パリ 旅行記(ブログ) 一覧に戻る

パリ人気旅行記ランキング401位(10508件中)

チンタラお気楽パリ珍道中=== 娘に策略あれば我に謀略あり

旅行時期 2009/09/13 - 2009/09/21 (2009/09/23投稿

娘と二人、気紛れ、パリ、チンタラ観光。<br /><br />寒いと言って、マフラーを買わされ、<br />靴が壊れたと言って、ブーツを買わされ、<br />父親の受難は、果てし無し。<br />されど、最後まで、モンパルナスで、<br />ギャラリーラファイエットの本店はここと、<br />言い通し、壊滅的被害回避。<br />謀略、無限なり。。。<br /><br />そもそもは、、、<br />会社の30年勤続休暇、1週間獲得。ヤッターゼー。<br />如何しよう???<br />散々迷い、華の都、パリ突撃に決定。<br />安いパッケージを探すうちに、直行便は無くなり、<br />みんな売り切れ。<br />あれあれ、さすが、シルバーウィーク直前。<br />止む無く、JTBの言いなり。<br />されど、最後の抵抗の一言。<br />もっと安く。<br />結局、ホテルをランクダウン。<br />モンパルナスコンコルドに決定で、5万円ゲット。<br />ヤッター???<br /><br />さてさて、準備準備。<br />近所の丸善へ突撃。<br />お気に入りの、地球の歩き方。他、一冊を購入。<br />読んでヨンデー、読み疲れて、ビール。<br />おーモナリザー、オーシャンゼリゼ。<br />テンション、急上昇。<br />JTBからのパンフレット到着。<br />おー、三ツ星ーーー。<br />早速、オーダー。ムーリス、ルドワイヤン。<br />ムーリス、ゲット、予約確定。<br />ルドワイヤン空振り。<br />どれにしようか?<br />ネットで調査開始。<br />オー、ビックリ。<br />パンフレット2星のブリストルが最新3星。<br />突撃、オーダー、ゲット、予約確定。<br />それにしても、いい加減、JTBパンフレット。<br />ブリストルがパレスホテルのメインダイニングと誤表示。<br />超うるさ型説教親父はモーレツ苦情。<br />と同時に、更に突撃!!!<br />ムーランルージュ。観るぞ、フレンチカンカン!!!<br />これで、6夜中、3夜確定。<br /><br />後は、でたとこ勝負!いざ、突撃!!!

娘と二人、気紛れ、パリ、チンタラ観光。

寒いと言って、マフラーを買わされ、
靴が壊れたと言って、ブーツを買わされ、
父親の受難は、果てし無し。
されど、最後まで、モンパルナスで、
ギャラリーラファイエットの本店はここと、
言い通し、壊滅的被害回避。
謀略、無限なり。。。

そもそもは、、、
会社の30年勤続休暇、1週間獲得。ヤッターゼー。
如何しよう???
散々迷い、華の都、パリ突撃に決定。
安いパッケージを探すうちに、直行便は無くなり、
みんな売り切れ。
あれあれ、さすが、シルバーウィーク直前。
止む無く、JTBの言いなり。
されど、最後の抵抗の一言。
もっと安く。
結局、ホテルをランクダウン。
モンパルナスコンコルドに決定で、5万円ゲット。
ヤッター???

さてさて、準備準備。
近所の丸善へ突撃。
お気に入りの、地球の歩き方。他、一冊を購入。
読んでヨンデー、読み疲れて、ビール。
おーモナリザー、オーシャンゼリゼ。
テンション、急上昇。
JTBからのパンフレット到着。
おー、三ツ星ーーー。
早速、オーダー。ムーリス、ルドワイヤン。
ムーリス、ゲット、予約確定。
ルドワイヤン空振り。
どれにしようか?
ネットで調査開始。
オー、ビックリ。
パンフレット2星のブリストルが最新3星。
突撃、オーダー、ゲット、予約確定。
それにしても、いい加減、JTBパンフレット。
ブリストルがパレスホテルのメインダイニングと誤表示。
超うるさ型説教親父はモーレツ苦情。
と同時に、更に突撃!!!
ムーランルージュ。観るぞ、フレンチカンカン!!!
これで、6夜中、3夜確定。

後は、でたとこ勝負!いざ、突撃!!!

