2011/08/20 - 2011/08/20
4223位(同エリア9494件中)
triさん
ジブリ映画『コクリコ坂から』の舞台となった横浜。映画の公開に伴い、KDDI主催のスタンプラリーをしてきました。
これまで中学生の頃からマリノス戦を観に何度となく訪れていた横浜ですが、街の歴史を感じながら街歩きをするのは今回が初めて。港としての横浜の魅力と深さを堪能できた日となりました。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
PR
-
横浜駅西口です。
西口に立ったけど、意外と古い雰囲気だったんですね。 -
西口にあるヨコハマ プラザホテルが立っている場所はかつてガソリンスタンド発祥の地だったそうです。
-
「日本ガソリンスタンド発祥の地 エッソ・スタンダード石油株式会社 取締役社長 八城政基氏記 昭和四十九年九月十九日 横浜米油株式会社 社主 熊澤貞吉建之」とあります。
ヨコハマ プラザホテルは、経営はこの碑を建立した横浜米油株式会社で、エクソンモービルの代理店です。 -
みなとみらいはキャノン キャッツシアター、マリノスタウン、横浜BLITZ、横浜メディアタワー、パシフィコ横浜と文化的な施設がたくさんあります。
-
左手にあるのがマリノスタウン。高層マンションと広い空の中、綺麗に保たれた天然芝で練習するのはリッチすぎる??
-
練習場は3面あり、スタンドからはトップチームの練習を見ることが出来ます。円筒状の建物は富士ゼロックスR&Dスクエアです。右方向が横浜駅方面。
-
別角度から見た練習場。
うん〜、リッチな感じだ〜。 -
こちらは裏に設けられた人工芝のグラウンド。
別の日ですが、マリノスが主催している「ふれあいサッカー」に参加しました。大好きなプロチームのスタッフと一緒に教わりながらサッカーできて幸せです。 -
横浜美術館ではヨコハマトリエンナーレが始まっていました。見たかったけどこの日はスタンプラリーが長いので我慢。
-
横浜美術館入り口。
ウーゴ・ロンディーネの作品が並んでいます。どれもこれも絶妙な表情でかわいらしいです。どれが一番好きかな〜なんて見てましたが、甲乙付け難い。 -
横浜美術館前では、三菱地所株式会社による2013年春オープン予定の「(仮称)MM21 地区34 街区商業施設開発計画」工事が行われていて、その工事仮囲い壁面の1面に、「ヨコハマトリエンナーレ2011」(8月6日から11月6日)の出品作が展示されています。
その他の3面では三菱地所株式会社と横浜美術館が共同でアートワークプロジェクト「アーティストの言葉たち展」を展開されています。 -
彫刻家、最上壽之氏の『モクモク ワクワク ヨコハマ ヨーヨー 』
この作品はランドマーク・タワーなどによるビル風を緩和するために創られました。
風の流れ、地球を取り巻く大気の流れ、また最上氏自身が高度経済成長期に制作活動を拡げていたことから、工場の煙突から吐き出される灰色の煙、蒸気機関車の煙、そういった要素が表現の中に組み込まれているそうです。ランドマークタワーが直線的であるため、そのコントラストとして流線型にもしたそうです。
以上のことは帰宅後に調べて分かったのですが、確かに思い返してみると、この作品の周辺、そして横浜美術館へと続く直線の遊歩道では風は穏やかで、ビル風のあの突風は感じられませんでした。 -
【横浜ランドマークタワー】
全長200m、5層吹抜けのショッピングモールです。
ヨーロッパの広場のような「ガーデンスクエア」、カジュアルな雰囲気の「フェスティバルスクエア」で構成され、約170のお店が入っています。
下部に写っているのは国重要文化財の【ドックヤードガーデン】
日本に現存する商船用石造りドックとして、もっとも古い「旧横浜船渠第2号ドック」がありました。このドックを後世に伝えるべき資産として1993年に復元され、1997年に国重要文化財に指定されました。
明治19年(1886)、横浜財界人が「横浜桟橋会社盟約」をなし、その計画を英国人H.S.パーマー氏に委嘱したことから横浜築港計画は始まりました。
この第2号ドックは、海軍技師 恒川柳作氏の設計で、明治29年(1896)に竣工しました。昭和40年代に入ると船の大型化、小型船修繕の中小造船所への移行などにより使用頻度が急速に低下。昭和48年にその役目を終えました。
全長:約107m 上端幅約29m
