2009/12/02 - 2009/12/02
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カメちゃんさん
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12月2日、サークルのメンバーで知多半島日帰りドライブを楽しみました。
去年の「嵯峨トロッコ列車の旅」に続く「お楽しみ」の第2弾!!と言うことで、ともかく日帰り旅行を!となったのです。
行き先を検討したところ、知多半島にある「新美南吉記念館」と「杉本美術館」、そして「エビフリャ〜」に的が絞られました。文学と美術のことは、文章を書いたこともなく、絵など全く描けないし見どころも知らない私にとっては大の苦手!! でも、皆さんのご希望なので、私は「エビフリャ〜」だけを楽しみに、皆さんと一緒に出かけていきました。
知多半島は、私の日常の行動経路(関西⇔関東間の東西移動)から外れているので、その風景さえも日常では見ることがありません。昨年の「日間賀島忘年会の旅」に続く今回の旅で知多半島はグ〜ン!と身近になって、親しみを感じるようになりましたね。
気軽な日帰りの旅!!。用意するものもこれといってなく、ハンカチとティッシュにカメラだけのお気軽旅と相成りました。
車は、運転の好きなA子さん、道案内は不肖カメちゃん! 和気相合の4人の旅の始まりであります。(*^_^*)
「嵯峨トロッコ列車の旅」は↓をご覧下さい。
http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/album/10290689/
「日間賀島忘年会の旅」は↓をご覧下さい。
http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/album/10296382/
今回、この時の訪問先をGoogle Map ご覧いただけるようにしました
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 旅行の手配内容
- その他
PR
-
きょうは途中でBさんを拾っていく関係で、東名高速道路の豊田インター経由となりました。
Bさんを拾ってインターに向かう途中左手に見えたのが、トヨタ自動車の「元町工場」です。昭和30年代中頃から操業している伝統ある工場です。敷地面積は約160万?で、およそ7600人ほどの人が働いています。
この工場では、クラウン、 クラウンマジェスタ、 マークX、 エスティマ などの4車種を作っているみたいですが(約一年前)、不況下の再編なんかで、今ではどうなっているんでしょうかね? -
めでたく東名高速道路に進入!!
平日の水曜日10時ごろ、いつも渋滞の東名も、きょうは割と空いていました(^^)
まずは豊田ジャンクションに向かいます。そして、「伊勢湾岸道」を通って「知多半島道路」へと進めていきます。 -
早いもので(~o~)、もう「新美南吉記念館」に到着してしまいました。
普通「記念館」「博物館」の建物かと思ってきたのでしたけど。建物の形がずいぶんと違っていて(半地下式、やねは低くて平たい波のような形状)、うっかりすると見落としてしまいそうでした。
新美南吉記念館は↓を参照下さい。
http://www.nankichi.gr.jp/
地図は↓をご覧下さい。 http://maps.google.co.jp/maps/ms?hl=ja&ie=UTF8&msa=0&msid=101016593599736252226.00047b52641a3d30aa61f&brcurrent=3,0x6004bad5499332e7:0xeb5fa65d181541a7,0&ll=34.909131,136.911337&spn=0.002921,0.00449&z=18 -
新美南吉の童話「手ぶくろを買いに」に出てくる、キツネの親子です。
私は新美南吉のことを全く知らなかったので、このキツネの像もここに彫られた言葉もゼンゼン理解できませんでした(-_-;)
「手ぶくろを買いに」は、新美南吉の代表作の一つだったんですね。 -
記念館入り口の横に座っていた新美南吉です。
恵まれない家庭環境の中で、読書と学習と童話作りに心血を注いだ彼の姿に、畏敬の念を感じるこの頃です。 -
「新美南吉記念館」設立趣旨です。
その後半の見えにくいところには、
「四季折々に変化する童話の森を背景に、眼下に広がる権現山や矢勝川、土の匂いとともに広がる田園風景など、自然に親しみながら、人と人との出会いと心のふれあいを大切にする場として、南吉顕彰とともに全国的な規模での文化交流の拠点となるよう願っています。1994年6月」
と書いてあります。 -
記念館に入ってみると、真っ先に目に飛び込んできたのが「春の電車」の詩でした。
私などが要らぬ感想を述べるよりも、じっくり読んでみてくださいね。 -
全集も出ているようですね。
童話の本もあるようですので、読んでみたいものです。 -
新見南吉の代表作「ごんぎつね」のストーリーを一枚のパネルにしたものです。
私の全く知らなかった童話ゆえ、
「あ〜、キツネの物語か」
という程度の感覚で見ただけでした。(-_-;)
「知らない」ってことは、そう言うことですね(;_;) -
南吉の代表作「ごんぎつね」のミニチュアセットです。
これは、その最初のものです。私の勝手な話でご紹介しますね。
−−−−−−−−−−−−−−−−
〔その1〕
「中山から少し離れた山に、『ごん』という狐が一人住んでいました。そして、夜でも昼でも村へ来ていたずらをしていました」 -
〔その2〕
「雨上がりのある日、『ごん』は川で魚を捕っている兵十さんを見つけました。
兵十さんがいなくなると“びく”の中の魚をみんな川に投げ込み、最後のウナギを口にくわえたところを、兵十さんに見つかりました。 兵十さんは『こら、盗っ人狐め!』とどなりました。
『ごん』はビックリして、ウナギが首に巻き付いたまま逃げました。」 -
〔その3〕
「それから何日も過ぎてから、葬式の行列を見ました。お墓には彼岸花が咲いていました。
『死んだのは兵十のおっかあだ』『ごん』は考えました。
『兵十のおっかあはウナギが食べたかったんだ。ワシがウナギを盗ってしまったから、兵十はおっかあにウナギを食べさせることができなかったんだ。チョ、あんなイタズラしなければよかった。』」 -
〔その4〕
「兵十さんはおっかあが死んで一人ぼっちになりました。
