メンフィス (テキサス州) 旅行記(ブログ) 一覧に戻る
週刊朝日2010年10月1日号と10月8日号に終末期旅行として、末期がん患者さんのアメリカ旅行が詳細に報告されました。以下は医者としてこの旅行に帯同した私の具体的な旅行記です。<br /><br /><br />【いよいよ出発】<br />あっという間の3週間でした。海外旅行に日程的に添乗できるかという日本旅行医学会専務理事の篠塚先生からの電話に、8月23日(月)以降だったら可能ですと答えてから、バタバタと決まりました。念願の末期癌患者さんをエスコートしての海外旅行です。<br /><br />早朝の便を避けるため、福岡市在住の私は福岡空港から成田空港ではなく羽田空港へ飛び、最近開通したらしい京成線の成田スカイライナーで成田空港へ。そこで、依頼主の熊澤保(仮名)さん、65歳と妹、安藤雅子(仮名)さんと初対面です。つい10日前までは歩けるので車椅子は要らないかもしれないと聞いていましたが、やはり必要と言うことで、初対面時も熊澤さんは車椅子に乗っていました。ボランティアとして参加するという旧知の日本旅行医学会職員の大附さんもいます。全部で4人での道中になります。見送りに、すでに熊澤さんを取材し、今回の旅行に興味をもった週刊朝日の記者二人もいました。もう一人、医療ジャーナルの記者もいました。<br /><br />前もっての情報では、熊澤さんは1年半前に見当識障害(傍腫瘍性辺縁系脳炎)から食道癌が見つかりましたが、ほとんど効果が見込めないとの判断で、積極的な癌の治療は受けていません。現在は肺とあちこちの骨に転移があり、「末期癌」の状態です。若い頃から熱烈なエルビス・プレスリーのファンで、自宅にはエルビス・ルームもあるそうです。銀行員の時に、ハワイでのエルビスのショーを見に行きたくて休暇願を出したのに、上司に拒否されずっと恨みに思っているようです。それで、今回妹さんが本人以上に夢を叶えてあげたいと強く思ったようです。最初はある大手のパック旅行で、エルビスゆかりのツアーとして、メンフィスとラスベガスを回るのを見つけ申し込んだそうです。でも、病人とわかると体よく断られたそうです。それだけならまだしも、露骨に迷惑そうな顔をされたと妹さんは怒っていました。<br /><br />飛行機は重病人がいるので、さすがにビジネスクラスです。早めに出国手続きをして、ラウンジでゆっくりしました。熊澤さんは歩けないまでも立てるので、少し手伝うだけで機内の席に誘導できました。大韓航空のビジネスクラスですが、私の席、中央の3人席の真ん中、はほんの少し窮屈でしたが、普段のエコノミークラスに比べれば雲泥の差です。自慢にもなりませんが、何回も国際線に乗っている割には、ビジネスクラスは数回くらいしか経験がありません。<br /><br />熊澤さんは合併した慢性呼吸器感染症で痰がたくさん出ますが、まだ自力で痰を出せるようで、ティッシュをたくさん準備している妹さんが介護してくれます。私は着いたらすぐに車の運転もあるので、時差ぼけ予防のためにもなるべく寝ていました。介護は妹さんと大附さんの女性陣二人に任せました。泌尿器科専門の私はやや批判的ですが、妹さんは病院で習った通りに、パンツタイプの紙おむつの下に縦長におむつをし、更に内側の陰茎に巻き付けるようにもう1枚おむつをあてています。つまり、3段重ねなのでズボンの上からでも、もっこり膨らんでいます。機内では、トイレに連れて行って介助していました。<br /><br />14時55分に成田を出発した飛行機は予定よりやや早く現地時間09時頃ロサンゼルス国際空港に到着しました。ターミナルの係員が空港用車椅子ごと飛行機出口で待ってくれています。5月にサンフランシスコ入国時に2時間近くかかったばかりの私は税関審査を心配していましたが、むしろ車いす専用のレーンがあり、あっという間に終わり拍子抜けしました。通訳を兼ねて私が車椅子専用レーンを一緒に通過しました。普通の列に並んだ女性陣二人も余り時間がかからず合流できました。次は、国内線のデルタ航空、メンフィス行きへ乗り継ぎです。ターミナルを移動しなければなりませんが、大きな車椅子マーク付きのバスがやって来ました。後方右側が空き、リフトで車椅子ごと車内に熊澤さんを誘導してくれます。私は車椅子の人に付き添うのは初めてですが、ちゃんとインフラが整備されているのには感心します。<br /><br />国内線ターミナルへ着き、男性用の障害者用トイレで妹さんが世話をしていました。待っている間に、ずっと世話してくれている係員と話をしました。顔を見て、ここはロスだしメキシコ系かと訪ねると、エルサルバドールだと答えます。でも、彼はアメリカ生まれで、英語とスペイン語のバイリンガルのようです。時間がかかるので、彼が中の様子を窺いに行ってくれました。大声で呼ばれるので、慌てて駆けつけると熊澤さんが倒れかけていて、安藤さんがもてあましていましたが、アメリカ人の男性が手伝ってくれていました。幸い、たいしたケガはなさそうでした。でも、油断禁物!<br /><br />国内線は普通席で、しかも後方の座席でした。結局、aisle wheelchair(通路車椅子) と呼ばれる機内専用の幅が狭い車椅子に乗せ換えて座席まで行きました。もちろん、降りる時はその逆で、一般乗客が降りるのを待って最後です。一つ一つに手間と時間がかかります。12時頃ロスを出発しましたが、2時間の時差もありメンフィスへ着いたのは午後6時前でした。ようやく、日本で預けた手荷物を受け取り、折りたたみ式の車椅子を出し、広げます。予約しているバジェット・レンタカーの迎えのバンに何とか熊澤さんを乗せます。右肩を痛がるので、左の脇に手を入れ支えます。自分で動く決心をするのに時間がかかり、一苦労して何とか乗せました。<br /><br />空港すぐ近くのバジェットの事務所へ着くとトラブル発生!いつものように日本で予約してあるのに、希望した luxury car(リンカーン等の高級大型車)がないといいます。仕方がないので、値段的に同等の mini-van で我慢させられました。でも、かろうじてしか立てない熊澤さんを車に乗せるのには往生しました。車は3列シートでゆったりはしていますが、座席が高いので乗せるのが大変です。痛みもあり、なかなか自分で動こうとしてくれません。それでも、時間はかかったものの何とか無事に中部座席左側に乗せました。運転手は私です。アメリカの運転には慣れているので何の問題もありません。むしろ、これは嬉しい誤算で、日本で予約した時はメンフィス空港店にはないと言われていた GPS つまりカーナビがありました(もちろん有料ですが)。高速を降りてすぐのホテルにはすんなり到着しました。<br /><br />前もって調べていたように、I-240を通過します。最初の2は都心だけのもので、結局I-40に繋がる高速道路です。つまり、私が以前住んでいたニューメキシコ州のアルバカーキまで繋がっているのです。私には、いつも乗っていたI-40なので、懐かしさが一杯です。<br /><br />部屋に落ち着いた頃には夜の10時を過ぎ、ルームサービスも終了していました。仕方がないので、部屋の小冊子に宣伝してある出前オーケーのサブ・サンドイッチ(長いパンの中に具が入ったサンド)を注文し、軽食で済ませました。こうして、何とか長い、長い初日が無事に終わりました。<br /><br />【時差ぼけの一日】<br />翌朝(8月24日)はゆっくり8時頃起き、大附さんと二人でホテルでの朝食を取りました。でも、私以外の3人は完全に時差ぼけでほとんどの時間部屋で寝ています(大附さんも寝直しています)。レンタカーを普通車に変えたかったので、バジェット・レンタカーへ電話すると午後2時に一人返却の予定があるということです。午後にかけて、私は一人で下見を兼ねてダウンタウンをドライブしました。ホテルからはすぐ近くで、壮大なミシシッピ川があり、川岸は公園になっているようです。そして、川を見下ろす絶好の高台には見るからに高級な家が並んでいます。アーカンソー州へ渡る橋の近くにはピラミッド型のユニークな建物もあります。<br /><br />ティッシュなどの買い物を頼まれ、ホテルで近くにスーパーがあるかと聞くと Kroger(クローガー) が近くにあるとフロントの黒人女性が言います。アメリカには詳しいつもりの私ですが、テネシー州が南部という認識はあまりありませんでした。でも、確かにホテルのフロントの従業員も全員黒人です。Kroger は私が一時期住んでいたシンシナティに本社のある懐かしいスーパーです。到着すると、おせっかいなカーナビが「クロージャー」に到着したと喋ります。あれっと思いました。時々間違えて発音します。シンシナティでも、ここメンフィスでもみんなドイツ語式に「クローガー」と発音するのに、カーナビはいわゆる英語式に「クロージャー」と誤って発音していました。