2009/08/15 - 2009/08/15
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いっちゃんさん
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予てから群馬県太田市尾島に「ねぷたまつり」があるときいていて一度見たいと思っていたがお盆で都合が付かず見られなかったが、今年15日が何とかやりくりがついたので行ってみた。
ねぷたは弘前系で一昨年本場弘前市のねぷたを見たが、尾島のねぷたも負けないくらい迫力の在る「ねぷたまつり」でした。
今回は「準備編」と「ねぷた運行」の2編にまとめてみました。
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
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東武伊勢崎線で久喜駅から太田駅で乗り換え木崎駅に降り立つ。
駅前はほとんど何も無くびっくり。 -
駅前からシャトルバスが運行していて利用させてもらう。
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シャトルバスは無料で乗り込む時に「尾島ねぷたまつり」のパンフと帰りの電車時刻表を配布してくれ助かる。
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尾島ねぷたまつり
なぜ尾島に「ねぷた」か。
尾島ねぷたまつり実行委員会パンフから
弘前市と尾島の歴史的ゆかり
尾島と青森県弘前市とのつながりは古く、江戸時代初期にまでさかのぼります。
豊臣秀吉により津軽3郡4万5千石の所領を安堵された津軽藩初代藩主津軽為信公は、秀吉没後の関が原の合戦(1600)では、東軍(徳川家康方)に味方し、軍勢を率いて美濃国(岐阜県)大垣城を攻めました。その功により家康より上野国(群馬県)の6ヶ村2千石の内、約半分の930石(大館600石、安養寺297石、出塚31石)を尾島の地域で占めていました。こうして尾島に津軽藩の飛び地ができました。
そして、大館(当時大館村)には、天和3(1683)年まで大館村を領していた津軽藩の代官足立氏が居住し、その墓は大館東楊寺境内にあります。
さらに、大館には「大館御前」(辰子)と呼ばれた側室がおり、津軽藩二代藩主津軽信牧公と、この大館御前を母に長子として大館に生まれた信義公は、寛永8(1631)年13歳で家督を相続し、津軽藩三代藩主となりました。
このような史実が元になって、昭和60年6月1日弘前市と尾島との交流が再び始まり、太田市となつた現在でも、まつりのみならず産業や文化といった交流もいっそう活発に行われています。 -
シャトルバス発着所を出てまつり本部のある国道354号の尾島交差点に向かう。
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途中、地元のまつりに参加する方々が集まっている。
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薄暮の尾島交差点はもう観光客や地元の人で混雑している。
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準備が始まっています。
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記念撮影。
チョッと失礼! -
ねぶた運行に先立ちパレードが始まりました。
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ねぷた運行に先立ち
ねぷたの移行が始まりました。 -
ここでも記念撮影。
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記念撮影にポーズをとる・・。
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打ち手が居ない太鼓。
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電線を避けて上部は折り曲げたまま移行。
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大太鼓の大きさにびっくり。
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尾島ねぷた実行委員会のねぷたも・・。
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つぎつぎと尾島交差点に各地区から移行してくる。
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こんな「ねぷた」もまじっています。
かわいい・かわいい と周囲から聞こえてきます。 -
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私たち準備できましたよ・・。
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何処の局か・・
テレビクルーも取材中です。 -
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いよいよ「ねぷた」に燈がはいり盛り上がります。
18時40分ねぷた出陣セレモニーが始まるようです。
つづく
次はねぷた運行を予定いたします。
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