『ごん』は、『兵十はおれと同じ一人ぼっちだ』と思うと可哀想になり、ウナギの償いにと山で拾った栗を兵十さんの家へそっと置いてきました。次の日も、また次の日もそっと置いてきました。そのうち、松茸も一緒に持ってきて置いてきたのです」 -
〔その5〕
「月のきれいな晩に、『ごん』は兵十さんが村の加助さんと話しているのを聞いてしまいました。
『このごろ不思議なことがあるんだ。誰かが栗や松茸を届けてくれるんだよ。』
加助さんは、『それは、きっと神さんの仕業だぞ。神さんにお礼を言うがいいよ』と言ってくれました。」 -
〔その6〕
「次の日も『ごん』は栗を持っていきました。
兵十さんは『ごん』に気づくと『あの盗っ人狐だ』と思って鉄砲で撃ちました。栗を見た兵十さんは、『ごん、お前だったのか!いつも栗を持ってきてくれていたのは。』『ごん』は、ぐったりとして目をつぶったままうなづきました。」
「ごんぎつね」のお話はここでお終いです。
−−−−−−−−−−−−−−−−
悲しい最後になってしまいました。
「ごん」の気持は私の気持ち。ちょっとドジして、何とかしたいけどちょっとコソコソしちゃう。南吉に私の心を覗かれてしまったかのような気がして・・。
そんな「ごん」が鉄砲で撃たれて!(*_*)(T_T) 私は茫然としてしまいました。
そして、「ごん」のことが胸に焼き付いてしまいました(T_T) -
ここからは新美南吉のことをご紹介したいと思います。
新美南吉が少年期を過ごした地域の光景だと思います。
本当に片田舎!という感じがしますが、私の古里も昔はこんなものでしたね。
私の小さいころは、田んぼへ行く細い道の途中には火葬場があって、とても怖い想いをしたものでした。 -
新美南吉は4歳にして実母を失いました。
父はその後後妻を迎え、「腹違い」の弟が生まれました。4〜5歳のころは近所の小学生の女の子に子守をしてもらいました。
8歳の時、亡くなった実母の実家のおばあさんの「養子」となったけど、おばあさんが情に薄い人でその年の暮れには父の元に返りました。
学校での成績は常にトップで、高等小学校から中学へと進みました。私のことを言ってはナンですが、学業というものは本当に苦手でしたねぇ(-_-;)
写真で見る南吉の生まれた家は、あの頃にしてはずいぶん大きな家かな?と感じましたね。 -
旧制中学生時代と代用教員時代
南吉は中学2年生のころから文学に目覚め、会誌に投稿もしていたようです。16歳(旧制中学4年?)のころに、早くも童謡122編、童話15編、詩33編をつくったというのですから、本当に天才だったのですね。
この頃に「新美南吉」というペンネームを使い始めたようです。 学業成績も2番!!ですから、本当にスゴイです!!この頃では、中学生でも自分のことを「余」と言っていたのですね〜。
中学卒業後に代用教員に採用され、子供たちとの充実した時期があったようです。
そんな中で、童謡をたくさん作ったというのですから、中学生時代からの童話・童謡への関心は衰えることがなかったのですね。
そんな新美南吉の童話・童謡への強い拘りと情熱に、敬服してしまう私です。
「カメちゃん」もそうですが、私もペンネーム使用したことがあります。
「オレなんてカッコよくないし、ダメな人間なんだよ!(-_-;)」って本心からそう思っていますので、ついつい名を隠してしまうんですよ。ですから、出品した中には私の名はどこにも残っていません(~o~)。でも、何となく変ですね。 -
その頃の日本。
南吉の身近なところでは、電車の線路が近くまで開通しました。
他方では世界的な不況となり、世情は不安定になったようです。中学卒業の年には満州事変が起きました。 -
中学卒業時の「優等賞」ですね。
私は「ほたる賞」でしたから、立場が全く逆ですわ!(;_;)
それにしても、大変な才能です!! -
代用教員時代初期の日記ですね。
日記にしては、修正があったりして面白く感じました。
私も若いころに4〜5年間ほど日記をつけていました。仕事のことよりも、思ったことを自由に書きまくりましたねぇ(^_^;) しかし、焼却処分にしました。なぜ、焼却したか?今でも悔やまれますが、あの時はあれで精一杯でしたね。
さて、南吉は代用教員を数ヶ月で辞めた翌年の1月に、19歳にして、子供向け雑誌の「赤い鳥」1月号に「ごん狐」を掲載したのです。
そして、4月には東京外国語学校(現・東京外国語大学)に入学したのでした。合格の時はかなり嬉しかったみたいですよ(^o^) -
優秀な人には、素晴らしい出会いもある。
そうした出会いが、彼の才能と活動範囲をさらに伸ばしていくのですね。いかなる出会いに恵まれるかは、その人の一生に大きく影響するもののように思います。もちろん、そうした出会いを活かせる才能があればこそですが・・。
世の中には素晴らしい才能を持ちながらも、出会いに恵まれないままに埋もれてしまった人々も数限りないと思われてなりません。
「腰おろす 石のぬくみや よき疲れ」
私も、昔は芝刈りの帰り道で、今ではウォーキングの途中で、日当たりのよいところにある石に腰をおろしてホットするひとときを感じています。 -
同人誌での活躍とその後・・
そして、外国語学校卒業後・・
南吉は身体を壊し、失意の帰郷。
自殺も考えた。
孤独と闘ったのですね。
そして、報いを求めない他人への愛の道を決心・・。
こんな私にも、新美南吉のその時の気持ちは分かるような気がします。 -
昭和12年、河和の小学校に勤務。
24歳ほどというのに学校の正門前の坂道を喘ぎ喘ぎ登ったようで、身体は相変わらず弱かったですね。
子供たちとの出会いや山田先生との出会いと文通で生きる勇気をもったのです。
ここでの学校の校舎の写真は、私達が通った小学校・中学校とよく似ています。昔をちょっと懐かしんでしまいました。 -
山田先生への恋文
読めるところの部分は、就職に関する悩みの相談のようですが、後半の内容は分かりません。でも、説明は「山田先生への恋文」となっていました。
「へんてこな気持を告げやらん人もなければ 迷惑とは百も承知ながら またまたあなたの耳わずらはす次第です・・」
手紙を出しては迷惑かと案じながらも、書きたくて仕方のないこの気持は、私には痛いほど分かります。本当に痛いほどに分かります。南吉のような美男子でも、こんなに遠慮深い気持をもっていたんだと感じ入ってしまいました。
しかし、何よりも、南吉には本当の気持を打ち明けられる人がいることの幸せ!!があったことを、しみじみと感じる手紙です。
「本心を打ち明けられること」
それは恋文だけではありません。社会問題から人間関係までの様々な問題で、本心を打ち明けられる人が果たしているのでしょうか?
