2010/03/20 - 2010/03/20
4677位(同エリア11697件中)
井上@打浦橋@上海さん
- 井上@打浦橋@上海さんTOP
- 旅行記362冊
- クチコミ19件
- Q&A回答292件
- 2,191,700アクセス
- フォロワー85人
中国旅行関連のMLのオフ会は上海で何度もやっています。
今回の滴水洞でも、もう、何度かやっています。
滴水洞は湖南料理屋でして、四川料理よりも辛いなんてなことを言う人もいるくらい辛い・・・いや、辣い料理が出てくるんです。
滴水洞は上海に3・4店あるようですが、本店と言われてる茂名南路の店は本格的な湖南料理ですが、我々がいつもやる東平路店は場所柄もあるのか、上海人の口にあわせて「辣さ」を多少抑えてると言うことですが、やはり、それでも日本人の中には、カレーッという人もいるのです。
この滴水洞でオフ会を最初にやったのは、もう何年前か・・・5年か、6年前くらいでしょう。
なんで、ココでオフ会をやるようになったか・・・・それは・・・・
我々の仲間が、その頃、この辺りのマンションを買ったんですが、その部屋の前のオーナーが、この滴水洞の老板娘(女性経営者)だったんです。
その仲間の奥様が湖南省出身でして、湖南人であるその老板娘と親しくなり、ココでやるようになったということです。
老板娘、最初の店で成功して、ここが2店目になるんでしょう。
でもって、この東平路の店はしゃれた感じの店にして、それに伴い、「辣さ」を抑えた料理を提供するということにしたんでしょう。
さて、その東平路ですが、短い道ですがしゃれた店が並ぶ道なのです。
また、その周辺の道にも、イロイロと興味深い建物があり、散策するには最適なんです。
ということで、私は、この日も、早めに店に来て、まずは予約がチャンと受け付けられてるかを確認、そして8人で予約していたのを10人に変更して、店を一旦出て、付近の道を一周してきたのでした。
PR
-
さて、コレは、このオフ会があった日の3・4日前に読み終えた本です。
改革開放後暫くたって、皆が裕福になってきて、そして、若者が上海のよき時代、つまり30年代、40年代前半の上海への懐古趣味を持ち始めた頃・・・思うに1990年代中頃・・に書かれたエッセイです。
作者である女性ジャーナリストが、その90年代中頃の、若者や、昔の上海を知ってる年配の方などを取材して書かれたものなのです。
そのオールド上海への懐古趣味の流れは、その後も続いていまして、今後も、上海はそれを売りにしていくのかと見ていますが、その雰囲気が感じられるのが、この地域といっても良いのかもしれません。
つまり旧フランス租界地域ですね。
そして、この本の作者の陳丹燕は、どうやら幼少時代は、この辺りで過ごしていたようです。この東平路近くの岳陽路に家があり、後で出てきますがプーシキンの像がある小さな公園で、よく遊んだ、なんてなことも書かれているのです。 -
これが、その日の散歩コースです。
我が家からは96路バスで来まして、復興中路の東端のバス停で降りました。
そこから、復興中路をチョイ戻り、宝慶路に入り、東平路まで行き、東平路にある滴水洞まで行き、予約を確認。
そして後は、東平路→汾陽路→復興中路→宝慶路→桃江路→東平路→滴水洞の順です。
この辺りは旧フランス租界の真っ只中と言っても良い地域ですね。
フランス租界と言っても、当時住んでいたのは、ロシア革命で逃げてきた白系ロシア人が多かったようです。
ですから、ロシアの貴族とか、芸術家とか、そういったハイクラスの人が多かったのかと思っています。
ということでプーシキン像などもあるということなんでしょう。
そして、東欧から逃げてきたユダヤ人なども多く住んでいたんでしょう。ですから。この地域にはユダヤ倶楽部やユダヤ病院などもあったのです。
そういった欧風の雰囲気を残した場所ですので、今でも、欧米人が集まるレストランやカフェ、バーなども多いのです。
オマリーズ・パブ、オスカーズ・パブ、パウアナー・ブロイハウスなどがそうですね。
そして、東平路の湖南料理屋・滴水洞も欧米人の客がチラホラ来ると言うことです。 -
これは、上の散歩コースの立体地図です。
この立体地図には、どういうわけだか東平路が抜けてしまっています。 -
96路バスを降りて、復興中路を少し東へ戻ります。
前の道が宝慶路ですが、そこを右に曲がります。
角にあるレンガの建物の中にオスカーズ・パブがあります。 -
この道が宝慶路でして、この道は東平路を超えますと衡山路に変わります。
-
宝慶路から東平路に入りました。
この道にはしゃれた店が並びます。
ラピス・ラズリとかシンプリー・タイといった店です。 -
これは何だったか・・・
