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経路は新宿9:24分の湘南新宿ライン快速で宇都宮、そこから東武宇都宮線で野州大塚、タクシーを呼んで大神神社参詣。おなじコースを帰って宇都宮に泊まりました。<br />1689年に奥の細道の旅に出た芭蕉は深川から舟にのり、千住で弟子たちに見送られて出発。「もし生きて帰らばと、定めなき頼の末をかけ、その日漸く草加という宿につきたり」と書いた初日は、曽良の日記によればさらに17kmを歩いて春日部に泊まった。芭蕉は平均すると1日約30kmを歩いたので、千住から27kmの春日部、翌日は約30kmで間々田に泊まり、3日めは室の八嶋に立ち寄って鹿沼まで32kmを歩いている。以後、平均すると金沢までは4日歩いて5日逗留というペースであった。<br /><br />芭蕉が旅の3日目に立ち寄った平安時代からの歌枕「室の八嶋」は、栃木市惣社町の大神神社(おおみわじんじゃ)の境内にある。現状はそれぞれ小祠を祀った八つの小島をうかべる池で、名高い東国の歌枕としてはこじんまりしている。<br />観光協会の資料では崇神天皇の皇子、豊城入彦命が1800年前に東国平定の折、奈良県にある日本最古の大神(大三輪)神社を勧請して室の八嶋に創建した下野(しもつけ:栃木県)一ノ宮とされている。<br />一方、神社資料によれば、元来ここの神社は下野の惣社で、地域の神社を一括して奉幣しており、国司が毎朝参拝していたが、中央から派遣された国司が奈良の大神神社を相殿として祀っていたものが、いつしか大神神社の名が代表名となったものであろうとされている。<br />主祭神は大国主命で、配神は木花咲耶姫命と、その夫ニニギノ命、父親の大山祇命、子の彦火火出見命と一家を祀っており、富士登山の安全祈願もされていた。延喜式神名帳には「惣社大神神社」が記載されている。別名は六所明神・八嶋大明神。<br />社伝では、平将門の乱で被害をうけ藤原秀郷が再建したが、戦国領主の争いで再び焼失・荒廃した。のちに徳川家光が社領二十石と杉苗一万本を寄進し、芭蕉が来る8年前の1682年に現在の形に復興、大正時代(1924)の社殿改修をへて、1993年に室の八嶋の大改修が行われている。<br /><br />さて、「室の八嶋」は万葉集、古今集にもある有名な歌枕で、ここにある池から不思議な煙が立ちのぼっていたというのが起源らしい。芭蕉は現在の名取市で中将藤原実方の墓所のありかをたずね「笠嶋はいずこ五月のぬかり道」と詠んだが、その実方が「いかでかは思いありとは知らすべき室のやしまのけぶりならでは」の歌を残している。ほかにも藤原定家など多くの歌人が室の八嶋を詠んでいる。<br />芭蕉のあと49年の1738年刊行の本には「いかなる人の作れるにや、回り回りて池を掘り、池の中に島と覚しきを八つ残したり。(中略)年久しき業とも見えず・・・」とあるそうで(井本農一:奥の細道をたどる)、昭和20年代の後半に訪れた井本は「溝のような池が曲がりくねってわずかばかりの水をたたえている。溝がまがりくねっているから自然小さな島のようなものもでき、そこに小祠が祭ってある」と書いているので、現在の分かりやすい「池に浮かぶ八嶋」の状景は1993年の改修によるものであろう。<br />池中の小島には香取、二荒、熊野、浅間、雷電、鹿島、天満、筑波の神が祀られている。池の外側にも多くの小祠があり、なかには“惣社村祖霊神”など原始信仰を偲ばせる神もある。天満神など新しい神はどこかの時代に祖霊神などと入れ替わったのかも。<br /><br />なお、100日間滞在した親鸞が始めたという有名な鉾祭りは、11月23日の前後3日間、初潮前の少女(クルメさま)を主役とする祭りだが、ネパールで同じく初潮前の少女をヒンズー教の生き神「クマリ」としてあがめる例と、名前の音まで似ているのが興味深い。<br />

奥の細道ホッピング:栃木の歌枕「室の八嶋」と大神神社(おおみわじんじゃ)

