2000/12/27 - 2001/01/04
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kojikojiさん
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2000年末から2001年の年明けをパリで過ごしました。21世紀ミレニアムを海外で過ごしたかったのと、シャンゼリゼの年明けを見てみたかったのです。格安ツアーでコペンハーゲン経由でパリに入りましたが、機内で飲んだアクアビットとコペンハーゲンの空港でビアワークリステンセンのスエードのジェケットが100ドルで買えたのでご機嫌のパリ到着でした。ホテルは凱旋門近くのプチホテルの屋根裏みたいな部屋でパリジャンになった気分でした。カウントダウンはコンコルド広場近くで降りしきる氷雨の中で迎えました。同じホテルで出会った女の子が一人で大晦日のカウントダウンに行くのが怖いと言っていたので一緒に行動していました。シャンゼリゼは確かに無礼講でキスしまくっていましたが、こちらは女性二人をガードしながらだったので新しい出会いはありませんでした。翌日ニースに発った女の子からお礼のメッセージとチョコがフロントに託されていました。
暮のうちにコンシェルジェに頼んでおいたヨット・ド・パリのディナーの予約が取れた連絡が入ったのは帰国の前日の夕方でした。慌てて着替えてタクシーを飛ばして、ノートルダムの裏の船着き場に出港ギリギリに間に合いました。テーブル席4つの小さなヨットはクラシックなインテリアで最高の雰囲気でした。暖炉には火が入りパチパチと木が爆ぜます。窓の外にはゼーヌ河が流れ、ノートルダムからポンヌフからルーブルと景色が変わってゆきます。たまに目障りなバトームッシュがサーチライトをギラギラさせながら通過していきます。食事が終わるころエッフェル塔の下の到着です。上のデッキに上がって天の川のように点滅する塔は最高に奇麗でした。
料理もサービスも申し分無い上に料金はリーズナブルでした。
帰国前でユーロの手持ちが少なく、事情を話して米ドルでチップを受け取ってもらいました。あの時ばかりはカードの支払いにチップの金額を書き込めば良かったと思います。更に帰りに呼んでもらったタクシーも送迎料金が加算されていて、シャンゼリゼを凱旋門にたどり着く手前のクレージーホースの前で現金が底を尽き、小雨の中を歩いて帰る羽目になりました。二人で笑いながら手を繋いで歩いたシャンゼリゼは一生の思い出になりました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 5.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 鉄道 観光バス 船 タクシー
- 航空会社
- スカンジナビア航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
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20世紀の最後と21世紀の最初はパリで迎えようという事になりました。成田からコペンハーゲン経由でパリに向かいます。スカンジナビア航空の機内ではアクアビットの小瓶のセットを買って飲み比べを楽しみました。トランジットのコペンハーゲンの空港ではビアワー・クリステンセンという毛皮屋さんがセールをしていて、スウェードのジャンパーが100ドルという信じられない値段で売っていました。その後十数年経っても着ることが出来るので安い買い物でした。
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12年振りのシャルル・デ・ゴール空港に着いたのは夜遅くでした。送迎の付いた安いツアーでしたが、ホテルは凱旋門近くの小奇麗なプチホテルでした。凱旋門をグルッと廻るとパリに来たという高揚感を味わえます。
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翌朝はホテルで食事した後は凱旋門を目指します。パリは2度目でしたが凱旋門を間近で見るのは初めてです。「冒険者たち」という映画が好きなのですが、アラン・ドロンとリノ・ヴァンチュラがかっこよかったです。アクロバット飛行で凱旋門の中を潜り抜けようとして失敗したり…。フランソワ・ド・ルーベの音楽も軽快でよかったです。
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リュード作「ラ・マルセイエーズ」
革命初期にマルセイユの義勇軍がパリを目指した際に皆が口ずさんだ歌をストラスブール駐屯軍の将校「ルージェ・ド・リール」が一夜で曲を付けた現在のフランス国歌が題材になっています。 -
真下から上を見上げたら彫刻の兵隊と目が合ってしまいました。
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ロータリーの中から見るとやっぱり巨大です。ただ、ここをアクロバット飛行で潜りたいとは思えませんでした。
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階段を上がってようやくたどり着いた凱旋門の屋上のから眺めたサクレクール寺院
です。今回は時間が無くてモンマルトル方面へ行く時間はありませんでした。 -
エッフェル塔も美しい姿を見せてくれました。周囲に高いビルが無いのでバランスの良い鉄塔はとても美しく感じます。
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シャンゼリゼを歩いてコンコルド広場を目指します。緩やかな下り坂なので助かります。
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コンコルド広場に到着しました。広場の中央には巨大な観覧車が据えられていました。クリスマスマーケとの時期はヨーロッパの大きな都市には必ず据えられています。
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空いてはいたけれどあまりの寒空に乗る気にはなりませんでした。そのままコンコルド広場からオルセー美術館に向かいます。
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オルセー美術館に着きました。最初にここに来たのは美術館が出来て間もない1988年でした。かなり並んで入場したことを覚えています。
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豪華な建物ですがもともとは1900年のパリ万国博覧会開催に合わせて、オルレアン鉄道の建設に伴なったオルセー駅の鉄道駅舎です。この空間に汽車が入っていたのだと思うと不思議な感じもします。
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こういう美術館で美術の勉強が出来るパリの子供って羨ましいと思います。