写真 32枚

テーマ:
グルメ
交通手段 : 
エリア:
フランス > イルドフランス地方 > パリ
エリアの満足度:
評価なし
  • 500_17696406

    出撃拠点、モンパルナスコンコルド。
    サッパリ、小奇麗、快適でした。

    朝食バイキング。
    サーモンが特に美味。
    日頃の質素倹約の反動で、娘共々満腹完食。

    出発前に、御昼寝モード。

    それでも、目指せ、ルーブル、出撃。
    でも、寒い。

  • 500_17692834

    ついに、出撃。
    目指せ、ルーブル。
    12号線で、モンパルナスからアサンブレナシオナルへ。

    小脇には、唯一の命綱、地球の歩き方。

    ところが、ビックリ椿事発生。
    アサンブレナシオナルで下車しようとすると、
    ドアが開かない。
    あわてて、他のドアへ。
    ところが、時すでに遅し。
    危なく、サンドイッチ。
    初日、リタイア寸前。

    その後、良く観察すると、何と、開ける時は手動。
    そんなの在りかよーーーー。
    唯一の命綱、地球の歩き方。良く見ると、、、
    73ページに記載アリ、、、ギャフン。
    恐るべし、パリメトロ。

  • 500_17693019

    苦難とビックリの初メトロ、
    なんと、社内で、いきなり、おじさんが、
    アコーデオン生演奏、さすがパリ。

    ともあれ無事12号線コンコルド下車。

    初日のオベリスク、コンコルド広場。
    テンション絶好調。

    パリーーーーーー気分、最高。

    いよいよ、目指せ、ルーブル。あとわずか。。。

  • 500_17692901

    けっこう、広いぞ、チュルリー公園。
    地図を再確認すると、メトロで2駅。ウーーーン。
    疲れた。
    写真は、噴水脇から北側市街地。

    この後、噴水前のベンチで一服。
    ルーブル、遥かなり。。。

  • 500_17692835

    ルーブル遥かなり。

    やっと、カルーゼル凱旋門。

    我が娘は、先ほど、親父を脅迫して、
    せしめたマフラーでルンルン気分。

    出発直後に、
    寒くて死にソーー、、、との脅迫に遭遇。
    止む無く、
    ギャラリーラファイエット モンパルナスで、
    マフラー購入。

  • 500_17689390

    カルーゼル凱旋門と私の指。

    直前に買い換えた携帯で撮影。
    なれない成果、自分の指を多数撮影。

    門の上には、兵士や女神の彫像。
    当初、最上部には、ナポレオンがヴェニスから奪った4頭の黄金色の馬が飾られていたが、1815年のワーテルローでの敗戦で奪い返されてしまい、現在のものはボシオ作のコピーとの事。

    歴史は、気まぐれ。

  • 500_17697176

    ついに到着、ルーブル美術館。

    パリ・ミュージアム・パス公式サイトで、
    6日間パス購入済み。
    目指せ、ミュージアム完全制覇!!!おぉーー!!!

    更に、行け行けドンドン!!!
    バトーパリジャン・セーヌ川遊覧クルーズも、
    パリ観光のお得セールストークに魅惑され購入済み。

  • 500_17693020

    タニスの大スフィンクス

    スフィンクスとは、獅子の身体と王の頭部からなる怪物のような姿をした生き物である。このスフィンクスにはアメンエムハト2世(第12王朝、前1929-前1895年)、メルエンプタハ王(第19王朝、前1212-前1202年)、シェションク1世(第22王朝、前945-前924年)の名前が次々に刻まれたが、いくつかの詳細部分を手がかりに、さらに遡った古王国時代(紀元前2600年頃)のものだと主張する考古学者達もいる。

    ルーブルで、最初に遭遇。
    おおおおーーーー。エジプト。

  • 500_17692833

    ミロのビィーナス背面撮影。

    少し猫背かな???

