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信越本線高崎-横川間は北陸新幹線開業後こそ地方ローカル線に転落してしまいましたが、北陸新幹線開業前以前は関東と長野新潟を結ぶ大幹線でした。<br /><br />現在の信越本線は件の成立に於いて東海道本線=工部省鐡道作業局、山陽鐵道=山陽本線、日本鐵道=東北本線の如き単一組織から成立した路線では無く、言わば出自が異なる複合組織が集合化したものです。<br /><br />明治政府は富國強兵政策の下、東京対京阪神地区間に於ける鉄道建設を主眼として中山道本線建設計画を策定し起点の高崎から建設を開始した。<br />然し、此の時点で既に高崎駅は日本鐵道所在駅として開業していた為に信越線が「本線」を名乗ろうとも、生母たる高崎線所属駅たる事に変わりは無く今日に至たる。<br /><br />工事は高崎駅から開始され途中、磯部駅からは25‰の急勾配区間となり旧松井田駅付近では駅設置の為の平坦部の確保が困難と判断され、我が国初のスイッチバック式停車場が設置されます。<br /><br />高崎-横川駅間は明治18年(1885年)10月15日に開通しました。<br /><br />然し、横川駅以遠は行く手を峻険な碓氷峠に阻まれ当時の土木技術では建設は困難とされ、再検討の結果、日清間の雲行きが怪しくなっていが為に東海道本線の建設が最優先とし横川-軽井沢間建設は後回しにされます。<br /><br />それでも、信越本線全通時は東京-新潟間の鉄道輸送路が信越ルート以外に存在せず、新潟で産出される我が国で僅少の石油輸送路として重視されたのは事実です。<br /><br />然し、大正期に現在の郡山-新津間に磐越西線が全通して碓氷峠の隘路を必要としない磐越線ルートがメインとなり信越ルートはメインから退場を余儀無くされます。<br /><br />更に、昭和期に現在の上越線全通で東京-新潟間輸送は完全に上越線に移行してしまい、貨客共に信越ルートを利用する事はなくなりましたが、それでも、嘗ての信越本線が一貫性を有した路線だった証に途中で列車番号こそ2度変わるものの昭和60年(1985年)春のダイヤ改正まで上野発信越本線経由新潟行普通列車が残存していた。<br /><br /><br />表紙の写真は高崎駅北跨線橋に使用中の我が国黎明期製造の旧官設八幡製鐵所製レール。<br /><br />

信越本線歴史的痕跡探訪記 ~高崎-横川間編 明治頌歌~

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2009/08/09 - 2009/08/09

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横浜臨海公園

横浜臨海公園さん

信越本線高崎-横川間は北陸新幹線開業後こそ地方ローカル線に転落してしまいましたが、北陸新幹線開業前以前は関東と長野新潟を結ぶ大幹線でした。

現在の信越本線は件の成立に於いて東海道本線=工部省鐡道作業局、山陽鐵道=山陽本線、日本鐵道=東北本線の如き単一組織から成立した路線では無く、言わば出自が異なる複合組織が集合化したものです。

明治政府は富國強兵政策の下、東京対京阪神地区間に於ける鉄道建設を主眼として中山道本線建設計画を策定し起点の高崎から建設を開始した。
然し、此の時点で既に高崎駅は日本鐵道所在駅として開業していた為に信越線が「本線」を名乗ろうとも、生母たる高崎線所属駅たる事に変わりは無く今日に至たる。

工事は高崎駅から開始され途中、磯部駅からは25‰の急勾配区間となり旧松井田駅付近では駅設置の為の平坦部の確保が困難と判断され、我が国初のスイッチバック式停車場が設置されます。

高崎-横川駅間は明治18年(1885年)10月15日に開通しました。

然し、横川駅以遠は行く手を峻険な碓氷峠に阻まれ当時の土木技術では建設は困難とされ、再検討の結果、日清間の雲行きが怪しくなっていが為に東海道本線の建設が最優先とし横川-軽井沢間建設は後回しにされます。

それでも、信越本線全通時は東京-新潟間の鉄道輸送路が信越ルート以外に存在せず、新潟で産出される我が国で僅少の石油輸送路として重視されたのは事実です。

然し、大正期に現在の郡山-新津間に磐越西線が全通して碓氷峠の隘路を必要としない磐越線ルートがメインとなり信越ルートはメインから退場を余儀無くされます。

更に、昭和期に現在の上越線全通で東京-新潟間輸送は完全に上越線に移行してしまい、貨客共に信越ルートを利用する事はなくなりましたが、それでも、嘗ての信越本線が一貫性を有した路線だった証に途中で列車番号こそ2度変わるものの昭和60年(1985年)春のダイヤ改正まで上野発信越本線経由新潟行普通列車が残存していた。


表紙の写真は高崎駅北跨線橋に使用中の我が国黎明期製造の旧官設八幡製鐵所製レール。

同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円 - 3万円
交通手段
JRローカル 徒歩

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  • 高崎線高崎駅<br /><br /><br /><br />第1番ホーム<br /><br />開業当時の日本鐵道開業時の石積ホーム側壁が残る。<br /><br />高崎駅は日本鐵道高崎駅として開業した為に信越線が本線を名乗るにも拘らず、規定上では東北本線所属高崎線高崎駅となった経緯が存在。<br /><br />昭和57年(1982年)に上越新幹線開業後も残存した信越本線方面へ向かう特急急行停車用に使用され列車停車中には弁当売りが大声を上げて行き交っていた姿が記憶に残る。<br /><br />北陸新幹線開業後の駅改造工事で第1番ホームは使用中止になり客扱い中止。<br /><br />現北跨線橋は昭和33年(1958年)3月30日竣工。<br /><br />http://www.jreast.co.jp/estation/station/info.aspx?StationCd=934