でも、頼まれた缶ビールも 350 ml どころか 980 ml 入りの巨大な物しかスーパーにはありません。後で思い出したのですが、コンビニ単独店は少ないのですが、ガソリンスタンドに併設されたお店が、ちょうど日本のコンビニに当たります。ここでは、小さいサイズの物がたくさん買えます。アメリカのスーパーには大ぶりの物しかありません。日本にも進出しているコストコと同じです。<br /><br />3時頃、期待してバジェット・レンタカーへ再度電話しましたが、結局返却予定の客が現れず(予定を変更して長く借りる人も多いそうです)、いつ大型の普通車がリターンされるかわからないようです。小型車なら普通車があるそうですが、それなら今の mini-van の方がましかと判断しました。<br /><br />夕食くらいはまともに食べようと私が提案しました。ホテルの案内にあったレストランで、嗅覚の利く私が自信を持っておいしそうだと判断したイタリア料理店かつステーキ店です。Cappricio とありそうな名前です。私は久しぶりに、と言っても5月にサンフランシスコで食べたばかりですが、大きなステーキを注文します。女性陣は小食で二人で一つのステーキを注文します。肝心の熊澤さんには、ロブスター入りのスープを。他に、みんなで分けるためにピザとカプレーゼ・サラダ(トマトとモッツァレラチーズ)とミネストローネ(スープ)を頼みました。私の直感、予想通りかなりおいしい料理の店でした。医者の私の判断で、熊澤さんにも久しぶりのビールを少し飲ませてあげました。何とも言えない、嬉しそうな顔をしていました。 <br /><br />残念ながら、嗟声ではないのですが熊澤さんは声に力がなく、ほとんど聞き取れないような小さな声でしか喋れません。でも、嬉しい誤算は「刻み食」しかダメだと聞いていたのに、ゆっくり食べさせれば意外と液体も大丈夫なようでした。何とかむせずに飲み込めるようです。要するに、食べ物に関しては心配していたほどの問題はないようです。念のための、口からではなく直接胃に流動食を流し込む胃瘻の管(ボタン型)も腹から出ていますが、使わずにすみそうです。注入用の50ml注射器も持参しています。確認する必要もなくなりましたが、篠塚先生の話ではアメリカではスーパーで医療用の流動食も売っているそうです。ただ、しょっちゅう痰は出しています。<br /><br />満足のいく美味な夕食後、ダウンタウンなので近くを歩いて散策します。アメリカに詳しくない人ほど怖がりますが、意外と安全です。盛り場には馬に乗った警察も出ていますから。まず、室内のホテルのアーケイドでジャズピアノを弾いている黒人がいます。我々日本人に気づくと、「スキヤキソング(上を向いて歩こう)」を弾いてくれます。それから外に出て、近くの歩行者天国、ビール通りを歩きます。ロックンロールやジャズの店があり、音楽が通りに溢れいい雰囲気です。これがエルビスの愛したメンフィスのダウンタウンです。今日はコツをつかんで車椅子への移動も大分スムーズになり、レンタカーの変更は止めることにしました。いつの間にか、熊澤さんは立つこともできなくなっています。ですから、私が左脇腹に抱え込むようにして抱きつき、ぐらぐらした両足を女性陣が支えます。気をつけないと、引っかけて容易に骨折するからです。でも、時間的には却って車椅子への移動は早くなりました。<br /><br />【いよいよグレースランドへ】<br />昨日は私以外のみんなは時差ぼけでたっぷり寝ているので、3日目の今日は朝から張り切って目的のグレースランドへ行きます。と言っても、朝10時の出発ですからそんなに早いわけではありません。カーナビがあるので Graceland へも難なく行けます。大きな駐車場へ着き、折りたたみ式車椅子を出して熊澤さんを乗せます。中へ入ると、心配しなくても車椅子用のリフト付きバスがあります。空港と同じです。それに乗って、いきなりエルビスの住んでいた mansion(大邸宅)に行きます。白い建物です。さすがにインフラの進んだアメリカです。車椅子でも問題なく中を見学できます。素晴らしい!もちろん、あちこちで往年のエルビスの名曲が流れています。おかげで、熊澤さんも心なしかスイングしています。ほんのちょっとですが。<br /><br />あの派手な衣装をたくさん飾った部屋もあります。ミリオンセラーのレコードをたくさん並べた部屋もあります。有名なピンクのキャデラックなどの愛車を展示した部屋もあり、中では懐かしい映画を上映しています。ちょうど日本の若大将、加山雄三のようです。美女とのはじけるような場面が続きます。若い頃のエルビスはハンサムです。いや、イケメンです。男の私が見ても、口元には色気を感じます。多くの女性を失神させただけのことはあります。普通に生活していた居間にはピアノと当時としては大きなテレビもあります。最後に、噴水の近くにエルビスの眠るお墓があります。日本と違って墓石が立ってなく、水平に埋め込んだ形なので遠くからは目立ちません。隣におばあさんと両親のお墓が並んでいます。世界中のファンから花や供え物が絶え間なく持ち込まれているようです。もちろん、日本人からのもあります。<br /><br />今年は生誕75周年のお祝いのようです。生まれたのは、ここテネシー州ではなく、車で数時間南に離れたミシシッピ州の Tupelo のようです。最後に、外からも見えた自家用ジェット機、Lisa Marie 号です。愛娘の名前を付けています。タラップのあるここだけは車椅子では行けません。熊澤さんには悪いけど、代わりに中を見てきました。自家用機だけあって、内装も自由でサロン風で、くつろいだ雰囲気が伝わってきます。音楽ツアーの移動に使ったようです。隣にはもう一機、小型の自家用ジェット機があります。<br /><br />帰りもカーナビを使ったのですが、途中で少し道を間違いました。でも、おかげで通ったことのないアーカンソー州に入り、西側からメンフィスへ戻ったので、昨日散策していた辺りのミシシッピ川へ戻りました。川をはさんでアメリカの都市らしい建物群のスカイラインが遠くから見れました。でも、残念ながら私以外は全員寝ていました。アメリカに詳しい私は、40州以上は踏破していますが、このアーカンソー州は通過するのも初めてです。<br /><br />【市内見物】<br />今日は4日目、木曜日。いよいよメンフィス最後の日です。お昼は南部料理で有名と書いてある Alcenia’s と言う食堂へ行こうと私が提案しました。テネシー州が南部とはあまり認識してなかった私ですが、この店も黒人経営で従業員も全員黒人でした。人の良さそうなおばあちゃんもいます。地球の歩き方に写真の載っていたおばちゃんが私に本を持っているかと聞きます。持っていると答えると、回りの常連らしいお客さんたちに自慢げに本を見せていました。料理はフライばっかりで日本人にはたいしたことはないのですが、珍しい catfish(なまず)のフライを熊澤さんや安藤さんに見せたかったのです。典型的なアメリカの大衆食堂でもあります。<br /><br />食堂はシンプルな作りで、中には昔懐かしいジュークボックスがあり、一曲25セントでちゃんと曲がかかります。マドンナの曲をかけました。白人の若い夫婦がやって来て、赤ちゃんを抱いています。どこの国も赤ちゃんは可愛いもので、特に日本人には見慣れない白人の赤ちゃんは特別なので、熊澤さんと一緒に写真を撮らせてもらいました。熊澤さんも自然に優しい顔になっていました。<br /><br />熊澤さんの体調が良ければ、ミシシッピ川のクルージングの船にとも考えて調べていましたが、無理そうです。予定変更です。車の中にいる熊澤さんに見えるように工夫して、市内にあるエルビスの銅像を見学し、無名時代のエルビスが最初にレコーディングをしたサン・スタジオにも行きました。<br /><br />それから、あまり遠くないので再びグレースランドへ行くことにしました。一つには、女性陣がもう少しお土産の買い物をしたいのと、もう一つには昨日うっかりして駐車場の反対側ということに気が付かなかった歌で有名なハートブレーク・ホテルへ行くためです。ここでも、熊澤さんは車に乗ったままですが、ホテルのフロントからエルビスの曲が流れてくるので、心なしかにこやかな顔をしています。<br /><br />帰りは、カーナビをうまく設定して、昨日と違い今日は意図的に西メンフィスからメンフィスへ戻り、昨日見そびれた他の三人にメンフィスのスカイラインを見せました。ホテルへ戻り、夕食はサンドイッチの出前になりました。三人分を注文してあげた私は、ちゃんとした食事をしたいので、Spindini と言うイタリア料理店へ一人で行くことにしました。ダウンタウンの外れにあり、高級店らしく valet parking、つまり係員付き駐車サービスです。ムール貝とチキン・パルメザンとロブスターのスープを楽しみました。アメリカもちゃんとしたイタリア料理店はイタリアの移民もいるので、結構おいしいのです。