    それにしてもとにかく広い館内。ヒトいっぱい。

    東京駅に迷い込んだフランス人気分満喫。

  • 500_17689391

    ミロのビィーナス正面撮影。
    月曜日だが、さすがルーブル。
    多国籍軍多数。

    ミロのヴィーナスは、1820年4月8日に小作農であったヨルゴス(Yorgos)によって、オスマントルコ統治下のエーゲ海のミロス島で発見された。彼は最初、官吏に見付からぬようにヴィーナス像を隠していたが、トルコ人の官吏に発見され没収された。

    後に、フランス海軍提督ジュール・デュモン・デュルヴィルは、この像を見て価値を認め、フランス大使に頼みこんでトルコ政府から買い上げた。これは修復された後に、ルイ18世に献上された。ルイ18世は、これをルーヴル美術館に寄付し、現在でもそこで管理されている。

    以後、ルーヴルを出て海外へ渡ったことはただ1度、1964年の日本・京都での特別展示のみである。

    1900年頃にルーヴルで一度だけ型取りされており、現在もその型を元にレプリカや縮小モデルが作られている。
      WIKIより

  • 500_17689392

    サモトラケのニケ。

    サモトラケ島出土 紀元前2世紀 原型・大理石 復刻・ブロンズ 高さ320cm パリ・ルーブル美術館原型所蔵


    1863年、エーゲ海東北のサモトラケ島でフランス領事、シャルル・シャンポワーゾが、まずパロス島の大理石で作られた女性像トルソを発見した。 続いて周辺からは同じ大理石で作られた118点の断片となった翼の部分が見つかった。これを復元したところ有翼の勝利の女神「ニケの像」であることが分かった。 出土品は、フランスに送られ1884年、ルーブル美術館の「ダリュの階段踊り場」に据え置かれた。 翼を広げた巨大な女性大理石像「サモトラケのニケ」はルーブルを訪れる人々の目を強く引き付けている。「ミロのビーナス」と共にルーブル至宝の双璧である。

    との事。
    さすがにすごい。感動的。

  • 500_17811187

    横からのニケ

    ニーケー(古典ギリシア語:Νίκη, Nīkē)は、ギリシア神話に登場する勝利の女神。日本語では長母音記号を省略しニケともいう。ローマ神話ではウィクトーリア(ウィクトリア、Victōria)と呼ばれる。

    ティーターン族の血族パラースとステュクス(冥界の河)の子。兄弟は、ゼーロス(鼓舞)、クラトス(力)、ビアー(暴力)。ティーターノマキアーには、ステュクスの命によりオリンポス側につき、ゼウスに賞されたという。

    一般には有翼の女性の姿で表される。アテーナーの随神だが、アテナの化身とする場合もある。しかし、ローマ神話においてウィクトーリアとなると、マールスに付き従うようになっている。アテナイのパルテノン神殿の本尊であったアテナ神像では、右手の上に載せられていた。サモトラケ島で発掘された彫像「サモトラケのニケ」(ルーヴル美術館所蔵)が有名。
     WIKIより

  • 500_17697177

    ルーブル天井。
    見事。
    製作者の方、、、ご苦労様。

    典型的おのぼりさん。
    何でも、パシャパシャ。

  • 500_17692900

    初日のランチ。ラブサント。宣伝文句は、
    2星シェフ、ミッシェル・ロスタンの、
    カジュアルビストロ。

    なにしろ、フランスと旅行、ウルトラ初心者。
    命綱は、地球の歩き方とJTBマイバス。

    早速、夜のムーランルージュ集合地点確認を兼ねて、
    マイバスへ。

    そこで、イージーオーダー。
    近所で美味いランチ御願い。
    ミールクーポンと予約ゲット。

    店内は、多少、狭いが、パリムードタップリ。
    太目のおじさんが、愛想よく、
    2人で、別メニューシェアを薦められ、実行。
    我が家の伝統、早い者勝ちルールで、
    パリにも拘わらず、激しく、争奪バトル。

    手長海老のクリーム仕立てのラビィオリローマ風。
    魚、サーモン、のタルタル香草風味。
    鯛の鉄板焼き。
    子羊のコンフィー。
    以上の激烈な争奪バトルでシャッターチャンス喪失。

    終に、我が野獣系猪娘が、満腹ギブアップ。
    初シャッター。
    写真は、2星シェフ、ミッシェル・ロスタンの、
    特製チョコレートクリーム、伝統的ワッフル。

