1998/09/11 - 1998/09/29
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kojikojiさん
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90年代はイタリアばかり何ヶ月も旅していて次はどこに行こうか迷っていました。興味を持ったビザンチンの美術を追いかけるとバルカン半島からトルコを越えて中東まで行かなくてはなりません。この先何年かかるか分からないので、先にイベリア半島に行っておこうと思いました。3週間程の休みしか取れなかったのでバルセロナを起点にカタルニアのロマネスク教会を巡り、コルドバからグラナダ、ジブラルタル、カディス、ヘレス、マドリー、トレドとゴールデンルートを周遊しました。勿論タリファからジブラルタルを越えてタンジールへも足を伸ばしました。この年の2月に札幌にLOFTをオープンさせて、函館の温泉に足を伸ばした折に立待岬から津軽海峡を眺めて「今年は海峡年だ!」と決めていました。4月にイスタンブールでボスポラス海峡を制覇したので必然的にスペインに来なければならなかったのですが。
ガウディからモデルニスモの括りで広がったデメニク・イ・モンタネールなど現地で知った建築家の作品など私にとっては印象深いバルセロナの旅でした。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 25万円 - 30万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 船 タクシー ヒッチハイク
- 航空会社
- アエロフロート・ロシア航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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バルセロナへは乗り継ぎも良く当日の深夜には到着しました。薄暗い空港には日本人のツアー客が一組、隣の席だった日本人のビジネスマンとお別れするといよいよ旅が始まった実感がしてきました。空港バスでランブラス通りの入口まで移動しましたが、車窓から見えたライトアップされたカタルーニャ博物館の光は強烈な印象を残しました。
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真夜中だと言うのに花屋が開き人々が行き交うランブラス通りを下りながら安宿を探して廻りました。楽しそうな人々の間をガラガラホテルのドアを開けるのも疲れました。何件か満室のホテルを出て最後に飛び込んだのがペニンシュラホテル。香港とは大違いと思いながら部屋に向かうと大きな吹き抜けにヤシの木が植わった不思議な空間が広がっていました。部屋に窓が無いのは難点でしたがこの空間が気に入って1週間滞在する事にしました。
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翌日は早朝から市場に行ってみました。
まだ9月の上旬なのにこの辺りではキノコがたくさん採れるようでした。 -
干しダラはイベリア半島に無くてはならない食材です。
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港が近いバルセロナだけあって魚介の種類は豊富です。
これから1週間の食事が楽しみです。 -
野菜などのディスプレイも日本とは大違いです。
いつから野菜はラップするようになったのでしょう。 -
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貝も種類が豊富です。
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子供の頃の日本のフルーツ屋さんも夜のなるとアセチレンライトに照らされて夢のような眺めだったのを思い出します。
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結果自分が食べたい物が写真に残っていました。
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その足で地下鉄に乗って、地下の駅から表に出て振り返るとそこにサグラダ・ファミリアはありました。
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絶句。言葉が出ませんでした。しばし全体像を眺めてディティールに目をやりました。
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硬質な材料を使いながら何と不思議な曲線を表現するのだろうと衝撃を受けました。学生時代から何度も本や写真やテレビで見ても現実に目の前にするインパクトは違うものでした。
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少し気を落ち着かせて反対側の入口から中に入りました。本当にあと何年何十年何百年かかるのだろうかと思えます。
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この辺は最近の彫刻なのでしょうか?雰囲気が違うように思えました。
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ウルトラQを思い出します。
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あれから約10年、どれだけ進んだのか見にいきたい気もします。
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ほんの何割しか完成していないのにこのインパクトです。出来上がった時には街並みも変わっていてどんな印象を与えるのか見てみたい気がします。が私の生きている間には絶対完成しないでしょう。
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サグラダ・ファミリアから1本道を進むと突き当りにサン・パウ病院が見えて来ました。
近づくに連れて不思議なディティールが目につきます。 -
こんな不思議な建物が残り、それが病院で、今も現役で使われていることに驚きました。スペインに来て驚きの連続です。
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勝手にどんどん入っていけるのも驚きました。
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夾竹桃が奇麗に咲き乱れていました。
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メインビルを抜けると中庭が広がり、更に建物が続いています。
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ウィーンで世紀末の美術に触れた時以来の感覚を覚えました。オットー・ワーグナーやクリムトなどを真近に見た時のインパクトを思い出しました。
頭の中がグルグルして、どこをどう歩いたのかグエル公園に着きました。 -
パルク
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グエル
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パルク・グエル、グエル公園です。次から次にインパクトのある物を見続けて脳ミソがオーバーヒート気味です。
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昔ローマ郊外のボマルツォの怪物庭園で知り合った卒業旅行中のムサビの大学生の子からバルセロナとガウディの話を一晩中聞かされたことがあったけど彼がどれだけ興奮して語ってくれていたのかが判った気がしました。
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タイルを使ったモザイクなんて千数百年前から使われている珍しくも無い技法を昇華させたガウディという人は凄い人だと思います。
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ただの石を積んだ柱やアーチにもガウディらしさやモンセラートの岩山を感じてしまいます。
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カーサ・ヴィセンス。もうとり憑かれたようにバルセロナの街を歩き続けました。
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ポルトガルのモデルニスモ、カルダス・ライーニャのボルダロ社の陶器のようです。