我ながらアメリカでもちゃんとおいしい物にいつもありつけるのです。訛りのあるウエイターがいるので、イタリア人かと思って聞くと、セルビア人でした。いずれにせよ、アメリカは移民の国です。帰りは駐車場係員が車を出してくれ、チップを渡して帰途につきます。何となくリッチな気分です。<br /><br />【ラスベガスの「ビバ!エルビス」鑑賞】<br />27日金曜日、今日はいよいよメンフィスからラスベガスへの移動日です。時間に余裕を見て、朝6時に熊澤さんと安藤さんの部屋へ行きます。ところが、こんな日に限って下痢しておむつからシーツまで、ベッドが糞まみれです。それなりにシーツをはずしてお湯で濡らしたバスタオルで拭きました。そのうちやって来た大附さんがホテルのフロントに連絡しようかと言いますが、余計なことをすると時間がかかるので私が止めさせました。考えてみると、シーツを変えるのがメードの仕事なので、安藤さんに多めにチップを10ドル置いてもらいました。こんなもんでいいでしょう。朝からハプニングです。<br /><br />メンフィス空港のデルタ航空の出発口に三人を降ろしてから、私が一人でレンタカーを戻し、精算を終え、送迎バスで空港へ戻ります。それから、空港の係員を呼んで車椅子の手配をし、持参の折りたたみ式車椅子を手荷物にし、合計4個の荷物を預けようとすると120ドルも必要と言われます。でも、色々やりとりしているうちに乗客が全部で四人とわかり、車椅子は特別扱いとなり25ドルが2つの50ドルですみました。いずれにせよ、手荷物を預けるのに追加料金を取られました。これでわかるように、車の手配、運転、通訳を兼ねて空港での手配、全て私の仕事です。<br /><br />今回の車椅子の係は若い白人の男性です。やたらせかされます。搭乗口へ急ごうとすると、搭乗券のチェックで大附さんのパスポート名がOtsuki なのに搭乗券の名前が Ootuki と一致していないとクレームが付きます。やばい!私は出発の時から気になっていました。こういう事を防ぐために、旅行会社では必ずパスポートの最初のページのコピーを提出させます。飛行機に乗れるのだろうかとやきもきしましたが、何とか大附さんも無事一緒に乗れました。<br /><br />搭乗のための検査もかなり厳しいです。車椅子の熊澤さんも、紙おむつでもっこりした陰部を外から触られ、自分ではさっと前傾できないのに背中から腰の下まで触られます。常に私が通訳を兼ね付き添っています。もちろん、靴も脱がされます。こういうハプニング続きもあり、かなり余裕を見ていたつもりなのにギリギリで搭乗しました。機内では、専用の車椅子に乗り換え座席まで行きます。<br /><br />せかされただけあって、3時間のフライトでラスベガスには予定より30分も早く着きました。2時間の時差もあり、午前中には着きました。他の乗客が全て降りてから、専用車椅子で降りる訳ですが、この飛行機の前列には三人ほど超肥満の黒人女性がやはり車椅子が必要らしく、同様に待っていました。きっと彼女らは超肥満が原因で、股関節に負担がかかり過ぎて歩けないのだろうと医者として勝手な想像をしていた私です。ラスベガスでの車椅子の係員は引退してからシカゴから引っ越してきたという初老白人男性でした。中々の紳士でした。四人一緒に乗れるようにバン型のタクシーを拾ってくれます。<br /><br />何度もラスベガスへ来ている私ですから、ここではむしろレンタカーは不要で、タクシーの方が便利なことをよく知っています。今回我々の泊まるモンテカルロ・ホテルがニューヨーク・ニューヨーク・ホテルやパリ・ホテルに近い、また空港に近い南よりのホテルということもわかっていました。もちろん、ラスベガス大通りである“ストリップ“に面しています。いつものように、三人はルームサービスでいいと言います。私は注文をしてあげ、いつものように自分ではちゃんとレストランへ出かけます。結局、自分のホテルに付随している久々のメキシコ料理店へ行きました。ウエートレスがセクシーなレストランでした。<br /><br />昼食を終え、安藤さんと下見を兼ねて目的のシルク・ド・ソレイユ「ビバ!エルビス」のチケットを買いに行きます。日本からインターネットで前もって買うように言われていたのですが、どうも座席と値段の関係が不明で納得できないので止めました。私の経験では、毎日2回もあるショーなので、売り切れはまずないからです。これも正解でした。よく考えると、熊澤さんの分は車椅子の席が必要で、インターネットではそんな複雑な注文はできないからです。<br /><br />幸い、篠塚先生の配慮でショーのあるアリア・ホテルは目の前のホテルで、40度もある屋外には出ずにすみ、一階と二階とエスカレーターを使い移動できます。エルビス劇場横の切符売り場に行くと、うまく早い時間帯の当日の午後7時の切符が買えました。一枚140ドルです。以前のラスベガスと違い、値段的にはかなり高騰しています。<br /><br />余裕を見て、6時過ぎに部屋を出てみんなでエルビス劇場へ向かいます。2カ所ほどエスカレーターがありますが、探すと必ずエレベーターがあります。部屋では寝ていた熊澤さんですが、今日は飛行機での移動だけでもかなり疲れているようです。劇場に着くと、目立たないところにエレベーターがあり、客席へ誘導されます。車椅子のままどこかに置くのかと思っていたら、ややゆったりした座席が移動でき、熊澤さんを容易に車椅子から移動させ、座らせることができます。<br /><br />いよいよショーが始まります。カナダのサーカス軍団、シルク・ド・ソレイユだけあって、往年のエルビスの名曲に合わせて、巨大なギターの形状の鉄パイプで大車輪をしたり、飛び移ったり視覚的にも聴覚的にも楽しませる一大ショーです。私は気になって、ずっとちらちら熊澤さんを見ていましたが、さすがにエルビスの音楽のオンパレードに圧倒されたのか、疲れていた割にはずっと目を開いて見ていました。あっという間の1時間半でした。終わった時、妹の安藤さんは涙ぐんでいました。私もよかった、連れて来れてよかったとジーンときました。そして、熊澤さんの夢を叶えるために一緒に来た私も、改めてエルビスの偉大さに気づき、ファンになりました。まさにエルビス漬けの今回の1週間のアメリカ旅行です。<br /><br />終わった後に、劇場の入り口のビバ・エルビスの看板のところで熊澤さんの写真を撮りましたが、明らかに疲れ切って前に倒れそうでした。ギリギリの状態でのショーの鑑賞でした。でも、楽しんでもらえたはずです。熊澤さんは日に日に弱っていき、上半身の力も弱って、車椅子にまっすぐ座っているのでさえあやしい時もあります。<br /><br />部屋に帰って、熊澤さんをベッドに寝せ、いつものように三人のためにルームサービスを頼んであげます。もちろん、私は一人だけでもちゃんとした物を食べたいので、パリ・ホテルへ歩いて行き、エスカルゴ料理、豆スープ、エビ・クリーム味のリンギニを味わいます。結局ここでも選んだのはイタリア料理店でした。ここも正解です。非常においしいです。特に、最初に出たフランスパンはバターの代わりにオリーブ油だけでなく、上質のバルサミコ酢も入っていて、独特の甘さもあり、最高においしかったです。<br /><br />【最後のお風呂】<br />ラスベガス2日目、アメリカ最後の日です。今日は何も予定はありません。昨日の熊澤さんの疲れ具合を見たら、今日は明日の帰国のフライトに備えて休ませてあげた方がいいでしょう。朝、様子を見に行くと妹の安藤さんが兄は痰が増えて自分で痰が出しにくいようだと言います。2日目以来久しぶりに聴診すると肺雑音は悪化しています。起座位にしてあげた方が楽なようです。パルスオキシメーターで計ると何とか末梢血酸素飽和度は94%あります。その後、ホテル内のスターバックスに行って、コーヒーとバナナの軽食で済ませます。ホテル内のせいか、ラスベガスのせいか、5月のサンフランシスコより値段が大分ずいぶん高いです。<br /><br />お昼は私が部屋で留守番をしている間に、女性二人はホテル内のフードコートへ昼食を買いに行きました。私は昼食にまたしてもパリ・ホテルへ行きました。今度はカフェで軽く、冷スープとサーモン・サラダです。仕事だからと自重していましたが、余りに暇なので午後はタクシーで懐かしいヒルトン・ホテルへ行きました。運転手はフィリピン人で、日本語はフィリピン人には簡単だと言っていました。日本に出稼ぎに行った多くの友人から聞いたようです。いつものブラックジャックをしましたが、あっさり100ドル負けました。<br /><br />今日は何もないと書きましたが、実は夕方は大仕事が待っています。最初に聞いた時は一瞬、えっと思ったのですが、冷静に考えると可能だし非常に意味があります。熊澤さんをゆったりとお風呂に入れることです。この世の最後のお風呂になるかもしれません。覚悟を決め、私がパンツ一丁になり、お湯をたっぷり溜めた湯船に熊沢さんを浸けます。