2010/08/23 - 2010/09/01
10901位(同エリア16384件中)
etretatさん
- etretatさんTOP
- 旅行記127冊
- クチコミ7件
- Q&A回答1件
- 174,389アクセス
- フォロワー1人
2008年6月、国立西洋美術館で始まった「コロー 光と追憶の変奏曲」展
では、世界40か所以上から90数点のコローが集まった。
メインを占めたのはルーヴル美術館からの33点だった。
カミーユ・コロー(1796−1875)が1858−68年に制作した
「真珠の女」。制作過程の多くは謎とされている。
後からの修正で胸元のブラウスは少しあけられた。
唯一の装飾品は髪の上の葉冠、これが間違って真珠とみなされた。
ただ「モナリザ」と同じポーズ、しかもほぼ同じ大きさだ。
前者が「77X53」、コローの方は「70X55」だ。
コローはこの絵に強い愛着を持っていて、決して売らなかったが、
晩年にはいく度か、知り合いの芸術家たちやこれを模写
させたがった画商たちに貸し与えた。
今まで膨大な展示数ゆえにルーヴルには近づかなかったが、今回はコローを見る、そしてブラックの天井画も見たかったのでルーヴルを最優先とした。
コロー展示室があるシュリー翼から逆光のピラミッドを見る。凱旋門が
中央右に見えている。
コロー作品は5,60点はあっただろうか。
東京で見たヴェネツイァ2点、エトルタ1点はルーヴルでは発見できなかった。
ルーヴルにコローだけ見に来ても満足はできるだろう。
- 旅行の満足度
- 4.5
PR
-
主催側が「コローのモナリザ」日本初公開と宣伝していた「真珠の女」はさりげなくおさまっていた
-
「モナリザ」と同じポーズ、しかもほぼ同じ大きさだ
-
この3枚は揃って「コロー 光と追憶の変奏曲」展に来ていた。
左の「青い服の婦人」(1874年)は1900年のパリ万博で初公開された。
コローの絶頂であり、最も重要な傑作だと認められた。死の1年前の作。
中央は「モルトフォンテーヌの思い出」(1864年)。この年のサロンに出品され、画家自身がある種の宣言ととらえていたこの作品を、ナポレオン3世が個人で購入しフォンテンブロー宮に飾っていた。第二帝政が崩壊すると、国家のコレクションに入り、それ以降ルーヴルの展示室絵を出ることはなかった。
右は「甲冑の男、あるいは騎士」(1868年)。この絵のインスピレーションは、コローが敬愛したジョルジョーネ(1477−1510?)の作品からといわれている。 -
この2点も国立西洋美術館の同展に来ていた。
なぜかルーヴルでの展示状況が悪く、窓からの明かりを受けて綺麗に
撮れず。もちろん絵もよく見えなかった。
左は「エデ」(1870−1年)。この作品はバイロンからインスピレーションを得ているように思われる。彼女はドン・ジュアンを乗せた船を長いこと見つめ続ける間に、もはや役に立たなくなったマンドリンを打ち捨て、憂鬱な様子をしている。
右は「本を読むシャルトル会修道士、あるいは座って本を読む白い修道士」
(1850−60年)。
-
-
-
-
コロー展示室があるシュリー翼から逆光のピラミッドを見る。凱旋門が中央右に見えている
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
etretatさんの関連旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
8