2009/11/06 - 2009/11/08
32位(同エリア133件中)
熱帯魚さん
最近、満州時代の建築物に興味を持っていて、
大連、瀋陽に続いて、長春旅行に出かけました。
本当は夏に行くはずだった長春。
そのときは仕事が入っていけませんでしたが、
秋に入ってやっと長春旅行が実現できました!
ホテルは瀋陽のときと同じく、旧大和ホテル、
春誼賓館に宿泊しました。
1日目は長春に到着したのが23時過ぎだったので、
街歩きは2日目からスタート。
2日目のメインは、偽満皇宮博物館でした。
子どもの頃見た映画「ラストエンペラー」がとても印象的で、
溥儀が住んでいた場所を訪れることができて不思議な気分でした。
豪華な皇宮で繰り広げられたドロドロとした人間ドラマを
想像しつつ、博物館見学。
とても広くて、結局4時間位滞在してしまいました。
【旅の日程】
1日目:南方航空(CZ6554便)で上海浦東空港から長春へ。
19:55出発の予定が、1時間遅れ、23時頃長春到着。
いつもは空港バスを利用するが寒いし時間も遅いので
タクシーを利用し、ホテルへ直行。
2日目:まずは駅の前の地下街を探検(というか迷った)。
タクシーで偽満皇宮博物館へ。
15時過ぎ、市内を巡っている観光バスを利用して
自由大街(X同志街)へ。
そこから新民大街、西民主大街と歩き、満州時代の建築巡り。
ずーっと歩いているうちいつの間にか人民広場到着。
夕食後、ホテルへ。
3日目:バスを利用し、吉林省委員会、松苑賓館など、
勝利公園付近にある、満州建築巡り。
満州時代の街並みが残る住宅街をウロウロ。
夕方、春秋航空(9C8810便)で上海へ。
【旅の費用】
航空券 929元(往路税込み:580元、復路税込み:349元)
その他交通費 139元
偽満皇宮博物館入場料 80元
雑費 26.5元
ホテル(春誼賓館、2泊) 538元
計:1712.5元
- 同行者
- 一人旅
- 航空会社
- 中国南方航空
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上海浦東空港第二ターミナル。いつもどおり、仕事が終わった後、地下鉄とリニアを乗り継いで、フライトのちょうど1時間前に到着。
今回はフライト時間が早めだったのでちょっと焦りましたがなんとかチェックインを済ませ、お菓子を購入してゲートへ。
急いだのに結局フライトが遅れて夜11時過ぎに長春の龍嘉空港に到着。空港バスだと時間がかかりそうだし、とにかく寒いので、タクシーに乗ってホテルへ向かいました。 -
ホテルまで100元でした。もっと値切ればよかったかな?と思いつつ、まあ夜だからこれぐらいの値段でしょうか?
とにかく空港から市内まで暗い道のりを行くからドキドキでした。
無事ホテルに到着。 -
宿泊ホテルは旧大和ホテルの春誼賓館です。
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これは最終日にホテルの前で撮った写真です。どうやら何かお祝いがあったようですが…
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春誼賓館のロビー。この日は結婚式をやっていました。
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鶴が飛んでます。
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宴会場へと続く廊下。宴会場はそれぞれ京都など日本の地名がつけられていました。
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ロビーには春誼賓館の歴史が書かれています。こちらは中国語バージョン。こっちを先に読んでいたら、近くにいたおじさんに話しかけられました。
色々話しているうち、「どこから来たの?」と言われたので、「日本」といったら、びっくりしてました。 -
その後、おじさんのテンションがあがってきて、日本語バージョンを訳せ!と言われ、なぜか中国語に翻訳してあげる私…
面白いおじさんでした。 -
ホテルを出ると、目の前が長春駅です。駅のロータリーの地下は地下街になっていて、色んなものが売られていてかなり面白かったです。その話はあとで載せるとして…
早速、偽満皇宮博物館に出発〜 -
偽満皇宮博物館に到着!
