2003/04/27 - 2003/04/27
692位(同エリア1228件中)
五黄の寅さん
はとバスで 講談師に案内して貰える江戸の歴史散策コース が有りましたので出かけてきました。テーマは赤穂義士でした。
コース
事件の起きた江戸城散策 − 吉良上野介の屋敷跡 − 回向院を抜けて昼食会場へ。
昼食会場で講談(南部坂雪の別れ)を聞きながらの食事を頂きました。
江戸東京博物館 − 四十七士の眠る高輪の泉岳寺。
泉岳寺見学後バスに戻り出発地に戻りました。
それぞれの場所で講談師から説明を聞きました。バスガイドの説明以上に面白いものでした。
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 観光バス
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ハトバスの出発地丸の内の停留所からバスに乗り込みます。
女流講談師が出迎えてくれています。バスガイドさんもいました。 -
江戸城(皇居)に到着です。北の丸公園の駐車場にバスは入りました。
北桔梗門から皇居東御苑に入ります。 -
講談師さん。ちょっとした知り合いなので久し振りの再会にご挨拶。
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皇居東御苑の案内です。
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平川濠と乾濠の間の橋を渡って皇居に入城します。
石垣と堀と緑が気持ちイイ景色を見せてくれてます。 -
天守閣跡のそばに建っている桃華楽堂です。
詳細はホームページを参照下さい。
http://www.kunaicho.go.jp/about/shisetsu/kokyo/kokyo.html -
桃華楽堂のそばを通って天守閣跡に上がります。
天守閣は有名な振袖大火で焼けたそうです。
http://www.hls-j2006.com/koukyo/002/210/ -
石垣の様子。黒ずんだ石は火災で焼けたものでしょうか。
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天守閣跡を下って、南に進むと本丸跡の西側に忠臣蔵の発端となる事件の発生した現場 松の廊下跡 が有ります。説明板を見てここなんだなーと思いましたが、今は建物はなく当時を偲ぶ事は難しいですね。
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南東に進むと富士見櫓が見えます。三層の櫓で天守閣焼失後は天守閣の役割を果たしていたそうです。
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大番所です。
中之門の内側に設けられ他の番所より格上で,位の高い与力,同心が詰めて警護にあたっていたところです。 -
同心番所です。
江戸城の正門であった大手門から入城した大名が最初に通る番所で,与力,同心が詰めて警護にあたっていたところです。
主として登城する大名の供の監視に当たっていました。
この先にある桔梗門から皇居外に出ます。 -
バスで吉良邸跡(本所松坂町公園)に来ました。公園の入口に石碑が建っています。
http://www.sumida25.net/s186/ -
公園内には神社が建っていました。
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回向院を通り抜けて昼食の会場に向かいます。回向院には鼠小僧次郎吉のお墓が有ります。お守りに墓石を削って持ち帰る人が今も跡を絶たないとか。
http://www.ekoin.or.jp/guide.html -
境内で勧進相撲が行われていました。
この力塚は昭和十一年に相撲協会が歴代相撲年寄の慰霊の為に建立したものです。 -
昼食はあさりのわっぱ飯。
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講談を聞きながらの食事です。
大石内蔵助が浅野内匠頭の奥方瑤泉院に討ち入りの日に別れを告げに出向く、「南部坂雪の別れ」の一席でした。 -
食事後「江戸東京博物館」を見学しました。
http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/permanent/index.html -
歌舞伎などの演芸座、神輿など江戸情緒で一杯です。
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江戸の町並みを再現したミニチュア。人形まで細部にわたりよく出来ています。
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三越の前身、三井越後屋の模型。
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歌舞伎の舞台の再現。
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バスツアーの最後は赤穂浪士の葬られた寺、泉岳寺です。学校の掲示板と看板、なんとか配慮して欲しいですね。
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泉岳寺の門と扁額。講談師さんが指さしてるのは大石内蔵助の像です。
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大石内蔵助の堂々とした像が建っています。
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墓所に向かいます。右手に首洗い井戸が有ります。
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首洗い井戸です。
今回改めて写真を見ると、何故かオッペケペー節の
川上音二郎の名前が見えています。 -
墓所の配列図です。これにて今回のツアーはお開きです。
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