    高崎線高崎駅



    第1番ホーム

    開業当時の日本鐵道開業時の石積ホーム側壁が残る。

    高崎駅は日本鐵道高崎駅として開業した為に信越線が本線を名乗るにも拘らず、規定上では東北本線所属高崎線高崎駅となった経緯が存在。

    昭和57年(1982年)に上越新幹線開業後も残存した信越本線方面へ向かう特急急行停車用に使用され列車停車中には弁当売りが大声を上げて行き交っていた姿が記憶に残る。

    北陸新幹線開業後の駅改造工事で第1番ホームは使用中止になり客扱い中止。

    現北跨線橋は昭和33年(1958年)3月30日竣工。

    http://www.jreast.co.jp/estation/station/info.aspx?StationCd=934

  • 高崎線高崎駅<br /><br /><br /><br />北跨線橋第2番ホーム<br /><br />斜材(右)<br /><br />旧官設八幡製鐵所(かんせつ やはたせいていじょ)1907年(明治40年)製の国産黎明期製造の30キロレール<br /><br />我が国でレールが国産化されたのは日露戦争開戦前の1901年(明治34年)。<br />先ずトロッコ等に使用する軽軌条が7月27日から製造開始、そして12月4日から鉄道用重軌条の製造が開始された。<br />然し、当時の使用報告書に『軌条敷設48時間後ニ精査セシ処3粍(ミリ)磨耗ヲ発見セシメタリ』と記載されている様に舶来品と異なり国産製品は必ずしも好ましい存在では無く明治初期に輸入された練鉄製品並状態だった。<br />また、引張力試験では良品と判定されたのは全体の40%未満で50%以上の製品が基準値を下回る非適合品とされた。<br /><br />因みに、鉄道部材で車軸とレールは大正末期まで輸入品の方が高品位製品とされた。<br /><br />尚、明治34年製造分の国産化最初のレールは阪和線紀伊中ノ島駅ホーム上屋支柱から大量に発見され、本年鉄道産業遺産に登録された。

    高崎線高崎駅



    北跨線橋第2番ホーム

    斜材(右)

    旧官設八幡製鐵所(かんせつ やはたせいていじょ)1907年(明治40年)製の国産黎明期製造の30キロレール

    我が国でレールが国産化されたのは日露戦争開戦前の1901年(明治34年)。
    先ずトロッコ等に使用する軽軌条が7月27日から製造開始、そして12月4日から鉄道用重軌条の製造が開始された。
    然し、当時の使用報告書に『軌条敷設48時間後ニ精査セシ処3粍(ミリ)磨耗ヲ発見セシメタリ』と記載されている様に舶来品と異なり国産製品は必ずしも好ましい存在では無く明治初期に輸入された練鉄製品並状態だった。
    また、引張力試験では良品と判定されたのは全体の40%未満で50%以上の製品が基準値を下回る非適合品とされた。

    因みに、鉄道部材で車軸とレールは大正末期まで輸入品の方が高品位製品とされた。

    尚、明治34年製造分の国産化最初のレールは阪和線紀伊中ノ島駅ホーム上屋支柱から大量に発見され、本年鉄道産業遺産に登録された。

  • 高崎線高崎駅<br /><br /><br /><br />北跨線橋第2番ホーム<br /><br />縦材<br /><br />皇紀2607年製 旧八幡製鐵所製レール<br /><br />大東亜戦争終結の翌々年(昭和22年、1947年)製造品<br /><br />皇紀暦に就いては後述。<br /><br />尚、高崎線高崎駅北跨線橋に補強材として使用中の古レール群を鑑定した結果、概ね、1927(昭和2年)〜1929年(昭和4年)八幡製鐵所製造品が8割方で構成されたものと判定。<br /><br />

    高崎線高崎駅



    北跨線橋第2番ホーム

    縦材

    皇紀2607年製 旧八幡製鐵所製レール

    大東亜戦争終結の翌々年(昭和22年、1947年)製造品

    皇紀暦に就いては後述。

    尚、高崎線高崎駅北跨線橋に補強材として使用中の古レール群を鑑定した結果、概ね、1927(昭和2年)〜1929年(昭和4年)八幡製鐵所製造品が8割方で構成されたものと判定。

  • 高崎線高崎駅<br /><br /><br /><br />北跨線橋第3番ホーム<br /><br />横材<br /><br />皇紀2606年(昭和21年、1946年)八幡製鐵所製<br /><br />昭和16年(1941年)前後から終戦後まで当時の我が国ではレール製造時の刻印に西暦を使用せず皇紀暦を使用。<br /><br />八幡製鐵所は進駐軍命令に拠り、終戦(1945年)〜昭和23年(1948年)間の操業に関し制限され軌条製造が中断しており、該軌条の存在に疑問を呈する向きも存在するが、進駐軍の目を盗み手持ちの原材料を利用し非公式に製造した物。<br /><br />大東亜戦争終結の翌年故に高品質製品が期待できる状況などでは無く早期に使用中止し処分されたものと推定。

