2009/08/26 - 2009/08/26
1411位(同エリア1923件中)
マキタン2さん
- マキタン2さんTOP
- 旅行記7777冊
- クチコミ53件
- Q&A回答0件
- 5,683,623アクセス
- フォロワー53人
明治41年3月、北海道と本州を結ぶ鉄道連絡航路として開通した国鉄青函航路は、昭和63年3月青函トンネルの完成に伴い80年の長い歴史を閉じました。
"羊蹄丸"はその連絡航路に昭和40年に就航して以来22年7ケ月にわたって大役を果たし昭和63年3月13日、最後の上り旅客便でその任務を終了しました。その後、船の科学館に移籍し、平成8年3月装いも新たに、船の科学館前水域において一般公開となったのです。
船内には、海をテーマとした「シー&シップワールド」や昭和30年代の青森駅の様子を体感できる「青函ワールド」、シアターなど楽しさあふれるパビリオンです。(http://www.funenokagakukan.or.jp/sc_01/yoteimaru.html より引用)
船の科学館については・・
http://www.funenokagakukan.or.jp/
青函連絡船(せいかんれんらくせん)は、1908年から1988年までの間、青森県の青森駅と北海道の函館駅との間を結んでいた日本国有鉄道(国鉄)・北海道旅客鉄道(JR北海道)の鉄道連絡船である。航路の名称は青函航路、営業キロ上の距離は、113.0km(擬制キロ)で、他の国鉄連絡船とは異なり、外洋航路扱いとされていた。
青函連絡船は旅客に加え、船尾より船腹に鉄道車両をそのまま積み込んで津軽海峡を越える鉄道連絡船であり、言うなれば「海の上の鉄路」であった。青函航路の名のとおり、桟橋は青森駅に3岸壁・函館駅に2岸壁があった。
列車が青森駅や函館駅に到着した時には、連絡船乗り場へ向かう乗客でプラットホームや跨線橋がごった返す様子もみられ、荷物を抱えた乗客が乗り場へ競って駆け出すことから「桟橋マラソン」と呼ばれる光景を見せていた。
1988年3月13日に青函トンネルが開通するのに伴い、同日をもって青函連絡船は廃止され、本州と北海道との連絡は青函トンネルを走る快速「海峡」や、新たに設定された寝台特急北斗星などにゆだねられた。( フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用)
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- JRローカル 私鉄
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
マキタン2さんの関連旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
56