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1).旅の始めに                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                     <br /><br />             立ち枯れし 麦を余所目に 田植えかな                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                         <br />  比叡山天台宗の「円仁」の「入唐求法巡礼行記」を辿る旅は、許可を得ず中国の仏教霊地への巡礼を決意した、江蘇省の「連雲港」へ向かった。<br /> <br />2).「蓮雲港」へ<br /><br />  「蓮雲港」へは、7時45分上海発・瀋陽北行きのD196次の「和階号動車組列車」に乗り、「南京」を経由して安徽省の「徐州」に向かった。「徐州」と言えば、「徐州、徐州と、人馬が騒ぐ」という出だしの『麦と兵隊』の歌詞に出てくる街である。昭和13年、「火野葦平」は、『糞尿譚』で芥川賞を受賞したが、下士官として出征していた「徐州」の前線で、受賞の知らせを受けている。<br />  午後1時45分「徐州」から、「連霍高速道路」を通り、午後5時に、「連雲港」到着した。円仁さんの訪れた840年頃は、此処は、「海州」の城内であり、遣唐使一行が、黄海へ出た「淮河口」も、この近くである。ホテルの東に、「前雲台山」や「后雲台山」が見えるが、当時は、いづれも海に浮かぶ島であった。<br />  <br />3).「円仁」和尚、帰国する遣唐使一行を見送る<br /> <br />  839年2月、「長安」から帰国のため、「楚州」に戻って来た遣唐大使に会い、「円仁」は、「天台山」への参台が許可されなかった経過を聞いている。そして帰国のための出立の3月に入り、無許可のまま中国に滞在し、仏教聖地を巡礼する覚悟を決め、大使に伝えている。3月22日「楚州」の「淮河」の船溜まりに、9隻の帰国船が停泊。そして遣唐使一行は、帰国の途に着く。3月29日「海州」の淮河口から黄海に出て、その北前の、東海県「東海山」(雲台山?)の、東の入り海(現在の「蓮雲港」辺り)で停泊。4月5日、円仁は、二人の弟子僧と下僕一人を連れ、東海山の海岸で下船し、帰国する9隻の船を、見送っている。<br /><br />4).円仁さんの、この地での行動を辿る<br /><br />  翌朝、円仁さんが下船した、「東海山の麓」を、探すことにした。ライシャワー版の、『当時は海州の東の大きな島であったが、現在は「隴海鉄道」の東の終点に近い本土の一部分になっている小高い丘の直ぐ下の入り江あたり』を手懸かりとした。そこで、運転手の庄君に、その「隴海鉄道」の東の終点駅に向かってもらった。車は、「后雲台山」の山裾の海岸線に沿って、東に向かうと、古い街並みに入り、「玉に絡みついた龍の石像」(表題写真参照)のある、嘗ての「隴海鉄道」の終点「連雲駅」に出た。更に東へ行くと、海が見えて来た。9隻の遣唐使船団が帆を上げ、風に任せ、故国に向かう様子を、岸から眺めながら、船を見送る円仁さん達の思いを想像していた。『岸に登りて望見すれば、白帆は綿連として行きて海裏にあり』と、円仁さんは、日記に書いている。<br />  目の前には、嘗ての『胡洪島』で、今は海浜リゾート地として開発されている「東西連島」が見え、その先には大陸と、この島を繋ぐ大堤防があり、内側を走る道路も見えた。黄海に面する「蓮雲港」は、この「大堤防」と「東西連島」によって実質内港となり、大型船が入れるよう大規模な浚渫とと、埋め立て工事がなされていた。<br /><br />「円仁日記」<br />4月5日 円仁一行は、「宿城」に至り、新羅人に見つけられる。<br />4月7日 宿城県役所に連行され尋問。「興国寺」、「浄心寺」に宿泊。<br />4月8日 小舟で海竜王廟に行き、そこで第2船奉行良岑判官などと再会<br />4月10日 円仁一行は、この第2船に乗り、止む得ず故国に向かう。<br />  <br />  上陸した円仁一行は、この岩山の海岸線で出会った、新羅の海運業者に案内され、「雲台山」を登り、山中にある村に着き、新羅の僧と名乗るが、言葉の問題で、地元の役人に保護され、雲台山の南側中腹にある宿城県の役所に連れて行かれた。円仁が乗る予定の第2船が「海州」に留まっていたので、「雲台山島」の南側にある道教の「海竜王廟」で、遣唐使の役人達と会うことが出来た。  <br /><br />                雨誘う 風に戯る 合歓の花<br /><br />  「雲台山」の北東側に再度戻り、先に見た「蓮雲駅」近くから、「雲台山隧道」を通り、「宿城郷」に向かった。トンネルを出ると、「宿城郷」の中心地であり、役所や、ホテル、土産屋さんなどが並んでいた。県庁の隣の歩道上で、「宿城郷(夏庄)」と彫られた古そうな石碑を見つけた。<br /><br />5).円仁、再び船で、「山東半島」へ<br /><br />  遣唐使の一部と、円仁さん一行が、再び「海州」を船で出発した地点は、「雲台山」南側の海岸であった。『手は空しく、求法の成果をなんら掴むことなく』との思いの円仁さんは、4月11日、この地を出発し、4月17日、山東半島の南海岸の、「登州牟平県唐陽郷陶村」に着いている。<br />  この後、当時「胡洪島」、今は海浜リゾート地として開発されている「連運港」の前に浮かぶ「東西連島」に向かった。その島と結ぶ「大堤防」を通って、「東西連島」に渡り、島の高台から、山東半島を眺めたが、天候の所為で、見ることは出来なかった。この後、「孫悟空の故郷」の、「花果山」に向かった。入り口の三蔵法師と孫悟空の銅像の前で写真を撮り、ホテルへ戻った。<br /><br />6).旅の終わりに<br /><br />  翌朝7時半に、ホテルから、「蘇欣快客バスターミナル」に向かい、8時12分発のバスで、「上海」へ戻った。(完)<br /><br /><br /><br /><br /><br />参考文献:「入唐求法巡礼行記」東洋文庫 足立喜六訳注、塩入良道補注<br /><br />* Coordinator: H.Gu                                     <br /><br /><br /><br /><br /><br />                

