2010/01/30 - 2010/01/30
158位(同エリア248件中)
まゆままさん
この日は富田林の寺内町の町並み散策へ。
中世から続く真宗の寺院を中心とした寺内町は江戸時代には商業が栄え、酒屋、材木商、油屋、木綿屋などなど町内では51業種、149の店が軒の並べていたそう。
寺内町にある建物のうち戦前の建物は26%を占め、江戸、明治、大正、昭和初期の建築がよく残されているため重要伝統建造物保存地区の保存指定を受けている。
大阪では唯一、重伝建地区の指定を受けている富田林。
思ったよりも大きな規模で残されていた古い町並みに驚き、いくつか残されていた洋風近代建築も楽しむことができた。
最後に河内長野の「つまようじ資料室」へも行き、古今東西のさまざまなつまようじも拝見!
- 同行者
- 家族旅行
- 交通手段
- 自家用車
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ちょうど昼前の到着だったのでまずお昼ごはんに河内長野にある「百年邑」へ。
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築100年以上の古民家が改装されレストランになっている。
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ここでは熊本直送の馬肉を食べることができ、ここでしか食べれないという「馬とろ丼」目当てにやって来た。
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入り口にはどっしりとした臼が花生けに見立てられてた。
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太い梁が通り、ゆったりとした落ち着いた雰囲気の店内。
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こちらでは毎週日曜夕方からはライブが開かれているそう。
ギターやピアノなどの楽器がずらりと並べられていた。 -
そしてやって来た馬とろ丼。
まぐろのねぎとろのようになめらかに食べやすくされている。
小鉢とお味噌汁付きで800円。 -
馬肉はちょっと・・と言う母が頼んだ邑の小鉢御膳。
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こちらは馬刺し盛り合わせ。
赤身・タン・タテガミ・さいぼし(馬肉の燻製)が入ってる。
馬肉を食べるのは以前、熊本へ旅行へ行った時以来か?!
あまりくせもなく子どもたちもパクパク食べていた。
お昼の後は富田林の寺内町散策へ向かった。 -
この日は父母も一緒だったのでボランティアガイドさんにお願いして、説明を受けながら町並み散策を楽しむことに。
待ち合わせの場所で車を止め、ガイドさんと合流。
洋館もあれば見たいとお願いしていたのでまずは寺内町から少し離れたところにある
葛原家別邸へ。
寺内町にある本家の別宅で大正13年に建てられた。 -
山荘風の外観でセメント瓦葺の切妻屋根がT字に交差している。
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垣根の間から見た勝手口。
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屋根に取り付けられた避雷針
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庭にはこんなライオンの噴水口も。
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古い町並みが続く寺内町にやって来た。
寺内町は東西約400m、南北約350m、町内にある建物の約500棟のうち、約180棟が江戸、明治、大正、昭和初期の建築ということで中世期から続く町並がよく残されている。 -
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この立派な石垣は当時郡役場が置かれていた時のもの。
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重要文化財の旧杉山家住宅。
杉山家は寺内町創立以来の旧家で造り酒屋として成功し、発展を遂げてきた。
現存する主屋が寺内町の民家の中でも最も古く規模も大きく質のよい商家として公開されている。 -
土間の部分は17世紀中期と最も古い。
(杉山家の内部見学は最後にガイドさんと別れた後に入った) -
当時は9つもあったというかまどが一部復元されていた。
釜屋には煙を遮断するために農家的な技法を取り入れ、煙返しといわれる梁が架けられている。 -
能の舞台を模して造られたという大床の間。
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薩摩杉を用い、菊の模様を透かし彫りした欄間。
とても繊細な模様! -
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明治15年当家で生まれ、育った明星派歌人石上露子により増築されたというらせん階段。
コンパクトながら美しい造りの階段は純和風の町屋の中でここだけ洋風でとてもインパクトがあった。 -
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造り酒屋を営んでいた仲村家住宅。
河内では最高酒造米高をほこっていたこともある。
文人墨客が数多く訪れ、
長州藩士吉田松陰もそのうちの一人だとか。 -
木綿商を営んでいた木口家。18世紀中期の建物。
屋根の上にはかまどの煙を外に出すための越し屋根が付けられている。 -
木口家入り口の横についているのはあげ台といわれるもの。
使わない時ははね上げて壁に収めておき、引き出すと縁台になり家の中から直接縁台に出れる風になっているそう。 -
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駒つなぎの石と言われ、馬をつないでおくための石。
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450年前の背割り水路の跡。
この水路の跡からまず町割りを作ってから家を建てたということがうかがえるのだそう。 -
玄関はこんな風に二重扉になっている
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消火器も町並みの景観を考えて赤でなく目立たない色に・・
うーん、余計に違和感あるような?! -
日本の道100選に選ばれた城の門筋の一角。
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寺内町の中核となる寺院、興正寺別院のこの門は伏見城の門のひとつを移築したものだそう。
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興正寺別院は京都山科にある興正寺の別院。
こちらの本堂は寛永15年(1638)年に再建されたもの。 -
本堂には狩野寿石秀信の筆による襖絵が残されている。
