ユージノサハリンスク旅行記(ブログ) 一覧に戻る
■はじめに<br /> 昨年(2010年)から海外に行くようになったが、費用や時間の関係から、近場である東南アジアなどが中心になっている。しかし、これは致し方ないところではあるが、気づいてみると「一番近い国」に行っていないことになっている。<br /> 一番近いというと、多くの方は韓国と思われるかもしれない。台湾も与那国の目と鼻の先だが、実質的に一番近いのはロシアなのである。日本固有の領土であるはずの北方領土を持ち出さなくとも、天気の良い日には宗谷岬から見ることもできるサハリン(ロシア領)こそが、最も近い隣国ということになる。<br /> そこで、春先からサハリン行の手配をし始めた。サハリンの鉄道旅行に強いT社に見積もりを依頼し、旅行時期や日程をあれこれ考える。最初は9月頃を考えていたが、より日の長い時期の方が良いということと、日本のお盆も関係ないため8月も9月もほとんど旅費が変わらないことから、8月の前半に行くことにした。往復の手段については、成田発着が一番手頃だったが、やはり「未知の土地」へ渡航するには船舶の雰囲気が最良であろうということで、往路は稚内からのフェリーにすることにした。旅費自体は航空機での成田往復とあまり変わらないため、もちろん稚内に移動するための国内旅費が余計に追加されてしまう。しかしそれはそれ、遠路はるばるサハリンに渡った当時の宮沢賢治の気分で北上すればいいだろう。<br /> 賢治の気分をなぞらえるためではないが、稚内へは羽田からの直行便を利用せず、朝一番の羽田発で新千歳に飛び、そこからJRで札幌へ、大通バスターミナルから高速バスで稚内へ向かうこととした。実質的に、一番安く移動する手段でもある。<br /><br />1日目:羽田→新千歳(AIRDO)、新千歳→札幌(JR)、札幌→稚内(バス)【稚内泊】<br />2日目:稚内→コルサコフ(フェリー)、コルサコフ→ユジノサハリンスク(送迎)【ユジノサハリンスク泊】<br />3日目:ノボジェレーベンスカヤ往復(ローカル鉄道)、ユジノ観光(子ども鉄道など)、ユジノサハリンスク→ノグリキ(夜に1番列車に乗車)【車中泊】<br />4日目:昼前にノグリキ到着、ノグリキ観光(廃線跡など)、ノグリキ→ティモフスク(夕方に2番列車で移動)【ティモフスク泊】<br />5日目:ティモフスク→ユジノサハリンスク(一日かけて968列車で移動)【ユジノサハリンスク泊】<br />6日目:ホルムスク往復と観光(路線バス)、ブイコフ往復(ローカル鉄道)【ユジノサハリンスク泊】<br />7日目:ユジノ観光(お土産買いなど)、ユジノサハリンスク空港へ(送迎)、ユジノサハリンスク→成田(ウラジオストク航空)<br /><br />@ノグリキ駅にて

サハリンの鉄道を乗りまくる旅

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2011/08/04 - 2011/08/09

9位(同エリア41件中)

6

67

国電

国電さん

■はじめに
 昨年(2010年)から海外に行くようになったが、費用や時間の関係から、近場である東南アジアなどが中心になっている。しかし、これは致し方ないところではあるが、気づいてみると「一番近い国」に行っていないことになっている。
 一番近いというと、多くの方は韓国と思われるかもしれない。台湾も与那国の目と鼻の先だが、実質的に一番近いのはロシアなのである。日本固有の領土であるはずの北方領土を持ち出さなくとも、天気の良い日には宗谷岬から見ることもできるサハリン(ロシア領)こそが、最も近い隣国ということになる。
 そこで、春先からサハリン行の手配をし始めた。サハリンの鉄道旅行に強いT社に見積もりを依頼し、旅行時期や日程をあれこれ考える。最初は9月頃を考えていたが、より日の長い時期の方が良いということと、日本のお盆も関係ないため8月も9月もほとんど旅費が変わらないことから、8月の前半に行くことにした。往復の手段については、成田発着が一番手頃だったが、やはり「未知の土地」へ渡航するには船舶の雰囲気が最良であろうということで、往路は稚内からのフェリーにすることにした。旅費自体は航空機での成田往復とあまり変わらないため、もちろん稚内に移動するための国内旅費が余計に追加されてしまう。しかしそれはそれ、遠路はるばるサハリンに渡った当時の宮沢賢治の気分で北上すればいいだろう。
 賢治の気分をなぞらえるためではないが、稚内へは羽田からの直行便を利用せず、朝一番の羽田発で新千歳に飛び、そこからJRで札幌へ、大通バスターミナルから高速バスで稚内へ向かうこととした。実質的に、一番安く移動する手段でもある。

1日目:羽田→新千歳(AIRDO)、新千歳→札幌(JR)、札幌→稚内(バス)【稚内泊】
2日目:稚内→コルサコフ(フェリー)、コルサコフ→ユジノサハリンスク(送迎)【ユジノサハリンスク泊】
3日目:ノボジェレーベンスカヤ往復(ローカル鉄道)、ユジノ観光(子ども鉄道など)、ユジノサハリンスク→ノグリキ(夜に1番列車に乗車)【車中泊】
4日目:昼前にノグリキ到着、ノグリキ観光(廃線跡など)、ノグリキ→ティモフスク(夕方に2番列車で移動)【ティモフスク泊】
5日目:ティモフスク→ユジノサハリンスク(一日かけて968列車で移動)【ユジノサハリンスク泊】
6日目:ホルムスク往復と観光(路線バス)、ブイコフ往復(ローカル鉄道)【ユジノサハリンスク泊】
7日目:ユジノ観光(お土産買いなど)、ユジノサハリンスク空港へ(送迎)、ユジノサハリンスク→成田(ウラジオストク航空)

@ノグリキ駅にて

旅行の満足度
4.5
同行者
一人旅
一人あたり費用
25万円 - 30万円
交通手段
鉄道
旅行の手配内容
個別手配

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  • ■2011.8.3 取り急ぎ稚内へ(のはずが)<br /> 旅行記の大部分は現地で下書きを書いているが、初日のこの部分は、旅程3日目のユジノサハリンスクで書いている。結果論であるが、今回の鐡旅は「少しツイていない旅」になりつつある(旅程後半で盛り返すかもしれないが)。<br /> まずは、早朝の一便に搭乗して札幌へ向かうことになる。ここで私らしからぬ失態をしてしまったのであるが、出かける前にゴミを出してしまおうとしてマンションのゴミ捨て場に行ってしまい、鍵を持っていなかったために締め出されてしまったのだ(この構造自体が問題であるためゴミを出す際には慎重にしていたのだが、旅行前で焦っていて判断が鈍っていた)。<br /> 時刻は朝の5時頃、手元に電話も何もない状態で絶望的になってしまったが、旅行自体を諦めるわけにはいかないため、大迷惑とは思いつつも同じフロアを片っ端からインターフォンを鳴らし、偶然出てくれた(起きていてくれた)部屋の方に正面入り口を開けてもらって、なんとか戻ることができた。<br /> 最初から躓いてしまったため気分も落ち込みつつも、なんとか羽田に移動して搭乗手続きをする。飛行機自体は普通に運行したが、札幌に着いてから、持ち合わせの現金が少ないことに気が付いてしまった。あまり日本円を持って海外をうろつきたくないため、最低限間に合う額として、宿代とプラスアルファの雑費の1万5千円を持ってきたのだが、札幌から稚内までのバスが現地払いだったことに今更ながらに気が付いてしまったのだ。ただし、その額6千円であって頭を抱えるほどではないし、札幌の郵便局か銀行で下せばいいのだから事態はまだ深刻ではなかった。そして余裕をかまして、札幌下車の際に残高不足であったキタカに、5千円ほどチャージをしてしまった(これが決定的に響く)。<br /> 詳細を書いても仕様がないためこの後の展開を箇条書きにすると、①郵便局と銀行のカードを家に置いてきてしまった(紛失防止のため)、②3枚も持ってきたクレジットカードのキャッシングは使用できなかった(キャッシングできるカードに限って置いてきてしまった)、③結局、万が一用に用意していた150USドルのうち、泣く泣く90ドルを“超低レート”で交換して日本円にした、である。<br /> さらに落ち込みながら、路線バスで稚内へと向かう。しかし、後半の大部分は日本海沿いに走るルートであり、晴天だったため景色自体は楽しむことができた。<br /> 稚内の宿は、南稚内駅近くにある、某旅行サイトで夕食の評価が満点である民宿である。気を取り直して、サハリン旅行の前祝ではないが、一人で祝杯を重ねた。<br /><br />@前祝の大量の海産物

    ■2011.8.3 取り急ぎ稚内へ(のはずが)
     旅行記の大部分は現地で下書きを書いているが、初日のこの部分は、旅程3日目のユジノサハリンスクで書いている。結果論であるが、今回の鐡旅は「少しツイていない旅」になりつつある(旅程後半で盛り返すかもしれないが)。
     まずは、早朝の一便に搭乗して札幌へ向かうことになる。ここで私らしからぬ失態をしてしまったのであるが、出かける前にゴミを出してしまおうとしてマンションのゴミ捨て場に行ってしまい、鍵を持っていなかったために締め出されてしまったのだ(この構造自体が問題であるためゴミを出す際には慎重にしていたのだが、旅行前で焦っていて判断が鈍っていた)。
     時刻は朝の5時頃、手元に電話も何もない状態で絶望的になってしまったが、旅行自体を諦めるわけにはいかないため、大迷惑とは思いつつも同じフロアを片っ端からインターフォンを鳴らし、偶然出てくれた(起きていてくれた)部屋の方に正面入り口を開けてもらって、なんとか戻ることができた。
     最初から躓いてしまったため気分も落ち込みつつも、なんとか羽田に移動して搭乗手続きをする。飛行機自体は普通に運行したが、札幌に着いてから、持ち合わせの現金が少ないことに気が付いてしまった。あまり日本円を持って海外をうろつきたくないため、最低限間に合う額として、宿代とプラスアルファの雑費の1万5千円を持ってきたのだが、札幌から稚内までのバスが現地払いだったことに今更ながらに気が付いてしまったのだ。ただし、その額6千円であって頭を抱えるほどではないし、札幌の郵便局か銀行で下せばいいのだから事態はまだ深刻ではなかった。そして余裕をかまして、札幌下車の際に残高不足であったキタカに、5千円ほどチャージをしてしまった(これが決定的に響く)。
     詳細を書いても仕様がないためこの後の展開を箇条書きにすると、①郵便局と銀行のカードを家に置いてきてしまった(紛失防止のため)、②3枚も持ってきたクレジットカードのキャッシングは使用できなかった(キャッシングできるカードに限って置いてきてしまった)、③結局、万が一用に用意していた150USドルのうち、泣く泣く90ドルを“超低レート”で交換して日本円にした、である。
     さらに落ち込みながら、路線バスで稚内へと向かう。しかし、後半の大部分は日本海沿いに走るルートであり、晴天だったため景色自体は楽しむことができた。
     稚内の宿は、南稚内駅近くにある、某旅行サイトで夕食の評価が満点である民宿である。気を取り直して、サハリン旅行の前祝ではないが、一人で祝杯を重ねた。

    @前祝の大量の海産物

  • ■2011.8.4 初のヨーロッパ(?)へ<br /> 8時頃に宿を出て、国際フェリーターミナルまで歩くこと約30分。稚内のターミナルは利尻・礼文に行くために何度か利用したことはあるが、数年前に移転して新しくなっており、そのすぐそばに国際線のターミナルがある。<br /> 手続きを済ませ、待合室で時間をつぶす。アナウンスがあり、9時に乗船した。無料の弁当とお茶をもらい、二等室の片隅に陣取る。出航まで1時間ほどあり、さてどうしようかと思い、置いてあったスポーツ新聞を読んだり入国書類を書いたりしていたら、定刻10分前に動き出してしまった。慌てて外に出たが、もう岸壁は数十メートル先になってしまっている。別に誰の見送りもないから、問題ないだろうと言われればそれまでだが・・・、「これから海外に」という気持ちを込めて出たい気もなくはなかった。<br /><br />@コルサコフへのフェリー

    ■2011.8.4 初のヨーロッパ(?)へ
     8時頃に宿を出て、国際フェリーターミナルまで歩くこと約30分。稚内のターミナルは利尻・礼文に行くために何度か利用したことはあるが、数年前に移転して新しくなっており、そのすぐそばに国際線のターミナルがある。
     手続きを済ませ、待合室で時間をつぶす。アナウンスがあり、9時に乗船した。無料の弁当とお茶をもらい、二等室の片隅に陣取る。出航まで1時間ほどあり、さてどうしようかと思い、置いてあったスポーツ新聞を読んだり入国書類を書いたりしていたら、定刻10分前に動き出してしまった。慌てて外に出たが、もう岸壁は数十メートル先になってしまっている。別に誰の見送りもないから、問題ないだろうと言われればそれまでだが・・・、「これから海外に」という気持ちを込めて出たい気もなくはなかった。

    @コルサコフへのフェリー

  •  船内には40人ほどの乗客がおり、その4割くらいは日本人である。日本人もほとんどはかなりの高齢者(サハリンへ「戻る」ような方)であり、旅行者のような風采の人は数えるほどしかいない。必然的に声をかけられるようになり、私と同じく鉄道で周遊する方(トマリ方面まで行くという)や、バイクを持ち込んで走り回るという方と情報交換をして時間を潰した。コルサコフまでの所要時間は5時間半、残りの時間は、100円ビールを飲み、左手に広がるサハリンを眺め、BSテレビを見ながら微睡むのみである。<br /><br />@無料弁当と100円ビール

     船内には40人ほどの乗客がおり、その4割くらいは日本人である。日本人もほとんどはかなりの高齢者(サハリンへ「戻る」ような方)であり、旅行者のような風采の人は数えるほどしかいない。必然的に声をかけられるようになり、私と同じく鉄道で周遊する方(トマリ方面まで行くという)や、バイクを持ち込んで走り回るという方と情報交換をして時間を潰した。コルサコフまでの所要時間は5時間半、残りの時間は、100円ビールを飲み、左手に広がるサハリンを眺め、BSテレビを見ながら微睡むのみである。