深さ:約10m -
【日本丸メモリアルパーク】
ヨコハマグランドインターコンチネンタルホテル、よこはまコスモワールド、右の建物は展望棟です。
この展望棟…入っていないけど、意外と穴場かも?? -
【帆船日本丸】
このドックは横浜船渠第一号ドックで、国指定重要文化財となっています。
海軍技師の恒川柳作が設計し、明治31年12月に竣工しました。
船の向こうは桜木町駅付近です。クロスゲートとTOCみなとみらいの建物。
ポールには航海旗が掲げられていて、港町情緒を感じさせます。今回『コクリコ坂から』を観て航海旗の役割を知ったので、そういう知識があるとこの場所の持つ深みが全然変わってきます。 -
【帆船日本丸】
昭和5(1930)年に建造された商船学校の練習帆船です。
昭和59(1984)年まで約54年間活躍し、地球を45.4周する距離(延べ183万km)を航海し、11,500名もの実習生を育ててきたそうです。
入館料は横浜みなと博物館とセットで600円。どちらか一つだと400円です。
オフィシャルサイトでは、みなと横浜ミュージアム・クルーズ「ウミキューチケット」という帆船日本丸・横浜みなと博物館、横浜開港資料館、日本郵船歴史博物館の入館券と京浜フェリーボートの水上バス乗船券(1区間)がセットで1,000と800円もお得なチケットがあります。
他にも、帆船の生活を体験できる「海洋教室」を実施されているそうです。
帆船の規律正しい団体生活を通じて協調性や精神力などを養い、甲板みがき、ロープワークやカッター訓練など、貴重な体験ができます。宿泊コースはなんと、そのまま日本丸の実習生室に宿泊できるそうです。 -
観るたびに係留方法と洗い方はどうしてるのだろうと気になっていましたが、判明。
-
【横浜みなと博物館】(旧 横浜マリタイムミュージアム)
2009年4月オープンということで、とても綺麗な博物館でした。
横浜港は2009年(平成21年)に開港から150年目を迎えましたこともあり、それに伴うリニューアルだったのでしょう。
展示テーマは「歴史と暮らしのなかの横浜港」。はじめての「横浜港」をテーマにした博物館だそうです。150年の歴史を紹介する「横浜港の歴史」ゾーンと、横浜港の役割をテーマ別に学べる「横浜港の再発見」ゾーンで構成されていました。
大型船の模型が細かく出来ていて、観ていて飽きませんでした。船の操縦シミュレーターも面白くて、思わずにやにやしてしまいました。 -
帆船日本丸の模型。
以下、説明板より
建造年:1930(昭和5)年
全長:97m(バウスブリット含む)
幅:12.95m
満載喫水:6.41m
帆の数:29枚
総トン数:2278,25トン
船主:横浜市
建造所:川崎造船所(神戸)
主機械:ディーゼル2基
定員:186名(係留船の場合) -
操舵室。
-
船の舵って観てるだけでかっこいい!
-
-
シータとパズーを思い出させます。
-
場所ごとに名称と役割が貼られているので分かりやすいです。
-
船内へ下りました。中は甲板を歩いたときに感じていた以上に広くて、こんなに部屋があるのかと驚きました。
-
様々な結び。
-
実習生室。
-
良く手入れされているので、アンティーク調で雰囲気良いです。
-
重厚さと鉄板の香りが別世界の感覚に導きます。
-
機関室。
日本丸のエンジンは54年間動き続け、世界一の稼動年数記録を打ち立てました。 -
調理員室。
ビリジアンのソファが渋い! -
医療室。
揺れる中での手術は想像できない難しさだっただろうな。 -
-
小さな船ながらも、キラびやかな階段を用意することは、乗組員にとって大切な要素かもしれない。
-
調理室。
-
船長公室。
さすがにゆったりとしている。 -
船長室。
屋根裏部屋のプライベートルームみたい。 -
船長浴室。
以下、説明板より
船長専用の浴室とトイレです。清水の使用に制限があるため、遠洋航海中の入浴は、週2回で
海水風呂です。沸かすのには蒸気を使います。 -
機関室。
アナログ感たっぷり。 -
大桟橋へ向かいます。
観光名所には「コクリコ坂から」のキャンペーン旗が。
UとWを意味するこの二つの航海旗は、ペアで「ご安航を祈る。」の意味です。 -
【汽車道】
日本丸メモリアルパークの傍らから新港地区へ向けて、大岡川河口の湾を横切る舗道で、かつての新港埠頭の物資輸送に使われた臨港鉄道の遺構を保存したものです。路面にはレール跡が残されています。
