2010/01/27 - 2010/01/27
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潮来メジロさん
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友人に誘われて、ローカルな茨城百景石碑巡りの旅をしました。
今回は、行方市の「水郷麻生」を訪れました。
表紙写真は、行方市(なめがたし)麻生(あそう)の天王崎八坂神社付近から見た霞ヶ浦と筑波山の遠景です。
※ 2015.02.23 位置情報登録
- 同行者
- 友人
- 交通手段
- 自家用車
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天王崎八坂神社付近から見た霞ヶ浦の風景です。
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天王崎八坂神社付近から見た霞ヶ浦と筑波山の遠景です。
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天王崎八坂神社付近の松並木。
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麻生と天王崎の説明文
「麻生(あそう)と天王崎(てんのうざき)」
現在、麻草の一本もないこの麻生の町も「常陸風土記」によれば、「麻生の里」とよばれ大きな麻が群生していた。その昔、「麻生の里」の南に「香澄(かすみ)の里(さと)」があり、景行天皇が、印波(いなみ)の鳥見(とみ)の丘(千葉県印旛沼周辺)からはるか東の方をながめられたとき海(霞ヶ浦)には青波がただよい、陸には霞がたなびいている・・・」といわれたので、霞(かすみ)の郷(さと)(香澄の里)と呼んだといわれている。
ここ天王崎は、「香澄の里」の西から霞ヶ浦の中に突き出た大きな洲で、この洲の上に立って北を眺めると遠くに「新治(にいばり)の国(くに)」の筑波の山が見えたので「新治(にいばり)の洲(す)」と名づけられたといわれる。(麻生町) -
八坂神社拝殿。
八坂神社は、1612年、麻生藩主となった新庄氏が麻生藩内24か村の総鎮守として建立した。祭神はスサノオノミコト。勇壮な馬出し祭で知られる。
馬出し祭は、毎年7月の最終土、日に行われる。神輿と馬の対決が勇壮で知られる。スサノオノミコトとヤマタノオロチに見立てた戦いという。また、霞ケ浦に入り神輿を清めるお浜下りがある。沖まで進み担ぎ手も肩まで水につかるなど、荘厳な儀式が見られる。この祭りは、江戸時代から麻生藩の保護を受け約300年の歴史がある。(つくば新聞参照) -
八坂神社拝殿内部
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猿田彦大神の碑
猿田彦という神様は良く耳にするが、どんな神様かわからなかったので、インターネットで検索してみました。(以下抜粋)
猿田彦大神は、導きの神様の代表格。
鼻が異様に長く、サルのような面持ちであった。
天孫族(=天津神=大陸からの渡来民族≒弥生人)と、国津神(=天孫族渡来前の原住民=縄文人)との仲を取り持った、有力豪族の長、と考えられている。取り持つ時の縁で邇邇芸命率いる天孫族の一人、天宇受売(アメノウズメ)と結婚し現在に至る。総氏神は伊勢市の猿田彦神社であると考えられる。 -
茨城百景「水郷麻生」の石碑が、天王崎八坂神社境内にありました。
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