2009/08/04 - 2009/08/28
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ぷあぼーいさん
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日本の大学に研修にきていた友達をたよってウガンダに行ってきました。旅行したわけでなはなく、一応自分を成長させたい、という目標を持って病院でウロウロしていたので滞在記という感じになってしまってます。このころはフォートラベルのサイトも知らずに、写真をとる気があんまりなかったので、写真はあんまりありません。ですので雰囲気が伝わりにくいかもしれません、すみません。そのうえ、ウガンダに着いて2日目にカメラをが壊れました。ですので友達がとってくれた写真や、ぼくのカメラがつかえるときにちょこちょこととったものをのせてみました。旅の参考にならないかもしれません、すみません。写真もイマイチでなんかくだらない旅行記になってしまったかもしれません、読んでくださる方、すみません。
だいたい首都のカンパラとムバレを行き来していました。
ムバレでは町をちょっと歩くだけで昼間から酒を飲んでるにいちゃんたちにチャイニーズチャイニース!と呼ばれて、そういう時はちょっとさみしい気持ちになりました。
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 旅行の手配内容
- 個別手配
- 利用旅行会社
- エアトリ
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出発の時の様子や、エンテベ国際空港の写真もなく、いきなりこの写真です。空港について友達と合流して、彼の家のある首都カンパラの郊外までいきました。初めてのアフリカでドキドキしていたのですが、ケニヤを含めホワイトハイランドといわれただけあって、暑くなかったです。
ぼくの友達の家に招待してもらいました、ウガンダの民家です、どんな家かとどきどきしていました。彼がその友達です。
ウガンダでの彼のステイタスは中の上くらいなかんじでしょうか。彼はお医者さんで、ウガンダには20人くらいしかいないという整形外科医でいわゆるエリートなんですが、医療システム上全然お金持ちではないようです。
実際彼の家、上下水道が整っていませんでした。家の周りの塀もまだつくりかけでした。 -
この子です、ぼくのデジカメを壊したのは・・・
といってもしょうがないですね、いろんなものに興味をもつのでしょう。えらいなつかれて、いっしょにたくさん遊びました。なんだかんだでこどもはかわいいですね、でもつかれますね。他人の子は他人の子・・・でもかわいかったです。なついてくれて悪い気しませんし、つぶらな瞳にノックダウンでした。
上下水道が整ってないので、井戸で水をくんでおけに水をはってバシャー、バシャー、というかんじです。お風呂にはいる=take a showerと思っていたので、are you bathing?と聞かれたときはつい聞き返してしまいました。
日本の下水道普及率は70%代だったとおもいますが、ここでそのありがたさをかんじました。 -
また急に写真がとびますが・・・
友達のいとこが農家らしく、家に豚やら鶏やらを勝っているというので連れて行ってくれました。旅行で行くとこういったところに行くのはむずかしいですが、現地に知り合いがいると現地の人がよくいくところへのアクセスがあるのでいいなー、と思いました。一人で知らないところに行くドキドキ感はあんまりありませんでしたが。
土地があって放し飼いにしていて、だだっぴろい荒地のようにかんじました。 -
ここでは小さいこどもたちもお手伝いしていました。兄弟姉妹がたくさんいるみたいで、おねえちゃんおにいちゃんがちいちゃい子をつれていました。
そのうちの一人の子がポケモンのTシャツを着てました。NGOかなんかが送ったものなのでしょうか。
草刈用なのか、鉈(なた)を持ってました。アフリカを題材にした映画でなたをよく見かけて、なんかそんな時代おくれっぽいもの持ち出して野蛮だなーと思ってたのですが、なんでなたがよくつかわれたのか分かった気がしました。彼らにとっての日用品だったんでしょう。