    @無料弁当と100円ビール

  •  左手にはサハリンの陸地が見え続け、右手の遠くにLNG(液化天然ガス)プラントが見え、次第にコルサコフが近づいてきた。やけに接岸に時間がかかっていると思ったら、なんと船尾を直角に係留させるようである(たいてい、船腹を陸地に沿わせるのだが)。接岸する先には屑鉄のようなものが大量に置いてあり、それを乗せた貨物が機関車に引かれて行ったり来たりしている。<br /><br />@コルサコフ港の引込線と貨物列車

     左手にはサハリンの陸地が見え続け、右手の遠くにLNG(液化天然ガス)プラントが見え、次第にコルサコフが近づいてきた。やけに接岸に時間がかかっていると思ったら、なんと船尾を直角に係留させるようである(たいてい、船腹を陸地に沿わせるのだが)。接岸する先には屑鉄のようなものが大量に置いてあり、それを乗せた貨物が機関車に引かれて行ったり来たりしている。

    @コルサコフ港の引込線と貨物列車

  •  上陸後は宗谷バスの中古車で入国審査の建物に向かい、人数の割には無駄に時間をかけて審査をされ(時間がかかる割には、私のような個人客に対しては何も聞かないし、バッグの中身すら見ようとしない)、接岸後1時間くらいしてやっと入国した。<br /> コルサコフからは、旅行会社が手配したガイドの案内でユジノサハリンスクへと向かう。トヨタの中古車は、高速でもない道路を普通に100キロで飛ばしていく。<br /> 宿泊先は駅直結のユーラシアホテル。ガイドに、フロントに対して言いたいこと(明日のチェックアウト後に荷物を預かってほしいことや、朝食の時間や場所などなど)を訳してもらい、部屋に入る。聞いていた通り年代物の部屋であり、NHKが見られるはずのテレビは砂嵐もしくはロシアローカルのみだが(日本が地デジになったせい?)、これはこれで雰囲気を楽しむと思うしかないだろう。少しツイてない、かもしれないが。<br /><br />@部屋からの眺めは良い

     上陸後は宗谷バスの中古車で入国審査の建物に向かい、人数の割には無駄に時間をかけて審査をされ(時間がかかる割には、私のような個人客に対しては何も聞かないし、バッグの中身すら見ようとしない)、接岸後1時間くらいしてやっと入国した。
     コルサコフからは、旅行会社が手配したガイドの案内でユジノサハリンスクへと向かう。トヨタの中古車は、高速でもない道路を普通に100キロで飛ばしていく。
     宿泊先は駅直結のユーラシアホテル。ガイドに、フロントに対して言いたいこと(明日のチェックアウト後に荷物を預かってほしいことや、朝食の時間や場所などなど)を訳してもらい、部屋に入る。聞いていた通り年代物の部屋であり、NHKが見られるはずのテレビは砂嵐もしくはロシアローカルのみだが(日本が地デジになったせい?)、これはこれで雰囲気を楽しむと思うしかないだろう。少しツイてない、かもしれないが。

    @部屋からの眺めは良い

  •  部屋に荷物を置き、歩いて15分ほどのところにある24時間スーパーで、ビールやパンや惣菜を買う。惣菜は対面式だが、私はロシア語知識がほぼ皆無なので、「エータ、アジーン」と指差したが、それでもうまく買うことができた。<br /> ロシアっぽい惣菜をつつきつつ、ロシアビールを飲み、この旅行記を書きつつ、初ヨーロッパ(北海道のとなりだが)の夜は、9時半前になってやっと暗くなっていった。<br /><br />@ここ数年で、この手のスーパーも出来てきたという

     部屋に荷物を置き、歩いて15分ほどのところにある24時間スーパーで、ビールやパンや惣菜を買う。惣菜は対面式だが、私はロシア語知識がほぼ皆無なので、「エータ、アジーン」と指差したが、それでもうまく買うことができた。
     ロシアっぽい惣菜をつつきつつ、ロシアビールを飲み、この旅行記を書きつつ、初ヨーロッパ(北海道のとなりだが)の夜は、9時半前になってやっと暗くなっていった。

    @ここ数年で、この手のスーパーも出来てきたという

  • ■2011.8.5 ロシア鐡旅開始<br /> 昨日の夕方、送迎をしてもらっているあたりから喉の痛みを感じ始めていた。この手の感触がある場合、2〜3日後に大風邪になることがあるので厭な感じがしていたが、夜中からかなりの喉の痛みになってしまい、朝になると若干の熱とけだるさがある。悪化しないことを祈るばかりである。<br /> 天気は雨のようで、部屋から見える駅前の広場には水たまりができている。しかし、朝7時くらいになると雨は止んで曇天になっていった。<br /> さて朝食であるが、このホテルの朝食については各個人サイトで評価がちらほら乗っているが、以前はホテルにある食堂であり、その後は食堂がなくなったため近くにある別のホテルの食堂に案内された、というのもある。さてどうなるのかと説明を聞いたら、なんとホテル1階にあるファーストフード(ハンバーガー)だという。私はもともと朝食は採らないからなんでもいいのだが、せっかくならばロシアらしい朝食を頂いてみたかったものでもある。<br /><br />@サハリンでハンバーガーとは・・・

    ■2011.8.5 ロシア鐡旅開始
     昨日の夕方、送迎をしてもらっているあたりから喉の痛みを感じ始めていた。この手の感触がある場合、2〜3日後に大風邪になることがあるので厭な感じがしていたが、夜中からかなりの喉の痛みになってしまい、朝になると若干の熱とけだるさがある。悪化しないことを祈るばかりである。
     天気は雨のようで、部屋から見える駅前の広場には水たまりができている。しかし、朝7時くらいになると雨は止んで曇天になっていった。
     さて朝食であるが、このホテルの朝食については各個人サイトで評価がちらほら乗っているが、以前はホテルにある食堂であり、その後は食堂がなくなったため近くにある別のホテルの食堂に案内された、というのもある。さてどうなるのかと説明を聞いたら、なんとホテル1階にあるファーストフード(ハンバーガー)だという。私はもともと朝食は採らないからなんでもいいのだが、せっかくならばロシアらしい朝食を頂いてみたかったものでもある。

    @サハリンでハンバーガーとは・・・

  •  まずは、盲腸線の終着駅であるノボジェレーベンスカヤへ行くこととする。荷物の大部分をリュックに入れてホテルに預け、小さい鞄のみになって8時前に出かける。駅に行って(と言っても直結しているからすぐ隣りだが)、紙に「6001 Новодеревенская」と書いて渡す。最近はこの手の変な日本人も増えたせいか、窓口のおばさんも紙に「28.8」と金額を書いて返答してくれた。<br /><br />@数年前はもっと旧い体裁だったらしいが、切符もずいぶんと洒落てきた

     まずは、盲腸線の終着駅であるノボジェレーベンスカヤへ行くこととする。荷物の大部分をリュックに入れてホテルに預け、小さい鞄のみになって8時前に出かける。駅に行って(と言っても直結しているからすぐ隣りだが)、紙に「6001 Новодеревенская」と書いて渡す。最近はこの手の変な日本人も増えたせいか、窓口のおばさんも紙に「28.8」と金額を書いて返答してくれた。

    @数年前はもっと旧い体裁だったらしいが、切符もずいぶんと洒落てきた

  •  切符を手にしたのはいいが、ホームへの行き方がわからない。目の前に1番線はあるがドアには鍵が掛かっており、地下道も橋も見当たらない。また窓口に並ぶのは面倒なので、入口で警備をしていた怖そうな警察官に聞いてみると、しばらく考えてから、ジェスチャーで「ぐるっと回って外から2番線だ」ということを伝えてきた(そういう意味だと私は思った)。駅の外に出て適当に歩くと地下道入口があり、そこに入って適当な階段を上がると2番線に出た。偶然当たったからいいようなものだが、そもそも駅舎からホームに行けないというのも日本では考えられない造りである(後日ここを散策したのであるば、この地下道は駅の反対側に抜ける連絡通路でもあった)。<br /><br />@Д2型ディーゼルカー

     切符を手にしたのはいいが、ホームへの行き方がわからない。目の前に1番線はあるがドアには鍵が掛かっており、地下道も橋も見当たらない。また窓口に並ぶのは面倒なので、入口で警備をしていた怖そうな警察官に聞いてみると、しばらく考えてから、ジェスチャーで「ぐるっと回って外から2番線だ」ということを伝えてきた(そういう意味だと私は思った)。駅の外に出て適当に歩くと地下道入口があり、そこに入って適当な階段を上がると2番線に出た。偶然当たったからいいようなものだが、そもそも駅舎からホームに行けないというのも日本では考えられない造りである(後日ここを散策したのであるば、この地下道は駅の反対側に抜ける連絡通路でもあった)。

    @Д2型ディーゼルカー

  •  さて、初乗車である。ロシアの鉄道は軍事関連であるため以前は撮影絶対禁止であり、最近はそうでもなくなってきたという話もあり、さてどっちなのかと思ってサボ(行先票)を撮影していると、車両入口で切符を確認していた中年のおばさん駅員がかなりの剣幕で注意してきた。なるほどそういう対応をされるようだが、写真のデータを消せとも言われないし、他の駅員はなんとも思ってないようなので、なんというのか、旧ソ連の古い慣例から抜け切れない(つまり20年以上前から務めている)駅員や警察官からは注意されるのかもしれない。<br /><br />@これを撮ったら怒られた(行先票はブイコフ行と共有)

     さて、初乗車である。ロシアの鉄道は軍事関連であるため以前は撮影絶対禁止であり、最近はそうでもなくなってきたという話もあり、さてどっちなのかと思ってサボ(行先票)を撮影していると、車両入口で切符を確認していた中年のおばさん駅員がかなりの剣幕で注意してきた。なるほどそういう対応をされるようだが、写真のデータを消せとも言われないし、他の駅員はなんとも思ってないようなので、なんというのか、旧ソ連の古い慣例から抜け切れない(つまり20年以上前から務めている)駅員や警察官からは注意されるのかもしれない。

    @これを撮ったら怒られた(行先票はブイコフ行と共有)

  •  ブォンという低い響きの汽笛が鳴り、定刻の8時20分に出発した。すぐに右手には展示されている様々な車両が現れ始め、左手には廃車をカラーリングしたものが見えてきたりする。そしてすぐに本線と分かれて、以前はホルムスクまで続いていた豊真線(ノボジェレーベンスカヤから先は廃止になってしまった)へと入っていった。<br /> ディーゼル車である「Д2型」の車両は4両連なっており、乗客はおおよそ4〜50人であろうか。ユジノサハリンスクを出て数分も走ると人家のほとんどない鬱蒼とした平原を走り始め、コンクリート片が見えたかと思うと、8時40分に最初の駅に着いた。周囲には何もなく、小さな低いホームがあるだけで、駅名標には数字が書いてあるだけである。ここで10人ほどの高齢者たちが下りて行ったが、この先のどこに人家があるのかは定かではない。<br /><br />@途中の小駅

     ブォンという低い響きの汽笛が鳴り、定刻の8時20分に出発した。すぐに右手には展示されている様々な車両が現れ始め、左手には廃車をカラーリングしたものが見えてきたりする。そしてすぐに本線と分かれて、以前はホルムスクまで続いていた豊真線(ノボジェレーベンスカヤから先は廃止になってしまった)へと入っていった。
     ディーゼル車である「Д2型」の車両は4両連なっており、乗客はおおよそ4〜50人であろうか。ユジノサハリンスクを出て数分も走ると人家のほとんどない鬱蒼とした平原を走り始め、コンクリート片が見えたかと思うと、8時40分に最初の駅に着いた。周囲には何もなく、小さな低いホームがあるだけで、駅名標には数字が書いてあるだけである。ここで10人ほどの高齢者たちが下りて行ったが、この先のどこに人家があるのかは定かではない。

    @途中の小駅

  •  1分程度の停車ですぐに出発したが、坂になってきたためかスピードはゆっくりになってきた。次の駅の到着は8時47分、駅名票からすると「16km」駅である。16kmを出発した後はさらに坂がきつくなったようで、ゆったりと走り、終点のノボジェレーベンスカヤには、定刻の8時53分に到着した。吃驚するくらいに何もないところだが、それでも30人以上の乗客(高齢者ばっかり)は、迎えの車もなく歩いてどこかに行ってしまった。<br /><br />@駅名標の類は新しく作られたようである

     1分程度の停車ですぐに出発したが、坂になってきたためかスピードはゆっくりになってきた。次の駅の到着は8時47分、駅名票からすると「16km」駅である。16kmを出発した後はさらに坂がきつくなったようで、ゆったりと走り、終点のノボジェレーベンスカヤには、定刻の8時53分に到着した。吃驚するくらいに何もないところだが、それでも30人以上の乗客(高齢者ばっかり)は、迎えの車もなく歩いてどこかに行ってしまった。

    @駅名標の類は新しく作られたようである

  •  駅にはマラコー(牛乳)売りがいて、バンに積んでいる小さなタンクから小分けにして売っている。1日に2往復しかないこの路線で、このような商売があることに驚く。マラコー売りが行ってしまうと、辺りはさらに閑散としてしまった。念のため行き止まりになっている先まで行ってみたが、路盤らしきものは残っていなかった。<br /><br />@ノボジェレーベンスカヤ駅遠景(左手の車がマラコー売り)

     駅にはマラコー(牛乳)売りがいて、バンに積んでいる小さなタンクから小分けにして売っている。1日に2往復しかないこの路線で、このような商売があることに驚く。マラコー売りが行ってしまうと、辺りはさらに閑散としてしまった。念のため行き止まりになっている先まで行ってみたが、路盤らしきものは残っていなかった。

    @ノボジェレーベンスカヤ駅遠景(左手の車がマラコー売り)

  •  さて、あとは折り返しの列車で戻るだけである。2両目には人がたくさん(と言っても7〜8人だが)いたため3両目に乗ったのだが、女性の車掌が来て「前の車両に移ってくれ」と言う(聞き取れたのは語尾の「パジャールスタ」だけだが、前の車両を指差したら「そうだ」という感じで頷かれた)。何かと注文が多い。<br />(余談だが、車掌はもれなく女性のようなので、これからは「女性の」は省略することにする)<br /> 出発すると、車掌が目の前に座る。私が「ゆーじの、さはりんすく」と言うと、複写式の手書きの切符を書き始めた。旅行者としては記念になるからこれでいいが、1人当たりの時間が結構必要であるため、日常業務としてはその能率性に若干の疑問があると思われる。<br /><br />@乗客全員分、これを作らなければならない