【江蘇省】 連雲港 * 円仁 「入唐求法巡礼行記」を 旅する(4)

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2011/06/22 - 2011/06/26

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彷徨人MU

彷徨人MUさん

1).旅の始めに                           

             立ち枯れし 麦を余所目に 田植えかな                                     
  比叡山天台宗の「円仁」の「入唐求法巡礼行記」を辿る旅は、許可を得ず中国の仏教霊地への巡礼を決意した、江蘇省の「連雲港」へ向かった。
 
2).「蓮雲港」へ

  「蓮雲港」へは、7時45分上海発・瀋陽北行きのD196次の「和階号動車組列車」に乗り、「南京」を経由して安徽省の「徐州」に向かった。「徐州」と言えば、「徐州、徐州と、人馬が騒ぐ」という出だしの『麦と兵隊』の歌詞に出てくる街である。昭和13年、「火野葦平」は、『糞尿譚』で芥川賞を受賞したが、下士官として出征していた「徐州」の前線で、受賞の知らせを受けている。
  午後1時45分「徐州」から、「連霍高速道路」を通り、午後5時に、「連雲港」到着した。円仁さんの訪れた840年頃は、此処は、「海州」の城内であり、遣唐使一行が、黄海へ出た「淮河口」も、この近くである。ホテルの東に、「前雲台山」や「后雲台山」が見えるが、当時は、いづれも海に浮かぶ島であった。
  
3).「円仁」和尚、帰国する遣唐使一行を見送る
 
  839年2月、「長安」から帰国のため、「楚州」に戻って来た遣唐大使に会い、「円仁」は、「天台山」への参台が許可されなかった経過を聞いている。そして帰国のための出立の3月に入り、無許可のまま中国に滞在し、仏教聖地を巡礼する覚悟を決め、大使に伝えている。3月22日「楚州」の「淮河」の船溜まりに、9隻の帰国船が停泊。そして遣唐使一行は、帰国の途に着く。3月29日「海州」の淮河口から黄海に出て、その北前の、東海県「東海山」(雲台山?)の、東の入り海(現在の「蓮雲港」辺り)で停泊。4月5日、円仁は、二人の弟子僧と下僕一人を連れ、東海山の海岸で下船し、帰国する9隻の船を、見送っている。

