2010/08/22 - 2010/08/23
1483位(同エリア3697件中)
こゆきんさん
帰省を利用して、ずっと行きたいと思っていた、長崎の軍艦島に上陸して来ました。廃墟好きには、聖地と称されているこの地。
かつて、最先端の生活が、こんな小さな島で営まれていた事は、奇跡とも言えるのではとすら感じてしまいます。
炎天下の下、暑かったけど、この島の暮らしに、思いを馳せる事ができ、楽しい上陸クルーズでした。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 船
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
PR
-
長崎の二日目。
お昼は、茶碗蒸しが有名な老舗の「吉宗」で。
この日の日替わり定食は、豚の角煮(1050円)
茶碗蒸しは、プルルンと柔らかくって、とても美味しかった! -
「吉宗」の店頭。
老舗感が、溢れてますね〜。 -
軍艦島上陸ツアーは、2つあったんですが、
私は「やまさ海運さん」を選びました。
中止でも料金がかからない事と、島の裏側も廻ってくれるのが決めてです。
大人料金:4000円+施設使用量300円
中高生 :3200円+300円
子ども :2000円+150円
参加したのは、13:10〜4:00までのコース
(夏と冬でダイヤが変わります)
ターミナルは、この窓口だけ人でいっぱい。 -
船着き場で待ってると、来ました〜。
私達が乗る、マルベージャ号です。
午前のクルーズ客で、賑わっていました。
平日なんだけど(笑)新 観光丸 長崎港めぐり 乗り物
-
軍艦島クルーズは、こんなコースです(@ちらし)
とあるサイトで、
「行きは、デッキの右前方。帰りは,写真を撮るなら、右後方がいい」
と、書いてたので、しっかりデッキの右前方を確保! -
島に行くまでが結構長く、要所で観光案内が。
右側に見所が多く、作戦成功でした(笑)
猛暑だったけど、デッキの上は気持ちの良い海風が吹いて、快適です。
写真は、自衛隊の船が停泊中。 -
三菱重工業長崎造船所。
「龍馬伝」に出て来る、岩崎彌太郎が起こした会社です。 -
神の島教会と、マリア像が見えて来ました。
長崎から行くのは、少し大変だけど、一度行ってみたかった教会。
嬉しかった。 -
そして、小島の影からうっすらと軍艦島が!!!
廃墟好きには、聖地エルサレムと称されています(笑
初めて、この島の存在を知った時は、驚きました。
そして、島の由来やここに生活があった事に、すっかり魅了されてしまったのです。
ああ、ついにこの目で見れるのね〜。 -
桟橋に到着。
廃墟郡が、もう見えますね。 -
ドルフィン桟橋。
見学コースは、整備されていて、それ以外は行けない様です。 -
ここを渡れば、島内です。
当時、島で暮らしていたガイドさん3名が、同行しています。
見学広場3カ所で、それぞれ当時の暮らしぶりを話して下さいました。
当時の写真を見せられ、その時代に思いを馳せます。 -
危険ではない様に、遊歩道が。
おしりも、異常気象の炎天下。日陰が無く、暑かった!! -
着いてすぐ見えるのが、職員社宅(幹部用)
ここでは、お風呂は基本、共同浴槽だったけど、幹部用だけにお風呂が付いていたとか。
台風の度に、窓の枠部分が無くなるみたいで、
「後、数年したら、無くなりますよ。来るたびに変化を見るものいいですね」
と、ガイドさん。 -
「第二堅坑坑口桟橋後」
ほとんどの鉱山施設が崩壊してる中、第二堅坑へ行く桟橋への昇降階段部分が
残っているそうです。 -
-
「総合事務所」
赤煉瓦の建物が目立っていました。
中には、炭坑マンのための、大きな共同浴場があったとか。 -
上に見えるのが、灯台。
-
-
「以前,この島に住んでいた方はいますか?」
ガイドさんの質問に、年配の女性が一人手を挙げました。
ここで、生活していた人には、ふるさとなんですね。
且つてのここの住民達は、どんな気持ちで、この廃墟群を見てるんだろう。
私とは、全く違う思いなのは、間違いないけど。 -
「30号棟アパート(右)31号棟アパート(左)」
30号は、なんと1916年(大正5年)に建てられた、日本最古の7階建て鉄筋コンクリート建物だとか。
当時、三種の神器と言われた、冷蔵庫・洗濯機・テレビの普及率がほぼ100%で、
東京オリンピックを皆、家のテレビで見れたそうです。
三菱の潤沢な資金で、狭い島の中では、最先端の生活が、楽しめたんですね〜。 -
1958年(昭和33年)完成のプール。
このプールは,海水を利用していたとか。 -
島の暮らしで、一番怖かったのが、大型台風。
写真を見せていただきましたが、巨大な大波が島全体を襲っていました。
島の一番の荒廃の原因は、台風だとか、 -
本来、緑が無い廃墟島には、結構緑があります。
鳥が種子を運んで来るとか。
おお、まるでラピュタの様では、ないですか〜。
とても、静かです。 -
-
「端島小中学校」
1〜4階までが小学校,5.7階が中学校。
6階は講堂・音楽堂・図書館がありました。
緑が少ないために、屋上には、土を運んで畑があったとか。
六本木で、屋上菜園が話題だけど,元祖はここだと,ガイドさんは笑ってましたw
手前の赤いドームの鉄骨が、体育館。 -
「端島神社」
安全祈願のための、大切な心の拠り所だったそうです。盛大なお祭りも、あったとか。
今では、祠が残るのみ。 -
約1時間の上陸後、軍艦島を後に。
もっと、住居個所を見たかったけど、仕方ないですね。
こんな、小さな島に、日本一の人口密度でひしめき合っていたとか。(当時の東京の9倍!)
何だか不思議です。 -
船は、桟橋から住居部分へと。
こちらは,全く見れなかったので、皆写真撮りに夢中。
確かに、名前の由来の軍艦に見えますね。
島の片側に住居が集まっているのは、台風の防波堤の役割りのためだとか。
合理的に作られてたんだそうです。
どうりで、幹部用社宅は、真ん中の良い場所にあるわけだw -
上居側の,左サイド。
ほとんどが、鉱員社宅。郵便局、理髪店、パチンコ店もあったとか。 -
左端に、端島神社の鳥居が見えます。
-
鉱員社宅(多分、右から59.60.61.66.67号)
地下には、地下購買会。
共同浴場。 -
ぐるっと回って・・・・。
-
一番端っこ。
右端が、「端島病院、隔離病棟」
左に見えるのが、端島小中学校の裏側です。 -
パンフより転載。
全体像は、こんな構造でした。 -
軍艦島よ、さようなら〜。
-
帰りの船中では、島の生活ぶりを映した,ドキュメンタリーを見ました。
やはり,こんな島って,世界の中でも特異な存在だよねえ。
あっという間に,170分のツアーも終わり。
最後に,「軍艦島上陸証明書」をいただきました!
すごく、嬉しいんだけど(笑)
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったスポット
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
37