    高崎線高崎駅



    北跨線橋第3番ホーム

    横材

    皇紀2606年(昭和21年、1946年)八幡製鐵所製

    昭和16年(1941年)前後から終戦後まで当時の我が国ではレール製造時の刻印に西暦を使用せず皇紀暦を使用。

    八幡製鐵所は進駐軍命令に拠り、終戦(1945年)〜昭和23年(1948年)間の操業に関し制限され軌条製造が中断しており、該軌条の存在に疑問を呈する向きも存在するが、進駐軍の目を盗み手持ちの原材料を利用し非公式に製造した物。

    大東亜戦争終結の翌年故に高品質製品が期待できる状況などでは無く早期に使用中止し処分されたものと推定。

  • 高崎線高崎駅<br /><br /><br /><br />北跨線橋第3番ホーム<br /><br />斜材<br /><br />皇紀2602年(昭和17年、1942年)製<br />八幡製鐡所製造品

    高崎線高崎駅



    北跨線橋第3番ホーム

    斜材

    皇紀2602年(昭和17年、1942年)製
    八幡製鐡所製造品

  • 高崎線高崎駅<br /><br /><br /><br />北跨線橋第3番ホーム<br /><br />縦材(右)<br /><br />THYSSEN 60 A.S.C.E. κ 1926 I.G.R.<br />(独テッセン社 60ポンド アメリカ土木協会規定品 1926年製造 鐡道省発注品)<br /><br />輸入軌条としては晩期の品。

    高崎線高崎駅



    北跨線橋第3番ホーム

    縦材(右)

    THYSSEN 60 A.S.C.E. κ 1926 I.G.R.
    (独テッセン社 60ポンド アメリカ土木協会規定品 1926年製造 鐡道省発注品)

    輸入軌条としては晩期の品。

  • 高崎線高崎駅<br /><br /><br /><br />北跨線橋第3番ホーム<br /><br />縦材<br /><br />R.S.W. 1908 I.R.J<br />(独ライン社 1908年製造 帝國鉄道庁発注品)

    高崎線高崎駅



    北跨線橋第3番ホーム

    縦材

    R.S.W. 1908 I.R.J
    (独ライン社 1908年製造 帝國鉄道庁発注品)

  • 高崎線高崎駅<br /><br /><br /><br />北跨線橋<br /><br />第3番4番ホーム間跨線橋斜材<br /><br />皇紀2605年(昭和20年、1945年)八幡製鐡所製<br /><br />製造当時は言わんと知れた大東亜戦争末期で八幡製鉄所は中国成都から飛来する米空軍B29戦略爆撃機の空襲の為に溶鉱炉が次々と被災し使用不可能となっていた厳しい時代で軌条製造本数も激減していた。<br /><br />大東亜戦争末期の製造故に品質的にも劣り問題が有ったと推定される。

    高崎線高崎駅



    北跨線橋

    第3番4番ホーム間跨線橋斜材

    皇紀2605年(昭和20年、1945年)八幡製鐡所製

    製造当時は言わんと知れた大東亜戦争末期で八幡製鉄所は中国成都から飛来する米空軍B29戦略爆撃機の空襲の為に溶鉱炉が次々と被災し使用不可能となっていた厳しい時代で軌条製造本数も激減していた。

    大東亜戦争末期の製造故に品質的にも劣り問題が有ったと推定される。

  • 高崎線高崎駅<br /><br /><br /><br />北跨線橋<br /><br />第3番4番ホーム間跨線橋斜材<br /><br />皇紀2606年(昭和21年、1946年)八幡製鐵所製軌条

    高崎線高崎駅



    北跨線橋

    第3番4番ホーム間跨線橋斜材

    皇紀2606年(昭和21年、1946年)八幡製鐵所製軌条

  • 高崎線高崎駅<br /><br /><br /><br />北跨線橋<br /><br />第2番ホームから跨線橋を通じ第3番ホームを見る。<br /><br />第3番ホーム 昭和5年(1930年)5月23日竣工<br />第4番ホーム 昭和43年(1968年)8月31日竣工

    高崎線高崎駅



    北跨線橋

    第2番ホームから跨線橋を通じ第3番ホームを見る。

    第3番ホーム 昭和5年(1930年)5月23日竣工
    第4番ホーム 昭和43年(1968年)8月31日竣工

  • 高崎線高崎駅<br /><br /><br /><br />第2番ホーム<br /><br />側壁に使用される石材表面が新しいのは向かいに見える231系電車のグリーン車導入で1階席からホーム側壁が苔生した状態が汚く見苦しいとの苦情を受け東北高崎常磐線各駅の石材表面を削った事に拠る。<br />因みに東海道横須賀線では此の様な苦情は出なかった。<br />地域性住民の資質に拠るものなのか。

    高崎線高崎駅



    第2番ホーム

    側壁に使用される石材表面が新しいのは向かいに見える231系電車のグリーン車導入で1階席からホーム側壁が苔生した状態が汚く見苦しいとの苦情を受け東北高崎常磐線各駅の石材表面を削った事に拠る。
    因みに東海道横須賀線では此の様な苦情は出なかった。
    地域性住民の資質に拠るものなのか。

  • 信越本線北高崎駅<br /><br /><br /><br />高崎横川駅間開通と同時に開業。<br /><br />開業当時は飯塚駅と称した。<br /><br />開業当時の駅舎は平成13年(1991年)に惜しくも解体され現在は鉄筋コンクリート製に改築。<br />ホームの段差跡だけが僅かに往時を偲ぶ。<br /><br />http://www.jreast.co.jp/estation/station/info.aspx?StationCd=574<br />