私はそう自問する時、目の前が真っ暗になってしまうのです。 -
小学校へ勤めた日(昭和12年4月)
外国語学校を卒業して小学校の代用教員として勤めはじめました。
最初に勤めた日の様子がとても面白いですね。 -
そのころの日本です。
日中戦争が始まりましたね。 この頃から金属や綿製品がなくなり、木製のバケツや木炭車が出始めていたんですねぇ(-_-;)
私は、木製のバケツや木炭車なんて戦争末期頃のことかと勝手に思っていましたので、ちょっとビックリでした。 -
南吉は昭和13年春から、「安城高等女学校」に採用され、南吉にとって一番いい時を迎えました。
本人も安心し、父も義母も大喜びをしたようです。
研修旅行に行ったり、修学旅行に同行したり、富士山に登ったり、転校した教え子との文通をしたりして、元気で楽しいひとときを過ごした時でした。 -
昭和14年頃からたくさんの詩を書いて、中国の哈爾浜市の「日々新聞」に発表したり、学校の生徒詩集に掲載したりして、活動を強化していきます。
昭和16年、17年と本を出版(「おぢいさんのランプ」はこの時出版)し、大いに気を吐いたのですが、昭和18年にはついに病床についてしまいました。
2月には学校も辞め、3月には母と同じ29歳でこの世を去ってしまったのでした。
こうした様子は「新美南吉の生涯」で検索されますと、いろいろなサイトで読むことができます。 -
またまた、ミニチュアセットを見てみましょう。
今度は「狐」です。またも、私の勝手な解説です。
〔その1〕
「月夜に7人の子供が、夜のお祭りを見に行く途中に下駄やさんに立ち寄って、文六ちゃんの下駄を買いました。
文六ちゃんが新しい下駄をはいた時、腰の曲がったおばあさんが『晩げに新しい下駄をおろすと狐がつくというだに」と言いました。
みんなビックリしましたけど、下駄屋のおばさんがマッチで狐払いのおまじないをしてくれました。」 -
〔その2〕
「子供たちは稚児さんを見に行きました。稚児さんの『トネ子』見つけたり、ネズミ花火やかんしゃく玉で遊びました。
そして、提灯の灯りに浮かぶギョロ目や赤い舌の操り人形を見た時、おばあさんの狐の話を思い出してしまいました。」 -
〔その3〕
「子供たちは月夜の帰り道に、下駄屋のおばさんがしたマッチのおまじないが、本物だったのか心配になってきました。
『文六ちゃんの心の中はもう狐になっているかも・・』
しばらくして、文六ちゃんが『コン』と咳をしました。皆には狐の声のように聞こえたのでした。」 -
〔その4〕
「文六ちゃんの家はみんなの家と離れていたので、いつもは水車小屋のところからみんなで送ってくれたのです。でも、今夜は誰も送ってくれないのです。
文六ちゃんは、もう分かっていたのです。みんなが自分の下駄と咳のためにどういうことになったかを。でも、それが文六ちゃんには情けなかったのです。」
〔その5〕
<写真を撮っていませんでした>
新美南吉記念館にお出掛けになって確かめてくださいね(^o^) -
〔その6〕
「その晩は、文六ちゃんのお父さんの帰りが遅いので、おかあさんといっしょに寝ました。文六ちゃんは言いました。
『ぼくが本当に狐になっちゃったらどうする?』
お母さんは答えました
『父ちゃんと母ちゃんも狐になりますよ。鴉根山に行けば、今でも狐がいるそうだから。』
文六ちゃんはお母さんの胸にしがみつきました。お母さんもこっそり目のふちを拭きました。」
とても、ジーンとくるお話でした。
私の子供のころ、夜のお宮さんを見るのが怖かったことを思い出します。
子供を中心とした地域の様子の分かるよいお話でした。
「狐」の話は、これでおわり -
次は、「手ぶくろを買いに」のお話
〔その1〕
「寒い冬が狐の親子の住んでいる森にやってきました。
洞穴から飛び出ようとした子狐は『母ちゃん、目に何かが刺さった。早く抜いて』と言いました。
お母さんが見ると何も刺さっていませんでした。初めて雪を見た子狐の目には、雪の眩しいほどの反射が目に痛かったのでした。
やがて、子狐は雪になれて、真綿のように柔らかい雪の上を駆けまわるのでした。」 -
〔その2〕
「お母ちゃん、お手々が冷たいよ〜。ちんちんする。」
子狐は濡れた手をお母さんの前に差し出しました。
お母さんはハーッと息を吹きかけて、温かい手でやんわり包んでやりました。
それから、夜になったら町へ出掛けて毛糸の手ぶくろでも買ってやろうかと思ったのです。」 -
〔その3〕
「狐の親子は町へやってきました。
お母さんは町の灯りを見た時、ある時に友達が悪さをしてお百姓さんに追いまくられたことを思い出して、足が進まなくなりました。
お母さんは子狐の片方の手を可愛い人間の手に変えて、
『いいかい坊や、シャッポの看板の掛かっている家を探したら、トントンと戸をたたいて『こんばんは』って言うんだよ。それからね、こっちの人間の手の方を差し入れて『手ぶくろを頂戴」って言うんだよ』
