2010/02/12 - 2010/02/12
1982位(同エリア5392件中)
みにくまさん
今年は平城遷都1300年となる記念の年。
奈良は今まであまり歩きまわっていませんでしたが、今年は世界遺産を中心に一通り回ってみようと思っています。
今回はその中から元興寺に来ました。
◎ 古都奈良の文化財
○東大寺 http://4travel.jp/traveler/minikuma/album/10415943/
○正倉院
○興福寺 http://4travel.jp/traveler/minikuma/album/10390384/
○春日大社 http://4travel.jp/traveler/minikuma/album/10420761/
⇒元興寺
薬師寺
唐招提寺
○平城宮跡 http://4travel.jp/traveler/minikuma/album/10452162/
春日山原始林
おまけ↓↓↓
http://yaplog.jp/awamoko/archive/182
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古都奈良の文化財 元興寺
元興寺(がんごうじ)は、奈良市にある、南都七大寺の1つに数えられる寺院。
蘇我馬子が飛鳥に建立した、日本最古の本格的仏教寺院である法興寺がその前身である。法興寺は平城京遷都に伴って飛鳥から新都へ移転し、元興寺となった(ただし、飛鳥の法興寺も元の場所に残り、今日の飛鳥寺となっている)。
奈良時代には近隣の東大寺、興福寺と並ぶ大寺院であったが、中世以降次第に衰退して、現在は次の2つの寺院に分かれている。
(1) 奈良市中院町所在の元興寺。1977年までは「元興寺極楽坊」と称していた。西大寺の末寺で、宗派は真言律宗に属する。本尊は智光曼荼羅である。
(2) 奈良市芝新屋町所在の元興寺。東大寺の末寺で、宗派は華厳宗に属する。本尊は十一面観音である。 -
東門 重要文化財
東大寺の門を移築したもの。室町時代。 -
東門 重要文化財
拝観料は400円です。
東門の横の受付で支払って中に入ります。
その前に、受付のところで建物の説明などをしてくれました。 -
本堂(極楽坊本堂) 国宝
寄棟造、瓦葺で、東を正面として建つ(東を正面とするのは阿弥陀堂建築の特色)。
この建物は寄棟造の妻側(屋根の形が台形でなく三角形に見える側)を正面とする点、正面柱間を偶数の6間とし、中央に柱が来ている点が珍しい(仏教の堂塔は正面柱間を3間、5間などの奇数とし、正面中央に柱が来ないようにするのが普通)。
内部は板敷きの内陣の周囲を畳敷きの外陣がぐるりと囲んでおり、内陣の周囲を念仏を唱えながら歩き回る「行道」に適した構造になっている。 -
本堂(極楽坊本堂) 国宝
鎌倉時代の寛元2年(1244年)、旧僧房の東端部分を改造したもので、内陣周囲の太い角柱や天井板材には奈良時代の部材が再用されている。
また、屋根瓦の一部にも飛鳥〜奈良時代の古瓦が使用されている。ここに使われている古瓦は上部が細くすぼまり、下部が幅広い独特の形をしており、この瓦を重ねる葺き方を行基葺(ぎょうきぶき)という。 -
本堂(極楽坊本堂) 国宝
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本堂(極楽坊本堂) 国宝
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元興寺講堂跡礎石(奈良時代)
境内西側の中新屋町で平成10年に発掘されたもので、本来の位置は保っていなかったが、出土場所や礎石の規模などから、元興寺講堂に使用されたものと考えられる。
礎石の石材は三笠安山岩で、通称カナンボ石と呼ばれる硬質の自然石を利用している。
創建当初の構造は、間口11間で丈六薬師如来坐像を本尊とし、脇侍2躰、等身十二神将が安置されていたと伝えられている。
元興寺の主要伽藍は境内にのこる僧坊(禅室)を除いてすべて失われたが、礎石から創建当時の元興寺を偲ぶことができる。 -
元興寺総合収蔵庫
第一収蔵庫
国宝 五重小塔(建造物) 奈良時代
重文 智光曼荼羅(板絵) 平安時代
重文 阿弥陀如来座像 平安時代
重文 聖徳太子立像(孝養像) 鎌倉時代
重文 弘法大師坐像 鎌倉時代
第二収蔵庫
重要有形民俗文化財
元興寺庶民信仰資料 鎌倉・室町時代 -
元興寺総合収蔵庫
収蔵庫内は写真撮影が禁止でしたが、この部屋には禁止の貼り紙がなかったので、撮影してきました。 -
浮図田(ふとでん)
昭和63年に整備された。
2500余基の石塔、石仏類(総称して浮図)は、寺内及び周辺地域から集まったもので、新たに田圃の稲の如く整備した。 -
浮図田(ふとでん)
板碑五輪塔を中心とした供養塔、阿弥陀仏地蔵尊等の石仏類からなり、鎌倉時代末期から江戸時代中期のものが多い。
中世紀に当寺や興福寺大乗院関係の人々、近在の人達が浄土往生を願って、極楽坊周辺に減罪積徳作善のため造立した供養仏塔である。 -
浮図田(ふとでん)
ここは、たくさんの石像を相手に、いろいろなアングルから写真撮影をしました。
私の他にもこの場所にハマった人が数人おり、なかなかここから離れられないでいます。 -