    結局、朝食に引き続き、満腹、御昼寝モード突入。


  • 500_17694322

    KLMの長時間飛行、そして、ハイテンションルーブル見学。更に、豪華ランチ。ついに、お疲れモード最高潮。

    結局、JTBツアーおまけの、、市内循環バス「カー・ルージュ」に乗車。

    当然ながら、そこでも、トラブル発生。

    ランチのラブサントより、北進、オベラ座方面へ侵攻。
    しかし「カー・ルージュ」の在るべき、
    停車場所が見当たらず。

    眠気で、怒り心頭。
    早速、JTBへ強烈クレームTEL。

    地図では、オペラ座横なのに、
    聞くとオペラ座裏、
    ユニクロ前。まともな、地図を渡せと、強烈クレーム。

    大騒動の後、、何とか、無事乗車。
    2階建てバスは見晴らし上々。
    多少、寒いが、ガイド放送も解り易い。
    絶妙、御昼寝、スポット。


    目を開けると、、、初日のエッフェル塔。
    セーヌ川方向から見上げる。雨もようの雲。
    無事、見事、シャッター確保。

  • 500_17694323

    初日のエッフェル塔。シャンドマルス公園方面から。

    「カー・ルージュ」は、快適、お気楽。
    2階からの眺めは、絶妙。
    エッフェル塔→ シャン・ド・マルス。
    ルンルンパリ気分満喫。

  • 500_17694324

    サンロック教会、突入。サントノレ通りで、町のど真ん中。ノートルダム大聖堂に匹敵する規模とか。

  • 500_17694325

    サンロック教会、突入。
    聖母マリアの祭室(マンサール作)

    ムーランルージュ突入前の散策中に発見。
    教会前の階段で、座って飲食するヒト、チラホラ。
    歴史的遺産ムードゼロ。

    しかし、我が虎の巻、地球の歩き方では、、、
    結構な歴史的遺産。

    恐る恐るドアを開け、強行突入。
    中には、殆ど、人影なし。
    しかし、厳か厳粛なムード。

    パリ気分堪能の一幕。

  • 500_17694326

    サンロック教会、突入。

    美しい丸天井。

    1653年にルイ14世によって礎石が置かれ、ソルボンヌ大学の設計者、ジャック・ルメルシエJacques Lemercierによって設計されたのがサン・ロック教会の始まり。ファサードは1753年にロベール・ド・コットRobert de Cotteによりバロックとフランスの古典を融合されたスタイルを用い、2階建て構造で建造。下階は装飾のないシンプルなドーリア式、上階は互い違いにアカンサスが彫り込まれたコリント式オーダーが見られる。

    中に入ると、宗教美術館とも呼ばれるだけあって、側廊には多くの宗教画。
    交差廊まで来ると、袖廊はシンメトリーに2つの祭壇が設置されている。聖ドニSaint-Denisの祭壇となっている左袖廊は、サン・ロック通りrue Saint-Rochからの出入口となっていたが、1763年に封じられ、扉のアーチの中にはヴィエンJoseph-Marie Vienによる絵画『聖ドニの宣教Pr&eacute;dication de Saint-Denis(1767年)』がはめ込まれている。
    向い合う、右袖廊には1130年のパリで流行ったペストの治癒をとりなした聖ジュヌヴィエーヴSainte-Genevi&egrave;veを描いたドアイヤンGabriel-Fran&ccedil;ois Doyenの『アルデンの奇跡Le Miracle des Ardents(1767年)』。両祭壇ともアーチ部に金箔を施した聖ドニのSD、聖ジュヌヴィエーヴのSGの頭文字の木製の装飾で構成されている。

    某サイトより

  • 500_17689389

    終に、初日のハイライト、ムーランルージュ。

    チケットは、日本で、JTBでゲットのマイバス。

    前半のディナーは、かなり期待外れ。
    前菜のエスカルゴは、ナンジャコリャ。
    メインの白身、たぶんタラとマシュルーム、
    空腹指数1000%時だけ、美食の代物。

    おまけに、その間の生演奏と歌は、
    田舎の温泉旅館モード。

    周りの客層も結構ラフ。

    これは、一体、どうなる事やら???

    ところが、一転、ビックリ∞∞無限大。
    メインのレビューの圧倒的迫力。
    まさに、躍動するルーブル。
    圧倒的肉体美。
    ただただ、唖然、呆然、見惚れるのみ。
    歌も素晴しいパワー。

    ラストのフレンチカンカンは、例えようのない素晴しさ。

    ラッキー!!!観て良かったの、一言!!!