と教えてやりました。
お母さんはそう言うと、もってきた白銅貨を人間の手の方に持たせてやりました。」 -
〔その4〕
「子狐はシャッポ屋の戸が開いた時、お店の灯りが眩しかったので、手を間違えて狐の手の方を出して『このお手々にちょうどよい手ぶくろを下さい』と言いました。
シャッポ屋さんは狐の手を見ておかしいと思いましたが、本当の白銅貨を見たので、棚から子供用の手ぶくろを出して子狐に持たせてやりました。
子狐はお礼を言って、もと来た道を戻りました。」 -
〔その5〕
「子狐がある家の窓の下を通りかかると、人間の声が聞こえてきました。
『ねむれ ねむれ 母の胸に、ねむれ ねむれ 母の手に・・』
なんて優しい、なんて美しく、ゆったりとした声でしょう。
子狐は、この声はきっと人間のお母さんの声だと思いました。だって、子狐も眠る時には、お母さんの優しい声で揺すぶってくれるからです」 -
〔その6〕
「お母さん狐は子狐を見ると暖い胸に抱きしめて泣きたいほどよろこびました。子狐は言いました『母ちゃん、人間ってちっとも恐かないや。手を間違えて出してもちゃんとこんなにいい暖かい手ぶくろくれたもの。』 お母さんは『まあ!』と呆れましたが、『ほんとうに人間はいいものかしら。ほんとうに人間はいいものかしら』とつぶやきました。」
−−−−−−−−−−−−−−
「手ぶくろを買いに」という童話は、ここで終わりです。
とってもいいお話ですね。本文では、話の最初のところの情景描写がとても綺麗です。こんなお話を、子供にも今の若者にも読んでもらいたいものですね。
ところで、「危険な買い物を子狐にさせたのはなぜか」という議論があるようです。
しかし、私も未成年者の飲酒禁止の風潮のあった中で、中学生の子供にビールを買わせたことがありました。
南吉は、子供なら可愛いと思って売ってくれるかも知れないという、人々の思いへの期待を表現したのかな?と思ったりします。 -
新美南吉記念館の展示場の一角には、この地域出身の哲学者「森信三」先生の展示もありました。
地元が誇る哲学者、森信三先生の説明を少しご紹介したいと思います。
私自身は森信三先生のことを全く知りませんででした。 -
森先生の胸像です。
-
学問の道。
これは難しいですね。
私などは、「学問と何か」自体を知らないのですから、全く話になりません。(*_*)(T_T)
「真理は現実のただ中にあり。」
学問とか真理を書物の中に求める人、表面的な調査・分析に求める人の多い(中には外国仕込みの理論〔その人にとっての真理?〕を振りかざす人も多い)中では、本当に貴重なお話だと思いますね。
でも、「全一学」のお話は宇宙のお話にまで及ぶみたいで、ちょっと難しそう(-_-;)
私は、私流に考えて、真理は「カミさんの言葉の中にある」と思っているのであります!!(*^_^*) -
教育の道
「真理は現実のただ中にあり」という信念を実践された人ですねぇ。
「一人雑誌」「自分史」「読書会」を広く勧められたこと、これだけ高名な先生なのにゴミ拾いにも徹せられたことなどには、感動と尊敬の念を強く持ちました。
教育の道に本当に身を投げ出して取り組まれた人だったのですね。 -
生き方 「人生二度なし」
今ほど、日本人の生き方が問われている時はないと思います。戦前の教育で学校教育を完結した世代から、戦後教育で育った世代が「ジジ・ババ」になってきた今の時代、各世代の「個人」としての生き方が問われているような感じがします。
「人生二度なし。」
どんなことも他人事と思わず、よいことは取り入れ、悪いことは反面教師として学んで、前向きに歩んで欲しいですね。
「ジジ・ババ」世代にとっては、まずは子離れ・孫離れをちゃんとして、夫婦間はバッチリ協力し合って、一度きりの人生のお手本を示して欲しいですね。
子や孫の側にしても「ジジ・ババ」や親に依存することなく、一度きりの人生を自らの力で切り開いて欲しいですね。 -
自銘
高い地位と名声に拘らない姿勢に感銘を受けます。
「国民教育」。本当に大事だと思いますね。
いつでも誰でも入れて、学びたいことが学べる「自由高等学校」みたいなものが全国にあるといいですね!!
例えば、大学や高校の教室の一部をそこにあてるとか(今でも社会人大学や社会人講座がありますが、まだまだ普及していないですし、敷居が高いようですね)。 -
出身地は半田市岩滑。「新美南吉」と同じ地域だったのです。
勤勉・実直な養父母の深い愛情のもとに育てられ、学業成績も優秀。
今で言う中学?高校?を卒業してから、一時働いたものの師範学校を目指しました。そして京都大学へ・・。あの、「一時働いた」ことが、森信三先生の考え方に影から影響を与えていたかも知れないと、私は勝手に推測していますけど・・。
それにしても、人間は勉強嫌いではダメですね〜〜(-_-;)
勉強なんてしたことのない私が一生を超低空飛行で過ごしたのも、本当に納得しますよ!!