夜は水面に映る光が綺麗。 -
【周遊バス「あかいくつ」】
観光スポットを回ります。
この日は常に満車でした。 -
【桜木町駅南口】
桜木町駅は1872年(明治5年)、日本で最初に鉄道が開通した時に初代の横浜駅として開業しました。その後、東海道本線の延伸に伴い「横浜駅」の名称を現在の横浜駅に譲り、1915年(大正4年)に桜木町駅に改称されたそうです。 -
【キャプテン翼スタジアム】
フットサルを楽しむことが出来ます。黒い建物はTSUBASA Cafe。 -
【TSUBASA Cafe】
翼くんという爽やかなイメージとは違ってモダンなデザイン。
真っ青!というのでも良かったと思うんだけどな〜。南葛カラーとか。 -
【横浜開港記念会館】(ジャック)
1917(大正6)年開館。
設計原案、基本構造設計は福田重義と山田七五郎。
横浜は古い建物がまったく違和感無く溶け込んでいて、つくづく綺麗。
横浜税関本関(クイーン)、 横浜県庁(キング)と共に、 横浜の3塔として「ジャック」の愛称が付けられています。 -
【横浜税関】(クイーン)
改修が行われ写真の建物は第三代改修後のもの。
横浜税関のWebサイトに初代、二代の写真が載っていて、初代を生で観てみたかった。 -
【横浜県庁】(キング)
外壁のスクラッチタイル貼りと中央の高塔が特徴。 -
-
-
【横浜開港資料館】(旧英国総領事館)
開港百年を記念して編さんされた『横浜市史』の収集資料を基に、1981(昭和56)年、日本の開国を約した日米和親条約が締結された地において開館されました。
館内では「コクリコ坂から」の背景画が、主題歌となった手嶌葵さんの「さよならの夏」が流れる中、展示されていました。
古く、コンクリ壁のひんやりした空気の中、「さよならの夏」は涼やかに響き渡り、澄んだ声がより切なくやさしく聴こえました。 -
【横浜開港資料館 玉楠(たまくす)の木】
歴史教科書でよく目にする1854(嘉永7)年のペリー来航時の絵「横浜上陸」や「水神の祠」(画家ハイネ)。中庭には、そこに描かれている木と考えられる「玉楠(たまくす)の木」(タブノキ)があります。
戦火や関東大震災の影響により大部分が焼失したそうですが、新たな芽吹きで今の姿になっています。 -
-
【横浜開港資料館 玉楠(たまくす)の木】
-
イチオシ
横浜開港資料館の目の前の通り。
モノクロにしてしまえばヨーロッパそのものです。一部、カタカナが見えますが。 -
-
-
イチオシ
-
-
【象の鼻地区】
大さん橋手前、赤レンガパークと山下公園を結ぶエリアです。
写真には写っていませんが、左手には防波堤があり、上から見ると象の鼻に似ていることから、「象の鼻」と呼ばれています。横浜の港はこの象の鼻地区から始まりました。
横浜市では、この貴重な地区の歴史性や象徴性を活かしながら賑わいや交流の場を生み出すため、開港150周年の平成21年6月2日(開港記念日)に象の鼻パークとしてオープンしました。 -
イチオシ
【横浜港大さん橋 国際客船ターミナル】
床は、ブラジル産木材イペを使用したウッドデッキ仕上げ。また天然芝の緑地エリアが設けてられています。“庭のような、訪れる人にやさしい”というのがテーマだそうです。
確かに観光客は多いけれど、不思議と落ち着く場所なんですよね。大好きな場所です。 -
【横浜港大さん橋 国際客船ターミナル】
みなとみらい地区方面の眺め。 -
【横浜港大さん橋 国際客船ターミナル】
横浜ベイブリッジ方面の眺め。 -
【横浜港大さん橋 国際客船ターミナル】
横浜ベイブリッジ〜山下公園、横浜マリンタワー方面の眺め。 -
【横浜港大さん橋 国際客船ターミナル】
館内。独創的な作りで、天井の三角錘の組み合わせは異空間に連れて行ってくれそうで、これから旅立つ人々の心をワクワクさせそう。
デザインは国際デザインコンペ(国際建築設計競技)によって選定されました。
世界41カ国、660作品の応募があり、国内で行われた国際コンペとしては過去最大のものとなったそうです。最優秀作品に、イギリス在住の建築家、アレハンドロ・ザエラ・ポロとファッシド・ムサヴィ両氏の作品が選ばれました。 -
【ホテルニューグランド】
1927年(昭和2)年開業。
館内はため息ものの豪華さ。一回泊まってみたい。