    興奮さめやらね次の朝。
    リドも予約してしまいました。

  • 500_17689388

    2日目、今日は、無事、余裕で、地下鉄、徒歩で、オルセー到着。さすがに広い。

  • 500_17682106

    フェルナン・コルモンが,旧約聖書を下. 敷きに人類史の黎明に遡った,壮大にして. 陰鬱なる大作《カイン》(1880) を完成。オルセー美術館。

    鬼気迫る迫力に圧倒されます。
    人間の業を真正面から描いた大作。

    私の パリ一押し☆

  • 500_17675772

    ムーラン・ド・ラ・ギャレット
    1876年 オルセー美術館

    ピエール=オーギュスト・ルノワール (Pierre-Auguste Renoir、1841年2月25日 - 1919年12月3日)はフランスの印象派の画家

    『ムーラン・ド・ラ・ギャレット』とは、ルノワール(1841-1919)が35歳のときに描いた作品。題名のムーラン・ド・ラ・ギャレットは、パリのモンマルトルにあったダンスホールの名。画中の人物たちは、彼の友人たちがモデルになっている。

    当時、ルノワールはこのダンスホールの近くに住んでおり、アトリエから通いながら制作していた。だが、縦131センチ、横175センチもあるこの作品を持ち運ぶことは困難で、傷つく虞もあるため、ダンスホールには半分ほどのサイズのキャンヴァスを持って行った。そして、現場で描いた小さい方の絵を持ち帰り、これをもとにして、アトリエでは大きい方の絵を描いた。オルセー美術館の3階に展示され、『週刊・世界の美術館(2)オルセー美術館1』の表紙にも使われた『ムーラン・ド・ラ・ギャレット』は、大きい方の絵である。

    大きい方の絵は、同じ印象派の画家仲間であったギュスターヴ・カイユボット(1848-1894)が購入。彼の死後、フランス政府に寄贈され、オルセー美術館に至る。一方、小さい方の絵は、1990年に日本人の蒐集家が7800万ドル(絵画史上、2位の価格)で落札した後、バブル経済の崩壊によって海外へ流出。外国の蒐集家(スイスの人物と言われている)の手に渡った。WIKIより

  • 500_17675773

    上司に見せたら、、、
    何処の仏像か???と聞かれる。。。

    困った、参った、、、、

    エドガードガ
    リトルダンサー14歳

  • 500_17675149

    「モントルグイユ街、1878年6月30日の祭日」
    エネルギッシュな快感。

    クロード・モネ Claude Monet
    1840-1926 | フランス | 印象派

  • 500_17735920

    落穂拾い
    フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

    落穂拾い フランス語: Des glaneuses

    作者 ジャン=フランソワ・ミレー
    作成年 1857年
    手法 キャンバスに油彩
    寸法 83.5 cm × 110 cm (33 in × 44 in)
    所蔵 オルセー美術館(パリ)
    落穂拾い(おちぼひろい、仏:Des glaneuses)は、1857年にフランスの画家ジャン=フランソワ・ミレーによって描かれた油彩作品。現在はパリにあるオルセー美術館が所蔵。なお、実際に収穫後の田畑に散らばる稲穂や穀物の茎穂を拾うことも落ち穂拾いという。

    概要
    1849年6月にパリの政治的混乱やコレラを避けて、当時芸術家たちの集まっていたバルビゾン村に疎開したミレーが描いた農民画のひとつで、『種をまく人』『晩鐘』とともにミレーやバルビゾン派絵画の代表作と位置付けられている。1857年に官展(サロン)に出展。フォンテーヌブローの森のはずれにあるシャイイの農場が描かれている。刈り入れが終わった後の畑に残った麦の穂を拾い集める3人の貧しい農婦が描かれており、二人は正面を向いて腰をかがめ落ち穂を拾い、一人は背中を向け、手には落ち穂をもちやや腰を曲げて立っている。背景には穀物がうず高く積まれ、豊かな地主が馬に乗って監督するもとでのにぎやかな収穫風景と対比して描いている。労働の重苦しさを描きながらも、明るい朝の太陽に照らされた美しい色彩が壮麗に描写されており、ルソーが17世紀オランダ派やニコラ・プッサンから受けた感動の影響が認められている。

    バルビゾンに移住していたミレーは、1850年に官展(サロン)に出展した『種まく人』以来は農民画を多く手がけている。アルフレッド・サンシエのミレー伝記によれば、1851年末から翌年にミレーは交友のあったパリの建築家アルフレッド・フェイドから連作『四季』の注文を受けておいる。フェイドのコレクションのうち、どの作品が『四季』に含まれるのかは議論があるが、アレクサンドラ・マーフィーによれば『葡萄畑にて、春』(ボストン美術館所蔵)、『落ち穂拾い、夏』、『林檎の収穫、秋』(アーノット美術館所蔵)、『薪集め、冬』(エルミタージュ美術館所蔵)の伝統的な季節ごとの農作業を描いた油絵作品4点であるという。