思い返せば日本での惨劇についても日用品のものをつかわれるがほとんどだな、と気づいて、アフリカはなんか野蛮やなーと思ってましたが、日本人も意外とないのかな、と思いました。 -
牛です。
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池もありました。
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ほかにもいろんなところに連れて行ってもらったんですが、写真に残そうという意識がなかったので、あまりとってないのです。
友達の仕事風景です。
日本とちがって全身麻酔はしていないようです。おかしなことに麻酔科医という麻酔科医がいませんでした。
そのうえ麻酔科医の方たち手術が予定されていても平気でさぼったりします。日本では考えられないことですが・・・
全身麻酔じゃなくてもできるので問題ないといえば問題ないのですが。 -
友達が記念に、と写真とってくれました。
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朝は日用品店で買っておいたビスケットとかを食べて飢えをしのいで、お昼は食堂とかで食べて、夕方は激安のレストランにいったりしてました。また、友達のいとこが近くに住んでるから、といろんないとこの家にお世話になりました。ウガンダはかなりビッグファミリーのようです。
ただそのころのぼくにはごはんの写真を撮る気がまったくなかったので、ご飯の写真は1枚もありません、すみません。味はあうものもあればあわないものもありました。
この写真はそのいとこの家でとった変なものです。アリ塚だったと思います。
写真をとってなくて申し訳ないのですが、そのうちのいくつかは電気もと追ってないところで暮らしていて、いわゆる自給自足的な生活をしてました。夜はくらいのでランプをともしてましたが、そういった生活をみると、改めてむだにぜいたくしたらあかんなー、と思いました。 -
友達のいっぱいいるいとこの家の一つに連れて行ってもらいました。家にあがるたびにいろいろごちそうしてくれて、申し訳なかったのですが、それはあとで友達が食費をケチっていたということがわかりました。
右の婦人はもと大学教授らしいのですが、恰幅いいですね。ムバレで青年海外協力隊の人と会って、意見が一致したのは、ウガンダの女性って思ってたよりダイナマイト、ということでした。
ぼくが行ってた病院にも、ジャイアントと呼ばれる看護士さんがいました。
思うによく食べて、よく休む人が多いからでしょう。日本と違っておそらくウガンダでは男性のほうが肥満の人が少なかったように思えました。 -
ウガンダで一番大きな病院をみてきました、ムラゴホスピタルです。
病棟は広い部屋にベッドがずらっと並んである、テレビドラマにでてきそうな野戦病院なかんじです。
途中おしっこをしたくなってトイレにいったのですが、水がでませんでした。
その旨を友達に話すと近くにいた看護婦さんが「エーイ」と言ってくれました。「エーイ」はよく聞いた言葉のひとつですが、日本でいう「おいおいおい(なんじゃそりゃ)」みたいな感じに受け取っていました。
このエーイをぼくがやたら気に入りまして、ウガンダに滞在して多最後のほうにぼくも使ってました。 -
テレビでごくまれにウガンダのことを日本の援助(JAICAとか)とからめて放送するようで、日本でこの病院のことが放送されたときは、オレココイッタ!と叫んでました。
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日本ではたぶん多くの人が見たことないと思いますが、ウガンダではポリオは珍しい病気ではありません。首都カンパラでは大の大人がマヒした手足をうまくつかって路上をハイハイしながらゴミを集めている姿をちらほらみかけました。
そういう人のための移動手段としてこういった三輪車がつくられていましたが、みてのとおりオンボロです。日本ふくめ先進諸国がWHOや直接的に援助をしているはずなのですが、そういったお金はいったいどこに使われているのでしょう?
