桜井・三輪・山の辺の道旅行記(ブログ) 一覧に戻る
 家の菩提寺は真言宗豊山派なので、総本山である奈良県桜井市の長谷寺へは仏事があった後などには参詣に行く。昨年暮れ、たまたま姪の不幸に見舞われたので、その回向のため訪れた。今回初めて車を止め電車を使った。家からは乗り継ぎが多く、片道5回になり、体は楽をしたが、ダイヤの遅れがあり、乗り継ぎには神経を使った。<br /> さて、長谷寺については、ネットを見ると4トラで多くのトラベラーが取り上げ、創建当時から歴史的な側面が書き込まれているので、そちらに譲り、私は真言宗長谷寺について宗派の側面に触れてみたい。<br /> 真言宗はいくつもの派が存在する。このうち高野山真言宗(高野山金剛峰寺)東寺真言宗(京都教王護国寺)などの古義真言宗と京都の智積院(ちじゃくいん)が総本山の智山派(ちざんは)、長谷寺が総本山の豊山派(ぶざんは)などの真言宗を新義真言宗と大別される。基本的に真言宗は弘法大師空海が中国で恵果阿闍梨(けいかあじゃり)から密教の伝授をうけ、高野山で開かれた真言密教であるので、禅宗、浄土宗等の顕教とはおのずと仏像についての考え方の相違が見られる。(天台宗は「四宗合一」でその一つは密教であり、真言宗の東密に対し台密と呼ばれる。)<br /> 密教である真言宗の本尊は大日如来であるが、真言宗末寺の本尊は大日如来のほか、釈迦、阿弥陀、薬師如来など如来のほか、観音、菩薩、明王、天など様々な仏像が本尊になっている。密教において仏像は大日如来の化身と言う位置づけであり、実質本尊はすべて大日如来と言うわけである。(禅宗系は釈迦如来、浄土系は阿弥陀如来)<br /> 新義真言宗は歴史的に真言宗が一時期衰退をし、これを覚鑁(かくばん)上人(興教大師)が再興したが、その改革が旧来の真言宗寺院の反発を招き、高野山から根来山(現在の根来寺)に下り、さらに改革を広めたことによる。この改革を新義真言宗と呼び、高野山真言宗、東寺真言宗、御室派、醍醐寺派などを古儀真言宗と呼ぶようになった。<br /> 新義真言宗は後に根来寺において隆盛を極めたが、豊臣秀吉の反感を呼び、襲撃を受けて、高僧は四散し、京都智積院の智山派、奈良長谷寺の豊山派に分裂した。根来寺はその後再興されて新義真言宗の寺院になった。ちなみに女人高野で有名な室生寺は昭和38年と言うから真言宗の歴史的な期間で言えば最近豊山派長谷寺から独立し新義真言宗室生寺派になっている。<br /> 「日本の宗教の辞典」によれば寺院数、信者の1位は高野山真言宗、2位は智山派、3位豊山派であり、4位とは格差が大きい。<br /> 私の生家の仏壇の中央最上段には金剛界大日如来像(大日如来には金剛界大日如大と胎蔵界大日如来がある。)がありその左右に弘法大師と興教大師が座している。興教大師は新義真言宗の開祖であり、豊山派総本山長谷寺には弘法大師御影堂と興教大師御影堂が存在する。<br /> 今回長谷寺へは5月連休明けに訪れた。長谷寺の代名詞ともいえるボタンはゴールデンウイーク中が見ごろだったようで、数日時期を失した感じであったがまだ盛りのボタンがあり堪能した。<br /> 今回の参拝は回向が目的であり撮影チャンスが少なく、本堂を往復の左右に限られた。<br /> この日の宿泊は奈良市内で翌日京都に早い時間帯に行く都合があり、近鉄大和西大寺駅に近いホテルを予約した。<br /> このホテルは平城京跡の道路を挟んで反対側にあり、ホテルの最上階ベランダからこの平城宮跡が一望できた。たまたま光学12倍のカメラを持参していたので、撮影には好都合であった。また真正面には若草山がながめられ、東大寺もとらえることができた。翌早朝平城京跡に足を踏み入れてみたが、これだけ広大な土地が文化遺産として開発が免れたものと感じ入った。ただこれだけ確保できたものなら近鉄奈良線も何とかならなかったものかと改めて思うのは私1人か。<br /><br />