勉強!勉強!!であります!!(^_^;)
あれっ??カミさんがなんか言ってるよ!!(*^_^*)
お茶碗を洗ったか?ですか??
お掃除をしたか?ですか??
ハイ・ハイ!! やります、やります!!(~o~)
ついでに、足裏マッサージもしますよ〜〜ん!!(^O^)
勉強は、またね〜〜〜(^_^)v(^^)/~~~ -
展示室を出て、喫茶&レストランの方へ出たところに、南吉の童話「花のき村と盗人たち」を舞台の形にセットした彫刻がありました。
「花のき村と盗人たち」のお話も、人の心を面白くほのぼのとした内容でお話していますよ〜。是非、読んで下さいね〜(^_^)v -
お店のお土産です。
今になって悔やんでいるのですが、あの狐の坊やを買ってくればよかったですね〜。
今度行く機会があったら、買ってきますね!! -
「新美南吉記念館」の前庭の一部です。
新美南吉をして、あんなに優しく心豊かな人にさせたのは何だっただろうか?と思うものの、これ!といったものは分かりません。
もちろん、天性の才能と物事を豊かに受け止める感受性のあったことは当然です。
南吉の童話には、地域に伝えられていた話が元になっているのもありますので、南吉はそう言う話を心に留めていたようにも思われます。
私も、狐が農民をダマした面白くて可笑しい話を父から聞いていますので、南吉にそんな話をする人が身近にいたのかも知れないですね。
新美南吉の話をちょっと「暗い」と言う人もいるようですが、私には明るい話の方がむしろ違和感があります。
誰の人生にも明暗がありますよね。南吉には南吉の人生がありますよね〜。むしろ、そこにこそ南吉の作品の味わいがあるようにも感じます。
「ごんぎつね」も「手ぶくろを買いに」も「狐」も然りですね。
南吉の童話を、子供はもちろん、大人にももう一度読んで欲しいものと思いました。 -
これは、昭和23年にアメリカ軍が撮影した旧国鉄(現・JR)安城駅付近の航空写真です。
新美南吉の勤務した「安城高等女学校」のあったところが表示されています。
↓をクリックしますと現在の安城駅と、「安城高等女学校」のあったところ(桜町小学校のあたり)を地図上で知ることが出来ます。
http://maps.google.co.jp/maps/ms?hl=ja&ie=UTF8&msa=0&msid=101016593599736252226.00047b52641a3d30aa61f&ll=34.960589,137.080278&spn=0.007843,0.010514&z=17&brcurrent=3,0x6004999ad33be547:0x7cb953028cb37981,0 -
これも、アメリカ軍が撮影した半田市の昔の空撮写真です。
新美南吉の生家が分かります。
↓をクリックされますと、現在の地図で新美南吉の生家を知ることが出来ます。
http://maps.google.co.jp/maps/ms?hl=ja&ie=UTF8&msa=0&msid=101016593599736252226.00047b52641a3d30aa61f&ll=34.910631,136.923906&spn=0.007848,0.010514&z=17&brcurrent=3,0x6004999ad33be547:0x7cb953028cb37981,0&iwloc=00047d6a34e98db49907e -
これも、半田市の昔の空撮写真です。
新美南吉が幼少時代を過ごした半田市街西部の地域です。
↑のGoogleマップで、現在の様子と較べてみて下さいね。
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この旅行記へのコメント (10)
-
- waterlilyさん 2010/02/08 13:52:47
- 代償を求めない他者への愛
- カメちゃんさん、こんにちは♪
新美南吉!大・大好きな作家なので、と〜っても嬉しく拝見しました。
新美南吉記念館もいつか行ってみたいと憧れの記念館なので、カメちゃんさんがいらしたと知り、一層嬉しいです。
誠実で真摯で真っ直ぐで優しくて、そんな新美南吉が大好きなのですが、新美南吉のそういう所ってカメちゃんさんに共通する部分があるように思えてなりません。
「ごんぎつね」は勿論好きな作品ですが、「でんでんむしのかなしみ」も好きです。
どちらも切なくて寂しいけれど、彼の本質的な優しさが感じられて。
‘代償を求めない他者への愛’そして‘弱者への愛’そのことにしみじみと心打たれます。
「狐」の、不安な文六ちゃんが狐になっちゃったらどうする?と聞いた時のお母さんの返答も優しくて、ほんと、じ〜んと来ますよね。
南吉の童話は勿論童話ですから子供向けではあるけれど、大人になって読んでこそその奥深さが理解出来る気がします。
昔まだ少女だった頃、新美南吉の本をある人にプレゼントしたことがあります。
カメちゃんさんのこの旅行記を拝見して、その頃の懐かしい思い出などがよみがえり胸キュンとしてしまいました。
見返りを求めない愛、、、もう一度胸に深く刻みたいと、今あらためて静かに温かに心が清められたような気持ちです。
カメちゃんさん、素敵な旅行記を本当にありがとうございました。
- カメちゃんさん からの返信 2010/02/08 17:20:52
- RE: 代償を求めない他者への愛
- waterlilyさん こんにちは〜(^-^)
コメントをいただき、とっても嬉しいです!!(^-^)
> 新美南吉!大・大好きな作家なので、と〜っても嬉しく拝見しました。
waterlilyさんも新美南吉の大ファンだったんですか(^-^)!(^^)!