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そして純和風の町並みの中に現れた大正13年建築の中内眼科医院。
建築当初は国分銀行、その後三和銀行が入っていたのだそう。
内部には大理石のカウンターが残され、カルテをしまう場所は銀行時代の元金庫が利用されているのだとか。 -
連続するアーチ窓には木製の桟が残されていて美しい〜
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眼科医院の隣は元、呉服屋さんの建物。
この通りは洋館が続く。 -
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そして同じ並びにあった西野薬局。
こちらは南河内では初めての漢方薬局だったそう。 -
材木商を営んでいた越井家は明治末期に建てられた為、外壁にはこんな赤煉瓦が使われていた。
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迫力のある蔵
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蔵の窓もいろいろ
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厨子二階の明りとりと風通しの為に設けられてる虫籠窓の形をみると時代が分かるのだそう。
こちらの長方形のものは明治以降。 -
漆喰を保護するため二階部分には銅板が張られた家も。
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防犯用の忍返しがつけられた住宅も多い。
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さすがに重伝建保存地区なだけあり、外観の改装などの規制が厳しいようで、新しいお家なのにこんな町屋風にして車庫のドアも引き戸にするなど外観に気を使ってる家があった。
又若い人たちは住みやすいところを求めて出て行くそうで、古い町屋の空き家もたくさんあるとのこと。
ガイドさんには「どうですか?ここで住まれませんか?」とすすめられてしまった・・ -
こちらは最初に別邸の洋館を見に行った葛原家住宅の珍しい三階蔵。
蔵が三階建てとはなんとゴージャスな! -
見どころいっぱいの寺内町をゆっくりとボランティアガイドさんに案内していただきひととおり見終わった後杉山家住宅へ戻ってきてお別れした。
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そしてもう一軒富田林にある近代建築の洋館へ立ち寄る。
昭和4年頃に建築されたという杉田家住宅。
門と塀に取り囲まれていてなかなか全体が見えなかったのだけど、玄関ポーチの幾何学模様のデザインが今まで見たことのないような不思議なものだった。 -
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富田林の散策を終え、富田林・河内長野方面へ来たらいつか行こうと思ってた「つまようじ資料室」へ行くことに。
河内長野は日本一のつまようじの生産地。
最近では中国の輸入物のつまようじにほぼとって代わられ、日本での生産は減少の一途をたどっているが、河内長野では三社がつまようじの生産を続けている。
その中の広栄社という会社が毎週土曜日に開けているつまようじ専門の展示室。
閉館間際にお邪魔してしまったのだが、社長さん自ら展示品の解説やつまようじについての興味深いお話をしていただくことができた。
写真はつまようじの生産工程と製造に使われる機械。 -
河内長野で採れる黒文字を使った楊枝。
お茶席などで使われる黒文字は今でもこの河内長野で製造されているそう。 -
卯木というもともとのつまようじの原木。
現在は白樺が主流だそう。 -
つまようじの発端となった歯木は木の枝の端をブラシ状にしたもの。
アフリカ諸国などで今でも使われている歯木。
なんとこの歯木には、虫歯予防、歯ぐきの引き締め効果もあるフッ素やタンニン酸が含まれていて、練り歯磨きにはこの歯木の抽出液を使ったものもあるという。 -
最盛期では河内長野でも年間700億本のつまようじの生産が行われ、世界シェアの50%近くを占めていたそうで、日本のイメージが強かったつまようじ。
そのころ外国で輸出されたつまようじには「サムライ」や「キモノ」「サヨナラ」という
日本をイメージするネーミングがされていた。 -
世界各国のつまようじが並ぶ・・
そもそもつまようじって食べ物を突き刺すものだとばかり思っていたが、
それとは別に歯の手入れをするためのものがあるのだ。
現在、よく見る輸入物のつまようじは丸く、物を突き刺すためのものでそれを歯に使うと歯茎を傷めてしまう。
こちらの会社ではデンタル用に三角のつまようじを製造されているそう。 -
これは韓国に行った時もよく見かけたとうもろこしのでんぷんでできたつまようじ。
水に溶けるエコなつまようじなのだ。 -
からたちや椰子の刺、まぐろの尾びれなど自然の素材そのままを利用した楊枝などもあった。
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美術工芸品のような楊枝の展示も。
こちらはロシアの七宝飾りがついたもの。 -
真珠などの宝石をちりばめた中国の楊枝。
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古代インカの高貴な人々が使用していたという高純度の銀製のインカの楊枝
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象牙の楊枝ケース
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フランスではこんなかわいいくるみのケースがついたナイフ付き楊枝。
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こちらもフランス製、象牙の歯のケアセット。
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ヨーロッパの貴族が腰にぶら下げていたという銀製のアクセサリー。
この中にも楊枝や耳かきは必需品として入っていた。 -
最も古い青銅の楊枝。
紀元前から楊枝が使われていたとは〜
まだまだたくさんの展示品があったがこれくらいで。
つまようじ資料室、楊枝の歴史から、製造工程、世界の楊枝、美術品としてもすばらしい昔の楊枝などなど楊枝についての奥深い世界をいろいろと知ることができておもしろかった! -
つまようじ資料室からの帰り道、最後に一軒立ち寄ってもらった富田林市立立川西小学校教育歴史資料室。
昭和初期に建てられ、昭和50年頃まで使われていた教室。
登録有形文化財。 -
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正面玄関
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今日も半日、たっぷり楽しめた!
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