    信越本線北高崎駅



    高崎横川駅間開通と同時に開業。

    開業当時は飯塚駅と称した。

    開業当時の駅舎は平成13年(1991年)に惜しくも解体され現在は鉄筋コンクリート製に改築。
    ホームの段差跡だけが僅かに往時を偲ぶ。

    http://www.jreast.co.jp/estation/station/info.aspx?StationCd=574

  • 信越本線北高崎駅<br /><br /><br /><br />嵩上げ部分(黄色の所)は昭和37年7月15日電化の際に電車運転が開始される為に打上げられたヶ所。<br />珍しく西暦で1962年の刻印がなされている。<br />

    信越本線北高崎駅



    嵩上げ部分(黄色の所)は昭和37年7月15日電化の際に電車運転が開始される為に打上げられたヶ所。
    珍しく西暦で1962年の刻印がなされている。

    北高崎駅

  • 信越本線群馬八幡駅<br /><br /><br /><br />高崎-横川駅間開通の際に、現在の北高崎-安中駅間に駅が存在せず不便な事から地元住民からも請願もあり大正13年(1924年)10月15日に開業。<br />駅本屋は老朽化が著しく、平成16年(2004年)3月に改築。<br /><br />http://www.jreast.co.jp/estation/station/info.aspx?StationCd=649

    信越本線群馬八幡駅



    高崎-横川駅間開通の際に、現在の北高崎-安中駅間に駅が存在せず不便な事から地元住民からも請願もあり大正13年(1924年)10月15日に開業。
    駅本屋は老朽化が著しく、平成16年(2004年)3月に改築。

    http://www.jreast.co.jp/estation/station/info.aspx?StationCd=649

    群馬八幡駅

  • 信越本線群馬八幡駅<br /><br /><br /><br />第2番ホーム

    信越本線群馬八幡駅



    第2番ホーム

    群馬八幡駅

  • 信越本線安中駅<br /><br /><br /><br />明治18年(1885年)開業当時の駅本屋<br /><br />http://www.jreast.co.jp/estation/station/info.aspx?StationCd=95<br /><br /><br />

    信越本線安中駅



    明治18年(1885年)開業当時の駅本屋

    http://www.jreast.co.jp/estation/station/info.aspx?StationCd=95


  • 信越本線安中駅<br /><br /><br /><br />明治18年(1885年)開業当時の駅本屋内部<br />駅本屋軒装飾。<br />

    信越本線安中駅



    明治18年(1885年)開業当時の駅本屋内部
    駅本屋軒装飾。

    安中駅

  • 信越本線安中駅<br /><br /><br /><br />駅舎改札口付近

    信越本線安中駅



    駅舎改札口付近

    安中駅

  • 信越本線安中駅<br /><br /><br /><br />自動改札機を通し向かいに東邦亜鉛安中精錬所が見える。<br /><br />

    信越本線安中駅



    自動改札機を通し向かいに東邦亜鉛安中精錬所が見える。

  • 信越本線安中駅第2番ホーム<br /><br /><br /><br />長距離列車も長大編成の列車も無くなった現在、長いホームと使用廃止で線路が撤去された2番線が虚しく残る。

    信越本線安中駅第2番ホーム



    長距離列車も長大編成の列車も無くなった現在、長いホームと使用廃止で線路が撤去された2番線が虚しく残る。

    安中駅

  • 信越本線安中駅<br /><br /><br /><br />東邦亜鉛の私有貨車。<br />国鉄時代は企業が所有する私有貨車は珍しくも無い存在だったが民営化21年後ともなると希少価値。

    信越本線安中駅



    東邦亜鉛の私有貨車。
    国鉄時代は企業が所有する私有貨車は珍しくも無い存在だったが民営化21年後ともなると希少価値。

  • 信越本線安中駅<br /><br /><br /><br />旧跨線橋支柱<br /><br />『川崎造船鋲兵庫分工場』とは現在の川崎重工業兵庫工場。<br /><br />当時の鋼鉄船に於ける金属同士の結合で溶接技術は黎明期で単純な工作物のみ可能、主流は鋲(リベット)を使用。<br />溶接技術が飛躍的進歩を遂げるのは昭和初期。<br />事実、昭和11年(1936年)に建造開始した戦艦大和級ですら『第四艦隊事件』の後遺症で結合部に対する不安から軍令部作戦課の要求で鋲結合を相当残していた。<br /><br />当時は船舶建造の傍ら橋梁組み立ても行っていた。

    信越本線安中駅



    旧跨線橋支柱

    『川崎造船鋲兵庫分工場』とは現在の川崎重工業兵庫工場。

    当時の鋼鉄船に於ける金属同士の結合で溶接技術は黎明期で単純な工作物のみ可能、主流は鋲(リベット)を使用。
    溶接技術が飛躍的進歩を遂げるのは昭和初期。
    事実、昭和11年(1936年)に建造開始した戦艦大和級ですら『第四艦隊事件』の後遺症で結合部に対する不安から軍令部作戦課の要求で鋲結合を相当残していた。

    当時は船舶建造の傍ら橋梁組み立ても行っていた。

  • 信越本線安中駅<br /><br /><br /><br />旧跨線橋支柱<br /><br />角度を変えると『鉄道院』と『明治四拾四年』の刻印。<br /><br />因みに、明治44年は1911年。