かなり広いです。 -
とりあえず書かれていた経路通りに、競馬場から。馬術クラブのお兄さんが馬に乗ってました。
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馬舎。白黒で撮ってみました。
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こんなところで結婚写真撮っているカップル発見。
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◎ 宮内府
20世紀初頭に建てられた建築。満州時代には、執政府の事務所として使用されていました。 -
宮内府内の次長室。満州の高級官吏は中国人でしたが、実際にその人々を管理していたのは、日本人の次長でした。
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宮内府では、満州の中国人官吏や日本人の役人を紹介した展示がありました。
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◎ 植秀軒
宮廷学生が勉強した場所。 -
◎ 懐遠楼
1934年竣工。宗祖の位牌を祀る奉先殿がありました。 -
溥儀の宮廷御用車。かつて溥儀を天津から長春まで送り届けた車。
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懐遠楼の2階へ続く階段。
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懐遠楼の2階廊下。
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懐遠楼と勤民楼をつなぐ廊下。
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◎ 緝熙楼
20世紀初期に建てられた、偽満皇宮の主要建築の一つで、宮殿とも呼ばれています。溥儀や皇后たちがここに住んでいました。 -
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2階は、皇后と妃譚玉齢の寝室などがあります。こちらは譚玉齢のお部屋。ちなみに、溥儀は皇后とは一度もベッドをともにしなかったそうです…
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溥儀の寝室。1932年4月3日から1945年8月11日まで住んでいたそうです。この向かいには、浴室とトイレがありました。持病のあった溥儀はトイレ皇帝とも呼ばれるほど、ずーっと便器に腰掛けて新聞などを読んでいたそうです。
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理髪室。日本人の津田さんという方が、溥儀の理髪を担当していたそうです。
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◎ 勤民楼
偽満皇宮の主要建築の一つで、20世紀初めに建てられました。政務処理、式典挙行、来賓接待、宴会場、祭祀従事の場所でした。 -
日満議定書をサインした机。
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溥儀が傀儡政府の皇帝に即位した場所。
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宴会場。
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溥儀が政務を執り行った部屋。
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溥儀の一生をテーマにした「皇帝から市民へ」という展示がありました。
幼くして清朝最後の皇帝に即位、更に復辟皇帝、満州の傀儡皇帝として3度も皇帝に即位し、激動の時代をすごした溥儀。彼の人生を振り返った展示です。
最初の方は「溥儀、英語を習い始める」とか「日記をつけ始める」といった詳しい情報が載っていて興味深かったですが、最後の方で、共産党に思想教育(改造)をされているところの展示がいかにも中国と言う感じがしました。 -
清朝最後の皇帝になった溥儀。
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思想改造をされている服役中の溥儀。
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服役中溥儀が着ていた服。
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◎ 同徳殿
溥儀とその皇后、妃のために、日本人が設計した政務処理、居住、娯楽用の総合的な宮殿。偽満皇宮の中で最も大きな建築です。1938年に竣工されましたが、日本人が盗聴器を取り付けたと疑った溥儀は、正式に利用したことはありませんでした。 -
同徳殿広間
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左側はビリヤードルームやピアノ室が並び、右側は一面ガラス窓で、御用花園が見えます。
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皇宮に一間だけある和室。
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花園にある天照大神の防空壕。空襲があると、天照大神の神像をかついで中に非難させたそうです。後ろの空き地は、建国神社跡でした。
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こちらは御用防空壕で、溥儀らが非難した防空壕。
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一人で入ったのでかなり怖かったですが、とても頑丈そうな防空壕でした。
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皇宮を出たところの博物館に展示されていた満州時代のポスター。
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細菌部隊を紹介する展示もありました。
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大体は、関東軍が中国で行った軍事行為の展示でしたが、途中から共産党を大絶賛の展示になるのが対照的で興味深かったです。こちらの博物館かなり大きくて、4階にあった「小平の偉業」に関する展示は時間がなくてパスしてしまいました…
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