2010/05/03 - 2010/05/03
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不動心さん
出張で米沢に行ったところ、この日に米沢祭りの最大のイベント、川中島合戦が行なわれることを知る。しかも、会場と職場は徒歩1〜2分。偶然ですね。3ヶ月前の雪燈籠祭りも偶然だったし。しかも、この日も偶然デジカメを持っていた。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 自家用車
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会場の河川敷脇には病院もありました。米沢市立病院と書いてあります。病室から見える満開の桜は、しばし患者さんの心を癒してくれているのでしょうか。
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GWに満開というのは、2週間遅れなんだそうです。
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合戦に合わせ、お馬さんも到着です。昔は合戦場まで歩いていったのにねえ。
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武者の控え場
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腹が減っては戦は出来ぬ
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2時間後の戦に備えて腹ごしらえ。あまり食べると排便したくなりますよ。その格好ではズボン、パンツをおろすのには一苦労でしょう。
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きれいなアスファルトですね。
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南東の方角
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アスファルトに散った桜の花びら
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同上
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上杉軍の本陣
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堤防の道路まで人でいっぱい。写真の右下に河川敷があり、そこが会場です。
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武田軍の本陣
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武田軍武将、山本勘助の作戦が採用され、上杉軍を挟み撃ちにすることとなる。
高坂弾正の軍勢が夜中に妻如山に密かに登り、そこに陣取る上杉軍を背後から襲って上杉軍を山の下に移動させる。 -
すると山の下に残りの武田軍が待ち構えていて、高坂の部隊と共に上杉軍を挟み撃ちにする。これが有名な「きつつきの戦法」。
しかし前日の夕方、武田の陣地から多くの煙が上がっているのを見た上杉謙信は、「戦いに備えた食事の準備、武田は動く」と見て、上杉軍を全て夜中に下山させた。 -
当惑したのは武田の本陣。予想より早い時間に、霧の中突然上杉軍が眼前に現れたので、武田の劣勢。原美濃守虎胤、典厩信繁(武田信玄の実の弟)、山本勘助(作戦の敗戦を責任を自らとったとも言われている)など信玄の左腕が続々と命を落とした。
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一方の妻如山。高坂の部隊が着いた時には山はもぬけの殻。急いで山を下り、川を渡って武田の本隊の危機を救った。これ以降は武田は勢いを取り戻し、お互いの対象の首は無事に済んだ。
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さらに詳しくストーリーを聞きたい方は
東京03−200−2222♪ 日本文化センター
にお電話下さい(冗談ですよ)。 -
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有名な三太刀七太刀 の場面。
上杉謙信自ら、武田の本陣へ突進します。 -
上杉謙信が馬上から武田信玄に切りつけます。太刀を抜く暇がなかった信玄は、五平餅でかわします。
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このパネルも毎年使われているんでしょうね。今頃は倉庫の中でしょう。
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討ち死にした兵
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祭り終了。終了後は両軍の勝ちどき、記念撮影時間があります。
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信玄公は大人気。行列が出来ていました。
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ホテルへの帰り道、ちょっと車を走らせました。野球場の前の公園に車を停めて夕日を眺める。
昨年気づいたのですが、夕日が沈むのって、すごく早いんですよね。1分経つと大分動きます。面白いから一度観察してみてください。
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