国分寺は天平宝字年間(757~765)頃の創建と考えられています。

古代寺院としての武蔵国分寺の終焉については、発掘調査では10世紀前半頃に寺域区画溝の埋没後、区画の内側に竪穴住居が出現することから、徐々に衰退に向かっていた様子が窺えますが、「子右記」には治安3年(1023)に国分寺修造の宣旨が下されたことが記されています。また、宗教法人国分寺所蔵の「医王山縁起」は元弘3年(1333)、新田義貞と鎌倉幕府との間で行われた分倍河原の合戦において国分寺が焼失し、建武2年(1335)に義貞の寄進で再興されたことを伝えています。』

交通手段
JRローカル 私鉄 徒歩

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  • 武蔵国分寺跡石碑<br /><br />大樹の傍らに石碑が静かに佇んでいます。<br /><br /><br /><br /><br />

    イチオシ

    武蔵国分寺跡石碑

    大樹の傍らに石碑が静かに佇んでいます。




  • 金堂跡石碑<br /><br />金堂が建っていたとされる場所です。

    金堂跡石碑

    金堂が建っていたとされる場所です。

  • 金堂の礎石<br /><br />金堂を支える礎石が整然と並んでいます。

    金堂の礎石

    金堂を支える礎石が整然と並んでいます。

  • 中門跡石碑<br /><br />

    中門跡石碑

  • 武蔵国分寺跡整備イメージ図<br /><br />武蔵国分寺は僧寺・尼寺合わせて東西880m、南北550m四方の広大な敷地に20年余の歳月をかけて完成に至ったそうです。<br />当時の原始的な手法で大規模な寺院を建てるわけですからかなりの労働役務が動員されたことでしょう。<br />

    武蔵国分寺跡整備イメージ図

    武蔵国分寺は僧寺・尼寺合わせて東西880m、南北550m四方の広大な敷地に20年余の歳月をかけて完成に至ったそうです。
    当時の原始的な手法で大規模な寺院を建てるわけですからかなりの労働役務が動員されたことでしょう。

  • 礎石<br /><br />国分寺主要伽藍建築物等に使用されていたそうです。<br /><br />

    礎石

    国分寺主要伽藍建築物等に使用されていたそうです。

  • 説明文

    説明文

  • 武蔵国分寺についての説明<br /><br />元弘3年(1333)分倍河原の合戦で焼失したと伝えられています。<br /><br />

    武蔵国分寺についての説明

    元弘3年(1333)分倍河原の合戦で焼失したと伝えられています。

  • 武蔵国分寺全体地図

    武蔵国分寺全体地図

  • 国分寺薬師堂(市指定重要)<br /><br />建武2年(1335)、新田義貞寄進により国分寺僧寺の金堂付近に建立されたと伝えられ、その後享保元年(1716)修復されましたが宝暦年間(1751~1763)に現在地で再築されました。

    国分寺薬師堂(市指定重要)

    建武2年(1335)、新田義貞寄進により国分寺僧寺の金堂付近に建立されたと伝えられ、その後享保元年(1716)修復されましたが宝暦年間(1751~1763)に現在地で再築されました。

  • 説明文

    説明文

  • 国分寺仁王門<br /><br />宝暦年間(1751~1762)に建立された入母屋造りの八脚門で間口が9.0m、奥行が3.6mとあります。<br />この門の左右には阿(口を開いている)・吽(口を閉じている)二体の仁王像(高さ2.5m)が安置されていますが格子越しにしか見ることができません。

    国分寺仁王門

    宝暦年間(1751~1762)に建立された入母屋造りの八脚門で間口が9.0m、奥行が3.6mとあります。
    この門の左右には阿(口を開いている)・吽(口を閉じている)二体の仁王像(高さ2.5m)が安置されていますが格子越しにしか見ることができません。

  • 説明文

    説明文

  • 国分寺楼門<br /><br />東久留米市の米津寺の門を明治28年に移築したものだそうです。

    国分寺楼門

    東久留米市の米津寺の門を明治28年に移築したものだそうです。

  • 説明文

    説明文

  • 武蔵国分寺全景

    武蔵国分寺全景

  • 拝殿

    拝殿

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