    信越本線安中駅



    旧跨線橋支柱

    角度を変えると『鉄道院』と『明治四拾四年』の刻印。

    因みに、明治44年は1911年。

  • 信越本線安中駅<br /><br /><br /><br />安中駅は東邦亜鉛安中精錬所が操業し現在も貨物取扱が存在する為に構内敷地が広い。

    信越本線安中駅



    安中駅は東邦亜鉛安中精錬所が操業し現在も貨物取扱が存在する為に構内敷地が広い。

    安中駅

  • 信越本線磯部駅<br /><br /><br /><br />駅本屋<br /><br />明治18年(1885年)10月15日開業当時の駅舎が残る。<br /><br />http://www.jreast.co.jp/estation/station/info.aspx?StationCd=130

    信越本線磯部駅



    駅本屋

    明治18年(1885年)10月15日開業当時の駅舎が残る。

    http://www.jreast.co.jp/estation/station/info.aspx?StationCd=130

    磯部駅

  • 信越本線磯部駅<br /><br /><br /><br />跨線橋

    信越本線磯部駅



    跨線橋

    磯部駅

  • 信越本線磯部駅<br /><br /><br /><br />跨線橋

    信越本線磯部駅



    跨線橋

    磯部駅

  • 信越本線磯部駅<br /><br /><br /><br />跨線橋<br /><br />第1番ホーム。<br />ホーロー引駅名板が残る。<br /><br />財産表に拠れば磯部駅跨線橋は意外と新しく昭和37年(1962年)7月完成。

    信越本線磯部駅



    跨線橋

    第1番ホーム。
    ホーロー引駅名板が残る。

    財産表に拠れば磯部駅跨線橋は意外と新しく昭和37年(1962年)7月完成。

    磯部駅

  • 信越本線磯部駅<br /><br /><br /><br />跨線橋<br /><br />縦材として使用される古軌条。<br /><br />1920年(大正9年)八幡製鐡所製造。

    信越本線磯部駅



    跨線橋

    縦材として使用される古軌条。

    1920年(大正9年)八幡製鐡所製造。

    磯部駅

  • 信越本線松井田駅<br /><br /><br /><br />駅本屋<br /><br />松井田駅開業は高崎横川駅間開通と同時の明治18年(1885年)10月15日。<br /><br />松井田駅は急勾配を以って我が国最初のスイッチバック駅構造だったが、昭和37年(1962年)7月15日に高崎-横川駅電化と同時にスイッチバックを廃止して現在地に移転。<br /><br />http://www.jreast.co.jp/estation/station/info.aspx?StationCd=1430

    信越本線松井田駅



    駅本屋

    松井田駅開業は高崎横川駅間開通と同時の明治18年(1885年)10月15日。

    松井田駅は急勾配を以って我が国最初のスイッチバック駅構造だったが、昭和37年(1962年)7月15日に高崎-横川駅電化と同時にスイッチバックを廃止して現在地に移転。

    http://www.jreast.co.jp/estation/station/info.aspx?StationCd=1430

  • 信越本線松井田駅<br /><br /><br /><br />駅前広場の安全柵。<br /><br />トロッコ用レールが使用されている。

    信越本線松井田駅



    駅前広場の安全柵。

    トロッコ用レールが使用されている。

    松井田駅

  • 信越本線松井田駅<br /><br /><br /><br />跨線橋<br /><br />松井田駅2階改札口に直結する構造。<br /><br />

    信越本線松井田駅



    跨線橋

    松井田駅2階改札口に直結する構造。

    松井田駅

  • 信越本線松井田駅<br /><br /><br /><br />跨線橋内部<br /><br />梁材に使用される古レールに国宝級逸品がゴロゴロ。

    信越本線松井田駅



    跨線橋内部

    梁材に使用される古レールに国宝級逸品がゴロゴロ。

    松井田駅

  • 信越本線松井田駅<br /><br /><br /><br />跨線橋<br /><br />UNION D 1885 I.R.J.<br />(独ウニオン社ドルトムント工場 1885年製造 逓信省鉄道作業局発注品)<br />横梁に使用。<br /><br />松井田駅跨線橋は昭和37年(1962年)7月15日開設以来ペイントの塗り重ねが少ない為に判別識別が容易なのが有難い存在。

    信越本線松井田駅



    跨線橋

    UNION D 1885 I.R.J.
    (独ウニオン社ドルトムント工場 1885年製造 逓信省鉄道作業局発注品)
    横梁に使用。

    松井田駅跨線橋は昭和37年(1962年)7月15日開設以来ペイントの塗り重ねが少ない為に判別識別が容易なのが有難い存在。

    松井田駅

  • 信越本線松井田駅<br /><br /><br /><br />跨線橋<br /><br />UNION D 1887 N.T.K.<br />(独ウニオン ドルトムント工場 1887年 日本鐵道會社発注品)<br />横梁に使用。

    信越本線松井田駅



    跨線橋

    UNION D 1887 N.T.K.
    (独ウニオン ドルトムント工場 1887年 日本鐵道會社発注品)
    横梁に使用。

    松井田駅

  • 信越本線松井田駅<br /><br /><br /><br />跨線橋<br /><br />CAMMEL STEEL W.1887<br />(英キャンメル社 1887年製造)<br />横梁に使用。<br /><br />製造年や発注元の刻印識別できず不明。

    信越本線松井田駅



    跨線橋

    CAMMEL STEEL W.1887
    (英キャンメル社 1887年製造)
    横梁に使用。

    製造年や発注元の刻印識別できず不明。

    松井田駅

  • 信越本線松井田駅<br /><br /><br /><br />跨線橋<br /><br />UNION D 1887 N.T.K.<br />(独ウニオン社ドルトムント工場 1887年製造 日本鐵道會社発注品)<br />横梁に使用。