  • 500_17735922

    'The Escape of Rochefort'  某サイトより

    By understanding the history behind The Escape of Rochefort, we can better appreciate how his rapid breakaway required equally swift and tense brushwork. Henri Rochefort was internationally reputed in the 1860s as a polemicist, frequently criticizing the Second Empire in his publications. After being fired from one newspaper for bringing the paper into collision with authorities, he started his own publication, La Lanterne, which was quickly seized by officials and caused him to be sentenced to jail. He then briefly served as an officer in the government of National Defense, but was soon forced to leave because of his open affiliation with the Communards. In May of 1871, he fled Paris in disguise when civil authorities blamed him for encouraging the theft, vandalism, and murder that occurred under the Commune. He was soon arrested and sentenced to life-long exile. He managed to evade government officials until 1873, at which time he was shipped to the South Pacific. Only four months later, though, he escaped with five other individuals to San Francisco in the small boat depicted in Manet’s painting. In 1880, he was allowed to return to France, where he continued to arouse public opinion about the government. He published a book about his journey, L’Evade, which Manet is reported to have read (Wilson-Bareau and Degener 88). After reading the narrative, Manet decided to portray the fast-paced escape for an 1881 exhibition. He talked to Rochefort about his experience, and when Rochefort agreed to let the artist depict his escape, Manet had a dark gray whaleboat brought to his studio to more accurately capture the scene.


    Ironically, it was the impressive reputation of Manet’s first seascape, The Battle of the U.S.S. “Kearsarge” and the C.S.S. “Alabama,” that persuaded Rochefort to cooperate (Wilson-Bareau and Degener 88). Despite its comparatively flat and lifeless sea, Kearsarge was upheld by most art connoisseurs in the 1860s as a lively depiction of an intense battle scene. By comparing that initial piece to Manet’s next rendering of a historical moment at sea, we can appreciate how much more skillfully the artist brings life to The Escape of Rochefort. Though both are meant to capture action-packed scenes from real life, only the post-1871 piece effectively produces the sensation of spontaneity. By incorporating sharply twisted shapes and creating a violent collision of colors around his boat, Manet is able to convey the powerful tension of The Escape that Kearsarge lacks.

    Manet, Edouard. Portrait of Rochefort. 1881. Kunsthalle, Hamburg.
    Manet, Edouard. The Escape of Rochefort. 1880-81. Mus&eacute;e d’Orsay, Paris.

  • 500_17735921

    ■ オペラ座の稽古場(ル・ペルティエ街のオペラ座のバレエ教室、踊りの審査)(Foyer de la danse a l'Op&eacute;ra de la Rue le Peletier (L'examen de danse)) 1872年
    32×46cm | 油彩・画布 | オルセー美術館(パリ)


    印象主義時代の大画家エドガー・ドガが踊り子を描いた作品の代表的作例のひとつ『オペラ座の稽古場』。『ル・ペルティエ街のオペラ座のバレエ教室』、又は『踊りの審査』とも呼称される本作は、エドガー・ドガが1860年代後半から19世紀末まで精力的に手がけた画題『踊り子』らを描いた作品の中の一点で、おそらく1873年、一時的に滞在していたアメリカへの渡航前に制作されたと考えられている。本作はバレエ教師(杖を床に突いた白い衣服の男)と、その隣の椅子に座るヴァイオリン奏者の前で踊り(又は振り付け)の練習を見せようとする踊り子の姿を描いた作品であるが、画面左部分に描かれる踊り子の演習直前の緊張感と、その周囲で彼女の演技に注目しながらも、それぞれ己の演習に備え(身体を)調整している姿の(ある種の)対比的かつ自然主義的な表現は、本場面となったル・ペルティエ街のオペラ座のバレエ教室で、このような情景が繰り広げられていたのだろうと推測するのが容易なほど秀逸の出来栄えである。また本作の画面中央に配される椅子とその上に置かれる赤色の扇や白色のリボンや、画面左部分奥で開放された隣の部屋の扉から微かに見える踊り子の脚など細かい部分での構成要素の計算された配置や空間構成にドガの類稀な画才を感じさせる。なお本作中、白い衣服を着たバレエ教師と、右側部分に描かれる踊り子に修正された痕跡が認められる。