映画「コクリコ坂から」にも描かれています。その他、映画「THE 有頂天ホテル」、TVドラマ「華麗なる一族」など、数々の映画・TV等の撮影に使われています。 -
【横浜マリンタワー】
1961(昭和36)年に完成、2009年は横浜開港150周年を迎えリニューアル。 -
【横浜マリンタワー】
ここにも「ご安航を祈る」の航海旗が。
ところで「コクリコ坂から」のスタンプラリーはここで目的の数は達成し、この航海旗のピンバッジを頂こうと思ったのですが、キャンペーンが大人気だったそうで、限定1万個のバッジは無くなってしまっていました。
代わりに航海旗一覧ポストカードとマグネットを頂きました。
まぁ、バッジは売ってるしね。
むしろマグネットの方が使うことが多いので嬉しかったり。 -
昔の横浜の観光パンフレット。
-
【港の見える丘公園/フランス領事官邸】
港の見える丘公園は丘陵地となっていて、300名以上が駐屯し、フランス山と呼ばれていました。
以下、説明板より引用
1862年9月(文久2年8月)に起きた生麦事件など、攘夷派による外国人殺傷事件が相次いだため、フランスは、横浜居留地に住む自国民の保護と防衛を目的に、イギリスとともに軍隊の駐屯を決定しました。
1863年下旬(文久3年5月)フランス海兵隊が横浜に到着し、山手居留地185番に駐屯を開始、7月、8月頃、駐屯軍兵舎が186番に3棟建設されました。1875年(明治8)年3月に撤退するまでの約12年間、部隊の交代をくり返しながら駐屯を続けました。これがフランス山と呼ばれるようになった由来です。
撤退により兵舎が不要になったので、海兵隊当局はフランス山の永代借地権をフランス駐日外交代表部に譲渡しました。横浜駐在のフランス領事はここに領事館を建設する提案をしましたが、なかなか実現しないでいたところ、1885(明治18)年になってフランス人居留民の有志らが領事館建設の請願書を提出しました。このことがきっかけとなって計画が具体化し、1894(明治27)年にフランス人建築家サルダの設計で、領事館と領事官邸の新築工事が始まりました。1896(明治29)年3月、山手185番(フランス山下方)に領事館、12月に山手186番(フランス山上方)に領事官邸が完成します。領事官邸には、風車の付いた井戸が掘られました。
1923(大正12)年、関東大震災により、領事館・領事官邸ともに倒壊します。震災後、領事館は仮説の建物を使用していましたが、官邸は、1930(昭和5)年、スイス人建築家ヒンデルの設計で山手186番に再建されました。その官邸も、戦後まもない1947(昭和22)年には火災で焼失してしまいます。現存している遺構は、その際に焼け残った一階部分です。 -
【港の見える丘公園/フランス領事官邸】
-
【港の見える丘公園/展望台】
-
【港の見える丘公園/展望台】
左隅に横浜マリンタワーが見えます。
木々を抜けた後も曇っていると、景色はそこまで良くは見えなかったかな。
みなとみらい方面も見えないから寂しいかも。 -
【港の見える丘公園/大佛次郎記念館前の沈床花壇】
戦前のフランス人たちがお茶をしていたのかな、なんて考えると情緒あります。 -
【港の見える丘公園/大佛次郎記念館前の沈床花壇】
-
【港の見える丘公園/大佛次郎記念館前の沈床花壇】
やや明るいビビッドな色が散りばめられ、かわいかったです。
金平糖を拡げたようなキラキラした感じ。 -
【港の見える丘公園】
和洋折衷な道。 -
【港の見える丘公園/山手111番館・ローズガーデン「えの木てい」喫茶室】
白壁と暖かな赤い瓦屋根を持つスペイン風の洋館。テラスからはローズガーデンの花々が望めます。 -
【港の見える丘公園/山手111番館】
-
【港の見える丘公園/横浜市イギリス館】
1937(昭和12)年、上海の大英工部総署の設計によって、英国総領事公邸として、建てられました。1階ホールはコンサート、2階集会室は会議等に利用されています。 -
【港の見える丘公園/横浜市イギリス館】
-
【港の見える丘公園/横浜市イギリス館】
-
【港の見える丘公園/横浜市イギリス館】
厨房です。 -
【港の見える丘公園/横浜市イギリス館】
-
【港の見える丘公園/横浜市イギリス館】
-
【港の見える丘公園/横浜市イギリス館】
-
【港の見える丘公園/横浜市イギリス館】
-
【港の見える丘公園/横浜市イギリス館】
「コクリコ坂から」に出てきた週刊カルチェラタン。 -
【港の見える丘公園/横浜市イギリス館】