どこかの店のオープンカフェですね。
向こうの敷地は上海音楽学院付属中学があります。
この後、隣にある滴水洞に入り込み、予約の確認をし、人数が増えることを伝え、また、外をぶらつきに行きました。集合時間の5時半まで、まだ25分ほどあります。 -
上の画像の店にはGUINNESSの看板がかかっていますね。
何の店なのか・・・・とにかく欧米人御用達の店のようですね。
下の画像は、その東隣にある席家花園酒店と言うレストランですね。 -
東平路、岳陽路、汾陽路、桃江路と4つの道が集まるところにある小さな三角公園です。
そこにあるのがプーシキン像ですね。
今あるのは3代目らしいです。初代はプーシキン没後100周年を記念して1937年に建てられたものでして、その後、日本軍によって壊され、新中国誕生後に再建され、それが文化大革命で、また壊され、1987年に三度目に造られたものが、現存するこの像らしいです。
そのプーシキン像の向こうの木々の間に見えるお屋敷が下の画像です。
この建物も、イタリア料理屋か、なにかになってるはずです。 -
さて、ガラッと場面は変わりまして、これは映画の一場面です。
その映画は、本木雅弘とヴィッキー・チャオ(趙薇),が主演の上海の一夜の物語でして、2人の最初の出会いがココだったのです。
日本の有名なヘアデザイナーの本木君が、趙薇の運転するタクシーにはねられたところがココなんです。 -
プーシキン像を後にして汾陽路を北東方向に行きます。
チョイ行った北側の敷地にあるのが、この2つ。
1つは、白崇禧邸。
以前は Ambrosa(仙炙軒)と言う焼肉屋だたんですが、今でもそうなのか・・・
その東隣にあるのがPAULANER BRAUHAUS(宝菜納餐庁)でして、旧上海オペラ座の建物をビアホールに改装したとか・・。
ビールは本場ドイツの製法に基づいてここで造っている本格的なもので、
ジョッキは1リットルから0.3、0.5リットルとあるそうです。 -
太原路を超えてチョイ行ったところにある建物です。
全体の形が三角形なのか、こちらから見ますと鋭角に尖っています。 -
汾陽路から復興中路に入り、今度は西方向に行きます。
向こうに見えて来ましたのは、黒石公寓です。
チョッと見ない間に、外装がスッキリしてしまいました。
以前は、もっと黒っぽくて、オンボロだったんですが、生き返ってしまいましたね。
以前のほうが良かったかと言うと、そうでもないですね・・・
以前の状態ですと、今にも崩れてしまいそうな、あるいは、お化け屋敷のような、そんな感じでしたので、今のほうが、エエかもしれません。 -
現在の名は、復興公寓ですが、以前の名が黒石公寓です。
英語では、そのままのBlackstone Apartmentsです。
1926年に建てられたもので、もうスグ100年になろうとしていますが、しばらくは、このまま使われると言うことなんでしょう。
当時は、南側の庭にはプールもあったとか・・・。 -
さて、またまた場面は大きく変わり、2年前だったかに放送された上戸彩主演の「李香蘭」と言うテレビドラマの一場面です。
当時、上海にいた李香蘭が実際ここに住んでたと言う訳ではないんでしょうが、この黒石公寓が、彼女の上海の住処として使われていました。
車寄せの屋根を兼ねたバルコニーで、北京にいる父親からの手紙を読む場面に使われていました。 -
黒石公寓の西隣にあるのが、やはり昔の高級アパートです。
淡いクリーム色と臙脂色の2色の組み合わせの建物は復興中路に多いのです。 -
中に入ってみました。
この敷地には、上海歴史ガイドマップによりますと、克来門公寓(Clements Apartment)と森内飯店(Sunny Hotel)があることになっています。
道路に近い建物が克来門公寓でして、奥が森内飯店ということなんでしょう。
上海歴史ガイドマップには・・・
1929年にベルギー人が建てたアパートメント・ホテル。4・5階建ての5棟が梅の花弁状に並ぶ。外国人と裕福な中国人を対象に、喫茶店、ダンスホール、プールなどを付設。・・・・と書かれています。
「梅の花弁状に並ぶ」ということで、道路側のゲートには「Plum Brossoms Apartment」とも表示されています。 -
復興中路から桃江路に入りました。
桃江路の南側には、こんな建物が並びます。 -
そして、また東平路に入りました。
先ほどとは逆方向ということです。
GUINNESSの店の先の建物が滴水洞です。
ただいま、5時半。
ピッタシでした。 -
さて、これが滴水洞の店の中です。
当初8人で予約してあり、その人数なら、1階で出来たんですが。
人数が増え10人となりましたので2階に案内されました。