4).円仁さんの、この地での行動を辿る

  翌朝、円仁さんが下船した、「東海山の麓」を、探すことにした。ライシャワー版の、『当時は海州の東の大きな島であったが、現在は「隴海鉄道」の東の終点に近い本土の一部分になっている小高い丘の直ぐ下の入り江あたり』を手懸かりとした。そこで、運転手の庄君に、その「隴海鉄道」の東の終点駅に向かってもらった。車は、「后雲台山」の山裾の海岸線に沿って、東に向かうと、古い街並みに入り、「玉に絡みついた龍の石像」(表題写真参照)のある、嘗ての「隴海鉄道」の終点「連雲駅」に出た。更に東へ行くと、海が見えて来た。9隻の遣唐使船団が帆を上げ、風に任せ、故国に向かう様子を、岸から眺めながら、船を見送る円仁さん達の思いを想像していた。『岸に登りて望見すれば、白帆は綿連として行きて海裏にあり』と、円仁さんは、日記に書いている。
  目の前には、嘗ての『胡洪島』で、今は海浜リゾート地として開発されている「東西連島」が見え、その先には大陸と、この島を繋ぐ大堤防があり、内側を走る道路も見えた。黄海に面する「蓮雲港」は、この「大堤防」と「東西連島」によって実質内港となり、大型船が入れるよう大規模な浚渫とと、埋め立て工事がなされていた。

「円仁日記」
4月5日 円仁一行は、「宿城」に至り、新羅人に見つけられる。
4月7日 宿城県役所に連行され尋問。「興国寺」、「浄心寺」に宿泊。
4月8日 小舟で海竜王廟に行き、そこで第2船奉行良岑判官などと再会
4月10日 円仁一行は、この第2船に乗り、止む得ず故国に向かう。
  
  上陸した円仁一行は、この岩山の海岸線で出会った、新羅の海運業者に案内され、「雲台山」を登り、山中にある村に着き、新羅の僧と名乗るが、言葉の問題で、地元の役人に保護され、雲台山の南側中腹にある宿城県の役所に連れて行かれた。円仁が乗る予定の第2船が「海州」に留まっていたので、「雲台山島」の南側にある道教の「海竜王廟」で、遣唐使の役人達と会うことが出来た。  

                雨誘う 風に戯る 合歓の花

  「雲台山」の北東側に再度戻り、先に見た「蓮雲駅」近くから、「雲台山隧道」を通り、「宿城郷」に向かった。トンネルを出ると、「宿城郷」の中心地であり、役所や、ホテル、土産屋さんなどが並んでいた。県庁の隣の歩道上で、「宿城郷(夏庄)」と彫られた古そうな石碑を見つけた。

5).円仁、再び船で、「山東半島」へ

  遣唐使の一部と、円仁さん一行が、再び「海州」を船で出発した地点は、「雲台山」南側の海岸であった。『手は空しく、求法の成果をなんら掴むことなく』との思いの円仁さんは、4月11日、この地を出発し、4月17日、山東半島の南海岸の、「登州牟平県唐陽郷陶村」に着いている。
  この後、当時「胡洪島」、今は海浜リゾート地として開発されている「連運港」の前に浮かぶ「東西連島」に向かった。その島と結ぶ「大堤防」を通って、「東西連島」に渡り、島の高台から、山東半島を眺めたが、天候の所為で、見ることは出来なかった。この後、「孫悟空の故郷」の、「花果山」に向かった。入り口の三蔵法師と孫悟空の銅像の前で写真を撮り、ホテルへ戻った。

6).旅の終わりに

  翌朝7時半に、ホテルから、「蘇欣快客バスターミナル」に向かい、8時12分発のバスで、「上海」へ戻った。(完)





参考文献:「入唐求法巡礼行記」東洋文庫 足立喜六訳注、塩入良道補注

* Coordinator: H.Gu





                

同行者
一人旅
交通手段
鉄道 高速・路線バス タクシー 徒歩 飛行機

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  • 陽澄湖湖畔にある【陽澄湖農鮮館】での夕食①<br /><br /> 鶏爪(鶏の足)

    陽澄湖湖畔にある【陽澄湖農鮮館】での夕食①

     鶏爪(鶏の足)

  • 陽澄湖湖畔にある【陽澄湖農鮮館】での夕食②<br /><br /><br />野鴨

    陽澄湖湖畔にある【陽澄湖農鮮館】での夕食②


    野鴨

  • 陽澄湖湖畔にある【陽澄湖農鮮館】での夕食③<br /><br /><br />万年青(涼拌青菜)

    陽澄湖湖畔にある【陽澄湖農鮮館】での夕食③


    万年青(涼拌青菜)

  • 陽澄湖湖畔にある【陽澄湖農鮮館】での夕食④<br /><br /><br />素鶏(厚揚げのようなもの)<br /><br /><br />

    陽澄湖湖畔にある【陽澄湖農鮮館】での夕食④


    素鶏(厚揚げのようなもの)


