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かつて、水辺は癒しの場・憩いの空間として、誰にでも近い存在となっていました。<br /><br />しかし、市街地の水辺は都市化され、治水対策などによって誰も近づけなくなっています。<br /><br />そんな、私たちが暮らす水辺が、現在どのように変化し、どんな役割をしているのか、実際にボートで巡りながら、歴史・街づくり・環境について学ぶ活動が、NPO法人あそんで学ぶ環境と科学倶楽部が主催している「都心の水辺でエコツアー」。<br /><br />この活動を通して依頼された、草加市内を流れる綾瀬川を使った街づくりの様子をご案内。<br /><br />詳細は公式サイトから<br />http://www.enjoy-eco.or.jp <br />

日本の水辺探訪クルーズ 綾瀬川編

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2008/09 - 2008/09

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キャプテン

キャプテンさん

かつて、水辺は癒しの場・憩いの空間として、誰にでも近い存在となっていました。

しかし、市街地の水辺は都市化され、治水対策などによって誰も近づけなくなっています。

そんな、私たちが暮らす水辺が、現在どのように変化し、どんな役割をしているのか、実際にボートで巡りながら、歴史・街づくり・環境について学ぶ活動が、NPO法人あそんで学ぶ環境と科学倶楽部が主催している「都心の水辺でエコツアー」。

この活動を通して依頼された、草加市内を流れる綾瀬川を使った街づくりの様子をご案内。

詳細は公式サイトから
http://www.enjoy-eco.or.jp

交通手段

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  • 綾瀬川<br /><br />江戸時代初めまで、綾瀬川中下流は低湿地で通行が困難でした。大雨が降るたびに川筋が変わり、一定しないことから「あやし川」と呼ばれ、後に「綾瀬川」と変わっていったと伝えらています。<br /><br />伊奈忠次らによって堤が整備され、伊奈忠治らによって流量を調整するために武蔵国足立郡内匠新田(現・足立区南花畑の内匠橋付近)〜葛飾郡小菅間に平行して新綾瀬川が開削されました。

    綾瀬川

    江戸時代初めまで、綾瀬川中下流は低湿地で通行が困難でした。大雨が降るたびに川筋が変わり、一定しないことから「あやし川」と呼ばれ、後に「綾瀬川」と変わっていったと伝えらています。

    伊奈忠次らによって堤が整備され、伊奈忠治らによって流量を調整するために武蔵国足立郡内匠新田(現・足立区南花畑の内匠橋付近)〜葛飾郡小菅間に平行して新綾瀬川が開削されました。

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