-
【横浜外国人墓地】
1854年、ペリーは開国交渉のため再来日。一人の乗組員が墜死し、この水兵の埋葬地と共にアメリカ人用の墓地をペリーは幕府に要求しました。ペリーは「海の見える地」という条件を出し、幕府は応えるべく今の地を選びました。ウィリアムズはここに埋葬され、横浜山手の外国人墓地の始まりとなります。 -
【横浜外国人墓地前の通り】
ヨーロッパ風のアパート。こういう所に住んでみたい。 -
【横浜外国人墓地前の山手十番館】
明治100年祭を記念して建てられたカフェ&フレンチレストラン。明治42年に建てられた横浜唯一の木造西洋館を移築、保存した山手資料館が併設されています。
色もデザインも憧れの建物という感じ。 -
【山手234番館】
1927(昭和2)年頃、外国人向けの共同住宅として建設されました。1階は山手地区の洋館のパネル展示、2階は貸し出しスペースとして、ギャラリー展示や会議等に利用できます。 -
【山手234番館】
オレンジとターコイズブルーの対比が綺麗。 -
イチオシ
【山手234番館】
あのベンチに恋人がいたらロマンチックですね。 -
【山手234番館】
二階はブライダルの会社か何かがプレゼン展示していました。
こんな部屋だったら優雅な夜を過ごせそう。 -
イチオシ
【エリスマン邸】
生糸貿易商社シーベルヘグナー商会の横浜支配人として活躍した、スイス生まれのフリッツ・エリスマン氏の邸宅。大正14(1925)年から15(1926)年にかけて建てられました。設計は「現代建築の父」チェコ出身のアントニン・レーモンドです。
1階には応接室、居間兼食堂、庭を眺めるサンルームなどがあり、簡潔なデザイン。2階は、山手の洋館に関する資料(写真や図面)が展示されています。 -
【エリスマン邸】
こんな家に住むお友達が欲しい!そして遊びに行きたい! -
【エリスマン邸】
階段を上がることに飽きることがなさそう。 -
【エリスマン邸】
-
【べーリック・ホール(旧ベリック邸)】
イギリス人貿易商B.R.ベリック氏の邸宅。
1930(昭和5)年設計。第二次世界大戦前まで住宅として使用され、1956(昭和31)年に遺族より宗教法人カトリック・マリア会に寄付、2000(平成12)年まで、セント・ジョセフ・インターナショナル・スクールの寄宿舎として使用されていました。設計はアメリカ人建築家J.H.モーガン。山手111番館や山手聖公会、根岸競馬場なども彼の設計です。 -
【べーリック・ホール(旧ベリック邸)】
-
【べーリック・ホール(旧ベリック邸)】
-
【べーリック・ホール(旧ベリック邸)】
-
【べーリック・ホール(旧ベリック邸)】
心が静かになりそうな部屋。 -
【べーリック・ホール(旧ベリック邸)】
ミニチュアを原寸大にしたようで、かわいい。 -
【べーリック・ホール(旧ベリック邸)】
-
【べーリック・ホール(旧ベリック邸)】
対照的な色の部屋を置くことでバランス良く感じられる。 -
【べーリック・ホール(旧ベリック邸)】
-
【べーリック・ホール(旧ベリック邸)】
-
イチオシ
-
【カトリック山手教会】
-
【山手イタリア山庭園・旧内田邸外交官の家】
-
-
【中華街/関帝廟】
-
【中華街/横浜大世界】
-
【山下公園】
-
【山下公園】
-
【山下公園/HAPPY LAWSON】
-
【山下公園/インド水塔】
-
【象の鼻パーク】
-
-
【赤レンガ倉庫】
-
【赤レンガ倉庫】
-
【赤レンガ倉庫】
-
【ワールドポーターズ前の歩道橋サークルウォーク】
-
【横浜ベイクォーター】
-
【横浜ベイクォーター】
-
【日産スタジアム】
-
【日産スタジアム】
トリコロールは見ているだけで気分が高まる! -
中村俊輔選手vs川口能活選手のPK対決。
この2人ならではのものすごい緊迫感。 -
マリノス勝利のお約束、トリコロールパラソルの乱れ咲き。
実は名前のtriは「3」を意味しています。インド・ヨーロッパ語の共通祖先の tri です。 -
【日産スタジアム】
試合が終わった後、観客が減っていくと景色を独り占めできているようで心地よいです。 -
【日産スタジアム】
スケール感はやはり日本一。これがサッカー専用スタジアムだったらどれだけ楽しいことか。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
134