豊山派総本山 長谷寺

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2011/05/08 - 2011/05/09

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na1430

na1430さん

 家の菩提寺は真言宗豊山派なので、総本山である奈良県桜井市の長谷寺へは仏事があった後などには参詣に行く。昨年暮れ、たまたま姪の不幸に見舞われたので、その回向のため訪れた。今回初めて車を止め電車を使った。家からは乗り継ぎが多く、片道5回になり、体は楽をしたが、ダイヤの遅れがあり、乗り継ぎには神経を使った。
 さて、長谷寺については、ネットを見ると4トラで多くのトラベラーが取り上げ、創建当時から歴史的な側面が書き込まれているので、そちらに譲り、私は真言宗長谷寺について宗派の側面に触れてみたい。
 真言宗はいくつもの派が存在する。このうち高野山真言宗(高野山金剛峰寺)東寺真言宗(京都教王護国寺)などの古義真言宗と京都の智積院(ちじゃくいん)が総本山の智山派(ちざんは)、長谷寺が総本山の豊山派(ぶざんは)などの真言宗を新義真言宗と大別される。基本的に真言宗は弘法大師空海が中国で恵果阿闍梨(けいかあじゃり)から密教の伝授をうけ、高野山で開かれた真言密教であるので、禅宗、浄土宗等の顕教とはおのずと仏像についての考え方の相違が見られる。(天台宗は「四宗合一」でその一つは密教であり、真言宗の東密に対し台密と呼ばれる。)
 密教である真言宗の本尊は大日如来であるが、真言宗末寺の本尊は大日如来のほか、釈迦、阿弥陀、薬師如来など如来のほか、観音、菩薩、明王、天など様々な仏像が本尊になっている。密教において仏像は大日如来の化身と言う位置づけであり、実質本尊はすべて大日如来と言うわけである。(禅宗系は釈迦如来、浄土系は阿弥陀如来)
 新義真言宗は歴史的に真言宗が一時期衰退をし、これを覚鑁(かくばん)上人(興教大師)が再興したが、その改革が旧来の真言宗寺院の反発を招き、高野山から根来山(現在の根来寺)に下り、さらに改革を広めたことによる。この改革を新義真言宗と呼び、高野山真言宗、東寺真言宗、御室派、醍醐寺派などを古儀真言宗と呼ぶようになった。
 新義真言宗は後に根来寺において隆盛を極めたが、豊臣秀吉の反感を呼び、襲撃を受けて、高僧は四散し、京都智積院の智山派、奈良長谷寺の豊山派に分裂した。根来寺はその後再興されて新義真言宗の寺院になった。ちなみに女人高野で有名な室生寺は昭和38年と言うから真言宗の歴史的な期間で言えば最近豊山派長谷寺から独立し新義真言宗室生寺派になっている。
 「日本の宗教の辞典」によれば寺院数、信者の1位は高野山真言宗、2位は智山派、3位豊山派であり、4位とは格差が大きい。
 私の生家の仏壇の中央最上段には金剛界大日如来像(大日如来には金剛界大日如大と胎蔵界大日如来がある。)がありその左右に弘法大師と興教大師が座している。興教大師は新義真言宗の開祖であり、豊山派総本山長谷寺には弘法大師御影堂と興教大師御影堂が存在する。
 今回長谷寺へは5月連休明けに訪れた。長谷寺の代名詞ともいえるボタンはゴールデンウイーク中が見ごろだったようで、数日時期を失した感じであったがまだ盛りのボタンがあり堪能した。
 今回の参拝は回向が目的であり撮影チャンスが少なく、本堂を往復の左右に限られた。
 この日の宿泊は奈良市内で翌日京都に早い時間帯に行く都合があり、近鉄大和西大寺駅に近いホテルを予約した。
 このホテルは平城京跡の道路を挟んで反対側にあり、ホテルの最上階ベランダからこの平城宮跡が一望できた。たまたま光学12倍のカメラを持参していたので、撮影には好都合であった。また真正面には若草山がながめられ、東大寺もとらえることができた。翌早朝平城京跡に足を踏み入れてみたが、これだけ広大な土地が文化遺産として開発が免れたものと感じ入った。ただこれだけ確保できたものなら近鉄奈良線も何とかならなかったものかと改めて思うのは私1人か。

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  •  長い門前町を通り抜け真言宗豊山総本山長谷寺に到着<br /> 真言宗中興の祖覚鑁(かくばん)上人は高野山から根来山に堂宇(根来寺)を建て、移り住む。上人が設立した大伝法院は高野山との反目で根来山に移された。<br /> 大伝法院は現在も根来寺にあり、中は金剛界大日如来が座している。私がこれまで見た大日如来像では最大の像である。<br /> <br /> 