浴槽が深くないので、真横に寝かせた状態でようやく全身浴です。もちろん危ないので私がずっと支えています。次に、私が支えて起座位にします。普段気にもしていなかったのですが、どうもアメリカのシャワーは取り外しができません。向きを少し変えられるだけです。髪を洗ってすすぐ時は当然私もビショ濡れになります。こうして、風呂好きの熊澤さんに満足してもらえました。もちろん、髪の毛もドライヤーでしっかり乾かしてあげます。前回、手伝って髪を洗い乾かす時には、乾かすのが不十分だと指摘されたのを覚えていたからです。<br /><br />大仕事を終えた私は、タクシーで今度はリオ・ホテルへ向かいます。今度のタクシードライバーはブルガリア人で、奥さんはタイ人らしく、自慢の奥さんと娘さんの写真を見せてくれます。娘さんの顔は奥さんに似てオリエンタルで、肌は自分に似て白いと自慢気に言っていました。こういう他愛のない親ばか、家族愛はほほえましくて好きです。こういうコミュニケーションがあるので、たまにタクシーに乗るのも好きです。アメリカでは、タクシーの運転手の仕事も移民の外国人の多い仕事のようです。彼らの多くは私よりへたな英語を喋ります。このホテルを選んだのは、バイキング料理で有名なラスベガスのホテルの中でも特に有名だという記憶があったからです。広いホテル内のビュッフェ・レストランを探しながら歩くと、カジノの片隅でちょうどちょっとした無料ショーをやっています。このホテルには二つもビュッフェがあると知り、迷いましたがシーフード食べ放題のバイキングを選びました。42ドルもします。普通は20ドル程度です。その代わり、カニ足や私が大好きなムール貝などが食べ放題です。もちろん、今どき日本の寿司も少しだけの種類ですがあります。<br /><br />本当はバリー・マニロウのショーがパリ・ホテルで7時半からあるのをチェックしていたのですが、残念ながらお風呂に入れる大仕事で間に合いませんでした。仕事ですから仕方がありません。食後の腹ごなしにリオ・ホテルでもブラックジャックをしましたが、今日はどうも勝てません。100ドルが40ドルになったところで止めました。<br /><br />【無事に日本へ帰国】<br />29日、日曜日。いよいよ帰国の日です。朝、タクシーを呼び熊澤さんを乗せるのに苦労していると、あそこに車椅子対応タクシーがあると言われました。何のことはない、苦労しなくても後ろから車椅子ごと入れるタクシーがありました。こんな楽な方法があるとは!今日はユナイティド航空でラスベガスからロサンゼルスへ飛び、国際線の大韓航空へ乗り換えです。空港の係員を呼んで、車椅子を確保してから折りたたみ式車椅子を含め3つの荷物を預けます。もちろん、成田までです。<br /><br />熊澤さんの病状は日に日に悪化し、今朝は最悪で1時間あまりのロサンゼルスまでの機内ではずっと顔をしかめています。今日は左肩も痛がっています。そのせいか、いつもと逆の方向に傾いています。前途多難です。ロサンゼルスへ到着すると、来た時と同じで国際線ターミナルへ車椅子専用バスで移動です。<br /><br />ビジネスクラス四人分の手続きを私がいつものようにします。後ろには、車椅子はともかくぐったりした熊澤さんがいます。当然の如く、どうしたかと聞かれます。私が癌の患者さんだけど、疲れているだけだと説明すると逆効果で、それなら会社(空港?)の医者を呼ばなければいけないと言い出します。男性がやって来たので、あせって医者かと聞くと、マネージャーらしい。ここで引くと、下手したら搭乗拒否されるかもしれないと察知した私は、半分けんか腰でまくしたてました。とにかく、患者さんのために医者の私がじきじきに同乗するのだから心配ない!と。結果的には、何とか手続きをしてもらえました。<br /><br />アメリカらしく出国手続きはないに等しいのですが、機内に乗り込むための他続きが相変わらず非常に厳しいのです。私は二つの財布を出し、ベルトや靴を脱いだあげく、パソコンはカバンから出して本体だけを見せる必要があります。自分の貴重品を回収できていないのに、私は熊澤さんの通訳と世話をしなければなりません。何となく、落ち着きません。ここでも、おむつでふくらんだ熊澤さんの股間もチェックされます。前傾させて(私が手伝います)背中から腰まで丁寧に調べます。まるで、テロリストが病人のふりをして乗り込むのを警戒でもしているかの如く厳しい検査です。<br /><br />せっかく、ビジネスクラスのラウンジがあるのに、ほとんど時間がなくなりました。でも、無理をきいてもらってほんの10分間だけでもラウンジで過ごしました。朝からバタバタしていた私たちですが、私はようやくサービス品のコーラとコーヒーを飲み、サンドイッチとセロリ、人参スティックを食べ一息つきました。やれやれ。<br /><br />最後に機内用の車椅子から座席に熊澤さんを移した時は、やったーと叫びそうになりました。これで、ほとんど仕事が終わったような開放感に浸りました。実際、国内線ではあれだけ苦しそうな顔をしていたのに、国際線に乗った途端上機嫌です。やはり、ビジネスクラスでほとんど水平に横になれるせいかもしれません。余裕が出てきたので、美人の日本人CA(スチュワーデス)と一緒に写真を撮ってあげました。しかも、昨日まで少し食べ足りなかったのか、機内では食欲旺盛です。妹の安藤さんの介助で、スープや果物をおいしそうに、どんどん食べています。安藤さんがビックリするくらいです。もちろん、病院に帰ったら飲めないビールも飲ませてあげます。たぶん、これもこの世で最後でしょう。<br /><br />行きと違って、帰りは前後に2列ずつで、私もゆったりした席です。しかも、今回はラッキーなことに回りはほとんど空席です。もうトイレに連れて行くのは無理です。いざとなれば、座席でそのままおむつを交換する必要があります。でも、結局その必要はなかったようです。<br /><br />こうして国際線の中ではあまり問題も苦もなく、無事に翌朝午後3時頃には成田に到着しました。機内車椅子から空港車椅子へいよいよ最後の私の仕事で、熊澤さんを抱え込んで移動させます。到着口には出発時と同じ、記者の三人が出迎えてくれています。予約してあった介護タクシーの人が三人います。後は、彼らに任せてストレッチャーへと言いたいところですが、結局一番慣れている私が最後に車椅子からストレッチャーへの移動を手伝いました。これで、本当に私の仕事の終了です。熊澤さんらは、これから約3時間かけて川越の病院へ戻ります。<br /><br /><br />【後日談】<br />普段なら、もちろんここまでで旅行記は終了です。でも、今回は後日談があります。この後、患者の熊澤さんは帰国後ちょうど10日目に亡くなりました。9月9日のことです。私の予想よりも少し早かったです。一気に呼吸状態が悪くなり、呼吸不全で亡くなったようです。癌の末期にはこういう事もあります。<br /><br />週刊朝日の記者さんからも尋ねられましたが、旅行に行かずにあのまま病院で過ごしていれば、たぶんもう数週間は長生きできたでしょう。でも、何事も前向きに考える私はこうとらえています。念願のエルビスゆかりのメンフィスを訪れた熊澤さんは、もうこの世に何の未練もなくなり、心安らかにあの世へと旅だったのだと考えます。これぞ、私がずっとやりたかった仕事です。余命少ない終末期をいかに有効に過ごすかです。悔いのない人生です。その証拠に、熊澤さんの死に顔は安らかなものだったようです。そして、残される家族にとってもとても重要なことです。入院患者さんを診ていた頃、治療の術のなくなった末期癌の患者さんの痛みを取ることに私は細心の注意を払いました。何故か日本ではこの点が未だに完全には普及していないようですが。<br /><br />今回のような終末期旅行には、私のような医者の存在が必要だと思われます。医者としての総合的な医療知識、語学力、旅行の手配等をこなせる能力、レンタカーなどの手配や運転、非常事態における冷静な判断力、などです。私には以上の適性があると思っていますので、天職として取り組みたいと思っています。   <br /><br /><br />現在、私が気楽に撮った動画(渡された週刊朝日のビデオで)が、ウエブ版週刊朝日「談」にアップされています(2010年10月21日現在)。3分程度で、メンフィスだけですが、この文章を読んだ後であれば、かなり実感が湧くと思います。<br /><br />  http://www.youtube.com/watch?v=94uOgI6hbHc<br /><br /><br />また、このようなサービスを希望する方は、直接ご連絡<br />下さい。<br /><br />mailto: info@kanoya-travelmedica.com<br /><br /><br /><br />空飛ぶドクター(登録商標)