    信越本線松井田駅



    跨線橋

    UNION D 1887 N.T.K.
    (独ウニオン社ドルトムント工場 1887年製造 日本鐵道會社発注品)
    横梁に使用。

    松井田駅

  • 信越本線松井田駅<br /><br /><br /><br />跨線橋<br /><br />UNION D 1885 I.R.J.<br />(独ウニオン社 ドルトムント工場 1885年製造 工部省鐵道作業局発注品)<br />斜材に使用。<br /><br />正しく、高崎-横川駅間開業時に敷設されたレール。<br />レールをカットの際に刻印部分が欠落してしまったのが惜しまれる。

    信越本線松井田駅



    跨線橋

    UNION D 1885 I.R.J.
    (独ウニオン社 ドルトムント工場 1885年製造 工部省鐵道作業局発注品)
    斜材に使用。

    正しく、高崎-横川駅間開業時に敷設されたレール。
    レールをカットの際に刻印部分が欠落してしまったのが惜しまれる。

  • 信越本線松井田駅<br /><br /><br /><br />跨線橋全景<br /><br />横川行107系電車

    信越本線松井田駅



    跨線橋全景

    横川行107系電車

  • 信越本線西松井田駅<br /><br /><br /><br />25‰上り勾配上に駅を設置。

    信越本線西松井田駅



    25‰上り勾配上に駅を設置。

  • 信越本線西松井田駅<br /><br /><br /><br />駅本屋<br /><br />橋上駅舎のハシリ。<br />現在と異なり当時は橋上駅舎は珍しい存在だった。<br /><br />http://www.jreast.co.jp/estation/station/info.aspx?StationCd=1173<br />

    信越本線西松井田駅



    駅本屋

    橋上駅舎のハシリ。
    現在と異なり当時は橋上駅舎は珍しい存在だった。

    http://www.jreast.co.jp/estation/station/info.aspx?StationCd=1173

  • 信越本線西松井田駅<br /><br /><br /><br />向かって左手に緩やかにカーヴする方面が旧松井田駅敷地。

    信越本線西松井田駅



    向かって左手に緩やかにカーヴする方面が旧松井田駅敷地。

  • 信越本線西松井田駅<br /><br /><br /><br />本線と旧松井田駅分岐点付近。<br /><br />

    信越本線西松井田駅



    本線と旧松井田駅分岐点付近。

  • 信越本線西松井田駅<br /><br /><br /><br />旧松井田駅跡<br /><br />旧松井田駅は1885年(明治18年)にわが国最初のスイッチバック式停車場として開業。<br />昭和37年(1962年)7月15日の高崎-横川駅間電化に伴い現在位置に移転。<br />移転後は国鉄所有の更地状態で昭和62年(1987年)4月1日の民営分割を迎え、国鉄清算事業団所有を経て地元松井田町に払下げられ、現在は安中市役所松井田支所庁舎が存在する。<br /><br />然るに、該跡地が旧松井田駅だった存在を示す存在や我が国最初のスイッチバック式停車場だった記念碑や歴史的説明文等の存在は一切存在せず、地元ですら忘却されかけている史実に対し、少なからず遺憾と失望とを覚える次第。<br /><br />安中市役所松井田支所庁舎<br />安中市松井田町新堀245<br />?: 027−382−1111<br />

    信越本線西松井田駅



    旧松井田駅跡

    旧松井田駅は1885年(明治18年)にわが国最初のスイッチバック式停車場として開業。
    昭和37年(1962年)7月15日の高崎-横川駅間電化に伴い現在位置に移転。
    移転後は国鉄所有の更地状態で昭和62年(1987年)4月1日の民営分割を迎え、国鉄清算事業団所有を経て地元松井田町に払下げられ、現在は安中市役所松井田支所庁舎が存在する。

    然るに、該跡地が旧松井田駅だった存在を示す存在や我が国最初のスイッチバック式停車場だった記念碑や歴史的説明文等の存在は一切存在せず、地元ですら忘却されかけている史実に対し、少なからず遺憾と失望とを覚える次第。

    安中市役所松井田支所庁舎
    安中市松井田町新堀245
    ?: 027−382−1111

  • 信越本線西松井田駅<br /><br /><br /><br />駅前商店街のナレノ果て。

    信越本線西松井田駅



    駅前商店街のナレノ果て。

  • 信越本線西松井田駅<br /><br /><br /><br />旧松井田駅前通り。

    信越本線西松井田駅



    旧松井田駅前通り。

  • 信越本線西松井田駅<br /><br /><br /><br />信越本線から旧松井田駅への線路跡。<br />現在は生活道路。

    信越本線西松井田駅



    信越本線から旧松井田駅への線路跡。
    現在は生活道路。

  • 信越本線横川駅<br /><br /><br /><br />駅舎内部。<br />出札窓口は廃止された。<br />

    信越本線横川駅



    駅舎内部。
    出札窓口は廃止された。

  • 信越本線横川駅<br /><br /><br /><br />明治18年(1885年)10月15日開業当時の駅本屋。<br /><br />http://www.jreast.co.jp/estation/station/info.aspx?StationCd=1631