  • 陽澄湖湖畔にある【陽澄湖農鮮館】での夕食⑤<br /><br />肚子(豚の胃袋)

    陽澄湖湖畔にある【陽澄湖農鮮館】での夕食⑤

    肚子(豚の胃袋)

  • 陽澄湖湖畔にある【陽澄湖農鮮館】での夕食⑥<br /><br /><br /><br />醤爆螺○(たにし)

    陽澄湖湖畔にある【陽澄湖農鮮館】での夕食⑥



    醤爆螺○(たにし)

  • 陽澄湖湖畔にある【陽澄湖農鮮館】での夕食⑦<br /><br /><br /><br />酔○蝦(○は、米偏に旁は子:白酒に酔っぱらった子持ちの河蝦)

    陽澄湖湖畔にある【陽澄湖農鮮館】での夕食⑦



    酔○蝦(○は、米偏に旁は子:白酒に酔っぱらった子持ちの河蝦)

  • 陽澄湖湖畔にある【陽澄湖農鮮館】での夕食⑧<br /><br /><br />草鶏蛋炒韮菜

    陽澄湖湖畔にある【陽澄湖農鮮館】での夕食⑧


    草鶏蛋炒韮菜

  • 陽澄湖湖畔にある【陽澄湖農鮮館】での夕食⑨<br /><br /><br />油爆蝦(素揚げの雄の河蝦)

    陽澄湖湖畔にある【陽澄湖農鮮館】での夕食⑨


    油爆蝦(素揚げの雄の河蝦)

  • 陽澄湖湖畔にある【陽澄湖農鮮館】での夕食⑩<br /><br /><br />面○蟹(○は、手偏に、施の旁の部分:上海蟹を使った料理)

    陽澄湖湖畔にある【陽澄湖農鮮館】での夕食⑩


    面○蟹(○は、手偏に、施の旁の部分:上海蟹を使った料理)

  • 陽澄湖湖畔にある【陽澄湖農鮮館】での夕食⑪<br /><br />昂刺魚○魚湯(○は魚偏に、旁は善、田鰻のこと)(鯰と田鰻のスープ)

    陽澄湖湖畔にある【陽澄湖農鮮館】での夕食⑪

    昂刺魚○魚湯(○は魚偏に、旁は善、田鰻のこと)(鯰と田鰻のスープ)

  • 陽澄湖湖畔にある【陽澄湖農鮮館】での夕食⑫<br /><br /><br /><br />昂刺魚○魚湯(○は魚偏に、旁は善、田鰻のこと)(鯰と田鰻のスープ)の中に入っている鯰<br /><br />