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週刊朝日2010年10月1日号と10月8日号に終末期旅行として、末期がん患者さんのアメリカ旅行が詳細に報告されました。以下は医者としてこの旅行に帯同した私の具体的な旅行記です。


【いよいよ出発】
あっという間の3週間でした。海外旅行に日程的に添乗できるかという日本旅行医学会専務理事の篠塚先生からの電話に、8月23日(月)以降だったら可能ですと答えてから、バタバタと決まりました。念願の末期癌患者さんをエスコートしての海外旅行です。

早朝の便を避けるため、福岡市在住の私は福岡空港から成田空港ではなく羽田空港へ飛び、最近開通したらしい京成線の成田スカイライナーで成田空港へ。そこで、依頼主の熊澤保(仮名)さん、65歳と妹、安藤雅子(仮名)さんと初対面です。つい10日前までは歩けるので車椅子は要らないかもしれないと聞いていましたが、やはり必要と言うことで、初対面時も熊澤さんは車椅子に乗っていました。ボランティアとして参加するという旧知の日本旅行医学会職員の大附さんもいます。全部で4人での道中になります。見送りに、すでに熊澤さんを取材し、今回の旅行に興味をもった週刊朝日の記者二人もいました。もう一人、医療ジャーナルの記者もいました。

前もっての情報では、熊澤さんは1年半前に見当識障害(傍腫瘍性辺縁系脳炎)から食道癌が見つかりましたが、ほとんど効果が見込めないとの判断で、積極的な癌の治療は受けていません。現在は肺とあちこちの骨に転移があり、「末期癌」の状態です。若い頃から熱烈なエルビス・プレスリーのファンで、自宅にはエルビス・ルームもあるそうです。銀行員の時に、ハワイでのエルビスのショーを見に行きたくて休暇願を出したのに、上司に拒否されずっと恨みに思っているようです。それで、今回妹さんが本人以上に夢を叶えてあげたいと強く思ったようです。最初はある大手のパック旅行で、エルビスゆかりのツアーとして、メンフィスとラスベガスを回るのを見つけ申し込んだそうです。でも、病人とわかると体よく断られたそうです。それだけならまだしも、露骨に迷惑そうな顔をされたと妹さんは怒っていました。

飛行機は重病人がいるので、さすがにビジネスクラスです。早めに出国手続きをして、ラウンジでゆっくりしました。熊澤さんは歩けないまでも立てるので、少し手伝うだけで機内の席に誘導できました。大韓航空のビジネスクラスですが、私の席、中央の3人席の真ん中、はほんの少し窮屈でしたが、普段のエコノミークラスに比べれば雲泥の差です。自慢にもなりませんが、何回も国際線に乗っている割には、ビジネスクラスは数回くらいしか経験がありません。

熊澤さんは合併した慢性呼吸器感染症で痰がたくさん出ますが、まだ自力で痰を出せるようで、ティッシュをたくさん準備している妹さんが介護してくれます。私は着いたらすぐに車の運転もあるので、時差ぼけ予防のためにもなるべく寝ていました。介護は妹さんと大附さんの女性陣二人に任せました。泌尿器科専門の私はやや批判的ですが、妹さんは病院で習った通りに、パンツタイプの紙おむつの下に縦長におむつをし、更に内側の陰茎に巻き付けるようにもう1枚おむつをあてています。つまり、3段重ねなのでズボンの上からでも、もっこり膨らんでいます。機内では、トイレに連れて行って介助していました。

14時55分に成田を出発した飛行機は予定よりやや早く現地時間09時頃ロサンゼルス国際空港に到着しました。ターミナルの係員が空港用車椅子ごと飛行機出口で待ってくれています。5月にサンフランシスコ入国時に2時間近くかかったばかりの私は税関審査を心配していましたが、むしろ車いす専用のレーンがあり、あっという間に終わり拍子抜けしました。通訳を兼ねて私が車椅子専用レーンを一緒に通過しました。普通の列に並んだ女性陣二人も余り時間がかからず合流できました。次は、国内線のデルタ航空、メンフィス行きへ乗り継ぎです。ターミナルを移動しなければなりませんが、大きな車椅子マーク付きのバスがやって来ました。後方右側が空き、リフトで車椅子ごと車内に熊澤さんを誘導してくれます。私は車椅子の人に付き添うのは初めてですが、ちゃんとインフラが整備されているのには感心します。

国内線ターミナルへ着き、男性用の障害者用トイレで妹さんが世話をしていました。待っている間に、ずっと世話してくれている係員と話をしました。顔を見て、ここはロスだしメキシコ系かと訪ねると、エルサルバドールだと答えます。でも、彼はアメリカ生まれで、英語とスペイン語のバイリンガルのようです。時間がかかるので、彼が中の様子を窺いに行ってくれました。大声で呼ばれるので、慌てて駆けつけると熊澤さんが倒れかけていて、安藤さんがもてあましていましたが、アメリカ人の男性が手伝ってくれていました。幸い、たいしたケガはなさそうでした。でも、油断禁物!

国内線は普通席で、しかも後方の座席でした。結局、aisle wheelchair(通路車椅子) と呼ばれる機内専用の幅が狭い車椅子に乗せ換えて座席まで行きました。もちろん、降りる時はその逆で、一般乗客が降りるのを待って最後です。一つ一つに手間と時間がかかります。12時頃ロスを出発しましたが、2時間の時差もありメンフィスへ着いたのは午後6時前でした。ようやく、日本で預けた手荷物を受け取り、折りたたみ式の車椅子を出し、広げます。予約しているバジェット・レンタカーの迎えのバンに何とか熊澤さんを乗せます。右肩を痛がるので、左の脇に手を入れ支えます。自分で動く決心をするのに時間がかかり、一苦労して何とか乗せました。

空港すぐ近くのバジェットの事務所へ着くとトラブル発生!いつものように日本で予約してあるのに、希望した luxury car(リンカーン等の高級大型車)がないといいます。仕方がないので、値段的に同等の mini-van で我慢させられました。でも、かろうじてしか立てない熊澤さんを車に乗せるのには往生しました。車は3列シートでゆったりはしていますが、座席が高いので乗せるのが大変です。痛みもあり、なかなか自分で動こうとしてくれません。それでも、時間はかかったものの何とか無事に中部座席左側に乗せました。運転手は私です。アメリカの運転には慣れているので何の問題もありません。むしろ、これは嬉しい誤算で、日本で予約した時はメンフィス空港店にはないと言われていた GPS つまりカーナビがありました(もちろん有料ですが)。高速を降りてすぐのホテルにはすんなり到着しました。

前もって調べていたように、I-240を通過します。最初の2は都心だけのもので、結局I-40に繋がる高速道路です。つまり、私が以前住んでいたニューメキシコ州のアルバカーキまで繋がっているのです。私には、いつも乗っていたI-40なので、懐かしさが一杯です。

部屋に落ち着いた頃には夜の10時を過ぎ、ルームサービスも終了していました。仕方がないので、部屋の小冊子に宣伝してある出前オーケーのサブ・サンドイッチ(長いパンの中に具が入ったサンド)を注文し、軽食で済ませました。こうして、何とか長い、長い初日が無事に終わりました。

【時差ぼけの一日】
翌朝(8月24日)はゆっくり8時頃起き、大附さんと二人でホテルでの朝食を取りました。でも、私以外の3人は完全に時差ぼけでほとんどの時間部屋で寝ています(大附さんも寝直しています)。レンタカーを普通車に変えたかったので、バジェット・レンタカーへ電話すると午後2時に一人返却の予定があるということです。午後にかけて、私は一人で下見を兼ねてダウンタウンをドライブしました。ホテルからはすぐ近くで、壮大なミシシッピ川があり、川岸は公園になっているようです。そして、川を見下ろす絶好の高台には見るからに高級な家が並んでいます。アーカンソー州へ渡る橋の近くにはピラミッド型のユニークな建物もあります。

ティッシュなどの買い物を頼まれ、ホテルで近くにスーパーがあるかと聞くと Kroger(クローガー) が近くにあるとフロントの黒人女性が言います。アメリカには詳しいつもりの私ですが、テネシー州が南部という認識はあまりありませんでした。でも、確かにホテルのフロントの従業員も全員黒人です。Kroger は私が一時期住んでいたシンシナティに本社のある懐かしいスーパーです。到着すると、おせっかいなカーナビが「クロージャー」に到着したと喋ります。あれっと思いました。時々間違えて発音します。シンシナティでも、ここメンフィスでもみんなドイツ語式に「クローガー」と発音するのに、カーナビはいわゆる英語式に「クロージャー」と誤って発音していました。でも、頼まれた缶ビールも 350 ml どころか 980 ml 入りの巨大な物しかスーパーにはありません。後で思い出したのですが、コンビニ単独店は少ないのですが、ガソリンスタンドに併設されたお店が、ちょうど日本のコンビニに当たります。ここでは、小さいサイズの物がたくさん買えます。アメリカのスーパーには大ぶりの物しかありません。日本にも進出しているコストコと同じです。

3時頃、期待してバジェット・レンタカーへ再度電話しましたが、結局返却予定の客が現れず(予定を変更して長く借りる人も多いそうです)、いつ大型の普通車がリターンされるかわからないようです。小型車なら普通車があるそうですが、それなら今の mini-van の方がましかと判断しました。