    信越本線横川駅



    明治18年(1885年)10月15日開業当時の駅本屋。

    http://www.jreast.co.jp/estation/station/info.aspx?StationCd=1631

  • 信越本線横川駅<br /><br /><br /><br />ネコの額の駅前。<br />道路を横切る側溝に注意。

    信越本線横川駅



    ネコの額の駅前。
    道路を横切る側溝に注意。

  • 信越本線横川駅前<br /><br /><br /><br />旧アブト式ラックレール。<br />現在は駅前道路の下水溝上蓋。<br /><br />昭和38年(1963年)に廃止された旧アブト式線路で使用されたもの。

    信越本線横川駅前



    旧アブト式ラックレール。
    現在は駅前道路の下水溝上蓋。

    昭和38年(1963年)に廃止された旧アブト式線路で使用されたもの。

  • 信越本線横川駅<br /><br /><br /><br />向かって左手が旧横川駅側。<br />下り勾配に対しラックレールに強大な力が加わる為に一方のみ磨耗が著しい。

    信越本線横川駅



    向かって左手が旧横川駅側。
    下り勾配に対しラックレールに強大な力が加わる為に一方のみ磨耗が著しい。

  • 荻野屋弁当部(おぎのや べんとうぶ)<br /><br /><br /><br />言わずと知れた『峠の釜飯』販売元。<br />元は駅前旅館。<br /><br />安中市松井田町横川399<br />?: 027−395−2311<br />http://www.oginoya.co.jp/tenpo/yokokawa/index.html

    荻野屋弁当部(おぎのや べんとうぶ)



    言わずと知れた『峠の釜飯』販売元。
    元は駅前旅館。

    安中市松井田町横川399
    ?: 027−395−2311
    http://www.oginoya.co.jp/tenpo/yokokawa/index.html

  • 荻野屋本店<br /><br /><br /><br />中山道側から見ると荻野屋が旅館経営していた時代が偲ばれる構造。

    荻野屋本店



    中山道側から見ると荻野屋が旅館経営していた時代が偲ばれる構造。

  • 荻野屋本店<br /><br /><br /><br />2階部分は如何にも旅館の佇まいを感じさせる。

    荻野屋本店



    2階部分は如何にも旅館の佇まいを感じさせる。

  • 信越本線横川駅<br /><br /><br /><br />構内<br />宮の沢川橋梁跡<br /><br />プロムナードとして活用。

    信越本線横川駅



    構内
    宮の沢川橋梁跡

    プロムナードとして活用。

  • 信越本線横川駅<br /><br /><br /><br />構内に架かる宮の沢川橋梁跡<br /><br />日本煉瓦製造の製品を使用。<br />英国積。

    信越本線横川駅



    構内に架かる宮の沢川橋梁跡

    日本煉瓦製造の製品を使用。
    英国積。

  • 信越本線横川駅<br /><br /><br /><br />構内<br />宮の沢川橋梁跡<br /><br />路線短縮が原因で橋梁撤去後、新たに煉瓦を積載し記念物としたもの。<br />歴史的価値を低下させる愚挙。<br />

    信越本線横川駅



    構内
    宮の沢川橋梁跡

    路線短縮が原因で橋梁撤去後、新たに煉瓦を積載し記念物としたもの。
    歴史的価値を低下させる愚挙。

  • 信越本線横川駅<br /><br /><br /><br />第2番ホーム<br /><br />平成9年(1997年)9月30日まで横川-軽井沢駅間廃止前は主に下り列車用。<br />碓氷峠を登攀する機関車を増結する為に全部の列車が4分以上停車していた。<br />乗客は停車時間を使い目の色を変えて釜飯を買っていた光景が、つい昨日の様に思い出される。

    信越本線横川駅



    第2番ホーム

    平成9年(1997年)9月30日まで横川-軽井沢駅間廃止前は主に下り列車用。
    碓氷峠を登攀する機関車を増結する為に全部の列車が4分以上停車していた。
    乗客は停車時間を使い目の色を変えて釜飯を買っていた光景が、つい昨日の様に思い出される。

    横川駅 (群馬県)

  • 信越本線横川駅<br /><br /><br /><br />第2番ホーム側壁<br /><br />ホーム側壁の凹部分は横川-軽井沢駅間を昭和37年(1962年)秋まで残存していたアブト式電気機関車が集電の為の第3軌条支の痕跡。<br />第3軌条は現在でもイギリス国鉄南部地区や東京横浜名古屋大阪の一部の地下鉄で見る事が可能。

    信越本線横川駅



    第2番ホーム側壁

    ホーム側壁の凹部分は横川-軽井沢駅間を昭和37年(1962年)秋まで残存していたアブト式電気機関車が集電の為の第3軌条支の痕跡。
    第3軌条は現在でもイギリス国鉄南部地区や東京横浜名古屋大阪の一部の地下鉄で見る事が可能。

    横川駅 (群馬県)

  • 信越本線横川駅<br /><br /><br /><br />跨線橋上<br /><br />線路が断ち切られた軽井沢方面を見る。<br />もう2度と碓氷峠を越える事は出来ないのだろうか。

    信越本線横川駅



    跨線橋上

    線路が断ち切られた軽井沢方面を見る。
    もう2度と碓氷峠を越える事は出来ないのだろうか。

    横川駅 (群馬県)

  • 信越本線横川駅<br /><br /><br /><br />第1番ホーム<br /><br />現在では臨時列車以外は高崎-横川駅間のローカル普通電車の運転だけになってしまった。

    信越本線横川駅



    第1番ホーム

    現在では臨時列車以外は高崎-横川駅間のローカル普通電車の運転だけになってしまった。

    横川駅 (群馬県)