     さて、あとは折り返しの列車で戻るだけである。2両目には人がたくさん(と言っても7〜8人だが)いたため3両目に乗ったのだが、女性の車掌が来て「前の車両に移ってくれ」と言う(聞き取れたのは語尾の「パジャールスタ」だけだが、前の車両を指差したら「そうだ」という感じで頷かれた)。何かと注文が多い。
    (余談だが、車掌はもれなく女性のようなので、これからは「女性の」は省略することにする)
     出発すると、車掌が目の前に座る。私が「ゆーじの、さはりんすく」と言うと、複写式の手書きの切符を書き始めた。旅行者としては記念になるからこれでいいが、1人当たりの時間が結構必要であるため、日常業務としてはその能率性に若干の疑問があると思われる。

    @乗客全員分、これを作らなければならない

  •  ユジノサハリンスクに戻ってからは、まず薬局探しである。非常用に風邪薬は持ってきたが、これからノグリキ方面に行って途中で薬が切れてはたまらないので、都市部で押さえておく必要がある。薬局は意外に簡単に見つかり、ガイドブックにあるような片言のロシア語で風邪薬を買うことに成功した。買ってからふと気づいたのは、はたして1回で何錠飲めばいいのかわからない、ということであった(注意書きにある数字から憶測し、勝手に「1回2錠」と決めてしまったが)。<br /> あとは、ひたすら歩いての観光である。勝利広場などを経由し、ガガーリン公園にたどり着いた(風邪の体で2時間以上も歩いたため、かなりしんどくなってしまったが)。ここに来たのは、「子ども鉄道」があるからである(詳細を書くと長くなってしまうため、気になる方は余所様のサイトなどをご参照ください)。<br /><br />@湖畔に佇む子ども鉄道

     ユジノサハリンスクに戻ってからは、まず薬局探しである。非常用に風邪薬は持ってきたが、これからノグリキ方面に行って途中で薬が切れてはたまらないので、都市部で押さえておく必要がある。薬局は意外に簡単に見つかり、ガイドブックにあるような片言のロシア語で風邪薬を買うことに成功した。買ってからふと気づいたのは、はたして1回で何錠飲めばいいのかわからない、ということであった(注意書きにある数字から憶測し、勝手に「1回2錠」と決めてしまったが)。
     あとは、ひたすら歩いての観光である。勝利広場などを経由し、ガガーリン公園にたどり着いた(風邪の体で2時間以上も歩いたため、かなりしんどくなってしまったが)。ここに来たのは、「子ども鉄道」があるからである(詳細を書くと長くなってしまうため、気になる方は余所様のサイトなどをご参照ください)。

    @湖畔に佇む子ども鉄道

  •  この手の鉄道に乗るのは家族連れかカップルと決まっており、その手の組み合わせが5組ほどと、あとは変な日本人1人だけである。出発すると小学生くらいのロシア人が、車内案内と切符の確認を行う(ロシア語なので内容は聞き取れないが)。途中駅で3分ほど停車し、公園内をぐるっと回って元に戻る。子どもの運転にしては上出来である。<br /><br />@今日の車掌さん(大きくなっても、写真を撮ろうとしてる観光客を怒らないでください)

     この手の鉄道に乗るのは家族連れかカップルと決まっており、その手の組み合わせが5組ほどと、あとは変な日本人1人だけである。出発すると小学生くらいのロシア人が、車内案内と切符の確認を行う(ロシア語なので内容は聞き取れないが)。途中駅で3分ほど停車し、公園内をぐるっと回って元に戻る。子どもの運転にしては上出来である。

    @今日の車掌さん(大きくなっても、写真を撮ろうとしてる観光客を怒らないでください)

  •  さて、気になったことをメモしようとすると、なんとボールペンが書けなくなっているではないか。まだ使い始めであるのに、強く書こうが弱く書こうが温めようが、どうにも書けなくなっている。旅の出だしがツイてないと、この程度のことも「またか」と思うようになってしまう。旅のメモくらいどうでもいいし、覚えていることだけ後で書けばいいじゃないか、と思われるだろう。それはその通りであるが、海外の旅で重要なのは「筆談具」としての意味合いなのである。ロシア語で「スコーリカ ストーイト(いくらですか?)」と聞くのは簡単だが、その答えが3桁にもなると聞き取れないため、紙でのやり取りがこの上なく重要なのである。<br /> 嘆いても仕方ないため、また市内をあれこれ歩き、日本時代の建築物である郷土資料館に入って見学したりする。その後は自由市場に向かったが、ついに雨も降り始めてしまった。<br /><br />@資料館には交通関係の資料もあり

     さて、気になったことをメモしようとすると、なんとボールペンが書けなくなっているではないか。まだ使い始めであるのに、強く書こうが弱く書こうが温めようが、どうにも書けなくなっている。旅の出だしがツイてないと、この程度のことも「またか」と思うようになってしまう。旅のメモくらいどうでもいいし、覚えていることだけ後で書けばいいじゃないか、と思われるだろう。それはその通りであるが、海外の旅で重要なのは「筆談具」としての意味合いなのである。ロシア語で「スコーリカ ストーイト(いくらですか?)」と聞くのは簡単だが、その答えが3桁にもなると聞き取れないため、紙でのやり取りがこの上なく重要なのである。
     嘆いても仕方ないため、また市内をあれこれ歩き、日本時代の建築物である郷土資料館に入って見学したりする。その後は自由市場に向かったが、ついに雨も降り始めてしまった。

    @資料館には交通関係の資料もあり

  •  自由市場に着き、小さな個人商店でペンを15P(ルーブル)で買う。あとは適当に食料品店などを覗いて、もう歩く気力も体力もないため駅へ戻って待合室の椅子に座る。かなり体調は良くなく、雨さえ降っていなければ駅前の公園で横になって休むのだが、それもできず、仕方なく座ったままで30分ほど気を失う(ロシア製の風邪薬が働いているようである)。<br /> その後はまた30分ほど散策し、また30分ほど待合室の椅子の上で眠る。ふと用無しになってしまったボールペンを手に取って捨てる前に書いてみると、なんと普通に書けるではないか。買い直したのは安いペンだからいいものの、なんだったのかと思う(結局、2日後にまた書けなくなったので捨ててしまったが)。<br /> それから昨日と同じスーパーに行って、今晩用の惣菜(シャシリクなど)やパンを買い、ホテルに行って荷物を返してもらい、再々度待合室の椅子で、この鐡旅の続きをしたためる。それにしても、かなりの大雨なのに傘をささないで歩いている人が多いのに驚く。ちらほらと傘をさしているのは女性に少しいるだけで、男はほとんど、若い女性でも普通に濡れて歩いている。<br /><br /> 午後8時になり、アナウンスがあって待合室にいた人々がわらわらと1番線へと向かう。私も売店でビールと水と飴「らしき」ものを買う(ちなみに飴は日本製と韓国製しかなく、日本で買う2〜3倍の値段(150P程度)だったため、ばからしいのでお菓子風の「ロンド」にしたのであった)。<br /> ホームへ行き、宛がわれた4号車へと向かう。先頭が14号車で、なぜか2両目から1号車が始まっている。駅構内を撮影すると咎められると思ってしないつもりだったが、ちょうど警察と車掌の切れ目(?)があったため、こっそりと撮影した。<br /><br />@こっそり

     自由市場に着き、小さな個人商店でペンを15P(ルーブル)で買う。あとは適当に食料品店などを覗いて、もう歩く気力も体力もないため駅へ戻って待合室の椅子に座る。かなり体調は良くなく、雨さえ降っていなければ駅前の公園で横になって休むのだが、それもできず、仕方なく座ったままで30分ほど気を失う(ロシア製の風邪薬が働いているようである)。
     その後はまた30分ほど散策し、また30分ほど待合室の椅子の上で眠る。ふと用無しになってしまったボールペンを手に取って捨てる前に書いてみると、なんと普通に書けるではないか。買い直したのは安いペンだからいいものの、なんだったのかと思う(結局、2日後にまた書けなくなったので捨ててしまったが)。
     それから昨日と同じスーパーに行って、今晩用の惣菜(シャシリクなど)やパンを買い、ホテルに行って荷物を返してもらい、再々度待合室の椅子で、この鐡旅の続きをしたためる。それにしても、かなりの大雨なのに傘をささないで歩いている人が多いのに驚く。ちらほらと傘をさしているのは女性に少しいるだけで、男はほとんど、若い女性でも普通に濡れて歩いている。

     午後8時になり、アナウンスがあって待合室にいた人々がわらわらと1番線へと向かう。私も売店でビールと水と飴「らしき」ものを買う(ちなみに飴は日本製と韓国製しかなく、日本で買う2〜3倍の値段(150P程度)だったため、ばからしいのでお菓子風の「ロンド」にしたのであった)。
     ホームへ行き、宛がわれた4号車へと向かう。先頭が14号車で、なぜか2両目から1号車が始まっている。駅構内を撮影すると咎められると思ってしないつもりだったが、ちょうど警察と車掌の切れ目(?)があったため、こっそりと撮影した。

    @こっそり

  •  車両の入口で切符とパスポートを確認され、急階段のデッキをよじ登るようにして乗車する。私はまだいいが、高齢者などは乗り降りだけでかなり苦労している。<br /> 指定されたコンパートメントには、すでにロシア人(初老の男性)が1人いた。彼はこちらが日本人だとわかると「コンニチハ」と言い、人は良さそうであれこれ話しかけてくるが、いかんせんこちらのロシア語能力が最低限であるからどうしようにもならない。とにかく、「ノグリキに行くこと」「日本人だということ」「ロシア語は話せないこと」まではわかってくれたようだ。<br /> 出発の定刻は20時30だが、その3分前に衝撃があって少し動いてしまった。飛行機や船ならたまにある早発だが、予定の乗客が全員乗ったかどうかの確認が難しい鉄道では珍しいことである。入口で車掌が確認しているから、ロシアなら可能なのかな、と思っていたが、思い直したのか(間違いだったのか)すぐ止まり、結局定刻から2分遅れの20時32分に出発した。雨のせいで、まだまだ明るいが外の景色は靄っている。ユジノサハリンスクの町中を出るとすぐに、農地もなにもない大地だけが広がるようになった。<br /><br />@コンパートメントの様子(翌日撮影)

     車両の入口で切符とパスポートを確認され、急階段のデッキをよじ登るようにして乗車する。私はまだいいが、高齢者などは乗り降りだけでかなり苦労している。
     指定されたコンパートメントには、すでにロシア人(初老の男性)が1人いた。彼はこちらが日本人だとわかると「コンニチハ」と言い、人は良さそうであれこれ話しかけてくるが、いかんせんこちらのロシア語能力が最低限であるからどうしようにもならない。とにかく、「ノグリキに行くこと」「日本人だということ」「ロシア語は話せないこと」まではわかってくれたようだ。
     出発の定刻は20時30だが、その3分前に衝撃があって少し動いてしまった。飛行機や船ならたまにある早発だが、予定の乗客が全員乗ったかどうかの確認が難しい鉄道では珍しいことである。入口で車掌が確認しているから、ロシアなら可能なのかな、と思っていたが、思い直したのか(間違いだったのか)すぐ止まり、結局定刻から2分遅れの20時32分に出発した。雨のせいで、まだまだ明るいが外の景色は靄っている。ユジノサハリンスクの町中を出るとすぐに、農地もなにもない大地だけが広がるようになった。

    @コンパートメントの様子(翌日撮影)

  •  もう1人いた同部屋の方は、やはり日本人で、夜行だけでノグリキ往復をされるという。その方と海外の鉄道事情のことなどをあれこれ話しながら、スーパーで買ったシャシリクなどをつまみにさっさと夕食を済ませ、体調がすぐれないためすぐに寝ることにした。本来ならば、陽の明るいうちは時刻表を参照しながら外の眺めと駅の通過などを確かめたいところであるが、とてもそれを許される体調ではなくなってきている。<br /><br />@おやすみなさい(車内の窓のカーテン)

     もう1人いた同部屋の方は、やはり日本人で、夜行だけでノグリキ往復をされるという。その方と海外の鉄道事情のことなどをあれこれ話しながら、スーパーで買ったシャシリクなどをつまみにさっさと夕食を済ませ、体調がすぐれないためすぐに寝ることにした。本来ならば、陽の明るいうちは時刻表を参照しながら外の眺めと駅の通過などを確かめたいところであるが、とてもそれを許される体調ではなくなってきている。

    @おやすみなさい(車内の窓のカーテン)

  • ■2011.8.6 風邪治らず<br /> 車内はかなり暑く、熱の暑さも加わって何度もうなされながら起き、炭酸水を飲んでは横になり、そして目をつむり続けた。<br /> 目が覚めたのは午前6時頃、時刻的には旧国境の北緯50度線を越えている辺りであろう。車内備え付けの給湯器のお湯で作ったコーヒーを飲み、晴れてない外の景色を眺め続ける。ツンドラのような、低木と白樺の枯れ木のみがひたすら続くだけである。<br /> 7時14分にパーリェヴォに着いたが、定刻はらは7分の遅れである。その遅れを引き摺ったまま、ティモフスク到着は定刻より13分遅れの9時45分であった。今日は夕方にノグリキから折り返してきて、ここで泊まる予定である。この列車はもともとこの駅で30分ほど停車する予定だったが、それが短縮されることになる。<br /><br />@車掌と犬たち

    ■2011.8.6 風邪治らず
     車内はかなり暑く、熱の暑さも加わって何度もうなされながら起き、炭酸水を飲んでは横になり、そして目をつむり続けた。
     目が覚めたのは午前6時頃、時刻的には旧国境の北緯50度線を越えている辺りであろう。車内備え付けの給湯器のお湯で作ったコーヒーを飲み、晴れてない外の景色を眺め続ける。ツンドラのような、低木と白樺の枯れ木のみがひたすら続くだけである。
     7時14分にパーリェヴォに着いたが、定刻はらは7分の遅れである。その遅れを引き摺ったまま、ティモフスク到着は定刻より13分遅れの9時45分であった。今日は夕方にノグリキから折り返してきて、ここで泊まる予定である。この列車はもともとこの駅で30分ほど停車する予定だったが、それが短縮されることになる。

