2010/05/07 - 2010/05/07
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りょしゅうさん
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5月5日に自宅を出発し神戸で1泊してから6日に大阪に入り、旧友2人と8ヶ月ぶりに再会をしました。
そして今日7日は、3人で富田林寺内町の見学に出かけました。
僕は数年前から古い屋敷や町並みを訪ね歩く趣味を持っていますが他の2人からはそんなことは聞いたことがありません。
1番遠くから来た僕に行程を合わせてもらいました。
あいにくの雨模様でしたが450年前の時間がひしひしと今に伝わる素敵な町並みでした。
- 同行者
- 友人
- 交通手段
- 自家用車
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車は市役所の第3駐車場に置きました。
富田林の寺内町は、東西約400m、南北約350mの規模で、堀や土塁で防御した中世から続く歴史ある町です。 -
「興正寺別院」
寺内町の中核寺院です。 -
重厚な門は伏見城の門の1つを移築したものとか。 -
重要文化財「旧杉山家住宅」
寺内町の創設期から代々造り酒屋を営んだ旧家です。
南河内酒造業の肝煎り役だったとか。 -
「旧杉山家住宅」
樹木で隠れて見えませんが4層の大屋根が見事です。 -
この建物だけは公開されています。(参観料400円)
時代劇に出てくるような入り口です。 -
土間から入り口を写しました。
広い土間は農家風にも見えます。 -
江戸時代の屋敷図です(嘉永3年・1850年)
母屋を始め酒蔵、釜屋、土蔵など十数棟が軒を接して建てられているのがわかります。 -
釜屋(かまや)から座敷を眺めたところ。
大きな梁は煙を遮断するため架けられているそうです。 -
案内の人に聞きますと、「富田林寺内町」の古い町家は農家型の平面構成をとり、煙り返しなどの農家的な技法も取り入れられているそうです。
-
柱の太さにも富田林八人衆の一人として町の経営に携わった歴史と豪気さが伺えます。 -
帳場です。
通りに面しています。 -
大床の間(おおどこのま)の障壁画。
文政の頃狩野杏山守明により描かれたそうです。
杉山家の繁栄の程が偲ばれます。 -
螺旋階段がありました。
洋風ですので明治以降に造ったものでしょう。 -
感じのよい庭もあります。
ここら辺は何となく商家ふう。 -
小道と水路。
ずーと奥に祠もあります。
手入れは行き届き、風情さえ感じさせます。 -
中庭から母屋を写しています。 -
虫籠(むしこ)窓に煙出しが見えます。
虫籠窓は屋根裏部屋の明り取りと、風通しのため。
煙出しはかまどの煙を出すために作られたそうです。 -
ここら辺りは日本の道100選に選ばれています。 -
現代的なデザインですがオシャレな感じです。 -
「あてまげのみち」
この写真では残念ながらよくわかりませんが、町筋の道と道は「あてまげ」といって半間ほど道をずらし、見通しを妨げているそうです。 -
雨に濡れた石畳の歩道が情緒を醸し出します。 -
歴史ある建物の側には、このような案内板が立っています。 -
「杉田家住宅」
屋号を「樽屋」とし油屋を営んでいたとか。 -
「中村家住宅」
「佐渡屋」という屋号で代々造り酒屋を営み、酒造高は河内一で2000石以上だったそうです。 -
「田守家住宅」 -
「木口家住宅」
かっては木綿商だったそうです。 -
「じないまち交流館」
寺内町の歴史の案内や観光客の休息の場所です。
町の一番北にあります。 -
レトロな食堂。
懐かしさを感じさせます。
営業しているでしょうか? -
市役所第3駐車場から歩いて5分くらいのところに陶工房「飛鳥」があります。 -
築100年ほどの空き家を改装し、ギャラリーとして再生したもので、この町並みに素敵にマッチしていました。
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こちらのご婦人がオーナーさんです。
「地元や外から訪れる人、陶芸好きな方々の交流の場をめざしている」とおっしゃっていました。 -
忍び返しが付いている塀です。 -
重厚な蔵が連なっています。
そうです、濡れた歩道がたまりません。 -
「富田林寺内町」は中世から続く町が今も残り、息づいていました。
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