  • 信越本線横川駅<br /><br /><br /><br />第1番ホーム上屋支柱古軌条<br /><br />BARROW STEEL XI/I 1890 SEC166 I.R.J.<br />(英バーロウ スティール社 1890年11月1日製造 製造ロット番号166号 逓信省鐵道作業局発注品)<br /><br />支柱番号第11号b<br />

    信越本線横川駅



    第1番ホーム上屋支柱古軌条

    BARROW STEEL XI/I 1890 SEC166 I.R.J.
    (英バーロウ スティール社 1890年11月1日製造 製造ロット番号166号 逓信省鐵道作業局発注品)

    支柱番号第11号b

  • 信越本線横川駅<br /><br /><br /><br />横川駅跨線橋は現在と異なりホーム旧軽井沢駅方に旧跨線橋が存在した。<br />ホーム突端で上屋が欠落しているのは跨線橋が存在した跡。

    信越本線横川駅



    横川駅跨線橋は現在と異なりホーム旧軽井沢駅方に旧跨線橋が存在した。
    ホーム突端で上屋が欠落しているのは跨線橋が存在した跡。

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この旅行記へのコメント (6)

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  • カンベさん 2010/03/04 10:39:00
    こんにちは!



     つい数年前の夏に自分も信越線の高崎〜横川間に乗りました。新幹線ができる前までは言わずと知れた本線だっただけに、今では取り残されたその姿が寂しい限りですね。
     
     強引に線路を終わらせている横川駅の車止めを目の当たりにした時なんかため息も出てしまいました。


     信越本線。これからは長野新幹線の金沢延伸でますます過去の産物となってしまいそうですね。。。

    横浜臨海公園

    横浜臨海公園さん からの返信 2010/03/08 03:40:03
    拝復
    カンベさま、こんばんは。


    メッセージを賜りながら返事を差し上げるのが遅くなりまして誠に申し訳ございませんでした。
    >
    >  つい数年前の夏に自分も信越線の高崎〜横川間に乗りました。新幹線ができる前までは言わずと知れた本線だっただけに、今では取り残されたその姿が寂しい限りですね。
    →以前は30分間隔で特急電車が行き来していた大幹線が今では毎時2本の普通電車のみ、昼間など毎時1本という状態です。
    現状に或る種の寂寞感を抱くのは小生だけでしょうか。
    >  
    >  強引に線路を終わらせている横川駅の車止めを目の当たりにした時なんかため息も出てしまいました。
    →然も、あのコンクリートの壁は廃止された深夜に設置され翌朝に出現して多くの人を感嘆させた物です。
    >
    >  信越本線。これからは長野新幹線の金沢延伸でますます過去の産物となってしまいそうですね。。。
    →昔むかし、信越線には特急列車が行き交っていました、なんて時代になってしまうかも知れません。




    横浜臨海公園
  • Medinaさん 2009/09/13 12:42:57
    峠の釜飯屋さん現存しているの驚きです!
    こんにちは。
    横川駅は新幹線が開通しまた高速が出来たので、現在この横川駅通過をしてしまいます。
    昔は峠の釜飯を良く買いました。もちろん我が家にはその歴史たる釜飯の容器は現在でもあり、炊き込みご飯の時使用しております。

    詳しく存じ上げませんでしたが、荻野屋弁当部知りませんでした。
    「言わずと知れた『峠の釜飯』販売元」

    懐かしいです。新幹線に乗車してもたぶん、駅弁で釜飯があるか?
    高速の横川SAには釜飯は売っております。

    しかし、古き良き時代に栄えた駅が廃れていくのはとても残念な気が致します。
    これからも旅行記楽しみにしておりますので宜しくお願い申し上げます。

    Medina

    横浜臨海公園

    横浜臨海公園さん からの返信 2009/09/16 18:41:40
    拝復
    Medinaさま、こんばんは。


    メッセージを賜りながら返事を差し上げるのが遅くなりまして誠に申し訳ございませんでした。

    新幹線開業前の信越線が未だ在来だけだった時代、車内放送で横川駅停車の案内が流れると乗客はデッキに陣取り、横川駅に停車と同時に雪崩をうつが如く、血相を変え弁当売りの前に走って釜めしを買ってましたね。

    時代は変わり今や北陸新幹線開業と同時に碓氷峠を越える在来線は廃止されてしまい弁当の売上もガタ落ちになったと聞いております。

    現在でも『峠の釜飯』は北陸新幹線車内や軽井沢駅でも購入可能です。




    横浜臨海公園
  • 義臣さん 2009/08/21 16:32:57
    鉄道史
    まるで日本の鉄道史を見てるようです、
    素晴しい記録で。。
    スイッチバックの駅 思い出します。。
    まだずっと昔の頃を思い出しました。
    横川駅を見せてもらい、
     ほっと、、懐かしい駅舎も今では寂しい駅になり
    時代の変わり目をみているようです。
     本にはなさらないのですか?
                    義臣

    横浜臨海公園

    横浜臨海公園さん からの返信 2009/08/22 17:22:17
    拝復
    義臣さま、こんばんは。


    過分なるお褒めのお言葉を賜り恐縮至極でございます。
    多忙にかまけて旅行など全く出来ぬ毎日でしたが、何とか旅行記を上程する事が叶いました。
    小生、遅速ですが粗製濫造が出来ず完成度の高いものをと願っております。
    何卒宜敷くお願い申します。



    横浜臨海公園

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