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2011/05/21 - 2011/05/23

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ANZdrifter

ANZdrifterさん

経路は新宿9:24分の湘南新宿ライン快速で宇都宮、そこから東武宇都宮線で野州大塚、タクシーを呼んで大神神社参詣。おなじコースを帰って宇都宮に泊まりました。
1689年に奥の細道の旅に出た芭蕉は深川から舟にのり、千住で弟子たちに見送られて出発。「もし生きて帰らばと、定めなき頼の末をかけ、その日漸く草加という宿につきたり」と書いた初日は、曽良の日記によればさらに17kmを歩いて春日部に泊まった。芭蕉は平均すると1日約30kmを歩いたので、千住から27kmの春日部、翌日は約30kmで間々田に泊まり、3日めは室の八嶋に立ち寄って鹿沼まで32kmを歩いている。以後、平均すると金沢までは4日歩いて5日逗留というペースであった。

芭蕉が旅の3日目に立ち寄った平安時代からの歌枕「室の八嶋」は、栃木市惣社町の大神神社(おおみわじんじゃ)の境内にある。現状はそれぞれ小祠を祀った八つの小島をうかべる池で、名高い東国の歌枕としてはこじんまりしている。
観光協会の資料では崇神天皇の皇子、豊城入彦命が1800年前に東国平定の折、奈良県にある日本最古の大神(大三輪)神社を勧請して室の八嶋に創建した下野(しもつけ:栃木県)一ノ宮とされている。
一方、神社資料によれば、元来ここの神社は下野の惣社で、地域の神社を一括して奉幣しており、国司が毎朝参拝していたが、中央から派遣された国司が奈良の大神神社を相殿として祀っていたものが、いつしか大神神社の名が代表名となったものであろうとされている。
主祭神は大国主命で、配神は木花咲耶姫命と、その夫ニニギノ命、父親の大山祇命、子の彦火火出見命と一家を祀っており、富士登山の安全祈願もされていた。延喜式神名帳には「惣社大神神社」が記載されている。別名は六所明神・八嶋大明神。
社伝では、平将門の乱で被害をうけ藤原秀郷が再建したが、戦国領主の争いで再び焼失・荒廃した。のちに徳川家光が社領二十石と杉苗一万本を寄進し、芭蕉が来る8年前の1682年に現在の形に復興、大正時代(1924)の社殿改修をへて、1993年に室の八嶋の大改修が行われている。

さて、「室の八嶋」は万葉集、古今集にもある有名な歌枕で、ここにある池から不思議な煙が立ちのぼっていたというのが起源らしい。芭蕉は現在の名取市で中将藤原実方の墓所のありかをたずね「笠嶋はいずこ五月のぬかり道」と詠んだが、その実方が「いかでかは思いありとは知らすべき室のやしまのけぶりならでは」の歌を残している。ほかにも藤原定家など多くの歌人が室の八嶋を詠んでいる。
芭蕉のあと49年の1738年刊行の本には「いかなる人の作れるにや、回り回りて池を掘り、池の中に島と覚しきを八つ残したり。(中略)年久しき業とも見えず・・・」とあるそうで(井本農一:奥の細道をたどる)、昭和20年代の後半に訪れた井本は「溝のような池が曲がりくねってわずかばかりの水をたたえている。溝がまがりくねっているから自然小さな島のようなものもでき、そこに小祠が祭ってある」と書いているので、現在の分かりやすい「池に浮かぶ八嶋」の状景は1993年の改修によるものであろう。
池中の小島には香取、二荒、熊野、浅間、雷電、鹿島、天満、筑波の神が祀られている。池の外側にも多くの小祠があり、なかには“惣社村祖霊神”など原始信仰を偲ばせる神もある。天満神など新しい神はどこかの時代に祖霊神などと入れ替わったのかも。

なお、100日間滞在した親鸞が始めたという有名な鉾祭りは、11月23日の前後3日間、初潮前の少女(クルメさま)を主役とする祭りだが、ネパールで同じく初潮前の少女をヒンズー教の生き神「クマリ」としてあがめる例と、名前の音まで似ているのが興味深い。