    @車掌と犬たち

  •  周囲に何もない駅であるが、客車だけで13両もある長大な編成からは何十人という乗客が降りていった。駅自体にはなんの設備もなく、ホーム上にも、売り子の姿1人すら見えない。いるのは、ガタイの大きな野良犬が数匹と、乗客の乗り降りを見届けている車掌、あとはタバコを吸うために降りている乗客だけである。ホーム上で車両の撮影をしていると、若い車掌がこちらをスパイでも見るかのような眼差しで睨んでくる。<br /> 後ろ側の客車を2両ほど切り離して、定刻にティモフスクを出発した。ノグリキが近づき、同室のロシア人が別れの握手を求めてきたが、まだ定刻より5分ほど早い。駅の直前でかなり低速運転になったが、それでもノグリキ到着は1分早着の10時21分であった。細かいことは気にする必要がないのであろう。<br /><br />@最果ての町だが、列車到着時は賑わう

     周囲に何もない駅であるが、客車だけで13両もある長大な編成からは何十人という乗客が降りていった。駅自体にはなんの設備もなく、ホーム上にも、売り子の姿1人すら見えない。いるのは、ガタイの大きな野良犬が数匹と、乗客の乗り降りを見届けている車掌、あとはタバコを吸うために降りている乗客だけである。ホーム上で車両の撮影をしていると、若い車掌がこちらをスパイでも見るかのような眼差しで睨んでくる。
     後ろ側の客車を2両ほど切り離して、定刻にティモフスクを出発した。ノグリキが近づき、同室のロシア人が別れの握手を求めてきたが、まだ定刻より5分ほど早い。駅の直前でかなり低速運転になったが、それでもノグリキ到着は1分早着の10時21分であった。細かいことは気にする必要がないのであろう。

    @最果ての町だが、列車到着時は賑わう

  •  駅前には、各方面に行くバスが数台停まっている。オハ行だけは普通の小さなバスだが、それ以外は自衛隊の特殊車両のような大げさな図体である。いったい、どこへ行くバスなのであろうか。<br /> 体調はかなりすぐれないが、滅多に来る場所ではないため、無理をして歩く。まずは30分ほど歩いて狭軌の貨物駅を探しにいったが、駅舎は影も形もなくその面影は横にいくつか並んだ路盤跡らしきものだけがあり、レールすら残っていたのはほんの一部で、廃れた車両が数量残されていただけであった。周囲は自動車解体工場などの集まっている地域で、治安が悪いというわけではないだろうが、あまり1人で近づかないほうがいいかもしれない(もし行くのであれば、廃線跡が大きな道路と交差しているところがあるので、そこから路盤跡の上を歩いた方がいいだろう)。<br /><br />@貨物駅跡近くにあった廃車

     駅前には、各方面に行くバスが数台停まっている。オハ行だけは普通の小さなバスだが、それ以外は自衛隊の特殊車両のような大げさな図体である。いったい、どこへ行くバスなのであろうか。
     体調はかなりすぐれないが、滅多に来る場所ではないため、無理をして歩く。まずは30分ほど歩いて狭軌の貨物駅を探しにいったが、駅舎は影も形もなくその面影は横にいくつか並んだ路盤跡らしきものだけがあり、レールすら残っていたのはほんの一部で、廃れた車両が数量残されていただけであった。周囲は自動車解体工場などの集まっている地域で、治安が悪いというわけではないだろうが、あまり1人で近づかないほうがいいかもしれない(もし行くのであれば、廃線跡が大きな道路と交差しているところがあるので、そこから路盤跡の上を歩いた方がいいだろう)。

    @貨物駅跡近くにあった廃車

  •  さらに30分ほど歩き続けて、ノグリキの市街地へと入った。勝利公園にある記念碑の写真を撮ってからは、目抜き通りにあったスーパーで惣菜を買い、それを勝利公園でいそいそと食べ、薬を飲んでベンチの上で30分ほど横になった。それですぐに回復するわけでもないが、多少は楽になった気もしないでもない。<br /> 休んだ後は、再び目抜き通りを歩き、薬局を見つけてそこで薬を追加する。ロシア語で「ヤー プラストゥジールシャ(私は風邪をひきました)」と言うとおすすめの薬を出してくれたが、パッケージには容器の中でお湯で溶かしたイメージ図がある。「いやぁ、旅行中なんで、こんな風に溶かして毎回飲むのは難しいし、なんか錠剤でおすすめのありますか?」をロシア語にできる能力はないため、ユジノサハリンスクで買った手持ちの錠剤を見せたら、それと同じものを出されてしまった。できれば違うものを試したかったが、もうそれで諦めることにして1箱買って薬局を後にした。<br /><br />@ノグリキ猫

     さらに30分ほど歩き続けて、ノグリキの市街地へと入った。勝利公園にある記念碑の写真を撮ってからは、目抜き通りにあったスーパーで惣菜を買い、それを勝利公園でいそいそと食べ、薬を飲んでベンチの上で30分ほど横になった。それですぐに回復するわけでもないが、多少は楽になった気もしないでもない。
     休んだ後は、再び目抜き通りを歩き、薬局を見つけてそこで薬を追加する。ロシア語で「ヤー プラストゥジールシャ(私は風邪をひきました)」と言うとおすすめの薬を出してくれたが、パッケージには容器の中でお湯で溶かしたイメージ図がある。「いやぁ、旅行中なんで、こんな風に溶かして毎回飲むのは難しいし、なんか錠剤でおすすめのありますか?」をロシア語にできる能力はないため、ユジノサハリンスクで買った手持ちの錠剤を見せたら、それと同じものを出されてしまった。できれば違うものを試したかったが、もうそれで諦めることにして1箱買って薬局を後にした。

    @ノグリキ猫

  •  あとは、特に見る物もないので駅に戻るだけである。軽便鉄道の路盤に行くことのできる「朽ち果てそうな橋」があるということを余所様のサイトで読んでいたので、それを求めて行ってみると、朽ち果てそうどころか、もうほとんど朽ち果ててしまった上に、様々な板張りを重ねた状態になっていた。すべって落ちれば面倒なことになるが、せっかくだから気を引き締めて渡った(ただし、渡り終わった後は大きな道路に出るまで人の気配がほとんどないため、1人歩きはあまりしない方がいい地域であろう)。<br /><br />@敢えてこれを渡る

     あとは、特に見る物もないので駅に戻るだけである。軽便鉄道の路盤に行くことのできる「朽ち果てそうな橋」があるということを余所様のサイトで読んでいたので、それを求めて行ってみると、朽ち果てそうどころか、もうほとんど朽ち果ててしまった上に、様々な板張りを重ねた状態になっていた。すべって落ちれば面倒なことになるが、せっかくだから気を引き締めて渡った(ただし、渡り終わった後は大きな道路に出るまで人の気配がほとんどないため、1人歩きはあまりしない方がいい地域であろう)。

    @敢えてこれを渡る

  •  軽便鉄道は、そのレールもすべてが剥がされてしまっていた。一部の枕木しか残っていない路盤跡の上を歩いて、駅へと戻る。暑くはないが(天気予報では23度程度)、風邪による熱と薬の作用による発汗で、髪の毛はびっしょりになるほど濡れてしまっている。<br /><br />@軽便鉄道路盤跡

     軽便鉄道は、そのレールもすべてが剥がされてしまっていた。一部の枕木しか残っていない路盤跡の上を歩いて、駅へと戻る。暑くはないが(天気予報では23度程度)、風邪による熱と薬の作用による発汗で、髪の毛はびっしょりになるほど濡れてしまっている。

    @軽便鉄道路盤跡

  •  やっとの思いで駅に到着し、駅前にある小さな市場の個人商店で、パンと水を買う。本当は明日の夜までの食材をそろえなければならないが、昨日買った食材などもまだ残っているし、風邪のせいでガツガツ食べるほどの食欲もない。<br /><br /> ノグリキから乗る列車は、折り返しのユジノサハリンスク行2番列車である。そのまま乗り続ければ翌朝には戻ってしまうが、途中のティモフスクで降りて、正体不明のホテルに泊まり、翌朝の列車でユジノサハリンスクへ下ることになっている。こうすることによって、オホーツク海の眺めを見続けることが可能になる。<br /><br />@ノグリキの駅舎

     やっとの思いで駅に到着し、駅前にある小さな市場の個人商店で、パンと水を買う。本当は明日の夜までの食材をそろえなければならないが、昨日買った食材などもまだ残っているし、風邪のせいでガツガツ食べるほどの食欲もない。

     ノグリキから乗る列車は、折り返しのユジノサハリンスク行2番列車である。そのまま乗り続ければ翌朝には戻ってしまうが、途中のティモフスクで降りて、正体不明のホテルに泊まり、翌朝の列車でユジノサハリンスクへ下ることになっている。こうすることによって、オホーツク海の眺めを見続けることが可能になる。

    @ノグリキの駅舎

  •  待合室で2時間ほど休み、アナウンスがあってからホームに行って宛がわれた車両に上り込む。コンパートメントには先客がいて、青年とその父親らしき組み合わせである。<br /> 定刻の17時15分にノグリキを出発してからは、廊下で立って外を見る気力もなかったため、座ったまま頭を壁に寄り掛からせて休んでいた。父親らしき方が「ツーリストか」「日本人か」ということを聞いてきたので、「ダー」とだけ答える。その後、息子らしき人とロシア語で何やら確認してから(「ハウ」が聞こえたので、おそらく「おい、英語で“どう”を訊く場合は“How”でよかったっけ?」「ああ、そうだったと思うけど」のような会話)、父親らしき方が「ハウ、フクシマ」と訊いてきた(BE動詞を省略してしまうあたりが、ロシア人の使う英語っぽいが)。私は「漏れている総量は多くないから心配ないと思う」というようなことを英語で適当に答えておいたが、あまり納得していないようだった。<br /><br />@川を渡る

     待合室で2時間ほど休み、アナウンスがあってからホームに行って宛がわれた車両に上り込む。コンパートメントには先客がいて、青年とその父親らしき組み合わせである。
     定刻の17時15分にノグリキを出発してからは、廊下で立って外を見る気力もなかったため、座ったまま頭を壁に寄り掛からせて休んでいた。父親らしき方が「ツーリストか」「日本人か」ということを聞いてきたので、「ダー」とだけ答える。その後、息子らしき人とロシア語で何やら確認してから(「ハウ」が聞こえたので、おそらく「おい、英語で“どう”を訊く場合は“How”でよかったっけ?」「ああ、そうだったと思うけど」のような会話)、父親らしき方が「ハウ、フクシマ」と訊いてきた(BE動詞を省略してしまうあたりが、ロシア人の使う英語っぽいが)。私は「漏れている総量は多くないから心配ないと思う」というようなことを英語で適当に答えておいたが、あまり納得していないようだった。

    @川を渡る

  •  2時間ほど走ると、ティモフスクが近づいてくる。車掌が来て、もうすぐだ(というようなことだろう)を伝えてくる。広めの操車場が現れ、そこに放置されている車両の一部にJRカラーのキハ58系が混ざっているのが見える。ティモフスクに着いてホームに降りたが、駅の建物の隣でおばさんがイチゴと赤色のベリーを売っているだけで、他にこれといったものは何もない。<br /> 今日の宿は、アグロリテセイというホテルである。ホテルと言っても微妙なものであり、正式名は「州農業専門学校付属宿泊所」だという。いずれにせよ、旅行会社から渡されている地図をもとに歩くだけである。薄ら寂しい道を歩き出すと、ボロい車に乗ったおじさんが何やら話しかけてきた。風采からして白タクではなく、「乗っけて行ってやろうか」的なものに感じたが、会話ができない状態で無理はすべきでないと思って体よく断った。<br /><br />@町に活気はない

     2時間ほど走ると、ティモフスクが近づいてくる。車掌が来て、もうすぐだ(というようなことだろう)を伝えてくる。広めの操車場が現れ、そこに放置されている車両の一部にJRカラーのキハ58系が混ざっているのが見える。ティモフスクに着いてホームに降りたが、駅の建物の隣でおばさんがイチゴと赤色のベリーを売っているだけで、他にこれといったものは何もない。
     今日の宿は、アグロリテセイというホテルである。ホテルと言っても微妙なものであり、正式名は「州農業専門学校付属宿泊所」だという。いずれにせよ、旅行会社から渡されている地図をもとに歩くだけである。薄ら寂しい道を歩き出すと、ボロい車に乗ったおじさんが何やら話しかけてきた。風采からして白タクではなく、「乗っけて行ってやろうか」的なものに感じたが、会話ができない状態で無理はすべきでないと思って体よく断った。

    @町に活気はない

  •  朽ち果てそうな家々や廃墟となった工場跡などを眺めながら25分ほど歩き、それと思わしき建物にやってきた。しかし着いたのはいいが、どうしていいのかわからない。入口は東側にあるという情報は得ていたが、最初のドアはまったく違うものであった。子どもを遊ばせているおばさんがいたので、その隣のドアを指差して「ガスチニーツァ(ホテル)?」と訊いたら、そうだと頷く。安心してそのドアから入ってみると、確かに宿泊所のようなドアがいくつかあるが、声をかけても誰もいないし、どのドアも開かず、廊下には旧いソファーが重ねて放置してあるだけである。再び外に出て、座っているおばさんに両手を広げて首を振って「誰もいない」旨を伝えると、携帯電話を取り出して連絡をしてくれ、5分後くらいに太めのおばさんが現れた。まだ日が長く8時をとっくに過ぎているのに明るいからまだいいが(そのおかげで子どもを遊ばせているおばさんもいたので)、暗い時期では途方に暮れてしまうであろう。<br /><br />@ホテル・アグロリテセイ

