2009/12/23 - 2009/12/23
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みにくまさん
◎ 方広寺鐘銘事件
「国家安康」「君臣豊楽」
慶長19年(1614年)7月26日、徳川家康が、豊臣家が再建した方広寺の鐘に刻まれた文字が家康を呪っているものだとして、落慶供養を延期するように命じた事件です。
これは、豊臣家を滅ぼす口実を設けるための言いがかりであり、大坂の陣の直接の引き金の事件となりました。
この策を提案したのは側近の金地院崇伝(こんちいんすうでん)であると言われています。
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方広寺 鐘楼
方広寺は、豊国神社のすぐ隣にあり、敷地もつながっていて自由に行き来できるようになっていました。
噂に名高い鐘楼は、豊国神社の境内から見ることができ、まずはその大きさに圧倒されます。
しかし、これだけ大きな鐘楼と、見たことのない大きさの梵鐘を見て、御丁寧に写真に撮ったにも関わらず、方広寺というのが、もっと巨大な寺院だというイメージが頭から離れず、この後付近を30分くらい探し歩いてしましました。
後から考えたら本当にバカバカしい勘違いで、そもそもこんなに立派な梵鐘が、いくつもあるはずがないですよね。 -
方広寺 鐘楼
◎ 方広寺の歴史
方広寺は豊臣秀吉が建立した太閤ゆかりの寺で、天正14年(1586年)に奈良東大寺にならって大仏造立に着手し、文禄4年(1595年)には高さ19メートル、創建当時の奈良より高い大仏が鎮座する大仏殿が完成していました【京の大仏】。
慶長元年(1596年)、に地震により倒壊すると、豊臣秀頼により再建されますが、寛政10年(1798年)に落雷による火災で焼失。
以来、同様の規模のものは再建されませんでした。
その後は、木造上半身像が置かれていましたが、それも昭和48年(1973年)に火災で焼失しました。
現在では豊国神社の脇にひっそりとたたずむ小寺になっていますが、往時は三十三間堂、博物館一帯を境内に含むほど京都一の巨大な寺院だったと記録が残っています。 -
方広寺 鐘楼
◎ 京の大仏
今では全く馴染みの無い言葉ですが、かつては「京の大仏」があったということを知る人は少ないのではないでしょうか。
その規模は、奈良の大仏(東大寺)をはるかに凌ぐものであったという。
・奈良の大仏 高さ14.7m
・京の大仏 高さ19m
その大仏を収容する大仏殿も、巨大なものだったことが分かっています。参考までに、現存の奈良の大仏殿との比較を載せておきます。
・奈良の大仏殿 幅57.5m、奥行50.5m、高さ49.1m
・京の大仏殿 幅88m、奥行54m、高さ49m -
梵鐘 重要文化財
鐘楼は大正時代の再建ですが、この梵鐘は秀頼の命により、慶長19年(1614年)、京都三条釜座の名古屋三昌によって完成されました。
一説によると梵鐘の音色を良くする為と称して、5%くらいの黄金を加えて鋳造した鐘との事です。
(これも、徳川家による、豊臣家の軍資金を消費させるための策とか。)
◎ 梵鐘
高さ 4.2m
直径 2.8m
厚さ 0.27m
重さ 82.7トン -
梵鐘 重要文化財
巨大な梵鐘に刻まれた銘文を作ったのは清韓長老。
大仏殿の荘厳な様子を書き記した、悪意の無いものでしたが、家康の黒衣宰相と云われた金地院崇伝らによって、その文中の「国家安康・君臣豊楽」とは「家康の字の間に安を入れ、身体を二つに分けて呪い豊臣家は栄えさす」つまり、家康が死ぬ事で国家や豊臣家が栄えると故意に曲解して読み取られ、豊臣氏討伐への口実にされたのです⇒【方広寺鐘銘事件】。
漢文に長けていた金地院崇伝の解釈ではなく、実は林羅山の解釈だったという話もありますが、そういった諸説をここに掲載するのはやめておきます。 -
梵鐘 重要文化財
国家安康 君臣豊楽
御丁寧に梵鐘に白線で枠が囲ってあるので、よく分かります。
それにしても、誰がこの文字を白くし、枠で囲んでしまったのだろう・・・。 -
方広寺大仏殿遺物 京都市指定有形文化財
大仏は台座の一部などが現存するほか、大仏殿の遺物として柱の金輪、屋根の軒先に吊されていた風鐸が残されています。
尚、この鐘楼内に入るには、方広寺の寺務所に行って拝観料100円を支払って、鍵を預かって入るか、開けてもらう必要があります。
私の時はお寺の方が鍵を開けてくれ、さらに丁寧な説明まで頂けました。とっても親切な方で、好感がもてました。
拝観料やら駐車場代やらで、なんやかんや商売をしたがる寺院が多い中、このお寺は商売っ気を全く感じませんでした。
さらに、本堂内の仏像などの写真撮影もできるという寛容さ。本当に珍しい良心的なお寺だと思います。 -
方広寺大仏殿遺物 京都市指定有形文化財
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鐘楼 天井画
天井にギッシリと書き込まれた絵画の一部です。 -
鐘楼 天井画
天女像でしょうか。
そういえば梵鐘の内部をよく見ると、白い雲のようなものがあり、東側のものは人が立っているように見えますが、これは淀君の怨霊が幽霊になって残ったものと言われています。
◎ おしまい
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この旅行記へのコメント (2)
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- 前日光さん 2010/01/04 21:49:04
- 今年もよろしく〜♪
- みにくまさん、2010年の幕開けに際し、今年も良きことが重なりますようお祈り申し上げます!
ところで、これがあの有名な家康いちゃもん鐘銘事件の方広寺の鐘なんですね。
「天地人」でも、やってましたね。
あの松方弘樹の実に実にニクタラシイ家康、ハマッテましたよね。
鐘の内側の白い模様、見てみたいなぁ。
淀君の怨霊だなんて。。。フフ、私、怨霊話みたいの大好きなんですよ。
ところで、遅くなってしまいましたが、今年もよろしくお願いいたします<(_ _)>
前日光
- みにくまさん からの返信 2010/01/05 01:36:59
- RE: 今年もよろしく〜♪
前日光さん、こんばんは〜。
明けましておめでとうございます。
方広寺の鐘、見てきました〜。
写真では分かりにくいですが、かなり大きな鐘ですよ。
さすがに、徳川家が豊臣家の財政を破綻させようとして造らせただけのことはあります。
ホント、この時の家康はタヌキ爺として描かれることが多いですね。
実際その通りで、豊臣家の奉行衆など、赤子の手をひねるようなものだったのかもしれません。
鐘の内側の模様を見る時、私は怖くて長時間その場にいられませんでした。
・・・・もし、この鐘を釣ってる紐が切れて、この中に閉じ込められたら・・・・
あり得ないし、そのうち誰かが助けてくれるでしょうけど、怖いです。
怨霊より怖いです(^_^;)
では〜、今年もよろしくお願いいたします。
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