浮図田(ふとでん)
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浮図田(ふとでん)
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浮図田(ふとでん)
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手水
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小子房(極楽院旧庫裏) 県指定文化財
もと禅室の北側にあった、東室南階小子房の一部を改築して、北厨房あるいは台所と称された。
寛永三年(1663)極楽院庫裏として改築されたが、昭和二十四年(1949)本堂の南側に移転増築して極楽院保育所建物とし、さらに昭和三十五年(1960)現位置に移動して復旧された。
古代僧坊の沙弥寮から近世寺院の庫裏へと変化した歴史、ならびに建築物としての価値を有するものである。
西側に附属する茶室(泰楽軒)は平成6年、大和の名匠川崎幽玄(修)の指物技術の粋を集めた作品として増築された。 -
小子房(極楽院旧庫裏) 県指定文化財
小子房の中庭にあった像です。 -
小子房(極楽院旧庫裏) 県指定文化財
鳳凰の描かれたもの。
なんなのかは分かりません。 -
禅室 国宝
切妻造、瓦葺。
本堂の西に軒を接して建つ。元は現・本堂も含んで東西に長いひと続きの僧房であったものを鎌倉時代に改築したものである。
正面の4箇所に板扉があることからわかるように、現存部分は4区画分で、1区画には5〜8人の僧が生活していたという。 -
禅室 国宝
本堂と同様、部材や屋根瓦の一部には奈良時代のものが残っている。なお、2000年の元興寺文化財研究所の発表によれば、禅室の部材を年輪年代測定法で調査したところ、西暦582年伐採の樹木が使用されているとのことで、事実とすれば、本建物の一部には法隆寺西院伽藍よりも古い材木が使用されていることになる。 -
本堂(極楽坊本堂) 国宝
元興寺の瓦
極楽堂の北流と西流、禅室の南流の東側の屋根瓦は、一般の本瓦と少し趣が違う。つまり、丸瓦も平瓦も重なり合って葺かれている。飛鳥時代(法興寺創建)の古式瓦を伝えている。
法隆寺玉虫厨子の屋根表現はこの丸瓦を意識している。他に、京都東寺の講堂屋根の一部、深草宝塔寺の多宝塔下層、貝塚孝恩寺の釘なし堂、大分富貴寺大堂などにも残っている。
元興寺の場合、解体修理の結果、使用可能な古瓦(飛鳥時代からの瓦)を集めて使用していることがわかっている。また、極楽堂西南隅、禅室南東隅には古代の軒平瓦が残っているのも注目したい。 -
元興寺の瓦
建物のこちら側の角度から見ると、古代の瓦が見られると書いてありました。
色の違う赤っぽいものが、飛鳥時代の瓦だと思われます。 -
禅室 国宝
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浮図田(ふとでん)
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浮図田(ふとでん)
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浮図田(ふとでん)
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浮図田(ふとでん)
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禅室 国宝
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本堂(極楽坊本堂)・禅室 国宝
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梅
2月半ばですが、梅が咲いていました。 -
梅
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かえる石(大坂城の蛙石)
江戸時代の奇石を集めた「雲根志」に載せられている大坂城の蛙石である。
河内の川べりにあった殺生石だったようだが、後に太閤秀吉が気に入って大坂城に運び込まれたという。
淀君の霊がこもっているともいい、近代には乾櫓から堀をはさんだ対岸隅にあった。
大坂城にあったころは堀に身を投げた人も必ずこの石の下に帰ると言われた。
ご縁があって、この寺に移され、極楽堂に向かって安置された。
福かえる、無事かえるの名石として、毎年7月7日に供養される。 -
禅室 国宝
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本堂(極楽坊本堂) 国宝
本堂と禅室をぐるっと一周回ってきました。 -
本堂(極楽坊本堂) 国宝
国宝建築物の本堂と禅室の他には建物も多くないので、けっこうサクッと見終えてしまいます。
浮図田の写真撮影にどれだけハマるかによりますが、30分から1時間くらいで一通り見られるのではないでしょうか。
◎ おしまい
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