ボルダロ社のファクトリーで大きな花瓶をかってしまったのもこの時の印象が強かったからかもしれません。 -
フィンカ・ミラレスの門。こんな集合住宅の門だけでも見に行っていました。
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流石にここまで歩くと疲れました。
グエル・エステート・パヴィリオン。 -
このドラゴンの門が有名です。
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私にとってはこの門とシチリアのバゲリアのパラゴニア荘の門(これは門の両サイドの石像)がお気に入りです。
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当時はフィルムを気にして写真を撮っていましたが、もっとディティールを撮ってくれば良かったなと思います。スケッチもあまりしなかったし・・・。
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普通こんな細かい所までデザインしないですよね。
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ベレスグァルドへはドラゴンの門の前からタクシーで向かいました。バルセロナは海沿いの街なので緩やかな坂道の町で、目的地は街外れの高速の脇でした。
そして運転手に連れて行かれたのは高速を越えた山の上の修道院でした。確かに同じ名前の修道院でした。シスターに尋ねるとテラスに案内され、「あなたが行こうとしていたのはあそこよ。」と遥か下に見える建物を指差されました。 -
御礼とお詫びをして坂道を半分ほど下ると先のシスターが車で下りて来ました。「近くまで行くから乗りなさい。」とドアを開けてくださいました。ヘトヘトでしたのでお言葉に甘えて乗せていただきました。入口の門で私を降ろすとシスターはそのまま来た道を修道院へ戻っていかれました。
わざわざ車を出してくれたのでした。 -
この邸宅は建物の印象よりも強い思い出が残っています。
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バルセロナに来るまではモデルニスモより強い想いを持っていたカタルーニャのロマネスク教会のフレスコを見にカタルニア美術館に行きました。初日の晩に空港からのバスから見えたのは放射線状に広がる光の中に浮かぶこの建物でした。
田沼武能氏の「カタルニア・ロマネスク」(岩波書店)という写真集を見てこの美術館と郊外のビックやリポールの教会に行こうと思ったのが今回の旅のキッカケでもありました。 -
コロンブスの塔。
海岸線までやってきました。 -
ここに来て要約地中海を感じました。
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カタルーニャ音楽堂。
ドメネク・イ・モンタネールの傑作です。
曜日と時間の制約がありましたが内部がガイドツアーで見ることが出来ました。写真が無いのは撮影禁止だったのか???記憶がありません。この当時本を買った所や教会の内部は写真を撮りませんでした。自分なりに拘りがあったようです。 -
狭い路地に建っているので引いて撮れないのが残念です。これでも24ミリのレンズです。昔イタリアとスイスを2ヶ月旅する時にアルプスの風景を撮るのに用意したレンズでしたが、イタリアの小さな街で大活躍でした。
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バルセロナのモデルニスモの素晴らしさを目の当りにするともう一度ウィーンとプラハやブタペストにもなんて思いが広がってゆきます。
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ビザンチンも追いかけなければならないし頭の中が混乱してきます。
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グエル邸は泊まっているペニンシュラホテルと同じ通りにありました。
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何故かロキシーミュージックのアヴァロンのジャケットを思い出しました。
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建物の内部の写真は???
よっぽど屋上の煙突にインパクトがあったのでしょう。 -
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公園にもこんな作品が。
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大聖堂にも行きましたがあまり印象は残っていません。日曜日のダンスも見たのですが・・・。古地図を探してアンティーク屋に入ったら親切にも連れて行ってくれたのが蔵書札屋で、その店の近くでヒターノの子供に囲まれて、逃げ込んだ店が偶然にも古地図屋だったという思い出が残っています。
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古地図を買った店でくれたカードボードの筒が洒落ていて、戦前のドイツの郵便で使われた紙が張ってありました。いつかこの住所を探して見ようなんて考えました。
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クワトロ・ガッツ。4匹のネコ。バルセロナでは有名なカフェです。
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ツーリストインフォメーションではバッチをくれたり、情報も豊富でとても助かりました。
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カーサ・バトリョ。
内部には入れませんでした。世界中からいろいろな人が来るのでしょう。住んでいる人にはたまらないこともあるのでしょう。 -
銀行だったか入口の彫刻に惹かれました。
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まるでゴヤの黒い絵シリーズのようです。
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唯一中に入れるカサ・ミラです。
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屋上は修復されたばかりのようでとても綺麗でした。
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インフォメーションで教えてもらったカサ・ミラの夜間開放にも行ってみました。屋上でスパークリングワインをいただきながら見学と言うことでしたが小雨が降ってきたのでドリンクのサービスは建物の中でした。
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昼とはまた違った幻想的な雰囲気です。
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海の底にいるようです。
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夜行性の動物に見えてきます。
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他の建物も住人の迷惑にならない程度に解放してくれると良いのですが。
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ワインはこちらの下でいただきました。昔はここまで馬車が入ったのでしょうか。美しいピロティです。こちらは深海にいるような感じを受けました。
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バルセロナの最後は湾内の遊覧船に乗りました。
オリンピック後で随分洗練されている印象を受けました。多分今はもっと変わっていることでしょう。 -
泊まっていたペニンシュラホテルです。
あまりに美しい吹き抜けだったので1週間近く滞在しました。市場のレストランで知り合った人達を誘ってワインを飲んだり思い出があります。その人たちも気に入って宿を移って来たり・・・。部屋に窓が無いのが難点でしたが面白い体験でした。 -
夜はもっと現像的な雰囲気です。
1泊3,000円程でした。
今でもあるのかな?
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