保険制度などは国によってその国の価値観や文化が反映されているようなので一概には言えませんが、いったいどうなっているのでしょう? -
ある休日に動物公園とかいうところにも行ってきました。ただカメラがこわれていたので、写真とりたくてもとれずに友達がいくつかとってくれました。ただ容量が大きいようで写真をのすことができません、悲しいです。
ビクトリア湖というのがあるんですが、そこにもつれていってもらいました。ぼくはどちらかといえば寒がりなんですが、波打ち際は寒くて水につかる気がしませんでした。人もそれなりに遊びに来ていたんですが、個人的になにも感動することがなく、なんとなくまわりの風景を眺めていました。
この家族にはほんとうにお世話になりました。ただ家が郊外近辺だったせいか、蚊がやたらと多く、だいぶ食われましたし、寝てるときにはぼくは蚊やの中にいるんですが、蚊が飛ぶ音がブーンブーン聞こえて、いつも途中で目を覚ましていました。
またある時は蚊やのなかにゴキブリがいて、勘弁してやー、というときもありました。
ぼくは普段ゴキブリはたたいて退治をしないのですが、このときばかりは足でふみつぶしました、ぼくの友達も素足で虫をつぶしていたので、郷に入っては郷に従え、ということで安眠を得るためのやむを得ない手段でした。そのふみつぶしたゴキブリ翌朝にはアリの食べ物になっていて、食物連鎖やなー、と思いました。その日の夜にゴキブリの形は跡形もなく消えていて、ちょっと気持ち悪かったです。
ゴキブリといえば、移動中のバスのなかにもゴキブリがいて(客のマナーが悪いため)2,3匹足やら手やらをはいあがってきて寄生されるのも日常でした。 -
ビクトリア湖です。どうでしょう?ぼくは特に何も思わなかったです。海だけを撮った写真がなかったので、この写真をはりました。
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手術の空き時間にとりました。
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この建物とは別に日本が建てた施設がこの病院内にありました。
現地の人は当然大喜びです。 -
休憩室です。ここで何杯もお茶(ウガteaとぼくは言ってました)をのみました。ウガンダの人たちって、イギリスに植民地にされたときの名残なのかどうかしりませんが、食事の時間が日本とちがって、5回ほどありました。5回あればもちろん1回で食べる量は減るのですが、それに慣れるのに時間がかかって、おなか減ったなー、と感じたらお茶を飲んでました。
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この病院ではいろいろな患者さんをみて、予想してた以上に勉強になりました。
ウガンダでの旅というか滞在してたときのことを思い出すと真っ先に思い浮かぶのが9歳の男の子のことです。
ぼくは平日はムバレの病院にいて、週末はカンパラで過ごしていました。月曜日カンパラから5時間ほどバスにのってムバレに着こうかというころ、友達の携帯に連絡が入り化膿性関節炎という病気の疑いの子供がいるからすぐ来てほしい、という連絡がはいりました。ムバレについたらいつも少し腹ごしらえをしていくのですが、化膿性関節炎は緊急手術となるものなので、ムバレに着くとすぐに病院にいきました。手術場の入り口につくとベッドの上で子供が弱弱しく痛そうに泣いていました。そばにいた親族の方がとても不安そうにしていました。
麻酔なしに手術をするのは子供にとってつらいことなので、麻酔医をさがしますがみあたりません。ぼくは現地の言葉をしゃべれないので、心配しないで、というジェスチェーとスマイルを親族にむけて手術場に子供を運んでいきましたが、子供は泣きやんでただただ一生懸命息をするだけになってきました。このままではまずい、ということで、すぐに自分たちで麻酔をかけて応急処置をほどこしました。
応急処置が終わって後片付けをしようかというときに、なんかその場の違和感を感じて子供をみると、せっせせっせと動いていた子供の胸がうごいてなくて、彼の肛門から排泄物がぬるりとでてきていました。
いわゆる彼の体が死へ向かおうとしている瞬間で、すぐさま心肺蘇生をしました。2,3分か5分くらいだったかよく覚えていませんが、ちょっとすると子供が自発呼吸をはじめて、とりあえず一安心して、家族のもとにいきました。 -