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美術品の写真を撮れる海外の美術館って良いですよね。この当時はほとんど興味のなかったギュスターブ・モローの作品は齢を経るに連れて好きになり、十数年後にはモロー美術館へ行くことが出来ました。「ガラテイア」の小さい作品はマドリッドのテッセン・ボルネミッサ美術館にもありました。
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子供たちの邪魔をしないように見学を進めます。
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「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」の一部だけを何故撮ったのか記憶がありません。この後オルセー美術館は改修工事が行われ、一時は館内の撮影禁止だったので2011年のパリ旅行では立ち寄りませんでした。最近はまた解禁になったようなのでパリに行きたくなってきました。
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オルセー美術館の側からセーヌ川越しにコンコルド広場方面を望みます。この位置からでもオベリスクの先端が見えるのだと気づきました。
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当時はデジカメを使っていなかったので露出が上手く合っていません。今なら夜景も簡単なのですが。クリスマスは過ぎていましたが、イルミネーションなどは1月初旬までは飾られています。
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ギャラリーラファイエットの美しいドームにも巨大なクリスマスツリーが飾られていました。妻は昔ここに鯉幟をたくさん吊りました。フランスに於ける日本年の時でした。
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ホテル・スクリーブの前を通りがかりました。パリのホテル代は高いのでこんなホテルのお世話になることは一生ないでしょうね。
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このホテルで思い出されるのはリュミエール兄弟によって行われた世界初の映画がこのホテルの地下にあった「インドの間」(サロン・ナンディアン)において、シネマトグラフを用いた「汽車の到着」等の作品が有料公開されたことです。マーティン・スコセッシの「ヒューゴの不思議な発明」という映画でそのシーンを見ることが出来ます。画面奥からこちらへ向かってくる汽車を見て人々が逃げ惑うシーンです。
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夜景散歩はどんどん続きオペラ・ガルニエです。ここも11年後に内部の見学をしましたが素晴らしい内装でした。
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店は閉まっている時間ですがプランタンを通過します。
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ここもまだクリスマスのイルミネーションが残っていました。現在は凄いですが、当時の東京でもストリートのイルミネーションは大したことが無かったのでパリは凄いなと思ったものです。
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ここのウインドウは楽しげでした。楽器とぬいぐるみにモーターが上手く組み込まれ演奏をしています。
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夜遅いのに子供が鈴なりです。真剣なまなざしは世界共通ですね。
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コミカルな動きが何とも言えません。
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パリの中心部をグルッと歩いて凱旋門まで戻ってきました。
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シャンゼリゼの夜景です。車で埋まったこの通りが大晦日の晩は人で埋まります。
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翌日はツアーに付いていたチケットを使って巡回バスでエッフェル塔に向かいました。アレクサンドル3世橋の黄金の銅像を2階建てバスの上から見上げます。
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エッフェル塔に登ろうと思っていたのですが凄い行列です。何時間もかかるとの事でしたので諦めました。歩いて階段を登る気にもなりませんでしたし。
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そのままノートルダム寺院まで歩きました。屋上に登りたかったのですがここも行列です。何年か前に両親がパリを訪れていて父が寺院の屋根の上で撮った写真があったので真似して撮りたかったのですが。
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とても美しい左右対称のゴシック建築です。ファサード側はシンプルですが裏側はまた違った顔を見せます。
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ポルタイユのゴシックのレリーフが美しいです。上段中央には聖痕を示すキリスト、その足元には最後の審判の情景が表されています。
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ステンドグラスのバラ窓はクリスマスイヴの晩だけ表から美しく見えるそうです。
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いつかそんなクリスマスの時期に来てみたいものです。
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薄暗い中でジャンヌダルクが祈りを捧げていました。この像には花が手向けられていました。ノートルダムの中で一番好きな聖像です。
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吸い込まれそうに青い空に寺院の尖塔が突き刺さっています。
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ノートルダムの見どころは寺院の外壁を飾るガーゴイルたちと言っても過言ではありません。一体全部で何頭いるのでしょうか?