    陽澄湖湖畔にある【陽澄湖農鮮館】での夕食⑫



    昂刺魚○魚湯(○は魚偏に、旁は善、田鰻のこと)(鯰と田鰻のスープ)の中に入っている鯰

  • 徐州駅舎<br />

    徐州駅舎

  • 徐州駅到着<br />

    徐州駅到着

  • 港に面した【隴海鉄道】の東の終点の蓮雲駅。現在は廃駅となっている。その記念碑。

    港に面した【隴海鉄道】の東の終点の蓮雲駅。現在は廃駅となっている。その記念碑。

  • 港に面した【隴海鉄道】の東の終点の蓮雲駅(現在は廃駅)。

    港に面した【隴海鉄道】の東の終点の蓮雲駅(現在は廃駅)。

  • 港に面した【隴海鉄道】の東の終点の蓮雲駅。(現在は廃駅)駅前の風景

    港に面した【隴海鉄道】の東の終点の蓮雲駅。(現在は廃駅)駅前の風景

  • 円仁さんが、日本へ帰国する船から下船し、許可なく中国に滞在することを決意した東海山(現在の后雲台山)の東南海岸

    円仁さんが、日本へ帰国する船から下船し、許可なく中国に滞在することを決意した東海山(現在の后雲台山)の東南海岸

  • 円仁さんが、日本へ帰国する船から下船し、許可なく中国に滞在することを決意した東海山(現在の后雲台山)の東南海岸沿いの街

    円仁さんが、日本へ帰国する船から下船し、許可なく中国に滞在することを決意した東海山(現在の后雲台山)の東南海岸沿いの街

  • 円仁さんが、日本へ帰国する船から下船し、許可なく中国に滞在することを決意した東海山(現在の后雲台山)の東南海岸

    円仁さんが、日本へ帰国する船から下船し、許可なく中国に滞在することを決意した東海山(現在の后雲台山)の東南海岸

  • 円仁さんが、日本へ帰国する船から下船し、許可なく中国に滞在することを決意した東海山(現在の后雲台山)の東南海岸にある【田湾原子力発電所】

    円仁さんが、日本へ帰国する船から下船し、許可なく中国に滞在することを決意した東海山(現在の后雲台山)の東南海岸にある【田湾原子力発電所】

  • 円仁さんが、日本へ帰国する船から下船し、許可なく中国に滞在することを決意した東海山(現在の后雲台山)の北東海岸の街。向うの山は、昔は『胡洪島』と呼ばれ、今や海浜リゾート地として開発されている【東西連島】

    円仁さんが、日本へ帰国する船から下船し、許可なく中国に滞在することを決意した東海山(現在の后雲台山)の北東海岸の街。向うの山は、昔は『胡洪島』と呼ばれ、今や海浜リゾート地として開発されている【東西連島】

  • 円仁さんが、日本へ帰国する船から下船し、許可なく中国に滞在することを決意した東海山(現在の后雲台山)の北東海岸。向うの山は、昔は『胡洪島』と呼ばれ、今や海浜リゾート地として開発されている【東西連島】

    円仁さんが、日本へ帰国する船から下船し、許可なく中国に滞在することを決意した東海山(現在の后雲台山)の北東海岸。向うの山は、昔は『胡洪島』と呼ばれ、今や海浜リゾート地として開発されている【東西連島】

  • 円仁さんが、日本へ帰国する船から下船し、許可なく中国に滞在することを決意した東海山(現在の后雲台山)の北海岸。<br />

    円仁さんが、日本へ帰国する船から下船し、許可なく中国に滞在することを決意した東海山(現在の后雲台山)の北海岸。

  • 円仁さんが、帰国船から下船し、許可なく中国に滞在することを決意した東海山(現在の后雲台山)の北東海岸。向うの山は、昔は『胡洪島』と呼ばれ、今や海浜リゾート地として開発されている【東西連島】

    円仁さんが、帰国船から下船し、許可なく中国に滞在することを決意した東海山(現在の后雲台山)の北東海岸。向うの山は、昔は『胡洪島』と呼ばれ、今や海浜リゾート地として開発されている【東西連島】

  • 円仁さんが、日本へ帰国する船から下船し、許可なく中国に滞在することを決意した東海山(現在の后雲台山)の東海岸。海は黄海。<br />

    円仁さんが、日本へ帰国する船から下船し、許可なく中国に滞在することを決意した東海山(現在の后雲台山)の東海岸。海は黄海。

  • 円仁さんが、日本へ帰国する船から下船し、許可なく中国に滞在することを決意した東海山(現在の后雲台山)<br />

    円仁さんが、日本へ帰国する船から下船し、許可なく中国に滞在することを決意した東海山(現在の后雲台山)

  • 円仁さんが、日本へ帰国する船から下船し、許可なく中国に滞在することを決意した東海山(現在の后雲台山)<br />

    円仁さんが、日本へ帰国する船から下船し、許可なく中国に滞在することを決意した東海山(現在の后雲台山)

  • 雲台山の北の海から、山の中央付近にある宿城郷に向かうトンネル(延長4キロ強)

    雲台山の北の海から、山の中央付近にある宿城郷に向かうトンネル(延長4キロ強)