なんか、とっても嬉しくなってきました(*^_^*)
あるお方に、南吉の本をプレゼントまでされたなんて、感動も大きかったのですね。
私はこの旅を終えてすぐ、南吉の童話を幾つか読みあさりました。
お話の「でんでんむしのかなしみ」もそうでした。心を開かせてくれるステキな話でしたね。
南吉のどの話も、人々の心の片隅にあるちょっとした不安や喜びに光を当てているようで、共感できるものばかりですね。
南吉童話の背景となっている半田地域の農村の情景は、私たちの子供の頃の農村の情景にも共通するところがありましたので(あの頃は戦争続きで農村の変化は遅々としたものでしたから)、彼の話は私にはよく分かりました。そのためかどうか、私達にはストーリーだけでなくて、肌身に感じてきた「何か」も含めて、南吉の話は身近に感じたものでした。
> 見返りを求めない愛、、、もう一度胸に深く刻みたいと、今あらためて静かに温かに心が清められたような気持ちです。
本当にそうですね。
見返りを求めていては、本当の愛も、真剣な努力も、どこかで歪んだものになりやすいですね。
南吉も、悩み抜いた末にそうした道に気づき、決心したのでしたね。
29年の短い南吉の生涯でしたが、彼の優しく純真で真っ直ぐな心は、今も未来も人々の心に灯をつけ続けていくことでしょう!!
そう思いますと、南吉の何十分の一であろうとも、私も彼の生き方にあやかりたいものと思います。
waterlilyさんのお話で、新美南吉記念館を訪れて本当によかったと、改めて感じさせていただきました。
きょうは、嬉しい一日になりそうです!!(^-^)(*^_^*)
それでは、また・・(^_^)v
カメちゃん
-
- Guavalomilomiさん 2010/01/21 15:01:37
- 心がぬくぬく、あったかなお話
- カメちゃんさん、コンニチハ!
新美南吉って、わたしも知りませんでした。
子どもの頃、良く読んだ童話はグリム童話やイソップ物語、
アンデルセン等、外国のばかりで、日本のは宮沢賢治くらいでしょうか?
後、テレビでやってた日本昔話。
ゴン狐は、最後が可愛そう、泣きたくなっちゃいますね。
同じ狐のお話でも、手袋を買いにの方は、ほのぼのとしたお話で、
読んだ後、心が温かくなりました。
カメちゃんさんの解説も場面にピッタリ!
ステキなお話を、紹介して下さって、有難うです。
グアバ
- カメちゃんさん からの返信 2010/01/21 19:30:37
- RE: 心がぬくぬく、あったかなお話
- Guavalomilomiさん こんばんは〜(^^)
今日は名古屋までお出掛けしていて、お返事が遅くなってしまいました。
ごめんなさいねm(_ _)m
新美南吉の話を読んでくださって、とっても嬉しいです(^-^)
新美南吉のことは全く知らない私でしたが、サークルの皆さんのご提案で「新美南吉記念館」訪ねることが出来ました。
私と同じ愛知県内に、こんなにステキな童話作家がいたなんて嬉しくなってしまいましたね!!
> 子どもの頃、良く読んだ童話はグリム童話やイソップ物語、
> 後、テレビでやってた日本昔話。
そうですね〜。
もともと勉強嫌いな私でしたから(謙遜でなくて、ホントに)、学校でどんな童話を習ったか殆ど思い出せませんです(-_-;) ぼんやりと思い出せるものといえば、紙芝居で見た白雪姫とかイソップ物語ですね〜。
> ゴン狐は、最後が可愛そう、泣きたくなっちゃいますね。
> 同じ狐のお話でも、手袋を買いにの方は、ほのぼのとしたお話で、
> 読んだ後、心が温かくなりました。
お話の通りですね!!(^-^)
南吉の話は心に響きますよね〜〜。こういう読後感に浸ったのは久しぶりですよ〜〜!(^-^)(^_^)v
そんなステキな童話作家が29歳にして他界してしまったなんて、何という運命の悪戯かと複雑な想いに駆られますね。
南吉の郷里と私の郷里は25km程しか離れておりませんし、話の中に出てくる漁法とか方言・地域の雰囲気も私の小さい頃の生活によく似ていましたので、私にはなおのこと心ひかれましたね。
> カメちゃんさんの解説も場面にピッタリ!
ありがとうございます!! そう仰っていただき、ホッとしています!!(~o~)
実は、一部の写真に写っていましたように、ストーリーをごく簡単に書いたパネルがあったのです。それを全部撮影しておけばよかったのに、旅行記を書く段階で一部の撮影漏れに気がついて、慌てました。そこは勝手な文章で書きましたので、とても心配していたのです。
新美南吉は、私が忘れていた「こころの故郷」を取り戻させてくれました。
ホントによい旅をしたと思っています。
> ステキなお話を、紹介して下さって、有難うです。
こちらこそ、コメントいただいて感謝・感謝です!!
ありがとうございました。
これからもよろしく御願いします。
カメちゃん
-
- ちょびれさん 2010/01/20 21:01:38
- ほのぼのと懐かしく思い出しました
- カメちゃんさん
こんばんわ!
ポチっとだけして感想文がまだでした〜すんません(__)
ごんぎつね・・・
子供たちが小学校一年生の時に教科書に載っていたものでした!
日本の童話というのはその情景もそして内容も読み聞かせをすると尚更
のこと脳裏にぱあーっと広がりますよね。
このお話はやっぱり冬に読むべきですねー。
そして是非お母さんが枕元で一緒に絵本を広げて読み聞かせをして
欲しいと思う逸品です。
親の愛情の深さ・・・というか、心に沁み入る言葉を子供たちが
自分なりに感じとって欲しい。
手袋を買いに・・・
お手手がちんちんするよお。ここ!物凄く印象的でしたねー。
こぎつねの小さなお手手がかじかんで冷たーくなっている冷たさが
伝わってきましたもん。
今のおかあさんたちが読み聞かせをどの程度やっているのか良く解らない
けれど、童話を沢山読んで情感豊かな子供たちが大人になっていけば
いいなあ・・・
とおばちゃまは願ってます!(^^)!