     朽ち果てそうな家々や廃墟となった工場跡などを眺めながら25分ほど歩き、それと思わしき建物にやってきた。しかし着いたのはいいが、どうしていいのかわからない。入口は東側にあるという情報は得ていたが、最初のドアはまったく違うものであった。子どもを遊ばせているおばさんがいたので、その隣のドアを指差して「ガスチニーツァ(ホテル)?」と訊いたら、そうだと頷く。安心してそのドアから入ってみると、確かに宿泊所のようなドアがいくつかあるが、声をかけても誰もいないし、どのドアも開かず、廊下には旧いソファーが重ねて放置してあるだけである。再び外に出て、座っているおばさんに両手を広げて首を振って「誰もいない」旨を伝えると、携帯電話を取り出して連絡をしてくれ、5分後くらいに太めのおばさんが現れた。まだ日が長く8時をとっくに過ぎているのに明るいからまだいいが(そのおかげで子どもを遊ばせているおばさんもいたので)、暗い時期では途方に暮れてしまうであろう。

    @ホテル・アグロリテセイ

  •  崩れそうなブロック重ねの外観の建物の割には、部屋の中は普通である(壁紙等を新しくしただけなのだろうが)。元気であれば近場を散策したいところであるが、いずれにせよ、今日は薬を飲んで寝るだけである(簡易な夕食は、ティモフスクまでの乗車中に済ませてしまった)。<br /><br />■2011.8.7 復活は遠し(乗っているだけの鐡旅で助かったとも言える)<br /> 朝起きた状態では、喉の枯れが酷く、熱っぽさはそれなりに下がっているがそれは朝であるためであろうと思われ、これから悪くなりそうな予感ではあった。<br /> 朝の6時過ぎくらいに、おばさんがドアをノックしてくれた(昨晩のジェスチャー+筆談だけの会話で、朝7時半に歩いて駅に向かうことを告げておいた)。「ドーブラエ・ウートラ」と言い、またドアを閉めて準備していると、再びノックの音がする。何か伝言でもあるのかと思って開けようとしたが、なんとドアの鍵が開かなくなってしまった(自宅出発時といい、今回は鍵に泣かされっぱなしである)。何回も回し直しても開かないため、そのうちにおばさんが窓ガラスをコンコンと叩き、「窓の上にある小窓から鍵を外に投げろ」というようなことを伝えているようだったため、ポイとそれを投げてみた。おばさんが外側からしばらく格闘し、やっとドアは開いたが、たまたまおばさんがいる時だったからよかったものの、もしこれが出発直前だったらと思うと冷や汗ものであった(ちなみにおばさんの追加の伝言は、「出発する際には鍵をここ(他の部屋の入口前にあるカーペットの下)に置いていけ」というものであった)。<br /><br />@意外とまともな部屋(鍵に問題あり)

     崩れそうなブロック重ねの外観の建物の割には、部屋の中は普通である(壁紙等を新しくしただけなのだろうが)。元気であれば近場を散策したいところであるが、いずれにせよ、今日は薬を飲んで寝るだけである(簡易な夕食は、ティモフスクまでの乗車中に済ませてしまった)。

    ■2011.8.7 復活は遠し(乗っているだけの鐡旅で助かったとも言える)
     朝起きた状態では、喉の枯れが酷く、熱っぽさはそれなりに下がっているがそれは朝であるためであろうと思われ、これから悪くなりそうな予感ではあった。
     朝の6時過ぎくらいに、おばさんがドアをノックしてくれた(昨晩のジェスチャー+筆談だけの会話で、朝7時半に歩いて駅に向かうことを告げておいた)。「ドーブラエ・ウートラ」と言い、またドアを閉めて準備していると、再びノックの音がする。何か伝言でもあるのかと思って開けようとしたが、なんとドアの鍵が開かなくなってしまった(自宅出発時といい、今回は鍵に泣かされっぱなしである)。何回も回し直しても開かないため、そのうちにおばさんが窓ガラスをコンコンと叩き、「窓の上にある小窓から鍵を外に投げろ」というようなことを伝えているようだったため、ポイとそれを投げてみた。おばさんが外側からしばらく格闘し、やっとドアは開いたが、たまたまおばさんがいる時だったからよかったものの、もしこれが出発直前だったらと思うと冷や汗ものであった(ちなみにおばさんの追加の伝言は、「出発する際には鍵をここ(他の部屋の入口前にあるカーペットの下)に置いていけ」というものであった)。

    @意外とまともな部屋(鍵に問題あり)

  •  昨日と同じ道を戻り、8時前にはティモフスク駅に到着した。ホームには、一昨晩に私が乗ったノグリキ行の1番列車が停まっている。その発車を見送り、さて次にこのホームに入線してくるはずの列車は、私が乗る番968列車である(なぜならこの駅にはホームが1つしかないため)。その列車はすでにホームから3本目の線路上にあり、25両ほどの貨車が連なっており、その先に3両ほどの客車が付いている“貨客混合”列車となっている(日本でも大昔にはあったらしいが、今では見られなくなっている)。<br /><br />@ホーム中央部分から(乗るべき車両は見えない・・・)

     昨日と同じ道を戻り、8時前にはティモフスク駅に到着した。ホームには、一昨晩に私が乗ったノグリキ行の1番列車が停まっている。その発車を見送り、さて次にこのホームに入線してくるはずの列車は、私が乗る番968列車である(なぜならこの駅にはホームが1つしかないため)。その列車はすでにホームから3本目の線路上にあり、25両ほどの貨車が連なっており、その先に3両ほどの客車が付いている“貨客混合”列車となっている(日本でも大昔にはあったらしいが、今では見られなくなっている)。

    @ホーム中央部分から(乗るべき車両は見えない・・・)

  •  しかし、私以外の乗客はホームの先へ先へと歩き始めてしまっている。どういうことかと思って彼らの様子を眺めていると、どうやら線路上を跨いで自ら乗りにいかねばならないらしい。貨車が25両もあるため客車はかなり先にあり、しかもバラスト(路盤上に敷き詰めておく石)の上を歩かなければならないのである。私は別に構わないが、松葉杖を付いているおばあさんがいて、かなり難儀な様子である。こういったサービス精神のない感覚(列車は動かさずに客が移動する)は、やはりまだ旧社会主義の影を引き摺っているのだろう。<br /><br />@先に行ってしまった人の後をついていく(まだ遠い)

     しかし、私以外の乗客はホームの先へ先へと歩き始めてしまっている。どういうことかと思って彼らの様子を眺めていると、どうやら線路上を跨いで自ら乗りにいかねばならないらしい。貨車が25両もあるため客車はかなり先にあり、しかもバラスト(路盤上に敷き詰めておく石)の上を歩かなければならないのである。私は別に構わないが、松葉杖を付いているおばあさんがいて、かなり難儀な様子である。こういったサービス精神のない感覚(列車は動かさずに客が移動する)は、やはりまだ旧社会主義の影を引き摺っているのだろう。

    @先に行ってしまった人の後をついていく(まだ遠い)

  •  出発までまだまだ時間はあるが、私も延々と歩いて乗りに行く。混合列車の手前の線路上には係留されている客車が2両ほどあり(おそらく、ノグリキ行の1番列車から外された部分)、そこから車掌が残飯を野良犬に与えている。<br /> 混合列車の客車部分の編成は、座席車2両と寝台車1両である。私の1号車は寝台であり、これなら左右どちらの車窓も楽しめることになる。足の悪いおばあさんが数人がかりで助けられて乗車して(ロシアはただでさえ低いホームなのに、それすらなくてバラストから乗るから一大事である)、続いて私が乗ることになった。太めの車掌は「イポーニェツ(日本人)?」と少し笑顔混じりで聞いてきて、座席番号のところを指差してくれる。多少は愛想のありそうな車掌であり、これなら乗車中にあれこれ撮影をしても文句は言われなさそうである(酷い車掌に当たると、森林しかないような風景を撮ろうとしても咎められてしまうのである)。<br /><br />@やけに遠いと思ったら、客車部分はホームから外れているではないか

     出発までまだまだ時間はあるが、私も延々と歩いて乗りに行く。混合列車の手前の線路上には係留されている客車が2両ほどあり(おそらく、ノグリキ行の1番列車から外された部分)、そこから車掌が残飯を野良犬に与えている。
     混合列車の客車部分の編成は、座席車2両と寝台車1両である。私の1号車は寝台であり、これなら左右どちらの車窓も楽しめることになる。足の悪いおばあさんが数人がかりで助けられて乗車して(ロシアはただでさえ低いホームなのに、それすらなくてバラストから乗るから一大事である)、続いて私が乗ることになった。太めの車掌は「イポーニェツ(日本人)?」と少し笑顔混じりで聞いてきて、座席番号のところを指差してくれる。多少は愛想のありそうな車掌であり、これなら乗車中にあれこれ撮影をしても文句は言われなさそうである(酷い車掌に当たると、森林しかないような風景を撮ろうとしても咎められてしまうのである)。

    @やけに遠いと思ったら、客車部分はホームから外れているではないか

  •  車両自体は、少し旧めである。一昨晩にユジノサハリンスクから乗車した車両が一番新しく、車内には外気温やトイレ使用を示す電光掲示があり、折り返しで乗車した車両はそれよりは旧いタイプで(つまり同じ列車に新旧車両が入り乱れている)、今日の車両はそれよりも若干くたびれた感じがしている。<br /> 私の部屋には、件の足の悪い体格の良いおばあさんがいた。「ズドラーストヴィチェ(こんにちは)」と言った私に対して色々話しかけてきたが、残念ながらわからないということを身振りで伝えた。窓のすぐ外には見送りらしきおばさんがバラストの上に立っていて、心なしか目元を拭いているようにも見える。窓も開けられないためおばあさんは何を話すというわけでもなく、ただ外を眺めているだけである。本来、鉄道とはこういう「別れ」の状況を作り出す名脇役であったが、高速化が進んだ日本の鉄道では少なくなってきた光景のようにも思える。<br /><br />@コンパートメントの様子(空いている部屋を車掌が開けた際に、こっそり撮影)

     車両自体は、少し旧めである。一昨晩にユジノサハリンスクから乗車した車両が一番新しく、車内には外気温やトイレ使用を示す電光掲示があり、折り返しで乗車した車両はそれよりは旧いタイプで(つまり同じ列車に新旧車両が入り乱れている)、今日の車両はそれよりも若干くたびれた感じがしている。
     私の部屋には、件の足の悪い体格の良いおばあさんがいた。「ズドラーストヴィチェ(こんにちは)」と言った私に対して色々話しかけてきたが、残念ながらわからないということを身振りで伝えた。窓のすぐ外には見送りらしきおばさんがバラストの上に立っていて、心なしか目元を拭いているようにも見える。窓も開けられないためおばあさんは何を話すというわけでもなく、ただ外を眺めているだけである。本来、鉄道とはこういう「別れ」の状況を作り出す名脇役であったが、高速化が進んだ日本の鉄道では少なくなってきた光景のようにも思える。

    @コンパートメントの様子(空いている部屋を車掌が開けた際に、こっそり撮影)

  •  定刻の8時28分に出発したが、しばらくは内陸部を走るため海は見えないことと、少しでも休憩を取らないと風邪が悪化しかねないので、昼過ぎまでは寝ることを中心にすることにした。<br /> 北緯50度線には特に目印もないため起きていてもわからないだろうが、その辺りからは確認しておきたい。10時過ぎに起きて外をぼんやり眺めてから、日本統治時代の最北の駅であった(違うかもしれない。詳細は調べていないので)ユジナヤハンダサには10時34分に到着した。サハリンにありがちな水色の小さな小屋の駅舎で、特に何か目立つものもなかった。<br /><br />@ユジナヤハンダサ駅(この色が多い)

     定刻の8時28分に出発したが、しばらくは内陸部を走るため海は見えないことと、少しでも休憩を取らないと風邪が悪化しかねないので、昼過ぎまでは寝ることを中心にすることにした。
     北緯50度線には特に目印もないため起きていてもわからないだろうが、その辺りからは確認しておきたい。10時過ぎに起きて外をぼんやり眺めてから、日本統治時代の最北の駅であった(違うかもしれない。詳細は調べていないので)ユジナヤハンダサには10時34分に到着した。サハリンにありがちな水色の小さな小屋の駅舎で、特に何か目立つものもなかった。

    @ユジナヤハンダサ駅(この色が多い)

  •  それからまた横になって体力を温存する。駅に着くたびに時刻表を確認してみたが、ほぼ定刻に近い時刻で走り続けているようである。マトローソヴォには12時15分に到着し、すぐに出発していった。暑さ(室温と熱による)のためタオルで顔を拭っていると、おばあさんが「トイレに行けば水があるから、それで濡らしてきて拭いた方がいい」というようなことを言う。理解できた単語は「トゥアリェート」と「ヴァダー」だけであったが。<br /><br />@トイレの窓から後方の貨車を撮影

     それからまた横になって体力を温存する。駅に着くたびに時刻表を確認してみたが、ほぼ定刻に近い時刻で走り続けているようである。マトローソヴォには12時15分に到着し、すぐに出発していった。暑さ(室温と熱による)のためタオルで顔を拭っていると、おばあさんが「トイレに行けば水があるから、それで濡らしてきて拭いた方がいい」というようなことを言う。理解できた単語は「トゥアリェート」と「ヴァダー」だけであったが。

    @トイレの窓から後方の貨車を撮影

  •  その次の駅か次の次か忘れてしまったが、4人の家族連れが乗ってきた。そのうち1人は切符の必要がない幼児ということで3席分押さえているようであるが、どうやらすべて上段のようである。母親がすごい剣幕で「あなたは1人なんだから、隣りのコンパートメントの上段に移ってくれる? こっちは小さい子どもが2人もいて、私は妊娠もしてるのよ! 全員上段なんて無理だわ」みたいなことを言い始めた(すべて想像だが9割以上当たっているはず)。しかし、私は車窓を楽しむために高額を投じてここまで来ているわけである(上段では何も見えない)。百歩譲って体力がまともであれば、下段を譲ってあげてずっと通路にある簡易椅子にいてもいいが、風邪がひどくて座っているのもやっとなのである。ここは心を鬼にして、ジェスチャーすらまったく理解できないふりをして首を振って断った(どうしても下段に座りたければ、車掌と交渉して空いているコンパートメントを開けてもらえばいいのである。それをしないということは、車掌に交渉しても無駄ということを知っているのだろう)。<br /><br />@そしてポロナイスク駅へ