    某サイトより

  • 500_17735923

    ダンス教室(バレエの教室) (Classe de danse) 1875年頃
    85×75cm | 油彩・画布 | オルセー美術館(パリ)

    印象派の巨人エドガー・ドガが数多く手がけた主題である≪踊り子≫を描いた作品の代表的作例のひとつ『ダンス教室』。バレエの教室とも呼ばれる本作は、熱心な収集家であった当時のバリトン歌手ジャン・バティスト・フォールの依頼により制作された作品で、近距離から描かれる踊り子と奥の壁際の踊り子らとの極端な構図的展開は、観る者に強い印象を与える。本作の主題≪踊り子≫は、視力の低下や、普仏戦争やパリ・コミューン(労働者階級の自治によって誕生した革命政府・民主国家)からの社会的不安を感じたドガが1872年10月から約半年間、アメリカへ旅行した後に描かれるようになった主題で、米滞在による芸術活動への直接的な影響はないとされるも、これ以降、秀作が数多く制作されていることは注目に値する。画家は大人数による群集描写に際して、本作では踊り子を個別にデッサンし、入念に構図や配置を計算しながら登場人物(踊り子たちや教師)を合成したことが知られており、画面中央でバレエ教師ジュール・ペロが指導する踊り子らの、本番の舞台では決して見せない日常的な姿や人間性に溢れた年相応の仕草が、ドガの鋭い観察眼によってありありと示されている。また本作をX線調査した結果、人物配置など当初の構想から大幅に変更(描き直し)されていたことが判明した。なおメトロポリタン美術館に翌年頃描かれた、ほぼ同構図の作品が所蔵されている。
    某サイトより

  • 500_17811188

    最終日、最後のイベント。
    三ツ星レストランのル・ブリストルでディナー。

    中庭でくつろぎ、直前、余裕の小生。
    背後が、レストラン。

    主菜は、天然スズキ、レモンとコリアンダー風味。

  • 500_17682105

    三ツ星レストランのル・ブリストルでディナー

    中庭の風景、窓辺の花が美しい。
    ご自慢らしい。と言うか、自慢された。

  • 500_17709608

    チンタラ番外編

    それは、焼酎からきてるんです!
    「なんで焼酎からチンタラ?」
    その焼酎の造り方にチンタラの語源。

    その昔、焼酎を蒸留するのに“チンタラ蒸留機”を使用していました。
    この“チンタラ蒸留機”の使い方なのですが
    1.まず、鉄釜に蒸留前の焼酎を入れます。
    2.そして上に樽を設置します。
    3.鉄釜の下から薪をくべてから火を熾します。  4.そうすると、熱くなった鉄釜が・・・『チンッチンッ』と音がします。
    5.鉄釜の中に入っている焼酎は蒸発し、樽の方へ上昇します。
    6.気体になった焼酎は冷めると液化して樽に付いた筒の中を通ります。
    7.そして壺の中へ・・・『タラタラッ』と滴り落ちます。
    この作業時間の長いこと長いこと...
    その様を表しているのが“チンタラ”。
    某サイトより

    ついでに、番外編2
    池の露チンタラ黄金は天草酒造で作られています。
    値段は4合瓶で2,650円でした
    この焼酎は池の露と同じモロミから蒸留機を直火蒸留機に換えて蒸留した為、コストが掛かる分4合でこの様な値段になりました。
    ちなみ度数は30度です。
    チンタラは3度出てまして
    最初が黄金千貫の黒麹仕込みの新酒
    2度目が紅芋(たしか紅薩摩)
    3度目が黄金千貫の黒麹仕込みの半年熟成版
    4度目のチンタラは、最初の奴のバージョンアップです。
    蒸留器の違いでココまで変わるかぁ~と感動したのは覚えている。
     某サイトより

パリ人気旅行記ランキング401位(10508件中)

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。問題のある投稿を連絡する

内容が近い旅行記

このエリアの旅行記一覧へ

このエリアの人気ホテルもご紹介

パリ ホテル一覧へ

masasigeさん

masasigeさん 写真

海外5カ国渡航

国内5都道府県訪問

写真 | QA掲示板 | 行ってきます | 掲示板 | コミュニティ | 行きたい