ちょびれ
- カメちゃんさん からの返信 2010/01/21 00:34:01
- RE: ほのぼのと懐かしく思い出しました
- ちょびれさん こんばんは〜(^^)
コメントを頂き、ありがとうございました(^_-)
> 子供たちが小学校一年生の時に教科書に載っていたものでした!
そうでしたか!!
私達の頃はどんなことを習ったのか、もう忘れてしまいましたけど・・(-_-;)
ひょっとして、「さいたさいた さくらがさいた・・」だったかも??(~o~)
> 脳裏にぱあーっと広がりますよね。
本当にそうですね。童話のよいところは、子供にも情景を描きやすいことですね。
もっとも、それが童話なんですけど・・(^_^;)
南吉の話は、当時の暮らしの情景そのまま書いてあるようですから、親しみも感じますね〜。
こういう話は、読むにも聞かせるにもコタツの中や布団の中ですと、確かに雰囲気が合いますね(^-^)
「手袋を買いに」を読みますと、子供の頃に雪と遊んだことが思い起こされて、懐かしさもありました。
南吉の話の全てを読んでいないので断定的なことは言えませんが、王子様とお姫様みたいな別世界の話ではなくて、そして何より情景が架空のモノではないことが、一層の親しみを感じるんですね。
ところで、今の童話ってどうなっているんでしょうかね。
私の知人で読み聞かせをしている人がいましたが、長くあっていませんので分かりません。
マンガなどの動画に慣れ親しんでしまっている子供に、ごんぎつねがどんな風に伝わるのか?
記念館に子供の感想がちょっとだけ表示されていましたが、そこにはこんなことが書いてありました。
「ごんは悪いことをしたのだから、鉄砲で撃たれたのは仕方ない」
「私はごんのような悪いことはしません」
こんなような感想が意外と多かったのには???と思いましたね。
「ごん」への同情とか、栗を持っていった「ごん」の気持を思うという感想が少ないような感じがしました。そうとは知らずに「ごん」を撃ってしまった「兵十」の悲しさも感じ取れなかったようですね。
インターネット上でも、子供たちの感想・反応を載せている記事がありますが、ちょっと美化しているような気がしました。
多くのマンガが底の浅い楽しいものが中心になったり、「〜〜マン」のように最終的には正義が暴力で勝利するマンガなどがあふれている中では、微妙な心の動きを読み取れる子供が減っているのでは??と心配になってきますね。
南吉のような童話により多くの人たちが親しんでくれるといいですね。心の通い合う話にもっと触れ合って欲しいですね。
あ〜〜、ちょっと堅い話になってしましました(-_-;)
南吉の話は、今の時代をも見通していたのでしょうか??
明日は雨とか・・
風など気をつけてくださいね。
ありがとうございました。
カメちゃん
-
- ちゃむたさん 2010/01/19 11:03:02
- わぁぁ〜んっっ、やっぱりダメだぁ〜・・・
- カメちゃんこんにちは〜
カメちゃんの旅行記に「ごんぎつね」とあったのを見た時に“読みたいけど…”手を付けずにおりました〜
ごんぎつねのお話が小さい時から苦手なので、お話を思い出しちゃうから。
(小学校の時、教科書にものっていて授業が辛かった思い出が…)
…と、思いましたが“旅行記だしね♪”と、どうしても読みたくて開いちゃいました〜
最初のパネルで、すでに泣きそうでしたがそのまま読み進め・・・
あぁ〜!
カメちゃん、丁寧にお話まで紹介してくれてる〜っっ
ダメダメ〜っっ!
・・・時、すでに遅し…(T_T)
子供のころよりも数段涙腺が弱くなってる〜
やっぱりダメだぁ〜号泣しちゃった〜!
ついでに小さい頃平気だった「手袋を買いに」まで、ジーンときちゃった。
それでまた、このミニチュアがいい!
カメちゃん、今度かわいいおみやげを買った時は、「ちょうだい♪」とは言いませんから写真見せてくださいね♪
涙ボロボロ、鼻グズグズ〜
…ティッシュを大量に使ってしまいましたが(笑)心に響く童話で久々に感動しました。
“カメちゃん先生”ありがとうございました〜m(__)m
ちゃむた
- カメちゃんさん からの返信 2010/01/19 14:28:50
- RE: 泣かせてしまって御免なさい(~o~)(^_^)v
- ちゃむたさん こんにちは〜(^^)
「ごんぎつね」の話を読んでくださって、とっても嬉しいです(^-^)!(^^)!
でも、ちゃむたさんを泣かせてしまってゴメンナサイ!!
とってもいいお話で、胸にジ〜〜ンときますモンねぇ!!
ちゃむたさんも涙腺が弱くなっているんですね。お優しい人はどなたも涙腺が弱いのですよ!!(^-^)
私などは目薬でも差さないと、涙が出てこないですよ〜〜(~o~)
新美南吉の話は、心にジーンとくるような情のこもったものが多いですね。
読んでいただいた「手袋を買いに」も、とてもよかったですね。
私が父から聞いたキツネたちは人を騙すものが多かったですけど、南吉の話は情愛に満ちているような気がしますね。
> ごんぎつねのお話が小さい時から苦手なので、お話を思い出しちゃうから。
> (小学校の時、教科書にものっていて授業が辛かった思い出が…)
> …と、思いましたが“旅行記だしね♪”と、どうしても読みたくて開いちゃいました〜
お小さい時の、「ごんぎつね」をお読みになった思い出があるんですね。
ちゃむたさん思い出と私の旅行記が重なっていたなんて、ちょっと嬉しいです。
まりあさんも、ちょびれさんも「ごんぎつね」のことをご存知だったようで、「ごん」は皆さんの心の中で幸せになっていたんですね〜(^-^)
> それでまた、このミニチュアがいい!