     長い門前町を通り抜け真言宗豊山総本山長谷寺に到着
     真言宗中興の祖覚鑁(かくばん)上人は高野山から根来山に堂宇(根来寺)を建て、移り住む。上人が設立した大伝法院は高野山との反目で根来山に移された。
     大伝法院は現在も根来寺にあり、中は金剛界大日如来が座している。私がこれまで見た大日如来像では最大の像である。
     
     

  • 長谷寺は巨大な本尊11面観音像がある本堂まで坂道が続く。

    長谷寺は巨大な本尊11面観音像がある本堂まで坂道が続く。

  • 仁王門に続く石段

    仁王門に続く石段

  • 長谷寺の仁王門

    長谷寺の仁王門

  • 仁王門を通ると長い石段が続く一段一段は10センチぐらいであるが、一段上がって2歩ぐらい歩きまた低いが石段が続く。<br />数えたことはないが、400段弱

    仁王門を通ると長い石段が続く一段一段は10センチぐらいであるが、一段上がって2歩ぐらい歩きまた低いが石段が続く。
    数えたことはないが、400段弱

  • 本堂横(右が本堂)にある愛染堂

    本堂横(右が本堂)にある愛染堂

  • 本堂横の広場<br />長谷寺は西国33観音霊場8番札所でありここに納教所があり巡礼者が多い。

    本堂横の広場
    長谷寺は西国33観音霊場8番札所でありここに納教所があり巡礼者が多い。

  • 長谷寺の本尊は11面観音菩薩立像で総身長10メートル余ある。<br />回向に訪れた人々は無料で立像の足元に案内し、説明をしてくれる。<br />巡礼者などは有料で案内してくれる。<br />仏像は撮影禁止であるが、立像の背後(裏側)に11面観音立像があり、内緒で撮影させてもらった。通路の幅が狭いため両サイドから撮影(ノンフラッシュ)した。

    長谷寺の本尊は11面観音菩薩立像で総身長10メートル余ある。
    回向に訪れた人々は無料で立像の足元に案内し、説明をしてくれる。
    巡礼者などは有料で案内してくれる。
    仏像は撮影禁止であるが、立像の背後(裏側)に11面観音立像があり、内緒で撮影させてもらった。通路の幅が狭いため両サイドから撮影(ノンフラッシュ)した。

  • 本堂は斜面にたてられている。このため足下駄によって、狭いながらも広場がある。京都の清水寺の舞台ほど広くないが、傾斜地に突き出している。長谷寺の全景が見下ろせる舞台である。

    本堂は斜面にたてられている。このため足下駄によって、狭いながらも広場がある。京都の清水寺の舞台ほど広くないが、傾斜地に突き出している。長谷寺の全景が見下ろせる舞台である。

  • 本堂に通じる石段の登廊の左右および境内の空間地はボタンの株で埋め尽くされている。<br />長谷寺はボタン寺とも呼ばれるが、桜その他の花が1年を通して見られるお寺で花の寺とも呼称される。

    本堂に通じる石段の登廊の左右および境内の空間地はボタンの株で埋め尽くされている。
    長谷寺はボタン寺とも呼ばれるが、桜その他の花が1年を通して見られるお寺で花の寺とも呼称される。

  • 先行して咲いた大小の花弁はすでに崩れているものがあるが、品種によるものかどうかわからないが、見所のボタンが数多くみられる。

    先行して咲いた大小の花弁はすでに崩れているものがあるが、品種によるものかどうかわからないが、見所のボタンが数多くみられる。

  • 長谷寺の境内は傾斜地であり、ボタンの株が植えられている空き地には、石垣で畑が作られている。

    長谷寺の境内は傾斜地であり、ボタンの株が植えられている空き地には、石垣で畑が作られている。

  • 境内は石垣で敷地が確保されて建物が建っている。

    境内は石垣で敷地が確保されて建物が建っている。

  • 奈良市内平城宮跡と道路を挟んで立っているホテル。

    奈良市内平城宮跡と道路を挟んで立っているホテル。

  • 第1次大極殿

    第1次大極殿

  • 第一次大極殿

    第一次大極殿

  • 朱雀門

    朱雀門

  • 朱雀門

    朱雀門

  • 遠方若草山

    遠方若草山

  • 若草山

    若草山

  • 若草山左下に見えるのは東大寺

    若草山左下に見えるのは東大寺

  • 早朝朝もやの中の朱雀門

    早朝朝もやの中の朱雀門

  • 早朝の朱雀門

    早朝の朱雀門

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