夕食くらいはまともに食べようと私が提案しました。ホテルの案内にあったレストランで、嗅覚の利く私が自信を持っておいしそうだと判断したイタリア料理店かつステーキ店です。Cappricio とありそうな名前です。私は久しぶりに、と言っても5月にサンフランシスコで食べたばかりですが、大きなステーキを注文します。女性陣は小食で二人で一つのステーキを注文します。肝心の熊澤さんには、ロブスター入りのスープを。他に、みんなで分けるためにピザとカプレーゼ・サラダ(トマトとモッツァレラチーズ)とミネストローネ(スープ)を頼みました。私の直感、予想通りかなりおいしい料理の店でした。医者の私の判断で、熊澤さんにも久しぶりのビールを少し飲ませてあげました。何とも言えない、嬉しそうな顔をしていました。 

残念ながら、嗟声ではないのですが熊澤さんは声に力がなく、ほとんど聞き取れないような小さな声でしか喋れません。でも、嬉しい誤算は「刻み食」しかダメだと聞いていたのに、ゆっくり食べさせれば意外と液体も大丈夫なようでした。何とかむせずに飲み込めるようです。要するに、食べ物に関しては心配していたほどの問題はないようです。念のための、口からではなく直接胃に流動食を流し込む胃瘻の管(ボタン型)も腹から出ていますが、使わずにすみそうです。注入用の50ml注射器も持参しています。確認する必要もなくなりましたが、篠塚先生の話ではアメリカではスーパーで医療用の流動食も売っているそうです。ただ、しょっちゅう痰は出しています。

満足のいく美味な夕食後、ダウンタウンなので近くを歩いて散策します。アメリカに詳しくない人ほど怖がりますが、意外と安全です。盛り場には馬に乗った警察も出ていますから。まず、室内のホテルのアーケイドでジャズピアノを弾いている黒人がいます。我々日本人に気づくと、「スキヤキソング(上を向いて歩こう)」を弾いてくれます。それから外に出て、近くの歩行者天国、ビール通りを歩きます。ロックンロールやジャズの店があり、音楽が通りに溢れいい雰囲気です。これがエルビスの愛したメンフィスのダウンタウンです。今日はコツをつかんで車椅子への移動も大分スムーズになり、レンタカーの変更は止めることにしました。いつの間にか、熊澤さんは立つこともできなくなっています。ですから、私が左脇腹に抱え込むようにして抱きつき、ぐらぐらした両足を女性陣が支えます。気をつけないと、引っかけて容易に骨折するからです。でも、時間的には却って車椅子への移動は早くなりました。

【いよいよグレースランドへ】
昨日は私以外のみんなは時差ぼけでたっぷり寝ているので、3日目の今日は朝から張り切って目的のグレースランドへ行きます。と言っても、朝10時の出発ですからそんなに早いわけではありません。カーナビがあるので Graceland へも難なく行けます。大きな駐車場へ着き、折りたたみ式車椅子を出して熊澤さんを乗せます。中へ入ると、心配しなくても車椅子用のリフト付きバスがあります。空港と同じです。それに乗って、いきなりエルビスの住んでいた mansion(大邸宅)に行きます。白い建物です。さすがにインフラの進んだアメリカです。車椅子でも問題なく中を見学できます。素晴らしい!もちろん、あちこちで往年のエルビスの名曲が流れています。おかげで、熊澤さんも心なしかスイングしています。ほんのちょっとですが。

あの派手な衣装をたくさん飾った部屋もあります。ミリオンセラーのレコードをたくさん並べた部屋もあります。有名なピンクのキャデラックなどの愛車を展示した部屋もあり、中では懐かしい映画を上映しています。ちょうど日本の若大将、加山雄三のようです。美女とのはじけるような場面が続きます。若い頃のエルビスはハンサムです。いや、イケメンです。男の私が見ても、口元には色気を感じます。多くの女性を失神させただけのことはあります。普通に生活していた居間にはピアノと当時としては大きなテレビもあります。最後に、噴水の近くにエルビスの眠るお墓があります。日本と違って墓石が立ってなく、水平に埋め込んだ形なので遠くからは目立ちません。隣におばあさんと両親のお墓が並んでいます。世界中のファンから花や供え物が絶え間なく持ち込まれているようです。もちろん、日本人からのもあります。

今年は生誕75周年のお祝いのようです。生まれたのは、ここテネシー州ではなく、車で数時間南に離れたミシシッピ州の Tupelo のようです。最後に、外からも見えた自家用ジェット機、Lisa Marie 号です。愛娘の名前を付けています。タラップのあるここだけは車椅子では行けません。熊澤さんには悪いけど、代わりに中を見てきました。自家用機だけあって、内装も自由でサロン風で、くつろいだ雰囲気が伝わってきます。音楽ツアーの移動に使ったようです。隣にはもう一機、小型の自家用ジェット機があります。

帰りもカーナビを使ったのですが、途中で少し道を間違いました。でも、おかげで通ったことのないアーカンソー州に入り、西側からメンフィスへ戻ったので、昨日散策していた辺りのミシシッピ川へ戻りました。川をはさんでアメリカの都市らしい建物群のスカイラインが遠くから見れました。でも、残念ながら私以外は全員寝ていました。アメリカに詳しい私は、40州以上は踏破していますが、このアーカンソー州は通過するのも初めてです。

【市内見物】
今日は4日目、木曜日。いよいよメンフィス最後の日です。お昼は南部料理で有名と書いてある Alcenia’s と言う食堂へ行こうと私が提案しました。テネシー州が南部とはあまり認識してなかった私ですが、この店も黒人経営で従業員も全員黒人でした。人の良さそうなおばあちゃんもいます。地球の歩き方に写真の載っていたおばちゃんが私に本を持っているかと聞きます。持っていると答えると、回りの常連らしいお客さんたちに自慢げに本を見せていました。料理はフライばっかりで日本人にはたいしたことはないのですが、珍しい catfish(なまず)のフライを熊澤さんや安藤さんに見せたかったのです。典型的なアメリカの大衆食堂でもあります。

食堂はシンプルな作りで、中には昔懐かしいジュークボックスがあり、一曲25セントでちゃんと曲がかかります。マドンナの曲をかけました。白人の若い夫婦がやって来て、赤ちゃんを抱いています。どこの国も赤ちゃんは可愛いもので、特に日本人には見慣れない白人の赤ちゃんは特別なので、熊澤さんと一緒に写真を撮らせてもらいました。熊澤さんも自然に優しい顔になっていました。

熊澤さんの体調が良ければ、ミシシッピ川のクルージングの船にとも考えて調べていましたが、無理そうです。予定変更です。車の中にいる熊澤さんに見えるように工夫して、市内にあるエルビスの銅像を見学し、無名時代のエルビスが最初にレコーディングをしたサン・スタジオにも行きました。

それから、あまり遠くないので再びグレースランドへ行くことにしました。一つには、女性陣がもう少しお土産の買い物をしたいのと、もう一つには昨日うっかりして駐車場の反対側ということに気が付かなかった歌で有名なハートブレーク・ホテルへ行くためです。ここでも、熊澤さんは車に乗ったままですが、ホテルのフロントからエルビスの曲が流れてくるので、心なしかにこやかな顔をしています。

帰りは、カーナビをうまく設定して、昨日と違い今日は意図的に西メンフィスからメンフィスへ戻り、昨日見そびれた他の三人にメンフィスのスカイラインを見せました。ホテルへ戻り、夕食はサンドイッチの出前になりました。三人分を注文してあげた私は、ちゃんとした食事をしたいので、Spindini と言うイタリア料理店へ一人で行くことにしました。ダウンタウンの外れにあり、高級店らしく valet parking、つまり係員付き駐車サービスです。ムール貝とチキン・パルメザンとロブスターのスープを楽しみました。アメリカもちゃんとしたイタリア料理店はイタリアの移民もいるので、結構おいしいのです。我ながらアメリカでもちゃんとおいしい物にいつもありつけるのです。訛りのあるウエイターがいるので、イタリア人かと思って聞くと、セルビア人でした。いずれにせよ、アメリカは移民の国です。帰りは駐車場係員が車を出してくれ、チップを渡して帰途につきます。何となくリッチな気分です。

【ラスベガスの「ビバ!エルビス」鑑賞】
27日金曜日、今日はいよいよメンフィスからラスベガスへの移動日です。時間に余裕を見て、朝6時に熊澤さんと安藤さんの部屋へ行きます。ところが、こんな日に限って下痢しておむつからシーツまで、ベッドが糞まみれです。それなりにシーツをはずしてお湯で濡らしたバスタオルで拭きました。そのうちやって来た大附さんがホテルのフロントに連絡しようかと言いますが、余計なことをすると時間がかかるので私が止めさせました。考えてみると、シーツを変えるのがメードの仕事なので、安藤さんに多めにチップを10ドル置いてもらいました。こんなもんでいいでしょう。朝からハプニングです。