     その次の駅か次の次か忘れてしまったが、4人の家族連れが乗ってきた。そのうち1人は切符の必要がない幼児ということで3席分押さえているようであるが、どうやらすべて上段のようである。母親がすごい剣幕で「あなたは1人なんだから、隣りのコンパートメントの上段に移ってくれる? こっちは小さい子どもが2人もいて、私は妊娠もしてるのよ! 全員上段なんて無理だわ」みたいなことを言い始めた(すべて想像だが9割以上当たっているはず)。しかし、私は車窓を楽しむために高額を投じてここまで来ているわけである(上段では何も見えない)。百歩譲って体力がまともであれば、下段を譲ってあげてずっと通路にある簡易椅子にいてもいいが、風邪がひどくて座っているのもやっとなのである。ここは心を鬼にして、ジェスチャーすらまったく理解できないふりをして首を振って断った(どうしても下段に座りたければ、車掌と交渉して空いているコンパートメントを開けてもらえばいいのである。それをしないということは、車掌に交渉しても無駄ということを知っているのだろう)。

    @そしてポロナイスク駅へ

  •  13時10分頃に、ポロナイスクに到着した。ここでは1時間5分も停車時間があるため、いったんホームに出てみる。駅舎は新しいが、構内には小さな売店があるのみであり、駅前にもこれといった商店もない。咎められない程度に駅舎や貨客混合列車の撮影をしていると、おばさんが大きな銀色の箱を運んできて、なにやら売り始めた。乗客がちらほらと買いに行ったので確かめに行ってみると、ピロシキやマントゥ(饅頭)などを売っていたため、私も指差ししながら買ってみた。<br /><br />@本当は中身を聞いて買いたいところだが

     13時10分頃に、ポロナイスクに到着した。ここでは1時間5分も停車時間があるため、いったんホームに出てみる。駅舎は新しいが、構内には小さな売店があるのみであり、駅前にもこれといった商店もない。咎められない程度に駅舎や貨客混合列車の撮影をしていると、おばさんが大きな銀色の箱を運んできて、なにやら売り始めた。乗客がちらほらと買いに行ったので確かめに行ってみると、ピロシキやマントゥ(饅頭)などを売っていたため、私も指差ししながら買ってみた。

    @本当は中身を聞いて買いたいところだが

  •  それを手にしながらコンパートメントに戻ると、足の悪いおばあさんがそれを指差ししながら何やら言っている。今度はわかる単語が皆無だったが、どうやら「それと同じものを買ってきて頂戴」のようであった(おばあさんは補助されながら乗車して以降、寝ているか座っているかだけで、トイレにすら立ち上がっていない)。おばあさんが50P札を出したので「もっと高い」というジェスチャーをすると、もう1枚出してきたのでそれを手にしてまたホームに降り、先ほどと同じ手順でおばさんから再度購入する。それを手にして戻り、おつりの25Pといっしょに手渡すと「スパシーバ(ありがとう)」と言われたので、「パジャールスタ(どういたしまして)」とお返しする。お店や駅などで何回か繰り返されてきたやりとりであるが、パジャールスタの側になったのは初めてである。<br /><br />@形で選びました

     それを手にしながらコンパートメントに戻ると、足の悪いおばあさんがそれを指差ししながら何やら言っている。今度はわかる単語が皆無だったが、どうやら「それと同じものを買ってきて頂戴」のようであった(おばあさんは補助されながら乗車して以降、寝ているか座っているかだけで、トイレにすら立ち上がっていない)。おばあさんが50P札を出したので「もっと高い」というジェスチャーをすると、もう1枚出してきたのでそれを手にしてまたホームに降り、先ほどと同じ手順でおばさんから再度購入する。それを手にして戻り、おつりの25Pといっしょに手渡すと「スパシーバ(ありがとう)」と言われたので、「パジャールスタ(どういたしまして)」とお返しする。お店や駅などで何回か繰り返されてきたやりとりであるが、パジャールスタの側になったのは初めてである。

    @形で選びました

  •  ピロシキはひき肉にコメが混ざっているもので、マントゥにはニンニクが良く効いていて、どちらも美味しくいただいた。さて、それでもまだまだ時間がある。本来ならば駅近くを散策したいところであるが、ここから先は沿線風景にオホーツク海が広がるため、それを見るためにはここで休息していく必要があろう。寝台に横になり、濡らしたタオルを額に乗せてひたすら休み続ける。時折車両に大きな衝撃があり、どうやら貨車の部分を付け替えているようである。これも本来ならば見に行くのであるが、今回限りは諦めて休み続けることにした。<br /> 定刻の14時15分にポロナイスクを出発して、しばらくすると左手に海が広がった。風邪も忘れて、通路に立ってその風景を眺め続ける。サハリンらしくない暑さ(外気温はせいぜい25度程度だが、締め切りの車内はかなり暑くなっている)のため、車内はあまり快適ではないが、通路側の窓の2か所だけ、10センチほど窓が開くためそこから気持ちの良い風が入ってくる。<br /><br />@海その1

     ピロシキはひき肉にコメが混ざっているもので、マントゥにはニンニクが良く効いていて、どちらも美味しくいただいた。さて、それでもまだまだ時間がある。本来ならば駅近くを散策したいところであるが、ここから先は沿線風景にオホーツク海が広がるため、それを見るためにはここで休息していく必要があろう。寝台に横になり、濡らしたタオルを額に乗せてひたすら休み続ける。時折車両に大きな衝撃があり、どうやら貨車の部分を付け替えているようである。これも本来ならば見に行くのであるが、今回限りは諦めて休み続けることにした。
     定刻の14時15分にポロナイスクを出発して、しばらくすると左手に海が広がった。風邪も忘れて、通路に立ってその風景を眺め続ける。サハリンらしくない暑さ(外気温はせいぜい25度程度だが、締め切りの車内はかなり暑くなっている)のため、車内はあまり快適ではないが、通路側の窓の2か所だけ、10センチほど窓が開くためそこから気持ちの良い風が入ってくる。

    @海その1

  •  しばらくすると、右手には湖が広がり始める。その所々で、水着姿の人たちが休暇を楽しんでいる姿が見られる。この地域の家々は朽ち果てそうなものが多く、公共の建物も古くて、唯一新しいものが中古車の日本車という感じだが、「豊かではないながらも幸せなくらし」があるように感じられた。<br /> 湖が終わると、大量のコンクリート製の枕木が現れ始めた。サハリンでは路盤をロシアと同じサイズ(標準軌)に変える工事をし始めているということを聞いており、おそらくそれのためであろう(現在は、日本が敷設した部分が多いため狭軌である)。<br /><br />@海その2

     しばらくすると、右手には湖が広がり始める。その所々で、水着姿の人たちが休暇を楽しんでいる姿が見られる。この地域の家々は朽ち果てそうなものが多く、公共の建物も古くて、唯一新しいものが中古車の日本車という感じだが、「豊かではないながらも幸せなくらし」があるように感じられた。
     湖が終わると、大量のコンクリート製の枕木が現れ始めた。サハリンでは路盤をロシアと同じサイズ(標準軌)に変える工事をし始めているということを聞いており、おそらくそれのためであろう(現在は、日本が敷設した部分が多いため狭軌である)。

    @海その2

  •  時折、支線の路盤が分かれていく。海との距離は付かず離れずで、場所によっては全く見えなくなる。ずっと景色を見ていたいところだが、やはり休憩も必要である。風邪薬以外に、日本から持ってきた解熱剤が2回分ほどあるため、それの1回分を飲み、しばらくコンパートメント内で座って大人しくしている。時刻表によれば、この先のマルコヴォ、トゥマーノヴォ、マカロフでそれぞれ12〜13分の停車があるので、座りながら景色を眺める+停車中は横になって休む、を繰り返した。マルコヴォでは、下りの967番列車とすれ違った。あちらも長大な編成の貨客混合列車であったが、客車は2両しかなかったように見えた。<br /><br />@967と行き違い

     時折、支線の路盤が分かれていく。海との距離は付かず離れずで、場所によっては全く見えなくなる。ずっと景色を見ていたいところだが、やはり休憩も必要である。風邪薬以外に、日本から持ってきた解熱剤が2回分ほどあるため、それの1回分を飲み、しばらくコンパートメント内で座って大人しくしている。時刻表によれば、この先のマルコヴォ、トゥマーノヴォ、マカロフでそれぞれ12〜13分の停車があるので、座りながら景色を眺める+停車中は横になって休む、を繰り返した。マルコヴォでは、下りの967番列車とすれ違った。あちらも長大な編成の貨客混合列車であったが、客車は2両しかなかったように見えた。

    @967と行き違い

  •  旅行記の出だしで「ツイてない」と書いたが、些細なことだが今回の旅の前半からカメラのレンズ内にゴミが入ってしまい、途中からはそれが多くなってしまっている。普通の写真の場合にはわからないが、空や海を写すとそのゴミがくっきりと映るようになってしまった。日本に帰ったら、新しいものを買わないとならないかもしれない。<br /> 車内はあいかわらず暑いため、同室のロシア人家族の父親が、車掌に申し出て何やらネジ外しのような工具を借りている。どうやら私たちのいる部屋が非常口になっているようで、どこかを緩めれば窓が開くようなのだが、何をどうしても結局開くことはなかった(つまり、非常口としての意味は成していないということである)。父親は諦め、暑くて赤くなった顔に濡れタオルを掛けてまた寝てしまった。上段はさらに暑いようで、やはり情け心を出して寝台を交換するようなことをしなくて良かったと思った。<br /><br />@汽笛を鳴らされても気にしない

     旅行記の出だしで「ツイてない」と書いたが、些細なことだが今回の旅の前半からカメラのレンズ内にゴミが入ってしまい、途中からはそれが多くなってしまっている。普通の写真の場合にはわからないが、空や海を写すとそのゴミがくっきりと映るようになってしまった。日本に帰ったら、新しいものを買わないとならないかもしれない。
     車内はあいかわらず暑いため、同室のロシア人家族の父親が、車掌に申し出て何やらネジ外しのような工具を借りている。どうやら私たちのいる部屋が非常口になっているようで、どこかを緩めれば窓が開くようなのだが、何をどうしても結局開くことはなかった(つまり、非常口としての意味は成していないということである)。父親は諦め、暑くて赤くなった顔に濡れタオルを掛けてまた寝てしまった。上段はさらに暑いようで、やはり情け心を出して寝台を交換するようなことをしなくて良かったと思った。

    @汽笛を鳴らされても気にしない

  •  左手に広がるオホーツク海は、いつのまにか霧で靄ってしまっている。それでも、海岸では海水浴を楽しんでいる人が見受けられる。サハリンにとっては、短い短い夏のひと時であり、すぐにまた寒い秋なってしまうのだろうから、多少曇っていてもこれで十分なのだろう。そのうちに、新しく整備されたらしい道路が鉄道の路盤と並走するようになったが、その上を走る車はほとんどなかった。時刻は18時になろうとしているが、緯度も高く、日本との時差が2時間(サマータイムを含む)あるので、陽はまだまだ高いところで輝いている。18時21分にザオゼルノエスタロエという小駅に停まり、その次のヴォストーチヌィは旧い木造貨車を再利用したボロい駅舎であった。<br /><br />@ヴォストーチヌィ駅

     左手に広がるオホーツク海は、いつのまにか霧で靄ってしまっている。それでも、海岸では海水浴を楽しんでいる人が見受けられる。サハリンにとっては、短い短い夏のひと時であり、すぐにまた寒い秋なってしまうのだろうから、多少曇っていてもこれで十分なのだろう。そのうちに、新しく整備されたらしい道路が鉄道の路盤と並走するようになったが、その上を走る車はほとんどなかった。時刻は18時になろうとしているが、緯度も高く、日本との時差が2時間(サマータイムを含む)あるので、陽はまだまだ高いところで輝いている。18時21分にザオゼルノエスタロエという小駅に停まり、その次のヴォストーチヌィは旧い木造貨車を再利用したボロい駅舎であった。

    @ヴォストーチヌィ駅

  •  そのうち、上段で寝ていた家族の子ども(小さな男の子で、3歳くらい)が降りてきた。暑くて喉が渇いたらしく、机の上にあるものを見比べていたが、私が持ってきたキャンプ用のコップに入っているお茶を飲もうとしてしまった(当然、日本から持ってきたティーパックのお茶が入っている)。緑茶なら止めるところだが、番茶であるからこちらのチャーイと大差ないだろうし、充分に冷めていたから、微笑ましい出来事としてそのまま適当に放って置いた。自分が何をしているのかわからない子どもはそれで満足したようであり、その様子を見てあの怖そうだった母親も少し笑っていた。ロシア人の家族を見ているとたいていそうなのだが、小さな子供は万国共通でよく笑ったりするが、歳を重ねるごとにイデオロギーに染まらされてしまい、愛想がなくなっていくのかもしれない。<br /><br />@窃盗犯(?)の脱獄風景

     そのうち、上段で寝ていた家族の子ども(小さな男の子で、3歳くらい)が降りてきた。暑くて喉が渇いたらしく、机の上にあるものを見比べていたが、私が持ってきたキャンプ用のコップに入っているお茶を飲もうとしてしまった(当然、日本から持ってきたティーパックのお茶が入っている)。緑茶なら止めるところだが、番茶であるからこちらのチャーイと大差ないだろうし、充分に冷めていたから、微笑ましい出来事としてそのまま適当に放って置いた。自分が何をしているのかわからない子どもはそれで満足したようであり、その様子を見てあの怖そうだった母親も少し笑っていた。ロシア人の家族を見ているとたいていそうなのだが、小さな子供は万国共通でよく笑ったりするが、歳を重ねるごとにイデオロギーに染まらされてしまい、愛想がなくなっていくのかもしれない。