同行者
カップル・夫婦(シニア)
交通手段
タクシー JRローカル 私鉄 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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  • 東武宇都宮線、野州大塚駅。<br />駅長がひとりで全部を担当している。

    東武宇都宮線、野州大塚駅。
    駅長がひとりで全部を担当している。

  • 駅前の案内。<br />歌枕として 室の八嶋と しわぶきの森が紹介されているが<br />しわぶきの森は この案内板以外にはどこにも見られず、<br />どこにあるのか分からなかった。

    駅前の案内。
    歌枕として 室の八嶋と しわぶきの森が紹介されているが
    しわぶきの森は この案内板以外にはどこにも見られず、
    どこにあるのか分からなかった。

  • 大神(おおみわ)神社の参道。<br /><br />5月下旬だったが ブヨがカメラのレンズに集まるので困った。

    大神(おおみわ)神社の参道。

    5月下旬だったが ブヨがカメラのレンズに集まるので困った。

  • 大神神社の全景

    大神神社の全景

  • 向こう側に 掲げられた額は「武運長久」だった。

    向こう側に 掲げられた額は「武運長久」だった。

  • 日置(へき)流雪荷派、弓術の掲額。 これも絵馬でしょうね。<br /><br />雪荷派は細川幽斎や豊臣秀頼などを門下にもつ和弓の名門。

    日置(へき)流雪荷派、弓術の掲額。 これも絵馬でしょうね。

    雪荷派は細川幽斎や豊臣秀頼などを門下にもつ和弓の名門。

  • 神社の 境内の配置図です。<br />左下に 室の八嶋 があります。

    神社の 境内の配置図です。
    左下に 室の八嶋 があります。

  • 室の八嶋です。<br /><br />池に小島が8つ浮かんでいて、それぞれが石の橋で<br />結ばれています。<br /><br />各島にはひとつずつ 小祠が祭られています。<br />一番小さいのは香取社の島で 3m*5mくらいでした。

    室の八嶋です。

    池に小島が8つ浮かんでいて、それぞれが石の橋で
    結ばれています。

    各島にはひとつずつ 小祠が祭られています。
    一番小さいのは香取社の島で 3m*5mくらいでした。

  • 室の八嶋。

    室の八嶋。

  • 大神神社の由緒と いくつかの和歌と芭蕉の句を紹介しています。

    大神神社の由緒と いくつかの和歌と芭蕉の句を紹介しています。

  • 芭蕉の句碑です<br /><br />「いと遊に 結びつきたる 煙かな」

    芭蕉の句碑です

    「いと遊に 結びつきたる 煙かな」

  • 弓削・道鏡が流されてきて 滞在したのも<br />この 神社だそうです。<br /><br />その後、親鸞上人も100日間 滞在したそうです。<br /><br />なお 社域にあった神宮寺は 明治の初期に取り壊されたそうです。

    弓削・道鏡が流されてきて 滞在したのも
    この 神社だそうです。

    その後、親鸞上人も100日間 滞在したそうです。

    なお 社域にあった神宮寺は 明治の初期に取り壊されたそうです。

  • 境内には 巨樹がいくつかありますが<br />この広葉杉は 樹齢300年で 本邦有数の巨樹だそうです。

    境内には 巨樹がいくつかありますが
    この広葉杉は 樹齢300年で 本邦有数の巨樹だそうです。

  • 広葉杉 です。

    広葉杉 です。

  • 以前この地は国府村惣社で 下野ノ国の国庁と惣社がありました。<br /><br />大神神社から 南へ3,3kmには国庁あとがあります。<br />発掘調査が進められ 今回は訪れませんでしたが<br />正殿跡には前殿が復元されているそうです。<br /><br />なお 東方の思川(おもいがわ)の対岸は 旧国分寺町で<br />国分寺跡 国分尼寺跡 があります。

    以前この地は国府村惣社で 下野ノ国の国庁と惣社がありました。

    大神神社から 南へ3,3kmには国庁あとがあります。
    発掘調査が進められ 今回は訪れませんでしたが
    正殿跡には前殿が復元されているそうです。

    なお 東方の思川(おもいがわ)の対岸は 旧国分寺町で
    国分寺跡 国分尼寺跡 があります。

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