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ポンヌフからルーブル宮殿を望みます。そろそろお腹が空きました。
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という事でサン・ジェルマン・デ・プレ界隈のレストランで白ワインを飲みながらシーフードなといただきました。
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その後は妻のお買い物のお付き合いです。ポワラーヌに立ち寄りました。
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パン・ドゥ・カンパーニュなど日持ちのするパンを買ってきました。
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ウィル・ドリーヴで白トリフ入りのオリーブオイルをたくさんお土産用に購入しました。シャンデリアの様に吊ってあるのがオリーブの小瓶です。とても美味しく重宝しました。美味しい物は女性に聞くのが早いです。
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カフェで一休みしました。さすがに少し歩き疲れました。
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夕暮れのルーブル宮。冬の夕焼けは悲しいほど寂しい気持ちになります。
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子供の頃から夕陽を見ると悲しくなります。特に思い出がある訳ではないのですが…。
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初めてパリに来た時はこの中庭は工事中でピラミッドを造っている最中でした。その頃ダヴィンチ・コードの計画が進んでいたのでしょうか?
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今回のパリ旅行ではパッサージュを巡るという目的もありました。今は月刊ではありませんが「月刊太陽」のパリ特集でパッサージュを紹介していました。そのほとんどを見て廻るのは11年後になりますが、この時もそのいくつかを見て廻りました。コロナ・ブックスの「パリのパッサージュ 過ぎ去った夢の痕跡」を参考に掲載されている全部を訪ね歩きました。
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「ギャラリー・ヴェロ・ドタ」はパリのパッサージュの中でも一番気品がある通りかもしれません。アンティーク店などが多かったせいかもしれません。このアールデコのオブジェ欲しかったです。
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翌日も快晴でした。凱旋門から地下鉄に乗ってルーブルの見学に行きます。
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ちょうど通勤の時間帯だったのでシャンゼリゼの通りも車が多かったです。
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その反面地下鉄は結構空いていました。
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冬の日のでは遅いのでまだ薄暗いです。
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ルーブル美術館に到着です。ガラスのピラミッドから中に入ります。出来上がるまで掃除の方法を考えていなかったフランス人がマグダラのマリアの棺を地下に埋めたとは思えません。工事中のピラミッドを見ましたが、そんな風には考えられません。観光客がヘルメットも無しに工事現場に入れたのですよ。ちなみにガラスのピラミッドの中側は登山のようにザイルで登ってオーバーハングで掃除するそうです。
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最初にパリに来たのは会社の視察旅行でした。最初にロンドンのドックランド、次にミラノに行って、マルセイユから南仏のモンペリエを起点にウォーターフロントの視察、最後にパリで自由時間がもらえました。釧路に商業施設を造る前の視察でしたが、今から思えばほとんど遊びみたいでした。バブルのいい時代でした。
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パリの自由時間でルーブル美術館には来ていたのでミロのヴィーナス似合うのも2回目でした。
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ローライズのファッションは紀元前の頃から始まっていたのがこれで証明できます。
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ミケランジェロの「反抗する奴隷」。この2体はロベルト・ストロツッイからフランク国王に贈られたもので、ストロツッイはミケランジェロ本人から受け取ったそうです。
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ミケランジェロ作「瀕死の奴隷」。ヴァチカンに収蔵されているラオコーンの影響を強く受けた作品だそうです。元々は教皇ユリウス2世の墓碑を飾る彫刻の一部として製作されたそうです。
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「アモール(クピド)とプシケー」アントニオ・カノーヴァの有名な作品です。この部屋ではミケランジェロと共に好きな作品です。誰もいない静かな場所で見るのは贅沢な時間です。
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カノーヴァの作品の中では最高傑作だと思います。
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聖マグダラのマリア」ガラスのケースに囲われた姿はまるでシャワールームにいるようです。グレゴール・エアハールト作と伝えられる傑作です。
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「サモトラキのニケ」