    @窃盗犯(?)の脱獄風景

  •  18時57分、定刻より4分早着でプガチョーヴォに到着した。行き違いの列車が出発するとこちらも動き出してしまったが、まだ出発時刻の4分前である。もちろんすぐに止まったが、可能性としては、1.停止位置を動かすことによってセンサー類が反応して信号が変わる、2.「よし、行き違いも行ったからこっちも出発するか」「そうだな…。おいっ、時刻表だとあと4分停車だぞ!」「おっと、止まらないと」、のどちらかであろう。ポロナイスクで運転席を見た限り、3人いてそのうち2人は暑くて上半身裸になっていたため後者を想像してしまうが、おそらく前者であると思いたい。<br /> 出発後は次第に草木が大きくなり、峠というほどではないが、編成が長大なだけに列車はかなりゆっくりとしたスピードになって走って行った。廊下にある簡易椅子に座って外を見ていると、どういうわけか気に入られてしまったようで、小さな男の子が話しかけてくる。しかし残念ながら私のロシア語能力は0歳児程度なので、上手に答えてあげることはできなかった。彼の眼には、私は不思議な大人として映っていることだろう。<br /><br />@ゆるやかな坂をがんばって登る

     18時57分、定刻より4分早着でプガチョーヴォに到着した。行き違いの列車が出発するとこちらも動き出してしまったが、まだ出発時刻の4分前である。もちろんすぐに止まったが、可能性としては、1.停止位置を動かすことによってセンサー類が反応して信号が変わる、2.「よし、行き違いも行ったからこっちも出発するか」「そうだな…。おいっ、時刻表だとあと4分停車だぞ!」「おっと、止まらないと」、のどちらかであろう。ポロナイスクで運転席を見た限り、3人いてそのうち2人は暑くて上半身裸になっていたため後者を想像してしまうが、おそらく前者であると思いたい。
     出発後は次第に草木が大きくなり、峠というほどではないが、編成が長大なだけに列車はかなりゆっくりとしたスピードになって走って行った。廊下にある簡易椅子に座って外を見ていると、どういうわけか気に入られてしまったようで、小さな男の子が話しかけてくる。しかし残念ながら私のロシア語能力は0歳児程度なので、上手に答えてあげることはできなかった。彼の眼には、私は不思議な大人として映っていることだろう。

    @ゆるやかな坂をがんばって登る

  •  先にも書いたが客車は3両のみで、私のいる1号車はその一番後ろである。車両の端の部分のドアは閉められているのかとばかり思っていたが、ノブに手をかけてみると普通に開いた。どうやら喫煙場所として提供されているようであり、おかげで後方が見渡せるようになっている。ノグリキ出発時はすぐ後ろの貨車が有蓋車(箱形の貨車)だったのでここからは何も見えなかったであろうが、いつの間にか無蓋車になっており、後方が広々を見渡せるようになっている。これ幸いと、その様子を写真に収めた。<br /><br />@後方の風景

     先にも書いたが客車は3両のみで、私のいる1号車はその一番後ろである。車両の端の部分のドアは閉められているのかとばかり思っていたが、ノブに手をかけてみると普通に開いた。どうやら喫煙場所として提供されているようであり、おかげで後方が見渡せるようになっている。ノグリキ出発時はすぐ後ろの貨車が有蓋車(箱形の貨車)だったのでここからは何も見えなかったであろうが、いつの間にか無蓋車になっており、後方が広々を見渡せるようになっている。これ幸いと、その様子を写真に収めた。

    @後方の風景

  •  緩やかな峠区間が終わり、左手に沿う道路に点々とカニ売りのおばさんが現れ、それが終わるとヴズモーリエである。ここで22分ほど停車するのであるが、降りた乗客たちが一目散に向かうので一緒に移動してみると、駅前にマガズィーン(商店)があった。特に何か買いたいものがあるわけでもないし、1人しかいない店員の奪い合い(?)に勝てる気もしなかったから適当に退散した。駅近くではカニ売りの人たちが何人か出店を開いており、それを眺める人たちもいる。<br /><br />@カニの露店

     緩やかな峠区間が終わり、左手に沿う道路に点々とカニ売りのおばさんが現れ、それが終わるとヴズモーリエである。ここで22分ほど停車するのであるが、降りた乗客たちが一目散に向かうので一緒に移動してみると、駅前にマガズィーン(商店)があった。特に何か買いたいものがあるわけでもないし、1人しかいない店員の奪い合い(?)に勝てる気もしなかったから適当に退散した。駅近くではカニ売りの人たちが何人か出店を開いており、それを眺める人たちもいる。

    @カニの露店

  •  駅に戻り、目的のよくわからない台車のみの展示を眺めたりした。行き違いのД2型ディーゼルカーが先に出発していったが、時刻からしてトマリ行の列車であろうか。<br /> 長大な貨車部分の先(後方部分)ではディーゼル機関車の煙が上がっているが、おそらく貨車の付け替えをしているのだろう。まさか、峠区間を後方から補助していたわけではあるまい。<br /> ヴズモーリエを出発してからは、座ったままで暗くなるまで外を眺め続けた。サハリンとはいえ、夜の9時半になるとさすがに外はほとんど見えなくなってしまった。ちなみに、他の旅行記サイトでは、サハリンではシーツ代(40Pほど)を車掌が回収に来るという話が多かったが、今回はいずれも徴収に来なかった。どうやら、「どうせ全員から取るのなら、シーツ代を込みにした料金設定にした方が楽だ」ということに、やっと気づいたのかもしれない。<br /><br />@(この場面とは関係ないですが、明るかった時間帯の途中の風景を)

     駅に戻り、目的のよくわからない台車のみの展示を眺めたりした。行き違いのД2型ディーゼルカーが先に出発していったが、時刻からしてトマリ行の列車であろうか。
     長大な貨車部分の先(後方部分)ではディーゼル機関車の煙が上がっているが、おそらく貨車の付け替えをしているのだろう。まさか、峠区間を後方から補助していたわけではあるまい。
     ヴズモーリエを出発してからは、座ったままで暗くなるまで外を眺め続けた。サハリンとはいえ、夜の9時半になるとさすがに外はほとんど見えなくなってしまった。ちなみに、他の旅行記サイトでは、サハリンではシーツ代(40Pほど)を車掌が回収に来るという話が多かったが、今回はいずれも徴収に来なかった。どうやら、「どうせ全員から取るのなら、シーツ代を込みにした料金設定にした方が楽だ」ということに、やっと気づいたのかもしれない。

    @(この場面とは関係ないですが、明るかった時間帯の途中の風景を)

  •  列車は暗闇の大地を走り続け、ほぼ定刻に近い時刻で各駅に停まり、ユジノサハリンスクには計ったかのように定刻の23時30分に到着した。<br /> もう夜も更けているが、宿泊先は駅に直結している。部屋に入り、薬を飲んだだけですぐ横になってしまった。<br /><br />■2011.8.8 ホルムスクへのプチ旅とローカル線<br /> 朝、快調ではないが、歩いたりする分には可能な程度ではあった。ファーストフードで朝を済ませ、その足で駅近くにあるバス切符売り場へ行く。ホルムスクへの朝一便のバスは8時40分発で、ガイドブックなどには250Pと書いてあったが最近になって270Pに値上がりしたようである(その旨らしき掲示も貼ってあった)。<br /> バスは韓国製の中古車である。旅行記前半で、サハリン内のほとんどが日本の中古車であると書いたが、実は路線バスに限っては韓国製が多い。それもそのはず、日本は左側通行でサハリンと韓国は右側通行、乗用車は少し不便な程度で済むが、路線バスの場合、日本の中古車をこちらに持ってきても乗降口がセンターライン側になってしまうのである。<br /><br />@今回乗車したバス(復路も同じだったため、ホルムスクで撮影)

     列車は暗闇の大地を走り続け、ほぼ定刻に近い時刻で各駅に停まり、ユジノサハリンスクには計ったかのように定刻の23時30分に到着した。
     もう夜も更けているが、宿泊先は駅に直結している。部屋に入り、薬を飲んだだけですぐ横になってしまった。

    ■2011.8.8 ホルムスクへのプチ旅とローカル線
     朝、快調ではないが、歩いたりする分には可能な程度ではあった。ファーストフードで朝を済ませ、その足で駅近くにあるバス切符売り場へ行く。ホルムスクへの朝一便のバスは8時40分発で、ガイドブックなどには250Pと書いてあったが最近になって270Pに値上がりしたようである(その旨らしき掲示も貼ってあった)。
     バスは韓国製の中古車である。旅行記前半で、サハリン内のほとんどが日本の中古車であると書いたが、実は路線バスに限っては韓国製が多い。それもそのはず、日本は左側通行でサハリンと韓国は右側通行、乗用車は少し不便な程度で済むが、路線バスの場合、日本の中古車をこちらに持ってきても乗降口がセンターライン側になってしまうのである。

    @今回乗車したバス(復路も同じだったため、ホルムスクで撮影)

  •  ダエウー製のオンボロバスは、一般道をかなりの高速で快走していった。途中一瞬であるが、廃線となった豊真線の路盤跡や鉄橋などが見える部分があった。そんな部分をこそこそ撮影していると、それこそスパイのように思われてしまうが(しかも旅行記のためとはいえ簡単なメモまで書いている)、あまり目立たぬように撮影をした。<br /> ホルムスクは、落ち着いた港町という雰囲気であった。街中をあれこれ歩き回り、朽ち果てている王子製紙工場跡などの写真を撮り続けた。<br /><br />@製紙工場跡

     ダエウー製のオンボロバスは、一般道をかなりの高速で快走していった。途中一瞬であるが、廃線となった豊真線の路盤跡や鉄橋などが見える部分があった。そんな部分をこそこそ撮影していると、それこそスパイのように思われてしまうが(しかも旅行記のためとはいえ簡単なメモまで書いている)、あまり目立たぬように撮影をした。
     ホルムスクは、落ち着いた港町という雰囲気であった。街中をあれこれ歩き回り、朽ち果てている王子製紙工場跡などの写真を撮り続けた。

    @製紙工場跡

  •  そうしていると貨物列車が近づいてきたため、吉と出るか凶と出る(怒られる)か不安であったがカメラを構えて撮影をすると、運転手のおじさんは笑顔で汽笛を鳴らしてくれたので、こちらも安心して手を振った。<br /><br />@貨物列車

     そうしていると貨物列車が近づいてきたため、吉と出るか凶と出る(怒られる)か不安であったがカメラを構えて撮影をすると、運転手のおじさんは笑顔で汽笛を鳴らしてくれたので、こちらも安心して手を振った。

    @貨物列車

  •  余談だが、サハリンでは踏切番用の小屋がたくさんあり、必ず誰かが常駐している。列車本数もそれほど多くなく、ホルムスクのこの区間などは貨物が通る程度だが、このような建物が残っている。利益を追求すればこのような職業はすぐに淘汰されてしまうのだろうが、踏切番が各所にいて、各車両に車掌が常務し、どんな小さな駅にも駅員がいて列車の通過を確認しているあたりから、ロシアの民主化がまだまだ先のような感じもしてしまう。<br /><br />@踏切番(でもこの小屋はかわいい)

     余談だが、サハリンでは踏切番用の小屋がたくさんあり、必ず誰かが常駐している。列車本数もそれほど多くなく、ホルムスクのこの区間などは貨物が通る程度だが、このような建物が残っている。利益を追求すればこのような職業はすぐに淘汰されてしまうのだろうが、踏切番が各所にいて、各車両に車掌が常務し、どんな小さな駅にも駅員がいて列車の通過を確認しているあたりから、ロシアの民主化がまだまだ先のような感じもしてしまう。

    @踏切番(でもこの小屋はかわいい)

  •  1時のバスでユジノサハリンスクへ戻り、しばらく市内で夕食の惣菜などの買い物をし、ホテルに荷物を置いてから駅へと向かった。サハリン最後の鐡旅として、ブイコフまで往復してくるためである。<br /> まずは、駅構内で切符を買う。その際に往路のフェリーで一緒だった人と再会し、彼はトマリ方面の往復を終えてこれからノグリキへの往復をするという。その部分は私と同じであるので、ノグリキの様子やティモフスクの宿泊先のことなどを伝えた。<br /><br />@駅構内の様子(車掌は柱の向こうにいる)

     1時のバスでユジノサハリンスクへ戻り、しばらく市内で夕食の惣菜などの買い物をし、ホテルに荷物を置いてから駅へと向かった。サハリン最後の鐡旅として、ブイコフまで往復してくるためである。
     まずは、駅構内で切符を買う。その際に往路のフェリーで一緒だった人と再会し、彼はトマリ方面の往復を終えてこれからノグリキへの往復をするという。その部分は私と同じであるので、ノグリキの様子やティモフスクの宿泊先のことなどを伝えた。

    @駅構内の様子(車掌は柱の向こうにいる)

  •  ノボジェレーベンスカヤに行ってきたД2型が、折り返しのブイコフ行となる。その列車の到着を待ち、ホームにいる車掌に見つからないように撮影をし、切符を見せて乗り込んだ。車内はそれなりに混んでおり、各ボックスに1〜2人は座っている感じである。<br /> 定刻の17時35分に、ユジノサハリンスクを出発した。途中のソコルまではノグリキまで通じている本線を走行するため、順調に快走していく。ソコルの先から分岐してからは、スピードも少しゆっくりになり、沿線風景も人工物の少ない閑散とした風景になっていく。途中駅の名称も、固有名ではなく「15km」のようなものになってくる。<br /><br />@21km駅で、おじさんが降りていった

     ノボジェレーベンスカヤに行ってきたД2型が、折り返しのブイコフ行となる。その列車の到着を待ち、ホームにいる車掌に見つからないように撮影をし、切符を見せて乗り込んだ。車内はそれなりに混んでおり、各ボックスに1〜2人は座っている感じである。
     定刻の17時35分に、ユジノサハリンスクを出発した。途中のソコルまではノグリキまで通じている本線を走行するため、順調に快走していく。ソコルの先から分岐してからは、スピードも少しゆっくりになり、沿線風景も人工物の少ない閑散とした風景になっていく。途中駅の名称も、固有名ではなく「15km」のようなものになってくる。

    @21km駅で、おじさんが降りていった

  •  旧い工場などの廃墟が現れ、勾配が厳しくなってスピードが落ち、小さな駅をいくつか過ぎ、歩く速度のような超低速になって崩れそうな工場跡に近づくと、終着駅のブイコフである。駅舎らしきものがあり、何より驚いたのが日本のような「高いホーム」が残っていることである。このようなホームがあり、列車から普通に降りられたのはサハリンに来てから初めてである。<br /><br />@ブイコフの高床ホーム