彼はウガンダで仲良くなった人の一人です。JAICAの人たちがたまにこの病院にくるそうなので、日本人に対してそんなに特別な思いはないようです。
ある日彼がぼくに、どうして日本人の女性は胸とおしりが小さいのかと聞いてきました。ウガンダ滞在中にぼくの世話をしてくれた友達もいってました、日本人の女性は小さい。
実際ぼくも何人かの婦人の裸体をすこしみさせていただいのですが、ウガンダの女性はぼくの感覚からすると、ダイナマイト級でした。
ここでまたさっきの子供の話に戻るのですが、その日はそんなこんなで夜遅くに仕事が終わって、緊急手術をした子どもが気になったので友達と病棟に見に行きました。呼吸はしていましたが、意識はまだもどっていませんでした。彼の親族のかたたちがとても心配そうにしていました。がんばってやー、と心の中でつぶやいて、ほかの患者さんをみたりしていました。アジア人であるyellow monkeyがめずらしいみたいで、子供たちがぼくに現地語で「外国人外国人!」とさわぎたてます。
そんな子供たちのうちの一人で、足を骨折してベッドで安静にしていた女の子のところにいくと、いつもムクっとおきあがってうれしそうに手をふってくれてました。
そうこうしてたら、あの子供がまた息が止まった、というので心肺蘇生をはじめました。その時ぼくの友達が、this is Uganda. this is Ugandaと言ってたのがとても印象的でした。2回目の心肺蘇生の甲斐なく子供は息を引き取りました。その時の親族の顔・態度が忘れられません。 -
ぼくは人の性格、良し悪し、もうちょっと具体的にいえば、人の命の重さに根本的な違いはない、と信じているのですが、現実はそうではないと実感しています。家族が病気になると心配してお見舞いにくるのに、日本もウガンダも変わりません。変わったニュースがあればおもしろがるのもかわりませんし、親が子を大切にするのも変わりません。ずるいことをする人がいるのも一緒です。ですが世界をみわたすと、生まれた場所、住んでるところの違いであたかも人の命の価値が違っているかのように扱われいる気がします。
化膿性関節炎という病気もふつうに生活しているとかかる病気ではないのですが、あの子供はたくさんの関節に膿がたまっていてあきらかに重症でした。おそらくAIDSになっていたのでしょう。9歳の子供がAIDSになる原因としては、分娩時もしくは母乳感染といったものが考えられるでしょう。おそらくあの子供はなにも悪いことをしていないのにAIDSを発症してしまい9歳にして死んでしまったとぼくは思っています。日本ではAIDSかどうかというのはちょっとお金をだせばすぐにわかるのですが、ウガンダではみんながそういった検査を受けれません。助かる可能性の高い人やお金のある人だけが受けれます。なので結局ちゃんとした原因もわからないまま、9歳にしてこの世を去ったのです。ウガンダの人もさすがに人が死ぬとざわざわ騒ぎますが、それも1日もたつとやっぱり何事もなかったかのようにそれぞれがそれぞれの生活を繰り返します。
彼らにとって死はおじいちゃんおばあちゃんになったときにやってくるものではないようです。 -
ぼくが9歳のころといえば「死」ということなんかこれっぽちも考えたことなく、お母さんお父さんに甘えて、学校にいって、友達とあそんで、好きな子にちょっかいかけて、兄弟とけんかして、ぐっすり眠ってまた明日、ということくらいだけだったと思うので、ウガンダの人たちをみてちょっとやそっとのことで泣き言を言う自分がとても恥ずかしかったです。だからといってウガンダの人たちがかっこいい生き方をしているかといえば必ずしもそうではないと思いますが。きっと今もあのスローライフを楽しんでいると思います。ぼくはただ自分が傲慢だったんだな、と思いました。
なんしかあの子供が生きていればこれからもっと楽しいことがあって、たくさんの可能性が彼を待っていたと思うとやりきれませんでした。今までいろんな悲しいことに出会ってきたつもりでしたが、このときはただただ純粋に悲しいという感情だけだったです。
君は若くして死んじゃったけど、ぼくはたまに君のことを思い出してそのたびに自分を奮い立たせるから、勝手なお願いだけどぼくの記憶の片隅にいてくれないか、とお願いしてこの病院を去る最後にいろんな思いにふけりながらこの写真をとりました。
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