羽根を付けた勝利の女神は、サモトラキ島にあった偉大なる神々の神殿に張り出していた船の船首に立っていたそうです。この建造物は前2世紀初頭の海戦の勝利を記念するためにロードス島民が奉納品として献上したものとされます。姿勢の劇的効果や動きの力強さ、力動感あふれる襞はヘレニズム時代の特徴でありこの像は最高傑作だと思います。 -
翼は1枚しか発見されておらず片側は残された1枚をコピーして反転して造られたものだそうです。確かに翼が1枚だけではこの迫力は半減するので個人的には良い修復だと思います。
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アルチンボルトも大好きな作家です。ウィーン美術史美術館で本物を初めて観て以来プラド美術館などいろいろな国で出会いました。
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好きな画家を辿っていくとどこかで澁澤龍彦に行きあたることが多いのですが、アルチンボルトもそんな作家のひとりです。
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ルーブル美術館にはこの「四季」の4枚が揃っているはずですが、冬の写真が残っていません。
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カラヴァッジオの「女占い師(ジプシー女)」
カラヴァッジオを訪ねてローマを巡り、次にナポリからメッシーナそしてパレルモと旅をしてマルタまで行きました。プラドの収蔵品は何度行っても展示されていなかったりで見るまでに20年かかりました。 -
女占い師の狡猾そうな視線が何とも言えません。
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「アロフ・ド・ウィニャクールと小姓」
こちらもカラヴァッジオの作品です。マルタ騎士団の騎士団総長の肖像画です。カラヴァッジオを求めてマルタのヴァレッタに行ったばかりだったので感慨深いものがあります。 -
小姓の袖にマルタ十字が描かれています。
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エル・グレコの「キリストの磔刑」。グレコの作品の中ではオルガス伯の埋葬が一番好きです。それとヴェンゲリスの「エル・グレコ」というCDは最高です。
アテネのヴァージンレコードで見つけた数年後、TBSの「世界遺産」という番組でBGMに使われだしました。 -
「フランス王聖ルイと小姓」エル・グレコの作品の部分です。
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リベラの「羊飼いの礼拝」。マリアの青いベールが印象的な作品です。数年前のスペイン旅行でリベラやムリーリョやスルバランの作品に感銘を受け、その思いは20年後にアンダルシアを再訪して思いが叶います。
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ゴヤは最晩年のグロテスクな黒い時代が好きです。この頃はあまり好きではありませんでしたが、齢を重ねるうちにゴヤに興味が持て、18年後にスペインを再訪することになります。
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「聖母子と幼き洗礼者聖ヨハネ」ラファエロの作品です。
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「ダレイオス宮殿の装飾」
オリエント美術のゾーンに飾られたレリーフですごい迫力です。なかなか現地まで自分で行くことは出来ないのでパリやロンドンの美術館や博物館で見るしかありません。 -
有翼人面の牡牛像も素晴らしいのですが、ダリウス1世の宮殿の牡牛の柱頭の写真しか撮っていませんでした。エジプト美術のエリアは滞在していた時間は閉鎖されていて観ることが出来ませんでした。ほぼ1日美術館にいて最後はミュージアムショップ?のラリックで花瓶を記念に買いました。
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ほぼ一日ルーブルを堪能しました。カルーゼル凱旋門からエトラール凱旋門を目指し、一度ホテルに戻ります。
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ホテルで一休みした後は大晦日だったので日本から持って行った「緑のタヌキ」を食べてからシャンゼリゼに繰り出しました。同じホテルで朝食のときに一緒だった女性が「シャンゼリゼで年越しを迎えたいけれど女一人だと怖いので…。」という話だったので「何かあっても責任は持てないけれど我々はコンコルド広場まで行くのでご一緒しますか?」ということになっていたのでロビーで待ち合わせて出掛けます。
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すでにシャンゼリゼはすごい人出でなかなか前に進めませんでした。何とか1時間くらいかけてコンコルド広場に到着です。オベリスクや噴水の方までは進めません。
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コンコルド広場の脇の小高い植込みの上でカウントダウンを待ちます。
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寒い上に氷雨が降りしきります。噴水の水も横に流れるほどの風も強い日でした。
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21世紀の瞬間です。紙吹雪が舞いますが何のこっちゃ判りませんね、この写真では。
連れの女性がいましたがお約束なので「ごめんね。」と言ってからカウントダウンに合わせて妻とチューしました。 -
シャンゼリゼを通ってホテル迄帰るのがまた大変でした。若い男連中がキスしようと襲ってくるのを両手に女性を抱えて下を向いて歩きました。いろいろな物が飛んでくるし…。残念ながらパリジェンヌとの出会いはありませんでした。
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元旦のパリは昨晩の賑わいが嘘のように閑散としていました。街を歩くのは観光客ぐらいです。
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キューピーみたいな女の子はカルーセルが怖いのでしょうか?