     旧い工場などの廃墟が現れ、勾配が厳しくなってスピードが落ち、小さな駅をいくつか過ぎ、歩く速度のような超低速になって崩れそうな工場跡に近づくと、終着駅のブイコフである。駅舎らしきものがあり、何より驚いたのが日本のような「高いホーム」が残っていることである。このようなホームがあり、列車から普通に降りられたのはサハリンに来てから初めてである。

    @ブイコフの高床ホーム

  •  駅前の通りは舗装もされておらず、寂しい風景である。駅のすぐ近くにある旧い共同住居らしき建物にも、人が住んでいるような気配はない。数十人の乗客が降りたが、彼らはどこかへ歩いて(一部は車に乗って)行ってしまった。社会主義時代ならば、有無をいわせずこの辺境の地に住んで工場で働く必要もあったのだろうが、今の時代、どうしてこのような不便な土地に住み(地場産業はあるように思えない)、そしてわざわざ1日2往復しかない列車で通勤しなければならないのか、その理由は私には推し量りきれない。<br /><br />@冷戦時代を思わせる勇ましい看板

     駅前の通りは舗装もされておらず、寂しい風景である。駅のすぐ近くにある旧い共同住居らしき建物にも、人が住んでいるような気配はない。数十人の乗客が降りたが、彼らはどこかへ歩いて(一部は車に乗って)行ってしまった。社会主義時代ならば、有無をいわせずこの辺境の地に住んで工場で働く必要もあったのだろうが、今の時代、どうしてこのような不便な土地に住み(地場産業はあるように思えない)、そしてわざわざ1日2往復しかない列車で通勤しなければならないのか、その理由は私には推し量りきれない。

    @冷戦時代を思わせる勇ましい看板

  •  駅前の殺風景な様子を撮影し、駅に戻って高床のホームを撮影していると、すれ違いざまに関係者らしき男性が軽く私の肩をつついてバツのサインを出していった。撮影するなということであるが、「やめろ」という感じではなく、「そこにいる警察に見られたら面倒なことになるから、やめといた方がいい」という感じであったと思う。<br /> 撮影が不可ではすることもなくなり、折り返しの出発を車内で待つ。手持ちで印刷してきた時刻表の出発時刻になっても動かないので不思議に思っていたのだが、どうやら時刻改正があったようである。車内に掲示されていた新しい時刻表を確認し、見つからないようにそれを撮影した。<br /> 19時34分にブイコフを出発し、すぐにやってきた車掌から手書きの切符を購う。車窓には、スパイ活動をしても実にならなそうな廃墟などがあるばかりである。<br /><br />@こんな廃墟を写しても、情報としては有益ではないだろう

     駅前の殺風景な様子を撮影し、駅に戻って高床のホームを撮影していると、すれ違いざまに関係者らしき男性が軽く私の肩をつついてバツのサインを出していった。撮影するなということであるが、「やめろ」という感じではなく、「そこにいる警察に見られたら面倒なことになるから、やめといた方がいい」という感じであったと思う。
     撮影が不可ではすることもなくなり、折り返しの出発を車内で待つ。手持ちで印刷してきた時刻表の出発時刻になっても動かないので不思議に思っていたのだが、どうやら時刻改正があったようである。車内に掲示されていた新しい時刻表を確認し、見つからないようにそれを撮影した。
     19時34分にブイコフを出発し、すぐにやってきた車掌から手書きの切符を購う。車窓には、スパイ活動をしても実にならなそうな廃墟などがあるばかりである。

    @こんな廃墟を写しても、情報としては有益ではないだろう

  •  ソコルで本線に合流し、ノヴォアレクサンドロフカでノグリキ行の1番列車とすれ違い、ここで車内灯に明かりが付いた。右手には大きな夕日が沈み始め、それが見えなくなってしばらくすると終着のユジノサハリンスクである。<br /> 到着時刻は、定刻の21時07分であった。部屋へ戻り、スーパーで事前に買っておいた惣菜での最後の晩餐である。<br /><br />@酒代込みで500P(約1500円)の超豪華晩餐(豪華かどうかは作成者の普段の食生活との比較による)

     ソコルで本線に合流し、ノヴォアレクサンドロフカでノグリキ行の1番列車とすれ違い、ここで車内灯に明かりが付いた。右手には大きな夕日が沈み始め、それが見えなくなってしばらくすると終着のユジノサハリンスクである。
     到着時刻は、定刻の21時07分であった。部屋へ戻り、スーパーで事前に買っておいた惣菜での最後の晩餐である。

    @酒代込みで500P(約1500円)の超豪華晩餐(豪華かどうかは作成者の普段の食生活との比較による)

  • ■2011.8.9 そして日本へ<br /> 最終日は、昼過ぎの飛行機で成田へ飛ぶだけである。午前中は、次にいつ来られるかわからないユジノサハリンスクの市内を適当に歩き、何気ない街の景色を写真に収め、そして空港へと向かった。ロシアの航空会社らしくないエアバスは、その大きな機体にわずか20名ほどの乗客を乗せて飛び立ち、宗谷海峡の方へと向かって行った。<br /><br />@お疲れさまでした(ユジノサハリンスク猫より)<br /><br /><br />*旅行記および私の詳細については以下で。<br />「鐡旅」http://www2u.biglobe.ne.jp/~kokuden/tetu.htm

    ■2011.8.9 そして日本へ
     最終日は、昼過ぎの飛行機で成田へ飛ぶだけである。午前中は、次にいつ来られるかわからないユジノサハリンスクの市内を適当に歩き、何気ない街の景色を写真に収め、そして空港へと向かった。ロシアの航空会社らしくないエアバスは、その大きな機体にわずか20名ほどの乗客を乗せて飛び立ち、宗谷海峡の方へと向かって行った。

    @お疲れさまでした(ユジノサハリンスク猫より)


    *旅行記および私の詳細については以下で。
    「鐡旅」http://www2u.biglobe.ne.jp/~kokuden/tetu.htm

  • ・余談1 サハリンの結婚式<br /> 乗用車に派手に飾り付けをし、クラクションを流しながら移動する。そして市内各所の名所に行き、これでもかというポーズで写真を撮る。ユジノサハリンスクだけではなく、ノグリキでもやっていた。<br /><br />@ガガーリン公園にて

    ・余談1 サハリンの結婚式
     乗用車に派手に飾り付けをし、クラクションを流しながら移動する。そして市内各所の名所に行き、これでもかというポーズで写真を撮る。ユジノサハリンスクだけではなく、ノグリキでもやっていた。

    @ガガーリン公園にて

  • ・余談2 野良牛?<br /> 野良の犬や猫は多いが、時折牛もいる。野良というよりは、繋がずに飼っているということであろう。<br /><br />@ノグリキ市街地へ向かう道路にて

    ・余談2 野良牛?
     野良の犬や猫は多いが、時折牛もいる。野良というよりは、繋がずに飼っているということであろう。

    @ノグリキ市街地へ向かう道路にて

  • ・余談3 ハト好き?<br /> サハリンの人はハトに餌を与えるのが好きなようである。それも「撒く」のではなく「与える」である。手、肩、場合によっては頭にハトを乗せても平気なようである。写真はホルムスクだが、ユジノサハリンスクでも何度か見られた光景である。<br /><br />@ハト好きな女性たち

    ・余談3 ハト好き?
     サハリンの人はハトに餌を与えるのが好きなようである。それも「撒く」のではなく「与える」である。手、肩、場合によっては頭にハトを乗せても平気なようである。写真はホルムスクだが、ユジノサハリンスクでも何度か見られた光景である。

    @ハト好きな女性たち

  • ・余談4 野良犬<br /> サハリンの町々には野良犬がたくさんいる(猫も多少いたが、日本ほど多くないのは気象条件からして厳しいのかもしれない)。犬は概して大きく、たいていは雑種であるが、中には写真のような超大型シェパードの野良などもいる。危険ではないが、周囲に人がいないと少し怖い思いをする。<br /><br />@君はちょっと大き過ぎ!

    ・余談4 野良犬
     サハリンの町々には野良犬がたくさんいる(猫も多少いたが、日本ほど多くないのは気象条件からして厳しいのかもしれない)。犬は概して大きく、たいていは雑種であるが、中には写真のような超大型シェパードの野良などもいる。危険ではないが、周囲に人がいないと少し怖い思いをする。

    @君はちょっと大き過ぎ!

  • ・余談5 写真撮影<br /> 旅行記にあるように駅や鉄道の写真について咎める人がいるが、特に決められている基準もないようである。ただ言えることは、昔ほどの厳戒態勢ではないので、旧ソ連の雰囲気や残り香を感じてみたい場合は、早めの訪問をお勧めする。<br /><br />@鉄で働く男たち(ソ連ぽい壁画)

    ・余談5 写真撮影
     旅行記にあるように駅や鉄道の写真について咎める人がいるが、特に決められている基準もないようである。ただ言えることは、昔ほどの厳戒態勢ではないので、旧ソ連の雰囲気や残り香を感じてみたい場合は、早めの訪問をお勧めする。

    @鉄で働く男たち(ソ連ぽい壁画)

  • ・余談6 食事事情<br /> 今回はレストランやカフェで食事をする機会がなかったため詳細は述べられないが、概して調味料の多様性が不足していると思える。スーパーで日本の調味具(ドレッシングやソースやマヨネーズなど)が、日本の定価の3倍くらいで売られているのにも、そういう事情が影響しているのかもしれない。お菓子やアイスも「ただ甘い」だけであり、繊細さには欠けているところがある。ただし、単純な味付けの肉系や総菜パン(ピロシキなど)は、相応に美味しかったと思う。<br /><br />@復路のウラジオストク航空機内食(サラダのキャベツはバリバリに固く、味付けは塩コショウのみ(食べることを断念)。ケーキは、素朴な味の生地に恐ろしく甘いピーナツクリームを挟んでいる。黒パンは想像通りの酸味。米はパサついているが、このプレート部分だけは、固いお肉と一緒にそれなりに美味しくいただいた)

    ・余談6 食事事情
     今回はレストランやカフェで食事をする機会がなかったため詳細は述べられないが、概して調味料の多様性が不足していると思える。スーパーで日本の調味具(ドレッシングやソースやマヨネーズなど)が、日本の定価の3倍くらいで売られているのにも、そういう事情が影響しているのかもしれない。お菓子やアイスも「ただ甘い」だけであり、繊細さには欠けているところがある。ただし、単純な味付けの肉系や総菜パン(ピロシキなど)は、相応に美味しかったと思う。

    @復路のウラジオストク航空機内食(サラダのキャベツはバリバリに固く、味付けは塩コショウのみ(食べることを断念)。ケーキは、素朴な味の生地に恐ろしく甘いピーナツクリームを挟んでいる。黒パンは想像通りの酸味。米はパサついているが、このプレート部分だけは、固いお肉と一緒にそれなりに美味しくいただいた)

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この旅行記へのコメント (6)

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  • Michiaki Fujiwaraさん 2014/10/13 17:08:14
    サハリンの旅の詳細を教えてください。m(_ _)m
    臨場感あふれるサハリン紀行を楽しく読ませていただきました。
    是非同じ経路で来年の夏に旅をしたいと思い、ビザの取得、旅行会社や切符や宿の手配をどのようにされたか、詳しく教えていただきたく、お願いします。
    ご面倒とは思いますが、下記宛にメールを頂ければ深甚です。
    またおおよその費用を教えてください。
    横浜市在住 藤原道明
    メアド michiaki_fujiwara@hotmail.co.jp

    Michiaki Fujiwara

    Michiaki Fujiwaraさん からの返信 2014/10/13 17:08:43
    RE: サハリンの旅の詳細を教えてください。m(_ _)m
    > 臨場感あふれるサハリン紀行を楽しく読ませていただきました。
    > 是非同じ経路で来年の夏に旅をしたいと思い、ビザの取得、旅行会社や切符や宿の手配をどのようにされたか、詳しく教えていただきたく、お願いします。
    > ご面倒とは思いますが、下記宛にメールを頂ければ深甚です。
    > またおおよその費用を教えてください。
    > 横浜市在住 藤原道明
    > メアド michiaki_fujiwara@hotmail.co.jp
    >

    国電

    国電さん からの返信 2014/10/15 16:30:45
    RE: サハリンの旅の詳細を教えてください。m(_ _)m
    Michiaki Fujiwaraさま

     こんにちは。連休に海外へ出かけていましたので、返信が遅れました。
     標記については、今日の夜にでもアドレス宛に送信します。
     また適当な時に、ご再訪ください。よろしくお願いします。
    --
    国電

    Michiaki Fujiwara

    Michiaki Fujiwaraさん からの返信 2014/10/16 10:07:13
    RE: RE: サハリンの旅の詳細を教えてください。m(_ _)m
    > Michiaki Fujiwaraさま
    >
    >  こんにちは。連休に海外へ出かけていましたので、返信が遅れました。
    >  標記については、今日の夜にでもアドレス宛に送信します。
    >  また適当な時に、ご再訪ください。よろしくお願いします。
    > --
    > 国電

    国電様

    早速の返信ありがとうございます。
    大変参考になりました。
    今後も楽しい旅行記を投稿してください。
    楽しみにしています。
  • パピーさん 2011/08/16 00:58:32
    読み応え十分です
    国電さん、はじめまして

    サハリンの鉄道の旅を、じっくり読ませていただきました。

    国電さんは、プロフィールのなかで、「まだまだ旅行記手前のメモ程度」と書かれていますが、どうしてどうして十分立派な旅行記ですよ。

    風邪で体調が悪いなか、言葉もあまり通じない国での1人旅、臨場感あふれる書きっぷりで、本当に堪能させてもらいました。

    また、ほかの旅行記にもお邪魔します。

         パピー

    国電

    国電さん からの返信 2011/08/16 09:24:47
    RE: 読み応え十分です
    パピー様

     ご訪問ありがとうございました。
     風邪だったのは残念なのですが、こうして後日になってみると、旅行記の一つの要素(味付け)になったのかな、と前向きに捉えています。
     近い割に謎な国(地域)ですが、治安もそれほど悪くなく、人々も親切でした。でも、きっとロシア本土(モスクワなど)とは違うのでしょうね(日本で言えば、東京と佐渡島が異なるようなもの?…違うかしら)。
     冗長気味な旅行記ですが、これからもちらほら書いていきますので、よろしくお願いします。

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