2011/05/30 - 2011/05/30
176位(同エリア417件中)
滝山氏照さん
奈良時代より下総の国府として政治の中心地であった江戸川を臨む国府台城(こうのだいじょう、千葉県市川市国府台)を訪問しました。
この城は15世紀後半に起きた千葉氏の内訌により分裂、馬加康胤(まくわ理・やすたね)討伐に向かった太田道灌(おおた・どうかん)によって築城されたと伝えられています。当地は武蔵と下総を結ぶ戦略上重要地点でしたので、2回に亘り当地域の覇権を賭けた小田原北条氏と安房国里見氏の「国府台合戦」の舞台となっています。
1回目は天文7年(1538)、小弓公方足利義明(あしかが・よしあき)の呼掛けに応えた里見義尭(さとみ・よしたか)を中心とした房総一万騎と北条氏綱・氏康親子の二万騎とがこの地で対陣、江戸川を渡って攻勢をかけた小田原北条軍に里見軍は応戦しますが敗れて退却するはめとなります(第一次国府台合戦)。
2回目は永禄6年(1564)、越山した上杉謙信(うえすぎ・けんしん)の命により岩槻城太田資正(おおた・すけまさ)及び佐貫城里見義弘(さとみ・よしひろ)らが当地周辺で食糧調達をしているところ北条氏康・氏政親子に察知され、二万の軍勢により八千の太田・里見軍は壊滅的な損害を被り退却(第二次国府台合戦)、その後は北条氏の下総支配の拠点となります。
以降、豊臣秀吉による小田原城討伐の結果小田原北条氏は滅亡、関東移封となった徳川家康の時代に入りますと廃城の憂き目にあいます。
地勢的には国府台城は江戸川東岸に迫る崖の上にあり、江戸川を一望する位置に恵まれ渡河する敵軍の動きに対し有利な展開が可能ですから、当地の支配者にとって国府台城の存在は極めて重要だったと言えます。現在は「里見公園」として整備されていますが、それだけに遺構が少なく往時の佇まいが今ひとつ感じられず自分としては残念に思います。
2023年3月20日追記
現場公園に設置の説明板には下記の通り記述されています。
「 史跡 国府台の戦争
今から約400年前、この国府台で2度の大戦争があった。それぞれ敵味方千人以上の戦死者がここに屍をさらした。
今の真間山から松戸駅東側の台地までを国府台といい、第一回の戦争は、天文7年(1538)10月7日、相模台の合戦ともいい、これを前の国府台合戦という。第二回はこれより25年後永禄7年(1564)正月7日の合戦でこれを後の国府台合戦という、それはここ矢切台で戦われた。
合戦の背景
この時代の関東地方はだいたい小田原の北条氏の勢力下にあり、松戸大谷口城主高城氏や、千葉氏、原氏などもその支配下にあった。これに対して安房上総地方を侵略して勢力を拡大した里見氏は、県北の下総地方へも手を伸ばして千葉、原、高城らを攻め、やがて北条氏をも破って関東の実験を握ろうと野望を抱いて茨城の佐竹氏を通して上杉j謙信とも手を結んだ。
合戦のもよう
矢切側には里見義弘を大将として8千騎、これに対して江戸川柴又、小岩側に北条は江戸城代家老遠山丹波守直景と葛西の富永三郎右衛門尉を先陣として着陣した。
この時、小金大谷口城主高城氏も北条方に加勢のため、下矢切大堀外(今の矢切神社東側)に陣を張り、遠山軍を助けた。
遠山、富永等は大将北条氏康、氏政父子の到着を待たず、矢切の渡しを押し切り、国府台から、栗山、矢切へかけての里見軍へ攻め寄せた。
遠山軍に押された里見軍は、いったん返却するかに見せかけたが、勢いにのった遠山軍が坂阪の途中まで攻め登った所を一挙に坂上から攻め落とした。北条方の勇将富永三郎右衛門尉は、朝からジュンサイ駅付近から大堀へかけて馬を縦横に馳せて奮戦したが、大坂城で落馬した所を折り重なって里見方に首を渡した。その場所は、ここ文学碑の脇の坂道であった。
また、遠山丹波守は坂下坂川の手前「カイカバ曲がり目の内野」という所で、里見方の里見山之介という16歳の少年にその首を打たれた。
この日の戦いは北条方の敗北で、柴又陣に引き退いたが、この夜半、戦勝の酒に酔いしれた里見軍の将兵は、北条氏の大軍にはさみ打たれ、さんざんの大敗戦となり、大将里見義弘は市川の須和田から中山をへて安房に逃れたが、その後再起することはなかった。
本土寺過去帳に「コウノ台ニテ上下諸人 遠山殿其外千余人」と記されている。
昭和45年 正月
矢切地区風致保存会 」
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス 私鉄 徒歩
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里見公園入口案内板
案内板には「公園まで320M」と記載。 -
公園への直線道路
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国府台城直下の河畔へ通じる道
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江戸川河畔
江戸川を望みます。結構広々とした河川で水量も多いですネ。 -
江戸川河畔
対岸(東京)を一望します。 -
江戸川河畔散歩道
国府台駅方面への小道。右側は江戸川です。 -
江戸川河畔散歩道
国府台駅方面への小道。左側は急俊な山が迫っています。 -
江戸川河畔散歩道
国府台駅方面への小道。急俊な山へは登り口が見つかりません。 -
江戸川の下流を展望
当城は江戸川の水運を抑えるためにも重要だったと思われます。 -
「矢切の渡し」方面
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周辺見学案内板。
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周辺観光案内板。
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羅漢の井。名水のようです。
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公園への登り口
意外にも急階段です。公園となった国府台城跡ですが江戸川に張り出した台地状の地に築城されたことがわかります。 -
城跡への登り道
細い通路が曲がっています。 -
北原白秋に関する説明。
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里見公園からの景色紹介絵図
富士山の姿もありました。 -
イチオシ
東京方面を展望
遠方右側にスカイツリーが確認できます。残念ながら富士山までは見えません。 -
土塁の一部
偽木に囲まれた土塁でしょうか。 -
公園内の散歩道
樹木に遮られて展望がよくありません。 -
公園内部。
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土塁の一部
これも土塁でしょうか。整備されているためかよく判りません。 -
石垣
この石垣は当時のものでしょうか。 -
里見広次ら里見軍将兵亡霊の碑(第二次国府台合戦)。
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軍将亡霊の碑説明。
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公園内通路。
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国府台城案内板
当案内板が唯一の説明で、お城のパンフレット等がなく寂しい思いがします。 -
国府台案内板一部
当該案内図より足利義明勇姿を抜粋してみます。 -
すっかり整備された公園。
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すっかり整備された公園。
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