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アルジェリア系のお兄さんと記念写真。彼が被っている傘を買いました。
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ドゴールさんの大ションベンは元旦なので止まっていました。
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意味も無くエッフェル塔に向かって歩いていきます。
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この寒い日に自分からカルーセルに乗りたいといったのでしょうか?
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またエッフェル塔に戻ってきたけどここだけは相変わらず混んでいます。次に来るまで11年かかりましたが登ることは出来ました。
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ポンピドーセンターにも立ち寄りました。初めて見た時の感動はありませんでした。
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更に歩いて市庁舎の前を通りかかると広場はスケートリンクになっていました。
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地元の人が楽しんでいるようでした。
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午後はポンヌフのたもとの船着き場から遊覧船に乗りました。出港するまではポカポカしていましたが、動き出すとさすがに寒い!!
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大きなボートでしたが乗っているのは5~6人だけでした。通りを行き交う車も少なく歩いている人もあまり見掛けません。
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寒いけど我慢して美しいセーヌ河畔の眺めを満喫します。
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レクさんドル3世橋のこういったアングルは船からだけのものです。
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エッフェル塔まで行ってUターンです。登るより下から眺める方が良いかもしれません。誰だったか批評家がエッフェル塔の上がエッフェル塔の無いパリの景色を眺められる唯一の場所といった話を聞いた覚えがあります。
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コンコルド広場まで戻ってきました。
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いつかパリで船を借りてセーヌ河を遡り、ローヌ河を下って地中海に至までの旅をしたいのですが。水路地図は買ってあるのですがまだ計画にも至っていません。イギリスの運河をナローボートで旅もしたいとも考えています。
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ノートルダム寺院のあるシテ島を廻ってクルーズは終わりです。
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そんなところに立っていると寒いですよ。
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川から見上げるノートルダム寺院もいいアングルです。
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裏側のフライングバットレスと呼ばれる支柱が美しいゴシック寺院です。
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セーヌ河畔にはボートに住んでいる人も多いようです。
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ヨット・ド・パリの停泊地です。この時点では最終日の晩のディナークルーズが予約で来たのか分かりませんでした。
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この帆船の両側には魚の羽のようなものが付いています。セーヌ川ではよく見かけますが、どのように使うのか分かりません。トーションスタビライザーのように横揺れを防止する装置なのでしょうか?
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翌日はクリニャンクールの蚤の市にいったのですが、写真データが無くなってしまいました。
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クリニャンクールの帰りはまたいくつかのパッサージュを巡りました。こちらはギャルリー・ヴィヴィエンヌ。
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後はパッサージュ巡りの写真だけです。
アンティークの店があったので、古い地図を探して回りました。小さい版画を数点買い求めました。 -
アンティークマップは良いお値段していました。
イタリアやギリシャやクロアチア辺りの方が手頃な値段で手に入ります。 -
一軒オンワードの建物の1階にあった店は絶対に良い物がありそうでした。でも年末年始はお休みでした。残念。
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パリの主だったパッサージュは一通り歩きました。買い物はあまりしませんでしたが、パリの雰囲気に浸るには良い所でした。何より真冬のパリで天蓋に覆われた商店街は魅力です。もう一度ゆっくり巡ってみたい所です。
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ほんの一週間では行きたい所の半分も訪ねられませんでした。サクレクールもモンマルトル辺りも凱旋門から眺めただけです。エッフェル塔にも登れなかったし、ベルサイユにも行けなかったし…。再訪を誓いながら10年行く機会を逃しています。
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旅の終わりはヴァンドーム広場です。トラヤヌス記念柱を模したナポレオン1世のコラム(円柱)がライトアップされていました。この後ホテルに戻るとレセプションの女性から「ヨット・ド・パリの予約取れていますよ。」と言われ、慌てて着替えてタクシーで船着き場に向かいました。何とか出航に間に合いましたが、この日は人数が少ないのかテーブルが6つだけの小さい舟でした。ただ内装が豪華で暖炉まで設えてあります。美味しいワインとフルコースのディナーをいただきましたが、思っていたよりリーズナブルでした。ただ帰国前でフランスフランの手持ちがなくて、チップも米ドルで払ったり、帰りタクシーの代金すら足りなくて、キャバレー・リドの前で降りて歩いてホテルまで帰りました。珍道中でしたが楽しい思い出です。
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