そうなんです!!
あのミニチュアの中のキツネたちがとっても可愛くて・・。
童話にピッタリの感じでしたね〜。もう一度行ってゆっくり見たいものです。
そして、土産ものの中にいたキツネの坊やを連れてきたいですね。
> …ティッシュを大量に使ってしまいましたが(笑)心に響く童話で久々に感動しました。
一箱で足りましたか??(^-^)
よろしかったら、もう一箱お送りしますよ〜〜〜(~o~)!(^^)!
ちゃむたさんの嬉しいお話で、今日はとっても楽しい日になりそうです!(^^)!
ありがとうございました。
これからもよろしく御願いしますね。
カメちゃん
-
- ちょびれさん 2009/12/28 08:02:07
- カメちゃん先生の国語の授業♪
- カメちゃんさん
おはようございまーす。
日帰りお出かけの旅にお邪魔しました!
そして懐かしいごんきつねの物語、いあー、娘が小さい時にこれは読みましたし、息子の時には確か小学校1年生の教科書にのっていて、一緒に
勉強したんだったなあ・・・
日本の童話はまさに夜お布団に入って読み聞かせするのにぴったり
ですよね。
ちょびれも子供が5年生!になるまで毎日寝る前の読み聞かせを続けましたよ〜!(^^)!
もっと読んで!あと一つ読んで!とせがまれてなかなか寝てくれなかった
のを思い出したっ(笑)
ちょっと胸が痛くなるようなきゅーんとする内容、刺激だけが強い昨今
の読み物と違って、いろんなことを考えさせられる民話は是非子供たちに
沢山読み聞かせたいですね。
いつか孫が出来たら(いまんとこまったく兆しもないけど・・・・)
ちょびればばちゃまが読んでやりましょう☆
ちょびれ
- カメちゃんさん からの返信 2009/12/28 15:33:15
- RE: ありがとうございます!!(^^)
- ちょびれさん こんにちは〜。
ことしもあと僅か。
午前中のカミさんとのウォーキングも、きょうで納めとなりました。(^o^)
カミさんは明日からお正月の支度に忙しいとのことです。
さて、
「ごんぎつね」の話をご覧下さって、コメントまでいただいて、とっても嬉しいです!!(*^_^*)
「ごんぎつね」のストーリーの最後のところでは、胸がキューン!!としていまいましたね。
南吉の童話を読みますと、田舎の様々な情景が走馬燈のように浮かんできます。
> ちょびれも子供が5年生!になるまで毎日寝る前の読み聞かせを続けましたよ〜!(^^)!
> もっと読んで!あと一つ読んで!とせがまれてなかなか寝てくれなかった
> のを思い出したっ(笑)
お話をお伺いしますと、ちょびれさん親子のとっても幸せなご様子が分かりますね。
よい童話には心を動かすものがありますから、お嬢様も童話を次々とお聞きしたくなったのですね。
ご家族のステキな思い出ですね〜。(^-^)
私の父は狐の話をしてくれました。おおよそ下記のような話でしたけどね。
「あるお百姓が日暮れ時に農作業を終えて帰るとき、道端で美しい娘と出会いました。
『叔父様、きょうはご苦労様でした。さぞかしお疲れでしょうから、私のところでご一服していって下さいな。』
娘の声に喜んだお百姓は、娘のあとをトコトコとついていきました。
とても立派なお屋敷に案内されて、ご馳走もたくさんいただきました。
満腹になったお百姓が眠くなってきたころ、
『叔父様、お風呂にでも浸かってお休みになったら』
と誘われて、お風呂をいただくことにしました。
『あ〜〜、いい湯だなぁ』と言っていたら、
『お前、そんなとこで何やっとるだえ!!』という男の大声が。
『おらぁ、お屋敷で風呂をよばれとるだがえ』(※)よばれる=もてなしを受けること。
『お前が入っとるのは、風呂じゃないで!!よう見らっせ!!」
お百姓が我が身を見ると、なんと!!、畑の肥溜めに入っていたのだ!!
お百姓は『しまった!!狐に化かされたか!!』と悔しんだこと、悔しんだこと!」
父は、たびたびそんな話をしてくれましたね。
私はホントかな〜と思いながらも、畑で日の暮れるのがちょっと怖かったですよ!!(^-^)
新美南吉は、年寄りのそんな話を思い出していたかも知れませんね。
> ちょっと胸が痛くなるようなきゅーんとする内容、刺激だけが強い昨今
> の読み物と違って、いろんなことを考えさせられる民話は是非子供たちに
> 沢山読み聞かせたいですね。
ホントですね〜〜
今ではテレビやインターネットなどでマンガや朗読を流していますけど、童話はやっぱり親子間のぬくもりが感じられる「読み聞かせ」が一番ですね〜(^-^)
> ちょびればばちゃまが読んでやりましょう☆
いつの日か「ちょびればあちゃま」にご昇格!! (^O^)(~o~)
案外近いかも??知れませんね〜(^_^)v
私も楽しみにしていますよ〜〜(^_^)/~
ありがとうございました。
ちょっと長くなってしまいました。御免なさいねm(_ _)m
これからもよろしく御願いしますね。
カメちゃん
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