  • 不法滞在がばれ、円仁さん一行が連行された宿城郷の中心

    不法滞在がばれ、円仁さん一行が連行された宿城郷の中心

  • 宿城郷の中心

    宿城郷の中心

  • 宿城県の県庁。

    宿城県の県庁。

  • 嘗ての【宿城郷】の中心にある石碑

    嘗ての【宿城郷】の中心にある石碑

  • 昔は『胡洪島』と呼ばれ、今や海浜リゾート地として開発されている【東西連島】

    昔は『胡洪島』と呼ばれ、今や海浜リゾート地として開発されている【東西連島】

  • 昔は『胡洪島』と呼ばれ、今や海浜リゾート地として開発されている【東西連島】

    昔は『胡洪島』と呼ばれ、今や海浜リゾート地として開発されている【東西連島】

  • 昔は『胡洪島』と呼ばれ、今や海浜リゾート地として開発されている【東西連島】から眺めた海と海岸線

    昔は『胡洪島』と呼ばれ、今や海浜リゾート地として開発されている【東西連島】から眺めた海と海岸線

  • 昔は『胡洪島』と呼ばれ、今や海浜リゾート地として開発されている【東西連島】

    昔は『胡洪島』と呼ばれ、今や海浜リゾート地として開発されている【東西連島】

  • 東西連島から見た連雲港。コンテナーのクレーンが幽かに見える

    東西連島から見た連雲港。コンテナーのクレーンが幽かに見える

  • 東西連島の海岸

    東西連島の海岸

  • 東西連島からみた雨の黄海

    東西連島からみた雨の黄海

  • 東西連島の海岸線

    東西連島の海岸線

  • 東西連島の漁港

    東西連島の漁港

  • 【東西連島】にあるグルメ街

    【東西連島】にあるグルメ街

  • 【東西連島】内のグルメ街。この店で昼食を食べる

    【東西連島】内のグルメ街。この店で昼食を食べる

  • 連雲港に浮かぶ【東西連島】と大陸を繋ぐ【大堤防】

    連雲港に浮かぶ【東西連島】と大陸を繋ぐ【大堤防】

  • 【東西連島】と大陸を繋ぐ【大堤防】から見た島の漁港

    【東西連島】と大陸を繋ぐ【大堤防】から見た島の漁港

  • 【東西連島】と大陸を繋ぐ【大堤防】から見た島の漁港

    【東西連島】と大陸を繋ぐ【大堤防】から見た島の漁港

  • 東西連島

    東西連島

  • 孫悟空の生まれた花果山風景区の入り口

    孫悟空の生まれた花果山風景区の入り口

  • 孫悟空の生まれた花果山風景区の入り口にある、三蔵法師と孫悟空の銅像。

    孫悟空の生まれた花果山風景区の入り口にある、三蔵法師と孫悟空の銅像。

  • 蓮雲港市内の海産物のグルメ街での夕食<br />【天一海鮮楼】の店内風景

    蓮雲港市内の海産物のグルメ街での夕食
    【天一海鮮楼】の店内風景

  • 【天一海鮮楼】<br /><br />子持ちの蝦蛄の蒸し物。

    【天一海鮮楼】

    子持ちの蝦蛄の蒸し物。

  • 【天一海鮮楼】<br /><br />蒜茸扇貝

    【天一海鮮楼】

    蒜茸扇貝

  • 【天一海鮮楼】<br /><br />蒸しエビ

    【天一海鮮楼】

    蒸しエビ

  • 【天一海鮮楼】<br /><br />マテガイのショウガ炒め

    【天一海鮮楼】

    マテガイのショウガ炒め

  • 【天一海鮮楼】<br /><br />蛤とお豆腐のスープ

    【天一海鮮楼】

    蛤とお豆腐のスープ

  • 【天天漁港】<br /><br /><br /><br />紹興酒陳年10年

    【天天漁港】



    紹興酒陳年10年

  • 【天天漁港】<br /><br /><br />  海参湯

    【天天漁港】


      海参湯

  • 【天天漁港】<br /><br />  東海○子蟹 (○は、木偏に、旁は?呉)

    【天天漁港】

      東海○子蟹 (○は、木偏に、旁は?呉)

  • 【梅龍鎮酒家】での夕食<br /><br />上海老酒  石庫門1号

    【梅龍鎮酒家】での夕食

    上海老酒  石庫門1号

  • 【梅龍鎮酒家】での夕食<br /><br />  前菜<br /><br />

    【梅龍鎮酒家】での夕食

      前菜

  • 帰国の日、【上海老飯店】での昼食<br /><br /><br />芦筍銀杏百合<br /><br />

    帰国の日、【上海老飯店】での昼食


    芦筍銀杏百合

  • 帰国の日、【上海老飯店】での昼食<br /><br />松仁双筍<br /><br /><br />

    帰国の日、【上海老飯店】での昼食

    松仁双筍


  • 帰国の日、【上海老飯店】での昼食<br /><br />松茸蟹粉○水蛋 (○は、火偏に、旁は屯)

    帰国の日、【上海老飯店】での昼食

    松茸蟹粉○水蛋 (○は、火偏に、旁は屯)

  • 帰国の日、【上海老飯店】での昼食<br /><br />油爆河蝦

    帰国の日、【上海老飯店】での昼食

    油爆河蝦

  • 帰国の日、【上海老飯店】での昼食<br /><br /><br />松鼠桂魚

    帰国の日、【上海老飯店】での昼食


    松鼠桂魚

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