いや、最終的には14人になってしまったんですけどもね。
東平路側は、こんな感じですね。
反対側は上海音楽学院の敷地となります。 -
14人が集まり、店内を撮りました。
まだ、5時半をチョッと過ぎた時間ですので、客は我々しか居ません。
店の中は、こんな感じですが、なかなか落ち着いていまして、いい雰囲気です。
さて、この日に集まったのは・・・
まずは、74歳と言うお年なのに、1ヶ月ほど中国をぶらついてきた男性。
彼が、ウルムチから西安行きの列車の中で知り合ったと言う、阿克蘇(クアス)の人達3人。
上海に10年以上住むご夫婦。
上海で日本語教師をしてる女性。
杭州で二胡を習ってる男性。
この日の午後に上海に戻ってきましたご夫婦。
滴水洞のオーナーから家を買ったご夫婦。
20年前に上海に乗り込み、事業を立ち上げ、成功を収めた方。
この方は、ランクルを乗り回して、チベットや新疆や、東北地方への長期旅行を何度かされています。
そして、上海でぶらぶらして13年の私の14人でした。
女性が6人、男性8人、中国人4人、日本人10人でした。 -
これは、まだまだ縁もたけなわとまでは、行ってませんが、乾杯、乾杯を何度かやって、料理も6・7割出揃って、皆さんに酒が回り始め、イロイロ話題が出始めた頃のテーブル状況です。
この後にも料理は出てきまして、話題は尽きることなく、ビールは20本近く、紹興酒も2・3本飲み干したような。結局、9時近くまでやりましたね。 -
これはその日の料理の一部です。
自分で撮ったものではありません。
飲んで食って、しゃべってのほうが忙しく、それどころじゃなかったと言うことです。
すべて、滴水洞の大衆点評の画像をお借りしたのです。
下記がそうです。
http://www.dianping.com/shop/500156
火焙魚はあぶった小魚に味付けをした料理でして、佃煮のような感じのもので、ココではいつでも出てきますね。
孜然排骨はココの人気料理。孜然はクミンのことでして、そういった中国っぽい香辛料のかかったスペアリブということです。
蒜苔臘肉も代表的な湖南料理かと思います。これは中国風のベーコン・臘肉(ラーロウ)がないと、作れませんね。蒜苔はニンニクの茎ですね。
ここの麻辣豆腐は、鍋入りで、火で暖めながら食います。
干鍋肥腸は、モツ料理好きの私のために、誰かが注文してくれたもの。
抜絲香蕉は湖南料理なのかどうか、昔、北京や天津では良く食った覚えがあります。
揚げた材料を熱した飴にくぐらせ、水につけて食う、というものです。
その時に飴の糸を引くので、そう呼ぶのでしょう。
材料としてはリンゴだったり、サツマイモだったりするんですが、ここのはバナナでしたね。
抜絲香蕉の作り方は下記をどうぞ。
http://www.cakepia.info/home/topic/20031226/cake_004/index.html
この日の勘定は勿論割り勘でしたが、全部で1360元だったか80元だったか・・・・
一人当たり、100元ということでしたね。 -
最後は、店の中の様子です。
時間と共に客が増えていきます。
客は若者が多いですね、それと欧米人も・・・・
この店は、8時頃は、まだまだなんでしょう。
9時過ぎに混んで来る店なのかもしれません。
コレで「滴水洞辺りはエエとこです」は終わりです。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
この旅行記へのコメント (2)
-
- Rockyさん 2010/03/25 17:36:08
- 上海宴会
- 井上@打浦橋@上海さん、こんにちは
相変わらずお元気で宴会参加ですね!
お仲間との楽しい会話と美味い食事で、凄くご満悦では♪〜
JR保土ヶ谷駅直ぐの国道1号沿い...中華屋で昼飯食べました。
*\500円也→(ブッフェ=野菜サラダ、春雨麺、アンニン豆腐)+
五目麺+春巻き1ヶ+コーヒー
以上が付いてました。中国語が飛び交うお店です。
*宴会は@3000→2時間飲み放題、食べ放題2時間。
老酒は追加のみ放題 800円。
この辺では庶民レベルの繁盛店です。
では、又Rocky
- 井上@打浦橋@上海さん からの返信 2010/03/26 06:20:59
- RE: 上海宴会
- Rockyさん、どうも。
その保土ヶ谷の店で、
今度は食事をしましょう。
しかし、いまや、
日本でもアッチャコッチャ中国語が飛び交っていますね。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
上海(中国) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
2
24