メンフィス空港のデルタ航空の出発口に三人を降ろしてから、私が一人でレンタカーを戻し、精算を終え、送迎バスで空港へ戻ります。それから、空港の係員を呼んで車椅子の手配をし、持参の折りたたみ式車椅子を手荷物にし、合計4個の荷物を預けようとすると120ドルも必要と言われます。でも、色々やりとりしているうちに乗客が全部で四人とわかり、車椅子は特別扱いとなり25ドルが2つの50ドルですみました。いずれにせよ、手荷物を預けるのに追加料金を取られました。これでわかるように、車の手配、運転、通訳を兼ねて空港での手配、全て私の仕事です。

今回の車椅子の係は若い白人の男性です。やたらせかされます。搭乗口へ急ごうとすると、搭乗券のチェックで大附さんのパスポート名がOtsuki なのに搭乗券の名前が Ootuki と一致していないとクレームが付きます。やばい!私は出発の時から気になっていました。こういう事を防ぐために、旅行会社では必ずパスポートの最初のページのコピーを提出させます。飛行機に乗れるのだろうかとやきもきしましたが、何とか大附さんも無事一緒に乗れました。

搭乗のための検査もかなり厳しいです。車椅子の熊澤さんも、紙おむつでもっこりした陰部を外から触られ、自分ではさっと前傾できないのに背中から腰の下まで触られます。常に私が通訳を兼ね付き添っています。もちろん、靴も脱がされます。こういうハプニング続きもあり、かなり余裕を見ていたつもりなのにギリギリで搭乗しました。機内では、専用の車椅子に乗り換え座席まで行きます。

せかされただけあって、3時間のフライトでラスベガスには予定より30分も早く着きました。2時間の時差もあり、午前中には着きました。他の乗客が全て降りてから、専用車椅子で降りる訳ですが、この飛行機の前列には三人ほど超肥満の黒人女性がやはり車椅子が必要らしく、同様に待っていました。きっと彼女らは超肥満が原因で、股関節に負担がかかり過ぎて歩けないのだろうと医者として勝手な想像をしていた私です。ラスベガスでの車椅子の係員は引退してからシカゴから引っ越してきたという初老白人男性でした。中々の紳士でした。四人一緒に乗れるようにバン型のタクシーを拾ってくれます。

何度もラスベガスへ来ている私ですから、ここではむしろレンタカーは不要で、タクシーの方が便利なことをよく知っています。今回我々の泊まるモンテカルロ・ホテルがニューヨーク・ニューヨーク・ホテルやパリ・ホテルに近い、また空港に近い南よりのホテルということもわかっていました。もちろん、ラスベガス大通りである“ストリップ“に面しています。いつものように、三人はルームサービスでいいと言います。私は注文をしてあげ、いつものように自分ではちゃんとレストランへ出かけます。結局、自分のホテルに付随している久々のメキシコ料理店へ行きました。ウエートレスがセクシーなレストランでした。

昼食を終え、安藤さんと下見を兼ねて目的のシルク・ド・ソレイユ「ビバ!エルビス」のチケットを買いに行きます。日本からインターネットで前もって買うように言われていたのですが、どうも座席と値段の関係が不明で納得できないので止めました。私の経験では、毎日2回もあるショーなので、売り切れはまずないからです。これも正解でした。よく考えると、熊澤さんの分は車椅子の席が必要で、インターネットではそんな複雑な注文はできないからです。

幸い、篠塚先生の配慮でショーのあるアリア・ホテルは目の前のホテルで、40度もある屋外には出ずにすみ、一階と二階とエスカレーターを使い移動できます。エルビス劇場横の切符売り場に行くと、うまく早い時間帯の当日の午後7時の切符が買えました。一枚140ドルです。以前のラスベガスと違い、値段的にはかなり高騰しています。

余裕を見て、6時過ぎに部屋を出てみんなでエルビス劇場へ向かいます。2カ所ほどエスカレーターがありますが、探すと必ずエレベーターがあります。部屋では寝ていた熊澤さんですが、今日は飛行機での移動だけでもかなり疲れているようです。劇場に着くと、目立たないところにエレベーターがあり、客席へ誘導されます。車椅子のままどこかに置くのかと思っていたら、ややゆったりした座席が移動でき、熊澤さんを容易に車椅子から移動させ、座らせることができます。

いよいよショーが始まります。カナダのサーカス軍団、シルク・ド・ソレイユだけあって、往年のエルビスの名曲に合わせて、巨大なギターの形状の鉄パイプで大車輪をしたり、飛び移ったり視覚的にも聴覚的にも楽しませる一大ショーです。私は気になって、ずっとちらちら熊澤さんを見ていましたが、さすがにエルビスの音楽のオンパレードに圧倒されたのか、疲れていた割にはずっと目を開いて見ていました。あっという間の1時間半でした。終わった時、妹の安藤さんは涙ぐんでいました。私もよかった、連れて来れてよかったとジーンときました。そして、熊澤さんの夢を叶えるために一緒に来た私も、改めてエルビスの偉大さに気づき、ファンになりました。まさにエルビス漬けの今回の1週間のアメリカ旅行です。

終わった後に、劇場の入り口のビバ・エルビスの看板のところで熊澤さんの写真を撮りましたが、明らかに疲れ切って前に倒れそうでした。ギリギリの状態でのショーの鑑賞でした。でも、楽しんでもらえたはずです。熊澤さんは日に日に弱っていき、上半身の力も弱って、車椅子にまっすぐ座っているのでさえあやしい時もあります。

部屋に帰って、熊澤さんをベッドに寝せ、いつものように三人のためにルームサービスを頼んであげます。もちろん、私は一人だけでもちゃんとした物を食べたいので、パリ・ホテルへ歩いて行き、エスカルゴ料理、豆スープ、エビ・クリーム味のリンギニを味わいます。結局ここでも選んだのはイタリア料理店でした。ここも正解です。非常においしいです。特に、最初に出たフランスパンはバターの代わりにオリーブ油だけでなく、上質のバルサミコ酢も入っていて、独特の甘さもあり、最高においしかったです。

【最後のお風呂】
ラスベガス2日目、アメリカ最後の日です。今日は何も予定はありません。昨日の熊澤さんの疲れ具合を見たら、今日は明日の帰国のフライトに備えて休ませてあげた方がいいでしょう。朝、様子を見に行くと妹の安藤さんが兄は痰が増えて自分で痰が出しにくいようだと言います。2日目以来久しぶりに聴診すると肺雑音は悪化しています。起座位にしてあげた方が楽なようです。パルスオキシメーターで計ると何とか末梢血酸素飽和度は94%あります。その後、ホテル内のスターバックスに行って、コーヒーとバナナの軽食で済ませます。ホテル内のせいか、ラスベガスのせいか、5月のサンフランシスコより値段が大分ずいぶん高いです。

お昼は私が部屋で留守番をしている間に、女性二人はホテル内のフードコートへ昼食を買いに行きました。私は昼食にまたしてもパリ・ホテルへ行きました。今度はカフェで軽く、冷スープとサーモン・サラダです。仕事だからと自重していましたが、余りに暇なので午後はタクシーで懐かしいヒルトン・ホテルへ行きました。運転手はフィリピン人で、日本語はフィリピン人には簡単だと言っていました。日本に出稼ぎに行った多くの友人から聞いたようです。いつものブラックジャックをしましたが、あっさり100ドル負けました。

今日は何もないと書きましたが、実は夕方は大仕事が待っています。最初に聞いた時は一瞬、えっと思ったのですが、冷静に考えると可能だし非常に意味があります。熊澤さんをゆったりとお風呂に入れることです。この世の最後のお風呂になるかもしれません。覚悟を決め、私がパンツ一丁になり、お湯をたっぷり溜めた湯船に熊沢さんを浸けます。浴槽が深くないので、真横に寝かせた状態でようやく全身浴です。もちろん危ないので私がずっと支えています。次に、私が支えて起座位にします。普段気にもしていなかったのですが、どうもアメリカのシャワーは取り外しができません。向きを少し変えられるだけです。髪を洗ってすすぐ時は当然私もビショ濡れになります。こうして、風呂好きの熊澤さんに満足してもらえました。もちろん、髪の毛もドライヤーでしっかり乾かしてあげます。前回、手伝って髪を洗い乾かす時には、乾かすのが不十分だと指摘されたのを覚えていたからです。

大仕事を終えた私は、タクシーで今度はリオ・ホテルへ向かいます。今度のタクシードライバーはブルガリア人で、奥さんはタイ人らしく、自慢の奥さんと娘さんの写真を見せてくれます。娘さんの顔は奥さんに似てオリエンタルで、肌は自分に似て白いと自慢気に言っていました。こういう他愛のない親ばか、家族愛はほほえましくて好きです。こういうコミュニケーションがあるので、たまにタクシーに乗るのも好きです。アメリカでは、タクシーの運転手の仕事も移民の外国人の多い仕事のようです。彼らの多くは私よりへたな英語を喋ります。このホテルを選んだのは、バイキング料理で有名なラスベガスのホテルの中でも特に有名だという記憶があったからです。広いホテル内のビュッフェ・レストランを探しながら歩くと、カジノの片隅でちょうどちょっとした無料ショーをやっています。このホテルには二つもビュッフェがあると知り、迷いましたがシーフード食べ放題のバイキングを選びました。42ドルもします。普通は20ドル程度です。その代わり、カニ足や私が大好きなムール貝などが食べ放題です。もちろん、今どき日本の寿司も少しだけの種類ですがあります。

