1990/01/07 - 1990/01/14
79位(同エリア258件中)
polodaddyさん
- polodaddyさんTOP
- 旅行記322冊
- クチコミ65件
- Q&A回答254件
- 512,989アクセス
- フォロワー60人
昔の写真の整理をしていたら、未だ新婚時代だった30年以上前に家内と行ったウィスラー・ブラッコムスキー旅行の古い写真が出てきた。フォートラベルの旅行記でも渡航先地図で北米のカナダが白く抜けているのが気になっていたので、スキャンして加える事にしました。
これで北米は全部黄色になりました♪
そういえば最近何年スキーに行っていないのでしょう?日本各地でもスキー客の激減であちこちのスキー場の運営が危機に瀕しているとか?
結婚前に家内と主に根城にしていたのは八方尾根や五竜遠見、鹿島槍近辺でしたが、当時は未だバブル華やかなりし頃で大変な混雑でした。それに比べて初めて出かけた海外スキーのウィスラー・ブラッコムでは大して混雑していなかった事がとても印象的でした。
広くて長いピステをゆったりと大きな高速ターンで滑り降りて来るのがあまりに快適だった事を覚えてます。最近バンクーバー冬季オリンピックの会場にもなりましたが、今では多少様子は変わったのでしょうか?
その後国内の蔵王や妙高高原等のスキー場には94年頃まで子供連れで出かけたりしましたが、それ以降はシンガポール赴任になった事もあって行っていません。
「私をスキーに連れてって」なんて映画もありましたね!
私達はあの映画の1987年よりも随分前に八方尾根スキー場で出会って、その後結婚しました。独身時代二人で一番滑っていたのは1985年頃でしたでしょうか?バブリーでしたが懐かしいです。
「わたスキ」の映画が出た時には、私達の事を誰かがずっと監視していてシナリオを作ったのかと思いました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 観光バス
- 航空会社
- エアカナダ
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
PR
-
ブラッコムスキー場の案内図の前で。
このスキー場の山頂から麓まではたしか4km近い長さがあったのではないでしょうか?
八方尾根で鍛えた腕(脚か?)でも大変な距離だと感じました。 -
これは麓のウィスラーの街並みで、朝これからスキーに出かけるところかな?
麓の街は余り雪も無く、夕食に出かける際にオシャレをしても足元に不安がなく快適でした。
レストランも多く優雅なスキーリゾート地。
当時日本で最も近代的に開発された西武国土開発(当時)プリンスグループ系のスキーリゾートと比較しても快適度、オシャレ度共に抜群に良かったです。 -
当時は未だスノーボーダーは殆ど見かけず、ごくたまに見かける程度でした。
日本のスキー場に比べて全体的にピステの幅が広く開放的で、羨ましく感じたのを覚えています。 -
ほら、こんなに空いています。
幸か不幸か、現在の日本のスキー場もこんなに空いているのかも知れません。
八方尾根の名木山の脇でロッジ、プチホテルを経営している友人がいるのですが、元気かなあ? -
雄大な景色をバックにハイポーズ!
天気にも恵まれ快適な旅行でした。 -
ブラッコム中腹のレストランで昼食を食べていると、鳥が飛んできて暫く居座っていました。
-
最高の好天に恵まれました。
当時自分も家内も1-2級のレベルでそこそこ上手く滑れたのですが、その後私は多分10kg近く太ったので、今滑っても上手くないだろうなあ。特にこぶ斜面はもう駄目!ちなみに家内は当時と余り体重が変わっていないらしい。 -
当時日本では未だ珍しかったヘリ・スキーにも挑戦しました。
確か滑ってはまたピックアップしてもらって別の山に上がる、を繰り返して3本滑ったのを覚えています。 -
ヘリで降り立った何処かの山の上からの眺め。
此処まで来るまでには、全くの原生林が連なる山々を越えて来ているので、遭難したら先ずアウト!雪崩や遭難の危険もあるのでガイドさんの指示に従って滑りますが、全くのバージンスノーなので操作が難しい。転んだが最後、起き上がるのにも苦労する。
2級レベルだった家内も悪戦苦闘してました。 -
ヘリスキーからへとへとになって帰ってきた後はホテルのジャクージーでリラックス。
毎日比較的明るい内に麓のホテルに戻った記憶があります。
リフト待ちも無く、快適なスピードで滑れるので夕方近くになると充分に満足したのだと思います。 -
これは帰りに寄ったバンクーバーの街にあるスタンレーパークの中のDevonian Harbour Parkで沢山のヨットを背に。
市街地から直ぐの距離に沢山の自然公園があって、住環境としては最高の立地だと羨ましく感じたものです。
当時は未だ香港からの移民も殆ど居らず今の様な中華街も無く、静かな街でした。この頃お金があったら、小さなアパートでも買っておくべきでしたが、中国系移民が増え不動産価格が暴騰した今となっては無理ですね。
娘の香港系の友達は今此処に住んでいるとか言っていました。 -
本当に羨ましい環境です!
公園には水族館もありシャチのショーを見たように記憶しています。
その後、ダウンタウンでお寿司屋さんを見つけて食べた寿司の新鮮で美味しかったこと!値段も大して高くなかったので最高でした。 -
これは公園内のリスに家内が餌をやろうとしているところ。
バンクーバーが職、住、自然公園、リゾートが隣接し食も豊かで世界的にも最も人気がある街だという事には納得です。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
この旅行記へのコメント (1)
-
- fuzzさん 2020/04/29 16:47:25
- 原田知世さん
- polodaddyさん、まいどです。
今日はまるで「私をスキーに連れてって」の映画みたいな旅行記にお邪魔しています。
奥様、あの当時最先端なスキーウェアでバッチリキメられて!
上から下まで真っ白!
まるで原田知世さんみたいですね。
スキー場でかなり目立ったでしょうね♪
ナイスカップル!←令和の時代は死語なのかな・・・?
fuzz
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
1
13