本当はバリー・マニロウのショーがパリ・ホテルで7時半からあるのをチェックしていたのですが、残念ながらお風呂に入れる大仕事で間に合いませんでした。仕事ですから仕方がありません。食後の腹ごなしにリオ・ホテルでもブラックジャックをしましたが、今日はどうも勝てません。100ドルが40ドルになったところで止めました。

【無事に日本へ帰国】
29日、日曜日。いよいよ帰国の日です。朝、タクシーを呼び熊澤さんを乗せるのに苦労していると、あそこに車椅子対応タクシーがあると言われました。何のことはない、苦労しなくても後ろから車椅子ごと入れるタクシーがありました。こんな楽な方法があるとは!今日はユナイティド航空でラスベガスからロサンゼルスへ飛び、国際線の大韓航空へ乗り換えです。空港の係員を呼んで、車椅子を確保してから折りたたみ式車椅子を含め3つの荷物を預けます。もちろん、成田までです。

熊澤さんの病状は日に日に悪化し、今朝は最悪で1時間あまりのロサンゼルスまでの機内ではずっと顔をしかめています。今日は左肩も痛がっています。そのせいか、いつもと逆の方向に傾いています。前途多難です。ロサンゼルスへ到着すると、来た時と同じで国際線ターミナルへ車椅子専用バスで移動です。

ビジネスクラス四人分の手続きを私がいつものようにします。後ろには、車椅子はともかくぐったりした熊澤さんがいます。当然の如く、どうしたかと聞かれます。私が癌の患者さんだけど、疲れているだけだと説明すると逆効果で、それなら会社(空港?)の医者を呼ばなければいけないと言い出します。男性がやって来たので、あせって医者かと聞くと、マネージャーらしい。ここで引くと、下手したら搭乗拒否されるかもしれないと察知した私は、半分けんか腰でまくしたてました。とにかく、患者さんのために医者の私がじきじきに同乗するのだから心配ない!と。結果的には、何とか手続きをしてもらえました。

アメリカらしく出国手続きはないに等しいのですが、機内に乗り込むための他続きが相変わらず非常に厳しいのです。私は二つの財布を出し、ベルトや靴を脱いだあげく、パソコンはカバンから出して本体だけを見せる必要があります。自分の貴重品を回収できていないのに、私は熊澤さんの通訳と世話をしなければなりません。何となく、落ち着きません。ここでも、おむつでふくらんだ熊澤さんの股間もチェックされます。前傾させて(私が手伝います)背中から腰まで丁寧に調べます。まるで、テロリストが病人のふりをして乗り込むのを警戒でもしているかの如く厳しい検査です。

せっかく、ビジネスクラスのラウンジがあるのに、ほとんど時間がなくなりました。でも、無理をきいてもらってほんの10分間だけでもラウンジで過ごしました。朝からバタバタしていた私たちですが、私はようやくサービス品のコーラとコーヒーを飲み、サンドイッチとセロリ、人参スティックを食べ一息つきました。やれやれ。

最後に機内用の車椅子から座席に熊澤さんを移した時は、やったーと叫びそうになりました。これで、ほとんど仕事が終わったような開放感に浸りました。実際、国内線ではあれだけ苦しそうな顔をしていたのに、国際線に乗った途端上機嫌です。やはり、ビジネスクラスでほとんど水平に横になれるせいかもしれません。余裕が出てきたので、美人の日本人CA(スチュワーデス)と一緒に写真を撮ってあげました。しかも、昨日まで少し食べ足りなかったのか、機内では食欲旺盛です。妹の安藤さんの介助で、スープや果物をおいしそうに、どんどん食べています。安藤さんがビックリするくらいです。もちろん、病院に帰ったら飲めないビールも飲ませてあげます。たぶん、これもこの世で最後でしょう。

行きと違って、帰りは前後に2列ずつで、私もゆったりした席です。しかも、今回はラッキーなことに回りはほとんど空席です。もうトイレに連れて行くのは無理です。いざとなれば、座席でそのままおむつを交換する必要があります。でも、結局その必要はなかったようです。

こうして国際線の中ではあまり問題も苦もなく、無事に翌朝午後3時頃には成田に到着しました。機内車椅子から空港車椅子へいよいよ最後の私の仕事で、熊澤さんを抱え込んで移動させます。到着口には出発時と同じ、記者の三人が出迎えてくれています。予約してあった介護タクシーの人が三人います。後は、彼らに任せてストレッチャーへと言いたいところですが、結局一番慣れている私が最後に車椅子からストレッチャーへの移動を手伝いました。これで、本当に私の仕事の終了です。熊澤さんらは、これから約3時間かけて川越の病院へ戻ります。


【後日談】
普段なら、もちろんここまでで旅行記は終了です。でも、今回は後日談があります。この後、患者の熊澤さんは帰国後ちょうど10日目に亡くなりました。9月9日のことです。私の予想よりも少し早かったです。一気に呼吸状態が悪くなり、呼吸不全で亡くなったようです。癌の末期にはこういう事もあります。

週刊朝日の記者さんからも尋ねられましたが、旅行に行かずにあのまま病院で過ごしていれば、たぶんもう数週間は長生きできたでしょう。でも、何事も前向きに考える私はこうとらえています。念願のエルビスゆかりのメンフィスを訪れた熊澤さんは、もうこの世に何の未練もなくなり、心安らかにあの世へと旅だったのだと考えます。これぞ、私がずっとやりたかった仕事です。余命少ない終末期をいかに有効に過ごすかです。悔いのない人生です。その証拠に、熊澤さんの死に顔は安らかなものだったようです。そして、残される家族にとってもとても重要なことです。入院患者さんを診ていた頃、治療の術のなくなった末期癌の患者さんの痛みを取ることに私は細心の注意を払いました。何故か日本ではこの点が未だに完全には普及していないようですが。

今回のような終末期旅行には、私のような医者の存在が必要だと思われます。医者としての総合的な医療知識、語学力、旅行の手配等をこなせる能力、レンタカーなどの手配や運転、非常事態における冷静な判断力、などです。私には以上の適性があると思っていますので、天職として取り組みたいと思っています。   


現在、私が気楽に撮った動画(渡された週刊朝日のビデオで)が、ウエブ版週刊朝日「談」にアップされています(2010年10月21日現在)。3分程度で、メンフィスだけですが、この文章を読んだ後であれば、かなり実感が湧くと思います。

  http://www.youtube.com/watch?v=94uOgI6hbHc


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下さい。

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  • 成田空港出発前

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  • ロサンジェルス空港 移動車椅子バス

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  • メンフィス空港到着<br />早速、エルビスの写真の前で

    メンフィス空港到着
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  • 最後の晩餐<br />最後のビール

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    夜のメンフィス、ダウンタウン
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    いよいよグレースランドへ
    エルビス・プレスリーの大邸宅

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    バリアフリーの先進国、アメリカ
    観光地でも車椅子対応移動バス

  • エルビスの衣装の前で

    エルビスの衣装の前で

  • エルビスのお墓の前で

    エルビスのお墓の前で

  • エルビスの大邸宅の玄関

    エルビスの大邸宅の玄関

  • エルビスの自家用ジェット機の前で

    エルビスの自家用ジェット機の前で

  • メンフィスの典型的な大衆食堂で

    メンフィスの典型的な大衆食堂で

  • 白人の赤ちゃんと

    白人の赤ちゃんと

  • メンフィス市内、エルビスの銅像

    メンフィス市内、エルビスの銅像

  • いよいよラスベガスへ移動<br />目の前がエルビスのショーのあるホテル

    いよいよラスベガスへ移動
    目の前がエルビスのショーのあるホテル

  • 色っぽいメキシコ料理店

    色っぽいメキシコ料理店

  • エルビス劇場近くの銅像

    エルビス劇場近くの銅像

  • 同じく銅像前で

    同じく銅像前で

  • エルビス劇場前<br />ショーの後で疲れている

    エルビス劇場前
    ショーの後で疲れている

  • エルビス劇場内

    エルビス劇場内

  • ラスベガスの街並み

    ラスベガスの街並み

  • ラスベガスの街では、今だにエルビスのそっくりさんが観光客と

    ラスベガスの街では、今だにエルビスのそっくりさんが観光客と

  • 大韓航空ビジネスクラス<br />日本人スチュワーデスと笑顔で

    大韓航空ビジネスクラス
    日本人スチュワーデスと笑顔で

  • 成田へ無事帰国<br />ストレッチャーに乗り、予約してあった介護タクシーで川越の病院へ直行!

    成田へ無事帰国
    ストレッチャーに乗り、予約してあった介護タクシーで川越の病院へ直行!

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